精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

五行・循環 5   木華佐久耶姫  神示

2008年11月09日 | Weblog
宇宙創造神の奥様?(意識的)である、天之御中主神の化身である
「木華佐久耶姫(このはなさくやひめ)」の神示

696.kibanamano.netより

五行・循環 5

人は大宇宙のリズムに支配され生きるものなり。
そは自然の摂理なり。
人間の性格を形成するは、いつ生まれ、いかなる親の元に生まれ、いかなる土地に生まれ、いかなる物を食し、いかなる環境に身を置きたるか。
さなる、様々な要素に影響され、形成されん。
いかなる物を食すかは性格、感情、健康、運命にも影響を与えるものなり。
いかに幸運の星の元に生を受け、いかに良き名を与えられしも、食軽んずるなれば、良き人生はおくれず。
宇宙の万物事象、全て五つの要素から成り立ちゆく。
五つの要素、均衡保たるるなれば、正しき循環となりて身も心も健やかなり。
今この世の波動の乱れの因の一つは食の乱れなり。
酢が体に良きと言われれば、皆挙って酢を飲み、中には大量に摂りて五気偏りて循環乱し体を壊す者もあり。
人には生まれながらにそれぞれ五気の内過剰となりしもの、欠けしものがあり。
酢が持つ「気」が過剰となりし者が、酢を摂りすぎたればかえりて毒となり体を弱める元とならん。
心身を改善し、浄化せしめるには、陰陽、五つの気の循環を正さねばならぬ。
何事も均衡保たるるが必要なり。偏りのある食は性格歪ませ健康も害すると心得よ。


五行・循環 4   木華佐久耶姫  神示

2008年11月09日 | Weblog
宇宙創造神の奥様?(意識的)である、天之御中主神の化身である
「木華佐久耶姫(このはなさくやひめ)」の神示

696.kibanamano.netより

五行・循環 4

人の持つ恨み、怒り、嫉妬、さなる負の感情は悪しき波動の循環もたらし大きく広がるばかりなり。
今、一人一人が悪しき循環を良き循環へと変える努力をなせねばぬらぬ。
人の心持ち方にて循環は正さるるものなり。
まずは物質、金銭への執着捨てるがよけれ。
人間の欲望果てしなく、止まる事を知らぬ。
手に入れても手に入れても、満足せず人が持たぬ高級車、宝石、豪邸、使い切れぬ程の金銭欲す。
さなる物手に入れたとて、心のどこかに不安が生じるものなり。
その不安がさらなる執着生み、他者への不信とも繋がりゆかん。
使用せずとも、いつかは・・。と、物を溜め込む風潮もあり。
勿体なきと思う心は大切なれど、物質持つのみにて使用せずば、
その物質の生命生かされぬ。
物質はいかなる物も寿命あるなれば不必要な物は手放し、循環させねばならぬ。
執着捨て去り、必要以上の物質金銭求めず、足るを知るがよけれ。
さなれば真の心の平和訪れるなり。
執着無くし、足るを知る事こそ、心の循環を正す事に繋がりゆくなり。

『当たり前のことなんて 何一つない』

2008年11月09日 | Weblog
『当たり前のことなんて 何一つない』


「いってきます」玄関の戸が閉まったとたん、その場にしゃがみこんだ。

体力自慢の夫が体の不調を訴え、軽い気持ちで受けにいった検査で難病が発見され、

緊急入院したのは半年前のことだった。

いったい夫はどうなるの?私たち家族はどうなるの?

当たり前にこのまま続くと思っていた毎日が、突然音をたてて止まった。

自分のよく見なれた世界から突然空気の薄い別の世界に、

いきなりぽつんと置かれたような心細さ、苦しさが襲ってきた。

それからの半年は、
自分が家族の前で笑顔でいることだけに神経をそそいだ。


夜は心細さに足が震えだして眠れなくても、
会社では普通に働き、子供を送り迎えし、食事を作った。


子供をだっこしているふりをして、本当は自分が子供にしがみついていることで、

なんとか正気を保っているような状態だった。


そんな日々のなかで、夫が退院。

自宅療養の時期をすごし、少しずつ普通の生活が送れるようになった。


以前は大嫌いだった、混んだスーパーでの日曜日の買い物にふたたび家族揃って出かけられた日、

車に戻る駐車場で排気ガスに巻かれながら、

ありがたさに涙が出て止まらなかった。


「高速道路の運転がしんどい」と、

運転ができなくなっていた夫がふたたびハンドルを握って長距離を運転した日は、

後部座席に子供と座っていられる自分がありがたくて泣けた。


そしてついに夫が復職する日が来た。

朝起きて、スーツに着替え、会社に行く。


当たり前だと思っていた光景。

その姿に感謝して泣く日が来ますよ、と占い師に言われたとしても決して信じなかったと思う。

でも実際、夫が会社に出掛けたとたん、私はその場にしゃがみこんでしまった。


人生で当たり前のことなんて、何一つない。


たとえば仕事に行けること、


子供が無事に学校から帰ってくること。


すべてが人生の一大事。


当たり前なんて考えてしまったら、もったいなさすぎて罰があたる。

毎日、毎日が神さまからの贈り物。奇跡の繰り返しだ。

無くしてから「そういえば、毎日贈り物が届いていたんだ」なんて気がつくなんてもったいない。

自分がいったい毎日どれだけ贈り物を受け取っているのか、
ちゃんとわかっていれば、それだけで感謝の気持ちがあふれてくる。

「当たり前」なんて、どこにもないのだから。