鴻風俳句教室

皆さんのホームページです
写真と俳句で美を追求しましょう
そしてこの世に生まれてきた証を残しましょう
 

枯葉浮く千鳥の湯てふ源泉名//奔流の滝深秋に抱かれつ

2011年10月29日 09時54分34秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ














>枯葉浮く千鳥の湯てふ源泉名

>屏風なす柱状節理冬隣

>奔流の滝深秋に抱かれつ

  
  頂上まで行かれなかった代わりに、滝を見に山道をひたすら歩いた。
 黄葉も紅葉も美しいが足場が悪い。山から本流となり下り降りる水が道を削り取り、
 何か所も谷底に落ちるのではないかと思われる個所がある。
  谷底は石狩川の激流である。

  3枚目の写真は、道路際に「千鳥の湯」などという、粋な名のついた源泉がある。
 大蔵省財務局なんてなんだか、いかめしいところが面白い。

  4枚目の写真も、光りが射さないような場所でありながら、なんだかぼ~っと明るい。
 それを面白いと思った。これまたなんだか妖精でも住んでいそうな雰囲気であった。


  山ブドウ採りから帰った少年は、体中が痒くて痒くてたまらなかった。
 肉が腐り、骨が見えてきた。蠅が集まってくる。卵をうみつける。

  少年の体を見た叔母さんが、向かいの診療所に引っ張っていった。
 ペニシリンの出てきた頃で、毎日ペニシリンを注射された。
 それでもいっこうに良くはならなかった。

  医者の阿部先生は、ペニシリンをこれだけ打っても良くならないなら、
 もうどうしようもない。「豊富温泉に行って来い。治るまで帰って来るんでない。」と
 言い渡された。

  豊富温泉はこの当時、日本最北の温泉で重油の汲み上げをしている最中に見つかった温泉で、
 お湯に重油の油膜が浮いている。皮膚病には現在でも聴き目のある温泉として知られている。

  夜、寝ている以外は温泉につかっていた。
 5日目ほどから自分でも治ってきたことが知られるようになってきた。
 治りだすと以外に肉の盛り上がりも早く、ちょうど2週間温泉にいてかえってきた。

  この前後の話も面白いが、またにしたいと思う。

大雪の山脈すでに冬隣//弱肌に漆紅葉のおそろしき

2011年10月26日 16時31分35秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ















>大雪の山脈すでに冬隣


>弱肌に漆紅葉のおそろしき


  小学校6年生の春に利尻島に渡った。
 母親の全盲が治らないとわかった時、母親の故郷利尻島に行ったならば、
 なんとかなるだろうと考え、島に渡ったことになるのだろう。

  なんとかなるとは、kou(じぃじ)にとっては祖母にあたるが、
 健在で居り、その祖母が、娘なのだから、母の面倒を見ると考えたのだろうが、
 祖母には祖母の生活があり、そうそう、祖母の家から4キロ離れた母のところまでは、
 1カ月に1度か2度しか来てはもらえなかった。

  2学期が始まった時だったろうか。
 「おめえ(おまえ)、ブドウとんに(採りに)、行ったことがあっか?」といわれ
 学校が終ってからの3時頃からだったか、土日であったか今では忘れたが、
 3~4人集まって、ブドウを採りにいった。

  どんどん山に入って行くので、こんなところに葡萄畑なんてあるのかと思ったら、
 「山ブドウだぜ。入れもの持ってきたか。」という。
 山ブドウなんてみたこともなかった。

  相当に山に入ると、「ほら、あそこにあるべ」といわれ、
 松の木に絡みつく蔓をみると、上の方にブドウらしきものがあった。
 
  おいしいブドウを想像していた、kouにはその黒見がかった粒の房が
 山ブドウであることが初めてわかった。
 蔓を引っ張ったり、木に登ったりで、山ブドウになんとかありついた。 

  帰って来てから、体中が痒くて痒くてどうにもならなくなってきた。
 まず、チンポが痒くなって思い切り掻いた。次が脇腹、次が頭。
 ともかく体中が痒くて掻いているうちに、体が腐ってきた。

  肉が腐ると骨が見えるようになる。そうなるとひどいにおいがする。
 さすがに子供心にも、自分はもしかしたら死ぬのかも知れないと思った。

 続く

初雪の消残る尾根や七合目//アノラック濡らし山気の変はりやす

2011年10月22日 21時25分44秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ














>初雪の消残る尾根や七合目

>アノラック濡らし山気の変はりやす



  七合目までリフトで登る。景色がまるで違う感じがする。
 木々の片側が枯れていたり、先端がシャリ幹になっていたりする。
 山でないと見られない光景である。

山の天気ほど変わりやすいものはない。
 いま晴れたかと思うとすぐに霧が湧いて、アノラックを濡らす。
 霧が湧いたかと思うと、小雨になる。小雨になったかと思うと晴れてくる。

  頂上まで行こうかと思ったが、ここで下山することとした。
 山では無理は禁物である。引き返すことは残念である。
 だが、引き返すことが大事なことは、過去の登山で思い知らされている。
  
  

  

