こんにちは
もう葉月…8月ですねはやーい
さてさて、先月19日に柳沢吉保さんの詠んだ七夕の歌をご紹介しましたが、
その吉保さん絡みのネタを断続的にお送りしてみようかと思います(笑)(今回はパート②とゆーことで)
こちらは、『風流使者記』という山梨の紀行文が所収されている本です。(『甲斐叢書』第三巻所収、昭和49年発行)
書いたのは誰かといいますと、日本史の教科書にも出てくる儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)さん。(幕府の御用学者みたいな??)
宝永元年(1704)に晴れて甲斐国主・甲府城主となった吉保でしたが、将軍綱吉の信任も厚く、
老中首座(のちの大老格)という立場上、江戸城に詰めっきり?みたいな多忙な身の上
でも、何といっても思い入れのある甲斐の国、藩主として仁政を敷きたい、お城も増改築したい、城下町も整備して活性化させた~い、
とさまざまに肝入り事業を現地の家臣たちに指示しました。
そして、なかなかお国入りできない自分の代わりに、荻生徂徠に甲斐国の視察を命じたワケです。
(貧乏をかこっていた徂徠を抜擢して配下にしたのはよっしーなのでした)
徂徠さんは、同僚の田中省吾さんと甲斐国を見聞しまくり、記したのがこの『風流使者記』
タイトルもコジャレてますよね
ただ、さすが儒学者さんだけあって、文章がカタい…と申しますか、全文漢文(あまり和漢文っぽくない気がシマス…)
の格調高い文章で、かなりの頻度で漢詩も詠みまくっています
正直読みづら~~い感じなのですが、来たくても来られない主君に、
「貴方様のお治めになっている甲斐の国とはこういうところです!」と一生懸命に伝えようとする徂徠さんの心意気をすごく感じます
(まあ、配下ですから「よいしょ」も込みで(笑))
もちろん、甲府城のこともバッチリ書いてありますよ
とゆーか、冒頭の文章からも、甲府城の大改修が終わったのでそれを見に行って欲しいというのも、目的のひとつだったようです。
内容については、またおいおい…。
もう葉月…8月ですねはやーい
さてさて、先月19日に柳沢吉保さんの詠んだ七夕の歌をご紹介しましたが、
その吉保さん絡みのネタを断続的にお送りしてみようかと思います(笑)(今回はパート②とゆーことで)
こちらは、『風流使者記』という山梨の紀行文が所収されている本です。(『甲斐叢書』第三巻所収、昭和49年発行)
書いたのは誰かといいますと、日本史の教科書にも出てくる儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)さん。(幕府の御用学者みたいな??)
宝永元年(1704)に晴れて甲斐国主・甲府城主となった吉保でしたが、将軍綱吉の信任も厚く、
老中首座(のちの大老格)という立場上、江戸城に詰めっきり?みたいな多忙な身の上
でも、何といっても思い入れのある甲斐の国、藩主として仁政を敷きたい、お城も増改築したい、城下町も整備して活性化させた~い、
とさまざまに肝入り事業を現地の家臣たちに指示しました。
そして、なかなかお国入りできない自分の代わりに、荻生徂徠に甲斐国の視察を命じたワケです。
(貧乏をかこっていた徂徠を抜擢して配下にしたのはよっしーなのでした)
徂徠さんは、同僚の田中省吾さんと甲斐国を見聞しまくり、記したのがこの『風流使者記』
タイトルもコジャレてますよね
ただ、さすが儒学者さんだけあって、文章がカタい…と申しますか、全文漢文(あまり和漢文っぽくない気がシマス…)
の格調高い文章で、かなりの頻度で漢詩も詠みまくっています
正直読みづら~~い感じなのですが、来たくても来られない主君に、
「貴方様のお治めになっている甲斐の国とはこういうところです!」と一生懸命に伝えようとする徂徠さんの心意気をすごく感じます
(まあ、配下ですから「よいしょ」も込みで(笑))
もちろん、甲府城のこともバッチリ書いてありますよ
とゆーか、冒頭の文章からも、甲府城の大改修が終わったのでそれを見に行って欲しいというのも、目的のひとつだったようです。
内容については、またおいおい…。