精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

#456 シャドウの知恵

2008年11月19日 | Weblog
ミクシィ コミュニティ Arrived Energy On Earth よりhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37164624&comm_id=1730147

#456 シャドウの知恵

11:11のスターゲートのエネルギーが流れたことで、私たちのマインドは自分の意識の中で生じている変化・発展に気づき始めています。
エネルギーは直接、私たちの肉体へ移動し、DNAを活性化し、突然の目覚めを生じさせています。
その後、私たちのリアリティとは以前とは決して同じものではなくなります。
私たちの意識が拡大することで私たちは自分の中で明快さ、癒しとバランスを生み出し、それが魂の奥深いところに隠されている“神の生命”のスパークを発火させます。
今は突然の暴露そして洞察を得る重要な時間です。
無意識のマインドの解放を進めることで私たちは、光明の未来のための基盤を置くものとなる~内なる知恵の誕生を促進させることができます。

私たちは進化のプロセスにおいてパワフルな地点に到着しました。
移行・変化の呼びかけに気をつけているのなら…そして内なる美へハートと魂を開いているのなら…私たちは世界で必要とされる変化の動きをセットすることになるでしょう。
今、完全に目覚めている自由を得ているかどうかは、意志の強さと自らの努力次第になります。
霊的な洞察といった面は素早く統合されます。
私たちが本当に真正な愛を体現すれば、大きな慈しみをもってして世界に貢献する能力が表に出てくるようになります。
私たちの進化のサイクルにおいて現時点は、自分自身のより深い面および創造主との関係が本来の有様に戻る…という地点になります。
私たちは最も完全な成長へと進んでおり、具体的な領域により高い意識をもたらしています。
このようにして私たちは、光明の未来を創造しつつあるのです。
今こそ、自分の目的に対して全責任を負い、それを自分がアクセスしている新たな認識レベルに適用させる時間です。

私たちの創造・身体・マインド・ハートは、どんな瞬間にでも神(神性)を表現することができます。
内なる神(神性)に降伏することで、自分の本当の性質がほどけ暴かれます。
私たちには自らが作り出してきた“自分という幻想”を手放すことが求められています。
それは精神(霊)的な苦しみにもなりえますが、愛で目覚める経路に入るためには避けられないことです。
無意識のデーモンをクリアにすることで私たちは自分の人生という夢から目覚め、苦しみの核心を見つけることになるでしょう。
それは、過去の遺物をリリースする間、魂の中に永らく保たれてきた潜在的なネガティブな力のリリースを可能なものとするために、自分の恐れを明るみに出すからです。
生き残るための直感な衝動や恐れに動機付けられることから抜け出ることで、
私たちの“自分らしさ”の感覚は無条件の愛と理解を体現する魂/スピリットのものへとシフトします。
幻想のベールから離れことで私たちは、慈しみあい・愛しあい・讃え敬いあう領域へと…創造主の深い抱擁へと…移動します。

恐れ・疑い・間違ったものに安心や安全を置くといった範疇から自分を解放することは必ずしも簡単なことではありません。
けれども、古いものをリリースし、恐れる・罪の意識をもつ・否定する・恥じるといった過去の束縛から自分を解放する…そして自分自身を赦し、高まり生得権を主張する自由を魂に許す…今がその時です。
変化を受け入れるために私たちは、「自分の希望や望みが顕現するためには、変化や再生が起きるのを許すしかない」と理解せねばなりません。
癒し・慈しみ・再構築が必要な自分の人生のエリアのために心の中で降伏してこそ、自分の統合そして完全性のために必要なメッセージや微妙な洞察を受け取ることができます。

私たちの正真正銘のミッションとは、自分の隠れた神性を明らかにすること…天と地の間の“生きた”リンクとして貢献すること…魂のパッションを理解しそれが現実になるままにさせること…になります。
人間の意識においての習慣的なパターンを集合的なレベルで払拭することによって私たちは、自分の個人的な苦しみを深く理解する助けを得ることにもなりますし、私たちの惑星に奉仕するという最も真の使命に就くための支援を受けることにもなります。

