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教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑲ 沖縄の苦しみ

2015-05-19 22:50:23 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために

沖縄の苦しみ


沖縄はもともと琉球(りゅうきゅう)王国と呼ばれ、15世紀からは日本と中国(清)の両方に属するという独自の歴史を刻んできました。しかし明治維新のおり、日本は沖縄に軍隊を送り、なかば強制的なしかたで沖縄県を設置し、琉球王国を滅亡にいたらせます【注1】。

以後、日本政府は沖縄の言葉を話すことを禁じ、それまで豊かにはぐくまれていた民族文化を葬り、沖縄の人々を日本「臣民」に仕立て上げる政策を実行していきます。そのプロセスは朝鮮植民地政策とよく似ています。

...

 

そして戦争末期、1945年4月から6月までの3か月間、沖縄は凄惨(せいさん)な地上戦の舞台となります。アメリカは巨大な兵力を沖縄に投入し、激しい戦闘が起こります。日常生活の場が戦場となったのです。

その結果、兵士だけでなく一般の人々の多くが犠牲となりました【注2】。逃げ場を失い、集団自決に追い込まれた人々も多数にのぼりました。沖縄は本土を守るため、いわば「捨て石」とされたのです。

 

戦後はどうであったでしょうか。サンフランシスコ講和条約が発効した1952年は、本土の人々にとっては日本が主権を回復した喜ばしい日です。しかし沖縄の人々にとっては屈辱の日です。講和条約の中に、沖縄にだけはアメリカ軍がひき続き駐留し、軍事占領をなすとの取り決めがあったからです。

アメリカのアジアにおける軍事戦略のうえで、沖縄は場所的にも重要で、基地を置くことのメリットがあったのです。以後、沖縄は日本本土から切り離され、アメリカは20年にわたって沖縄に軍政を敷き続けます。日本本土の基地の大部分が沖縄に集中します。

 

1972年、沖縄は日本に返還され、本土に復帰します。しかし復帰後現在にいたるまで米軍基地が集中している状況に変わりはありません【注3】。基地の建設のために美しい自然が破壊され、青い海が汚され、土地が奪われるだけでなく、戦闘機の爆音や事故【注4】によって人々は多くの被害をこうむり、不安にさいなまれ続けています。また米兵が沖縄の住民に対して犯罪をおかした場合にも、これを日本の法律で裁くことができません。

 

今、沖縄はもちろん47都道府県のひとつです。しかし以上のように、沖縄にはずっと苦難の歴史を歩んできた事実があり、今も多くの犠牲をこうむっている事実があるのです。沖縄の苦しみを受けとめるとき、平和への道が開かれてくるのだと思います。

 

【注1】「琉球処分」と呼ばれます。

【注2】島民の四分の一が命を落としたと伝えられます。

【注3】日本全国の70パーセント以上の米軍基地が沖縄にあります。

【注4】2004年には米軍のヘリコプターが大学のキャンパスに墜落するという事故もありました。

 

 


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