くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

柳沢氏ゆかりの寺・その弐~吉保さんパート⑦~

2016年09月30日 | 甲府城日記
こんにちは~  9月も最終日ですね
毎度、甲府城主だった柳沢氏のネタで引っ張ってますよ~
果たしてどこまで伸ばせるか…!?(爆)
さて、前回は柳沢家(宗家)の菩提寺・永慶寺(黄檗宗)のご紹介をいたしました。(正確には甲府の旧永慶寺跡デス
吉保が建立し、また自身の葬儀が行われ、葬られた永慶寺なのですが、現在、吉保と正室の定子さんはこちら↓
塩山の恵林寺に眠っています。

柳沢吉保が甲府城主になったのは宝永元年(1704)12月ですが、享保9年(1724)、息子の吉里の代に
柳沢家は奈良の大和郡山への転封(国替え)が言い渡されました
(注:幕府の天領拡大による財政政策のため。以後、甲斐国は幕府直轄となります。)
永慶寺については、吉保が生前からたとえ国替えになっても甲府に残して欲しいと望んでいたのですが、
幕府への交渉が難航→そーこーしている内に郡山転封決定→甲府永慶寺を破脚→郡山移転となっちゃったのです
(永慶寺はかつて将軍綱吉から古跡に準ずる寺として認められていたんですけどね…吉宗冷たいわぁ
そこで、吉里さんは父母(あ、義理のお母上デス)の遺骸を恵林寺に改葬することにしました。
乾徳山恵林寺はご存知、武田信玄の菩提寺でもある臨済宗妙心寺派のお寺です
吉保肝入りで建てた永慶寺がなくなっちゃったのは残念でしたが、何と言っても彼が崇敬して止まなかった
信玄公の墓所と同じ寺に改葬してあげるなんて、吉里さん、グッジョブですよ~
しかも、改葬の日がなんと信玄の命日である4月12日だったんです なんちゅー親孝行っ
転封の上意通達が3月11日でしたから、正味1ヶ月で前藩主の改葬を行ったわけで、藩のお引越し準備の最中、
どんなに慌しいことだったか想像に難くありません
お墓も一緒に奈良へ移すのも一つの選択かもしれませんが、当時柳沢家は火の車で転封してすぐに菩提寺を建立、
というワケには行きませんでした 15年後に、奈良の永慶寺は建てられます。
そんなワケで、吉保が来たくても来られなかった甲斐の地、しかも恵林寺に葬ってあげたことは結果的には良かったのでは、と…
もし恵林寺にお越しの際は、ぜひ吉保夫妻のお墓もお参りしてあげて下さいね


↑境内のお庭に吉保&定子の廟所があります。右の石塔には吉保が亡くなった正徳4年とありますので、永慶寺に葬られた時の石灯籠をそのまま移したのでしょう。合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都留散策 ミュージアム都留編

2016年09月29日 | 甲府城日記
山梨埋蔵文化財センター・シンポジウムで、都留市の谷村城下町について講演がされるとブログにありますが、ちょうど都留を散策してきたのでお話します。

都留市はむかし勝山城と谷村城があり、古くから城下町として栄えた歴史のある街です

勝山城の石垣は、甲府城主であった浅野長政の家老・浅野氏重により造られたと伝えられています。山城の形態で、地元では「お城山」と呼ばれています

何時代に誰の手によって造られたお城なのかはっきりわからない為、H17~21年に学術調査が行われ、未確認だった遺構が複数発見され、その1つがお城の西側で確認された石垣です。石垣は「野面積み」で積まれていて、浅野氏の時代に造られた可能性があると言うことです。
石垣以外にも、堀やお茶壺蔵の建物跡が発見されたそうです。

