くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

犬公方綱吉と家宣in中野区桃園町&囲町

2015年05月06日 | 甲府城調査研究所
nobuさんコメントに触発されて…

徳川6代将軍家宣(徳川綱豊)が甲府藩主だったって意外に知られていないですよね

さて、家宣の一代前といえば、5代将軍綱吉です
綱吉は、教科書にも必ず登場し「生類憐みの令」や「犬公方」として有名です
また、甲府藩主であり側用人で悪名高き(そんなことない)柳沢吉保との関わりで甲府城研究でもたびたび登場します


そこで、今日の一枚は「生類憐みの令」に関連したてお犬様を保護していた施設「犬屋敷」の名残をご案内

犬屋敷は、5代将軍徳川綱吉が設けた幕府の野犬保護施設で、犬を囲って飼育したことから「お囲い御用屋敷」ともいいました。中野4丁目あたりの旧町名「囲町」はこれに由来します。
綱吉は「生類憐みの令」によって動物の殺生を禁じました。
特に犬を保護して、江戸城郊外の中野に最も大規模な犬屋敷を造り、支配役以下多数の役人や医者を置いて、野犬の飼育をしていたようです。
犬屋敷は元禄8年(1695)末に収容を開始し、綱吉の死去により宝永6年(1709)に廃止されるまで、15年間存続します。敷地は現在の区役所を中心にJR中央線をはさんで約30万坪(約100ヘクタール)に及び、5つの大囲には、各数百棟の犬小屋・餌場・日除場・子犬養育場があって、最盛時には8万数千頭、飼料費は年額9万8千両にも達しました。その後、幕府は方針を変えて、めす犬の収容を主体とし、他は近在の農家に養育料をつけて預けることにしました。犬屋敷の莫大な費用は、江戸の商家や天領の農民たちの負担で賄われました。

やがて、6代将軍家宣の時代。
家宣はこの令により多くの人が苦しんでいるのを改善させるため、すぐに「生類憐みの令」を廃止したとも言われています。
綱吉も「天和の治」といわれるような文治のよる善政もしましたが、悪政もあたっと言われます。家宣は、このような治世を改善するため「正徳の治」を展開した将軍でもあるのです。

話がそれますが、この犬屋敷。その跡地はつい最近まで公有地として大いに利用されていました。例えば、昭和初期の公的スパイ養成学校としてたびたび小説などに登場する陸軍中野学校、電電公社(NTTのこと)、区役所、図書館、体育館、公立中学校、駅、警察大学校、公園などなど

つい最近になって、早稲田大学、明治大学、帝京大学などが建設され町並み随分変わってきました

写真にある「囲」はこのような「犬屋敷」の名残です。
桃園は、「犬屋敷」跡地に多くの桃が江戸時代に植えられていた名残と言われ、江戸時代の名所となってからの地名です(山梨の桃にはかなわないですが)。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-05-06 22:40:24
くろちゃん、
いつも楽しみに読んでま~す

おもしろい


犬とは関係ないと思うけど
山梨にも「桃園」っていう地名があるんだよ

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Unknown (くろちゃん)
2015-05-07 20:54:25
いつもご愛読ありがとうございます

南アルプス市の桃園でしょうか
そちらは、どんな由来があるのか
くろちゃんも気になります

コメントありがとう
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囲桃園公園 (歴史を訪ねる会)
2017-08-07 10:29:08
囲桃園公園の標識のある写真を利用させて下さい
返信する
囲桃園公園 (歴史を訪ねる会)
2017-08-07 10:29:59
囲桃園公園の標識のある写真を利用させて下さい
返信する

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