自分自身を浄化し、創造主の献身的な奉仕および無条件の愛と自分とのつながりを強めることで、私たちは魂の内なる聖域へ入るよう、そしてそこに保たれてきた神の愛と慈しみを復活させるよう、呼ばれます。
経験してきた苦しみや困難を抜けることで私たちは魂の旅を明らかにします。
そしてその旅の中で「人生においてのすべての面が神聖なものだ」と私たちは理解するようになります。
これは、自分の中にある光と闇を織ることです。
そこに私たちは自分の完全性をみつけることになるのです。
自分を制限するパターンや停滞させてしまうパターンのブロックを取り除くことによって、私たちの魂は自分の本当の宇宙起源に再びつながることができます。
そうなれば私たちは、新たな美と優雅さの高みへとインスパイアされ、インスピレーションが流れ続ける川を呼び覚まし、真の創造性を自分の行く手に戻すことができます。
そしてこれが、自分という地球の・現実の存在を受け入れることを可能にし、
自分独自の贈り物を解き放つことを可能にし、十分に人生を堪能することを可能にします。
このような機会を与えられている私たちは、本当に素晴らしい特権を得ているのです。

『私たちは静寂で…そして喜びで参加しましょう。
今日こそ癒しが訪れる日。
今日こそ分離が終わる日。
そして今日こそ私たちが本当は何者であるかを思い出す日…。』 

                         ~ 奇跡のコース


http://lightworkers.org/content/55331/spirit-pathways-the-wisdom-shadow


夫婦が夫婦で居る為に、或いは恋人が恋人同士である為に…

2008年11月19日 | Weblog
チャナキングオブアルさんの日記

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=998009933&owner_id=14581664&comment_count=23

夫婦が夫婦で居る為に、或いは恋人が恋人同士である為に…

前回は『親と子』というテーマで我が持論を経験談を交えてご紹介させて頂いた。
今回は『夫婦』乃至は『恋人』について経験談を交えながらご紹介したいと思う。

夫婦が夫婦で居る為に、又は、恋人が恋人同士である為に必要な事…。
それは『我慢』である。

愛する人の為にどれだけ『我慢』が出来るか?その一語に尽きる。

だが、此処で大事な事を忘れてはならない。
その我慢が『苦痛』に変じてしまったらそれはもう『関係維持』は大変困難であると言えるだろう。

ある二組の夫婦を紹介しよう。
どちらも嘗て我が門を叩いたことのある二組である。

一組目の夫婦はお互いがお互いの『我慢』がならず我が門を叩いた方々である。

互いの不平不満を言い合い、自分が如何に相手を愛しているか?
翻って自分は相手から愛されていないと愚痴を零す夫婦であった。

互いがめいめい勝手に動きそのめいめい勝手の為に互いの足を引っ張る事となり、それが元で喧嘩、それが絶えずして我が門を叩いた方々である。

一目見てこりゃ駄目だと思いました。


二組目の夫婦はこれとは全く別の悩みを抱え我が門を叩きました。

ご主人は体が不自由で自ら一人で生活することがとても困難な人でした。
翻って奥様は大変温和で献身的で不平不満を一切言わない人でした。

我が門を叩いたのはご主人の方でした。

妻に申し訳が無い、妻はずっと私の介護を続けてくれている。
私がこのような体になってからずっと妻は何処へも行かず私の介護に明け暮れている。
きっと疲れているに違いない、きっと離婚したがっているに違いない、
でも我慢してるのだ。

時を変えて私は奥さんを御呼びしました。

奥さんの本音を聞きたかったからです(その間の介護は知人の介護師にお願いしました)。
旦那さんの言う通り奥さんはとても温和で見るからに”善人”を絵に描いたような方でした。

