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教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑦  韓国併合、武力による支配

2015-05-05 17:01:43 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑦

 韓国併合


1910年8月、日本と韓国との間に韓国併合条約が結ばれます。これはかたちの上では大韓帝国の皇帝がその統治権を天皇にゆだねることをみずから望み、天皇がこれを受け入れるという体裁をとっています。天皇のほうでも韓国併合の詔書(しょうしょ)【注1】を出し、その中で韓国を日本の保護のもとに置くことによって朝鮮の人々の幸福を増進させると述べています。

...

けれどもこうした平和的な装いとは裏腹に、実際には韓国併合はまぎれもない日本による武力侵略であり、併合というよりは「併呑」(へいどん―のみこむこと)と言うべきものでした。ここに日帝36年と呼ばれる日本の朝鮮植民地支配の歴史が始まり、1945年の敗戦にいたるまで継続されることになります。

 

武力による支配

日本による朝鮮植民地支配の性格としては、ふたつの面があります。ひとつは軍事力を用いた徹底した弾圧【注2】です。韓国にせよ中国にせよ長い歴史をもち、豊かな民族の文化を生み出してきた国々です。植民地支配はそうした国の人々から歴史や文化や言葉を一方的なしかたで奪うものです。それが言葉に尽くしがたい苦しみをもたらし、同時に自由と独立をもとめる切なる願いを抱かせずにおかないことは言うまでもありません。

 

朝鮮の人々も日本の侵略に抵抗して立ち上がりました。こうした願いを軍事力によっておさえつけることなしには、日本は植民地支配をなし得なかったということでしょう。以後朝鮮半島では武断政治と呼ばれる容赦のない武力支配が行われ、抵抗を選ぶ人々は逮捕や投獄を覚悟しなければなりませんでした。民衆の生活もますます苦境においやられていきました。

 

そうした中、世界の歴史に刻まれる大規模な民衆運動が起こります。三・一独立運動です。1919年3月1日、ちょうど韓国皇帝の葬儀のために首都ソウルに集まっていた数千人の人々が独立宣言文を読み上げ、国旗をかざし、独立万歳を叫びながら市内をデモ行進したのです。独立運動はまたたく間に朝鮮全土にひろがり、参加者200万人、およそ3か月にわたる大運動となりました。祖国を奪われた朝鮮の人々が自由と独立をもとめてたたかった命がけのたたかいでした。日本政府はこれに容赦のない武力弾圧をくわえたため、犠牲者は膨大(ぼうだい)な数にのぼりました。

 

人々は日本の支配に正面から立ち向かいました。しかも深い思慮のもとに非暴力、無抵抗をつらぬきつつ、運動は展開されたのです。このような民族独立運動は世界にも類を見なかったと言ってよいでしょう。その後アジアの国々で行われることになる民族独立運動にも大きな影響を与え、励ましを与えることになります。なお、朝鮮の教会とクリスチャンたちはこの運動にあって大きな役割を担いました。

 

【注1】天皇の意志を述べる文書。

【注2】権力をもつ者が人々を強くおさえつけ、妨害すること。

 

 


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