1704年に廃城した為、今は残っていませんが、ミュージアム都留に勝山城の模型があるので、勝山城跡に登る前に行ってみました

ミュージアム都留は、都留の歴史と文化を学べる博物館です。
博物館の受付を過ぎると、すぐに勝山城の模型がありました。
     
山一体がお城だというのがわかります。
石垣などの写真も展示してありました

     
夏季企画展として「都留の土器展」が開催されていて、訪れた日が最終日だったので、そちらも見学することに・・・
          
都留で発掘された縄文・弥生などの土器のほかに、谷村城の調査で発掘されたものも展示してありました。鏡や飾り金具・金属精錬に関するもの(鋳型など)が出土したようです。
谷村陣屋などの近代、近代の遺構や遺物のほかにも、奈良、平安時代・中世の遺物も出土したそうです。
甲府城の発掘状況の展示もありました

こちらの常設の展示は、古くから城下町として栄えた都留の歴史や、ゆかりのある偉人、伝統文化を学べる展示となっています。大きくて迫力のある八朔屋台があったり、からくり紙芝居や映像が流れたりと、大人も子供も楽しめるところでした

次回は勝山城についてご紹介します。
                                   (り)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の気配☆

2016年09月28日 | 甲府城日記
富士山初冠雪
と、ニュースで聞いたので、甲府城の天守台へGo

   


あれれ?
見事な曇り空
最近スッキリしませんねぇ

富士山は見られずに、残念でしたが
散策途中、うっすらと紅葉し始めたモミジを見たり
   

見事に咲いたキンモクセイの香りを楽しんだり
   

と、昼休みの短い時間に秋を感じる事が出来ました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲斐の城下町を探るシンポジウム開催!!

2016年09月27日 | こんなイベントやります(やりました)
雨が多い9月ですが、次第に秋めいてきていますね
さて、シンポジウムのご案内です



来る10月10日(月・祝)、山梨県埋蔵文化財センターシンポジウム「甲斐の城下町を探る~谷村城、甲府城下町遺跡発掘調査を中心として~」を開催します

テーマが「甲斐の城下町を探る」ということで、今回は、都留市の谷村城下町がメインとなりますが、甲府城下町についての講演もあります
10月の3連休の最終日、本シンポジウムへのお越しをお待ちしております

開催日時:平成28年10月10日(月・祝) 9:30~17:00
会場:山梨県立図書館 イベントスペース西側(山梨県甲府市北口2-8-1)
参加費:無料
お申し込み:不要
定員:100名(先着)
キャンパスネットやまなし連携講座です

□基調講演と5つの講演という構成になっております。
基調講演「陶磁器からみる近世甲斐国の様相について」東京大学准教授 堀内 秀樹氏
講演 ※記載順は発表順ではありません。
「谷村城下町の形成と変遷」健康科学大学 特任教授 奈良 泰史氏
「甲府城下町の形成と変遷」甲府市教育委員会 佐々木 満氏
「谷村城下町と近世の甲斐における動物資源利用」 山梨県立博物館 植月 学氏
「谷村城下町と近世における金属利用」 山梨県立博物館 西願 麻以氏
「高山源五郎屋敷と谷村陣屋の位置づけについて」 山梨県埋蔵文化財センター 網倉 邦生

お問い合わせは埋蔵文化財センター 電話:055-266-3016までお願いいたします


画像をクリックしてください(拡大)

【関連リンク】
ご案内(県埋蔵文化財センターホームページ)
都留市の歴史 都留市立図書館
遺跡トピックス №422 谷村城―水にまつわる遺構〔都留市
遺跡トピックス 甲府市(甲府城下町遺跡)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨の偉人たち  パート1

2016年09月27日 | 甲府城日記
時代が江戸から明治へと代わり大きな変化に見舞われる近代日本。 
「近代化」する山梨の中で、新たな産業や制度の導入に尽力した人々や、地域の暮らしや文化を守り、育むことに貢献した人々を紹介している「山梨近代人物館」が県庁舎別館にあります
       
  