さりげなく旦那さんの事をお聞きして見ました。

するとこういう答が返ってきました。

”若い頃あの人は家族を支えようとそれこそ身を粉にして働いてくれました。
朝と無く昼となく夜と無くそれこそ一切の遊びをせず家族の為だけに働き続けてくれました。
不平不満を言わず、我々には子供は有りませんでしたがそれでもとても幸せでした。
夫が介護が必要になった時、私は正直嬉しかったんです。
これでずっと恩返しが出来る、一生懸命働き続け私を支え続けてくれた夫にやっと…”

実は私はこの答えをある程度予測しておりました。
故に旦那さんを奥に隠して奥さんの”本音”を聞かせたのです。

戸の裏でご主人は号泣しておりました。

そしてそっと戸を開けご主人と奥方を対面させたのです。
言葉は既に不要でしょう、夫婦は何も言わず只御互い涙しながら抱き合っていました。

その姿は誰よりも美しく誰よりも神々しく誰よりも暖かでした…。

夫婦が夫婦である為に、恋人が恋人同士で居る為に必要な事。

それは”我慢を我慢と思わずその人の為に努力をする事が嬉しいと思える相手を選ぶ事”
それは”お互いがお互いを努力する事”で可能になります。

”愛”があれば努力が出来ます、”愛”があれば努力を苦痛とは思わなくなります。
”愛”があれば常、笑顔で居れます、”愛”があれば常、前向きに生きる事ができます。

”愛”ある生活をしましょう、”愛”をもっと増やしましょう。

貴方が”愛”を持って人と接すれば其処に”愛”が生まれます。
その”愛”は巡りめぐってより大きな”愛”となって自分に必ず戻ってきます。

”愛”ある生活をしましょう、”愛”をもっと増やしましょう。

比べるなかれ    木華佐久耶姫  神示

2008年11月19日 | Weblog
宇宙創造神の奥様?(意識的)である、天之御中主神の化身である
「木華佐久耶姫(このはなさくやひめ)」の神示

696.kibanamano.netより

比べるなかれ

人は他者と己を比べることにて不満を生ず。
あるいは優越感、嫉妬、劣等感、蔑みの感情生むなり。
神は人皆平等につくられたる事を忘るるなかれよ。
他者と比べ己の心、負に傾けるは愚かなりき。
人と比べ己が優ると思うも傲慢なり。
人は慢心するべからず。
己のみ人と異なると思う心に間違いあり。
心の奥に強き我持つゆえの慢心なり。
神の目から見るなれば皆々同じ。
肉体ありて生きる喜び知る者には我欲も芽生えるものなり。
なれど、そと戦うも人の修行ならん。
人より勝り支配せんと望みてもそは、虚栄なり。
人と比べるなかれ。
さなる感情から解き放たれし時、人の心は安らかなり。
人は己の鏡なり。他者の良きも悪しきも、己の成長のための手本と為し向上図れよ。

器   木華佐久耶姫  神示

2008年11月19日 | Weblog
宇宙創造神の奥様?(意識的)である、天之御中主神の化身である
「木華佐久耶姫(このはなさくやひめ)」の神示

696.kibanamano.netより



人よ。
今、己の器大きくなせよ。
器広げ大きくせねば、神の慈愛受け止めきれぬ。
災害、考えられぬ事件、事故ありぬれば神の警鐘に耳傾ける者も多かれど、
しばし平穏な日々続かば、すぐに忘れさり己の都合良きように考えぬる。
今、世界規模の大変革の前の時なり。
いまだ前兆なり。
立て替え立て直しは容易くはなき。
なれば、できうる限り器を広げ、心構え為す必要あり。
人は肉体ありてこそ楽しみあり。苦しみあり。
なれば、その苦しみもまた喜びならん。
肉体無くば、ただに魂の修行が続くのみ。
人が肉体持ちて生まるることは有り難きことなり。
人として生まるるは希な事なり。
そも悟れず、迷いて傷つき、彷徨える魂なんと多かりしや。
神は人の神の子としての目覚めを待たんとす。
神はいつも人を見守られん。
神の慈愛と光を受けん為に、己の器を大きく広げて待つがよけれ。
さなる努力が肝心なり。