山風に耐え孤独なる蝦夷竜胆//枯れてなほ葉に艶もてり山ぶだう

2011年10月19日 20時08分06秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ
















>山風に耐え孤独なる蝦夷竜胆

>枯れてなほ葉に艶もてり山ぶだう


  お花畑に1本だけ咲く、蝦夷竜胆と僅かに残っている、
 しらたまのきの白い実が彩りを添えていた。

  板小屋の資料館に入ってみた。
 写真が5~6枚貼ってあった。その中から冬の大雪山の写真と鳴き兎が印象に残った。

  小屋の周りの黄葉の山ブドウの葉やいたやの葉が美しかった。

  5合目から7合目にはリフトで登る。スキーリフトと同じである。
 若ければこんな大自然の中を滑ったらどれほど気持ちが良いだろう。そんな気持ちになった。
 

末枯れや尾根越す風のとげとげし//板張りの小屋に黄葉かしづけり

2011年10月18日 20時44分08秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ














>末枯れや尾根越す風のとげとげし

>板張りの小屋に黄葉かしづけり

>五合目の末枯れ一途に展げたる


  黒岳五合目でケーブルカーを降りる。
 外に出るとお花畑が広がっている。お花畑と言ってもすでに末枯れている。

  季語に「末枯れ」という言葉がある。
 草木や葉先が枯れることだが、樹木ではなく草葉について言う言葉である。

  藤原清輔の和歌に「山里は庭の叢草末枯れて蝉の鳴く音も秋眼気にけり」がある。
 「叢草」とは「一むらの草」と言う意味である。

  七合目まで行くリフトの駅まで歩いて行く途中で、板張りの資料小屋を見た。
 中には動物や植物などの貴重な作品の写真が5~6枚貼られてあった。

黒岳の山頂が見え霧湧けり//山系に神の一刷毛薄黄葉

2011年10月16日 14時19分06秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ














>黒岳の山頂が見え霧湧けり

>山系に神の一刷毛薄黄葉

>五合目のケーブルカー駅秋迫る


  一時黒岳の山頂が見えた先が尖っている。
 ケーブルカーから下を見下ろすと、神が戯れに一刷毛の黄色を描いたように、
 黄葉の海が広がっている。
 
  ところどころに「ななかまど」の赤と思われる紅葉も入れている。
 神の戯れででもあろうか。

  ケーブルカーは、五合目駅に到着する。麓から五合目駅までは、
 わずか7分という速さである。

散り急ぐ黄葉に人みな急ぐ//みちたりて眠るややこや後の月

2011年10月13日 19時44分40秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ
















>散り急ぐ黄葉に人みな急ぐ

>ケルン積む落葉もともに積み上げて

>みちたりて眠るややこや後の月


  何処にいっても「行幸の碑」がある。
 昭和天皇が行幸された時のものであろう。
 碑面には「そびえ立つ大雪山の谷かけ(崖)に雪はのこれり秋たつらしも」と
 刻されている。「秋立つ」とは立秋の日である。
 今年の場合、立秋は8月8日であった。
 いくら大雪山でも、8月に雪は降るだろうか。などと思い、この碑を眺めていた。


  ケーブルカーに乗るのに、外を眺めていたら、
 風が吹く度に黄葉した葉が盛んに散っている。
 黄葉も人もみな急いでいるように見えた。

  ケーブルカーの駅の傍にケルンが積んであった。
 山を下りてきた人が、無事で下りてきたことに感謝の気持ちから
 積むのがケルンの意味のようだが、kouは山に登る前に、
 無事登れますようにと、一つ石を積んでおいた。

  ケーブルカーの駅の待合室には、黒岳の子規の写真が貼られてある。
 熊も蝦夷鹿も鳴きウサギもテンもみんな可愛い。

  ケーブルカーから見える谷合は黄葉・紅葉の海であった。
 5合目の駅が見えてきた。

  おまけの1枚。
 昨日は「後の月」の満月であった。もっと大きな写真を撮りたいが、
 kouの持っているレンズではこれが手いっぱいである。
 それでも、三脚も立てず、手持ちで撮った写真である。
 クレーターを見ていると、兎が餅をついているように見えてくるから面白い。
 

秋の瀧濁世の塵を落さんと

2011年10月12日 13時19分30秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ














>秋の瀧濁世の塵を落さんと

  不動の滝が男滝だろうか。濁世の塵を洗い落とさんとして、
 轟々と音を立てて落ちている。

  鹿児島の俳友が、北海道の滝は「滝壺がないんですね」と言っていたが、
 確かに北海道の滝には滝壺がなく、ただちに川となって流れて行く。

  この滝も「石狩川」の源流に落ちて、ただちに和がれて行く。
 
 

神の岩続く古潭の穴まどひ//神々の沐浴拝す秋の瀧

2011年10月09日 18時49分30秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ














>神の岩続く古潭の穴まどひ

>神々の沐浴拝す秋の瀧

>金色の秋鎮めんと激つ川


  神居古潭(カムイコタン)とは、神の沐浴する場所だという。
 沐浴とは本来「髪を洗う」だが、これだけの滝を利用して、髪を洗う。
 きっとさっぱりとすることだろう。

  神居古潭にはたくさんの滝が流れ落ちている。
 これだけの滝があれば、どれだけの神様が沐浴しても足りないことはないだろう。
 神様は「八百万(やおよろず)の神」といわれるほど、
 日本にはおられるのである。

常磐木の紛るる黄落晴来る//黄落や柱状節理壁立す

2011年10月07日 22時31分49秒 | 俳句と写真で美を求める=句写美じぃじ














>常磐木の紛るる黄落晴来る

>黄落や柱状節理壁立す


  「層雲峡」は「柱状節理」が屹立している。
 見上げると天に突き刺さるような柱状節理である。

  柱状節理とは、マグマが冷却し固まる時に生まれる柱状の、
 割れ目や岩脈、岩床、溶岩などに生まれるという。

  兵庫県の玄武洞や、福井県の東尋坊、そしてこの層雲峡などが有名である。