※木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。
木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)
日本国憲法(4)
憲法9条について、いくらか補足をしておかなければなりません。すでに見たように9条はあらゆる戦争を放棄し、それゆえにあらゆる戦力をもたないことを定めています。それは自分の国を守るための権利、すなわち自衛権をも放棄するということです。日本国憲法がつくられた当時の政府は、そのような解釈にたっていました。ときの首相も、かりに正当防衛による戦争であったとしても有害である、なぜなら多くの戦争は自衛、正当防衛を口実にして起こされているからだと語っていたのです。
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しかし、9条がそのように解釈されていたのはほんの短い期間でした。戦後アメリカと(当時の)ソビエト連邦との対立が深まり、冷戦【注1】の時代になると、両国を中心に軍備の拡張に拍車がかかります。アメリカは戦後しばらく日本を占領していましたが、そうした動向の中で日本をアジアにおける戦略拠点とするため、日本の再軍備をうながすことになります。
そうなると、どうしても9条の平和主義はじゃまになってきます。以後9条の条文は変えないまま、その解釈のしかたを変えていくことで軍備を増強するという手だてがとられるようになります。いわゆる「解釈改憲」の歴史です。
敗戦から5年後、警察予備隊が発足します。今の自衛隊です。翌年、サンフランシスコ講和条約【注2】が結ばれ、日本はアメリカの占領を解かれて独立を回復しますが、同時に日米安全保障条約【注3】が結ばれました。日本の独立後もアメリカの軍隊が日本に駐留することを認めたものです。9条のゆえに戦力をもたない日本を、アメリカ軍がかわりに守るという構図であったわけですが、以後日本はアメリカの起こす戦争にふりまわされることになっていきます。日本に置かれた基地からアメリカ軍の戦闘機が、戦地に飛び立っていくこととなるのです。
安保体制のもと、日本は世界有数の軍事費を計上する国となりました。戦争に対処するための法律の整備がすすめられ、国際貢献の名のもとに自衛隊が海外の戦地に派遣されるまでになりました。9条については、その後個別的自衛権、つまり自分の国を守ることについてはこの条文でも認められるとの理解がなされ、歴代の政府はこの立場に立ってきました。
けれどもいつしか集団的自衛権、たとえ日本が攻撃されていなくても同盟国が攻撃されたなら日本もその戦争にくわわることまで認める方向になびいていきます。同盟国がいつも正しい戦争をするとはかぎりません。いな、正しい戦争などひとつもありません。戦争に勝ち負けはあるにせよ、いずれの国も戦争をしたことそのものの責任を負わなければなりません。
日本が戦争に加担するなら、必ず敵をつくり、血が流されます。憎しみと報復の連鎖にまきこまれます。日本は9条のもと、戦後70年にわたって一度も戦争をせず、ひとりの人も武力によって殺すことがありませんでした。9条は世界とアジアの平和に大きく貢献してきました。そのことを心に刻んでおりたいのです。
昨年7月、政府は多くの反対の声に耳をかさず、集団的自衛権の行使が認められるということをひとつの内閣だけで決めてしまいました。9条の条文とのへだたりに驚きます。9条をどう読んでも、集団的自衛権が認められるようには読めません。解釈改憲とは憲法の条文を曲げ、骨抜きにすることです。条文どおりに読む。それが憲法の読み方であることは言うまでもないことです。
【注1】戦争は起こっていないものの、戦争を思わせるような国同士の厳しい対立、争いの関係。とくに第二次大戦後のアメリカとソビエトとの関係を言います。
【注2】日本と連合国との間に結ばれた戦争終了、平和回復の条約。1951年締結、52年発効。
【注3】1951年締結、60年改定。
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