今回は山梨の近代人物館で紹介されている人の中から、功刀亀内(くぬぎ きない)さんをご紹介します。
  

功刀亀内さんは、明治22年今の南アルプス市上今井で蚕糸業を営む功刀家の三男として生まれました。
小学校を卒業すると家業を手伝うことになり、信州への買い付けには、日本ではまだ珍しかったオートバイを乗り回すなど、新しい物好きな一面もあったようです。

大正8年に甲府市穴切町に転居。糸繭商を営むようになった亀内さんは、江戸時代の甲州の飛脚制度に興味を抱き、甲府市百石町(現甲府市丸の内)にあった山梨県志編纂会を訪ねました。山梨県志編纂会は甲州財閥の中心的存在だった若尾謹之助さんが大正4年に発足させたもので、江戸時代の文化年間に編纂された『甲斐国志』以降の甲斐国の歴史を記録する事業に取り組んでいました。亀内さんは、そこで郷土歴史家、土屋夏堂さんから、「山梨には、郷土史研究の資料を収集する人も、保存する場もないため旧家の蔵などから出てきても、散逸、破損してしまう」と聞きました。

古文書などの資料保存の重要性を認識した亀内さんは、自ら収集を決意
その3日後に市内の醤油会社の倉庫で醤油の樽に貼るための紙の束から峡中新聞の(山梨日日新聞の前身)を含む、20種類以上の明治の新聞を発見し、譲り受けました。また、くず物屋に出す麻袋の中から、甲州生糸や飛脚に関する資料を発見しました。
貴重な資料がいとも簡単に廃棄される現実に直面した亀内さんは、使命感を持って資料収集にのめり込みました。
昭和2年、収集した資料を自ら『甲州文庫』と命名し、昭和16年には、それまで集めた資料を整理分類した『甲州文庫図書目録』を発行しました

昭和20年の甲府大空襲で、多くの生命、財産と共に貴重な歴史民俗資料が焼失しましたが、『甲州文庫』は戦火を逃れました。
「山梨県の文化向上のために、県内で保存すべき」との誘致運動が盛り上がり、それに応えるように譲渡を決意したそうです。

現在は、第一級の郷土歴史資料として、デジタル化され、県立博物館に大切に保管され、活用されているそうです。

                                             (わ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

縁石の心意気

2016年09月26日 | 甲府城日記
朝夕通る通勤の道すがら、下を向いて歩いていると
あることに気がつきました。

  

何と言うことはない、石垣の裾の縁石なのですが、四角い長方形の石の連なりと思っていたのに
  

よーく見ると、 ほら ほら

  

  

ちゃ~んと石の形に沿って、縁石を加工しているんですね
ちょっと感激です                 (か)



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

排・水

2016年09月25日 | 甲府城日記
台風と秋雨前線の影響で雨が続いた1週間

ある日、業務も終了し帰宅するため外の様子を見てみると思っていた以上の強い雨
降り方に、事務所にいた職員全員ビックリ


そして甲府城の様子も気になります
甲府城を見てみると・・・

暗渠(あんきょ)から雨水が噴きだしていました
(暗渠とは雨水等で盛土や石垣内部に水が溜まると石垣が不安定になるので効果的に水を排水するための施設です)

山梨は一年を通して晴れが多い地域だけあって普段は、暗渠から雨水が噴出す光景はなかなか目にしません(貴重な光景)

台風が去っては、また新しい台風と・・・秋雨前線の影響もあり、お天気もあまり良くない日が続いています

甲府城に遊びに来る際は、連日続いている雨で足元が滑りやすくなっている恐れもありますので十分気をつけていらして下さい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

求む、勇者

2016年09月24日 | こんなイベントやります(やりました)
10月3連休の中日は、『古墳で勇者Ⅱ』
今年の春に行われたイベントの第二弾です

第一弾の様子


今度敵は、なっなんと八つの頭のある邪悪なヘビ 凶暴なイノシシ

えぇぇぇぇ

勇者のみんなの挑戦を待ってるよ~

戦いの詳細はこちらをクリック
  ↓    ↓     
  

 《 日 時 》 平成28年10月9日(日) 午前の部 10:00~12:00/午後の部 13:00~15:00
 《参加受付》 山梨県立考古博物館入口(山梨県甲府市下曽根923)
 《参 加 料》 無料(予約の必要はありません)
 《参加人数》 先着80名
 お問い合わせ 山梨県埋蔵文化財センター TEL 055-266-3016


