くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

国宝清白寺を久し振りに訪問

2016年01月31日 | 甲府城日記

ふと、落ち着いたものを見たくなり山梨市三ヶ所にある国宝清白寺の仏殿を散策にきました~

落ち着くなぁ (bu)

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清白寺仏殿 (せいはくじ ぶつでん)

明治40年8月28日 重要文化財指定 / 昭和30年6月22日 国宝指定
所在地  山梨市三ヶ所620
所有者又は管理者 清白寺

 清白寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、寺伝によると足利尊氏が夢窓疎石を開山として正慶2年(1333年)に創立したと伝え、仏殿は室町時代の応永22年(1415年)に建立された。仏殿は、鎌倉時代に禅宗をともなって中国から伝えられた新様式に基づく建築で、よく禅宗様の特色を示す。天和2年(1682年)の火災で、境内のほとんどの建物を焼失したが、この仏殿のみ羅災をまぬがれて、創建時の遺構を今に伝えている。仏殿は身舎の周囲に裳階(もこし)を付けた形式で、ヒノキの皮を重ね合わせた桧皮葺(ひわだぶき)屋根は二重の外観となる。正統的な禅宗様仏殿といわれる円覚寺舎利殿(神奈川県)や正福寺地蔵堂(東京都)と同様に国宝に指定されており、関東における禅宗建築の傑作である。鎌倉から室町時代は、各地に禅宗寺院が盛んに建立されたが、その後衰退したため現存する遺構はきわめて少なく、禅宗仏殿の古い様式を伝える一例として価値の高いものである。
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千葉さな子の墓

2016年01月31日 | 甲府城日記
以前紹介した三の堀の近くに清運寺があります。
このあたりは堀の内側に土塁がありました。地域の人たちはそれを土手山と呼んでいました。
写真は清運寺から三の堀のあった横沢通りを写したものです。



清運寺の中に入ってみましょう。


ここには千葉さな子の墓があります。千葉さな子は,坂本龍馬が江戸で剣術修行中に許嫁(いいなづけ)にした女性です。
龍馬は明治時代を迎えることができませんでしたが,さな子は1896年(明治29年)まで存命でした。残念なことに身寄りのない状況で亡くなっています。晩年は東京千住で鍼灸院を開いていました。

このときの患者の一人で,さな子と親しかった人として小田切謙明(おたぎりけんめい)とその妻がいました。小田切謙明は山梨の自由民権運動家で国会期成同盟の結成にも関わった人物です。小田切は,さな子が無縁仏になるのを恐れて山梨に埋葬したのではないかと考えられています。さな子の墓の横に小田切家の墓があります。

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市ヶ谷駅の石垣展示フロアがイイ!!

2016年01月31日 | 甲府城日記

東京市ヶ谷駅にの地下構内に突如現れる江戸城の石垣
斬新で見ごたえ十分

特に、名古屋市博所蔵の「築城図屏風」の複製が じーーーーっくり見れて 写真のも取り放題なのは ホント感激
お近くにお出かけの際には ぜひお立ち寄りください(bu)
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僕ってブキミ?

2016年01月30日 | 甲府城調査研究所

その業界ではかなり有名なんだけど・・・
「え~ そんな古いのが山梨に」って感じでなんですよ

わかるかなー(bu)
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久しぶりの新刊は刺激的でした

2016年01月29日 | 甲府城日記

移動時間もあったので 28日に刊行された話題の新刊を駅で購入

研究者ではないし 分野も違うけど 社会に出て二度目の類似事件
どこに真実があるかなんて 関係者でもないからわからない

でも、彼女の主張がすべてウソでないとしたら・・・人間って怖い
競争や仲間を蹴落として出世したがる人もいるけれど 少しでも役立つ調査研究が普通にできたらいいなぁ〈bu)
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真っ白な白河の関に到着

2016年01月29日 | 甲府城日記

今週初めから始まった山陽地方の旅を経て みちのく白河の関に到着
山梨のみなさん ご家族のみなさんお元気ですか?

こちらは寒いです
あと二日 がんばる・・・。 (bu)
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草庵跡で気運アップ(県指定史跡日蓮上人草庵跡)

2016年01月29日 | 甲府城の仲間

写真は、県指定史跡日蓮上人草庵跡(にちれんしょうにんそうあんあと)です
昭和34年2月9日に指定され、山梨県身延町身延の久遠寺さんにあります

文永11年(1274年)に身延山に来た日蓮が5.45m四方の草庵を結んだ場所で、その後の弘安4年(1281年)に18.18m(10間)四面に改築された場所とされています。

現在は玉垣が巡り、芝が張られてシックな雰囲気
この空間 かなりGOODです
何かが生まれそうな予感がします

(bu)
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いつもお世話になってる石川県の発掘報告会

2016年01月29日 | 甲府城日記

発掘調査が進む金沢城鼠多門
その報告があるようです
精緻な発掘調査を進める金沢城調査研究所の成果を知る機会ですね
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石垣のウラをチラ見 かれこれ20年前の写真ですが・・・

2016年01月28日 | 甲府城日記

平成9年ごろの甲府城スナップ写真で、本丸北面石垣の修理風景です

いわゆる「鏡石」とういわれる奥行きのない築石
その解体ラインを側面(西側)から見た写真です
全体的には栗石といわれる材料が背面には充填されているのがわかりますが・・・

鏡石の背面は一段と大きな石材が投入されているように見えませんか?
奥行きがない分、背面で支える工夫をしたのかしら
それとも偶然

みなさんはどう見ますか?
(bu)

写真の出典:「甲斐路」92号 1998年発行掲載
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甲府城築城期の技術者 岩盤を掘りぬく!

2016年01月28日 | 甲府城調査研究所

この写真 平成10年ごろの発掘調査風景です

場所はJR身延線甲府駅の南脇
歴史的には屋形曲輪の堀の北端(東西方向)
内堀のなかに更に堀 といった感じのところです

この堀、実は安山岩の岩盤を掘りぬいて造られています
まー安山岩の岩盤といっても表層に近いせいか未固結なため 「ツルハシ」でも何とか掘れちゃうんです
ですから底部と側面の一部は掘り方や形状も大変よく残っています

この遺構は埋設保存してありますが、このような遺構がまだ面の下に残っているなんて、だーれも知りませんよね・・・

あー解説版つけたいなぁ

(bu)
コメント (2)
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