同時開催 曽根丘陵公園『秋のふれあいまつり』←クリックしてみてね


国指定史跡甲斐銚子塚古墳について
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・風流使者、幻の菩提寺の巻 ~吉保さんパート⑥~

2016年09月23日 | 甲府城日記
こんにちは~
荻生徂徠の『風流使者記』、しつこく続編ですよ~
前回、宝永3年(1706)の9月10日に徂徠さんが甲府城見学をしたことをご紹介しましたが
翌11日には、「東與躑躅崎亦唯隔一道、二子遂詣靈臺寺」…とゆーことで、
柳沢吉保の山梨見聞隊こと、徂徠さんと同行者の田中省吾さんの二人は武田氏館跡として有名な躑躅ヶ崎館跡を訪れ、
その後、まだ建立途中の霊台寺に向かいました
ここを「藩主壽藏之地也」と徂徠さんは表現しているのですが、「寿蔵」とは、生前に自分で造るお墓のことで、
すなわち、霊台寺とは柳沢氏の新たな菩提寺を指しています。
吉保さんは、甲斐国主となり甲府城の増改築をする共に、岩窪村に菩提寺の建設も始めていました。
宝永2年に選地・造成を開始し、同7年に完成しています。(現在の甲府市護国神社のあたり一帯です。)
当時よっしーは、禅宗の中でも黄檗宗にどハマりしてまして(臨済宗にも帰依が深いンですけど)、
悦峯道章(えっぽうどうしょう)という中国の高僧と相談して、
宝永5年に龍華山永慶寺(りゅうげさんえいけいじ)と名を改め、同7年に悦峯さんを永慶寺の開山として迎えました
そして正徳4年(1714)には、吉保とその前年に亡くなった正室の定子夫人の廟所が設けられました。
とうとう一度も甲斐の地を訪れることが叶わなかったよっしーですが、この地に葬られてさぞ本望だったと思います
「あれ、柳沢吉保のお墓って塩山の恵林寺じゃないの?」と思われた方、す、スルドイっ
そうなんですよ、今甲府にはないんです、永慶寺
江戸時代に廃寺になってお引越し?しちゃいまして…、ええ、奈良県大和郡山市に今もちゃんとご健在ですよ
その経緯につきましては話すと長くなりますので、機会があればそのうち触れたいと思います
   
↑甲府市の護国神社の境内の脇にある永慶寺跡の案内板と石碑です。(鳥居をくぐらず右側に回ると見られます
奈良県に(甲府の)永慶寺境内図が残っているのですが、宇治にある黄檗宗大本山萬福寺に似た
それはもう大伽藍でございまして、山梨でも1、2の壮大さを誇る寺院だったことでしょう
建立からわずか14年で破却とは…ううぅ~残念すぎます
く~っ吉宗めっ

(みゃ) 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の野良仕事

2016年09月22日 | 長禅寺菜
今日は秋分の日です
「祖先を敬い、亡くなった方達を偲ぶ日」ということで、お墓参りに行かれる方も多いと思います


さて、昨日朝の野良仕事を行いました


恒例化しつつある、長禅寺菜の種まきです
今回も畑の一画をお借りして種まきをさせていただきました
(ご厚意に感謝しております


土に浅く筋をつけ、その筋(溝)に種をまき、土をふんわりかぶせます
種は5月に採取したものです


手慣れた感じです
昨日の雨により土はいい具合に湿っていたので、水やりは省略

無事発芽しますように

種をお持ちの方、おすすめの秋のまき時になりましたので、ぜひ9月中に種をまいてみてください

長禅寺菜について
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする