異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

戦争の不安について・・・REPLY 村上春樹

2015-03-22 23:53:55 | シェアー

http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/16/173300より転載

戦争の不安について

こんにちは。
去年から日本では、また日本が戦争をするようになるのでは、という不安の声が多く聞かれるようになっています。そんなことは無い、という声もあります。私は亡くなった母から「戦争は始まったらもう手が付けられないから、始まらないようにしなければならない」と教わってきました。日本が戦争に近づいているように感じるのは、不安から来る妄想なのか、はたまた現実なのか、わかりません。村上さんは、どう思われますか? 
(もりさわ、女性、30歳、日本語教員)

・REPLY 

僕がアメリカに住んでいるとき、ちょうどアメリカはいくつかの戦争に巻き込まれていました。湾岸戦争、アフガニスタンでの戦争、イラク戦争。そういうのを間近に見ていて思ったのは、いったん戦争に巻き込まれると、人はみんな多かれ少なかれ頭がおかしくなるんだ、ということでした。

普段ならわかるはずのことが、わからなくなってしまう。とくにイラク戦争のときはひどかった。フランス政府はアメリカ軍の根拠不十分で一方的なイラク侵攻に疑義を呈したんだけど(ごく当然な疑義でした。実際に根拠はなかったのだから)、そのときのアメリカに蔓延した反仏感情はほとんど理不尽なものでした。

一流新聞までもが「我々は第二次大戦でフランスをドイツ軍から解放しなければよかったんだ」みたいな下品きわまりない記事を載せました。普段のアメリカからすれば、ちょっとあり得ない暴言です。でもそんなことが実際に起こってしまう。「ちょっと待てよ。そこまでやるのはまずいよ」というまっとうな声が、マッチョな怒号の中にかき消されてしまいます。

そこまで頭が過熱してしまうと、熱が冷めるまでにそうとう時間がかかります。そして冷めたときにはもう手遅れということになりかねません。実際にイラク戦争の後遺症で、世界はごらんのように大変なことになってしまっています。とにかく頭に血を上らせないこと、それがなにより大切です。そして政治家こそが頭をいつも冷やしてなくてはならないはずなのに、中には人々の頭に血を上らせようと、火に油を注ぐような危険な真似をする人もいます。そういう状況はなんとしても阻止しなくてはいけないと僕は考えますが。

村上春樹拝







「春1番! 八王子に新しい風を吹かせよう! 市議会議員候補・佐藤あずさ街頭演説

2015-03-22 23:47:42 | 紹介

「春1番! 八王子に新しい風を吹かせよう! 福島みずほ・井上むつ子・佐藤あずさ街頭演説会」

を行いました。
春1番!の風と雨にも関わらず、多くの方が足を止めて聞いて下さいました。

来月19日告示、26日投票で八王子は市議会議員選挙が行われる予定です。

佐藤あずさは現職の井上むつ子さんからのバトンタッチで、市政に挑戦する予定です。

今がいちばん苦しいとき。頑張らなければ、と思います。

小学生のお子さんと一緒に足を止めて下さった女性も。「うちの子が、この人見たことあるからって」と微笑みかけて下さいました。
息子さん8歳、佐藤のポスターを見たことがあるから、立ち止まってくれたんだって!

うれしいなあ、お姉さん頑張っちゃうからね!と約束しました。

約束、守るよ。
いいまちにするからね。待っててね。

  








吉永小百合が語る福島への思い「心から“さよなら原発”を」

2015-03-22 21:34:21 | シェアー

http://jisin.jp/news/2673/8435/より転載

吉永小百合が語る福島への思い「心から“さよなら原発”を」【吉永小百合】

2015年03月22日 09:00


吉永小百合

「昨年の12月19日。郡山から車で1時間ほどの福島県双葉郡葛尾村へ行って驚きました。葛尾村は東京電力福島第一原発から30キロぐらい離れています。行ってみると、バリケードやゲートで閉鎖されていて、そこから先には進めないという場所に行き当たりました……」

吉永小百合さんはそう振り返る。彼女が訪れた葛尾村は、帰宅困難区域に指定され、いまだ全村避難の状態が続いている地域だ。東日本大震災から4年が経った今年3月11日、福島の人々の詩を吉永さんが朗読したCD『第二楽章 福島への思い』が発売。この収録に先立ち、彼女は葛尾村を訪れたのだ。

「葛尾村は村ごと福島県田村郡三春町に避難していて、町の谷みたいなところに、葛尾村のみなさんが暮す仮設住宅が建ち並んでいました。本来ならとても美しい自然のなかで、大きな家に住んでいるはずの人たちが、東日本大震災から4年たったいまも仮設住宅で不自由な避難生活を余儀なくされている。そのことに、あらためてショックを受けました」

彼女が被災地を最初に訪れたのは大震災の2カ月後。その後、原爆詩の朗読会や、CM撮影などで、これまで何度も被災地を訪れてきた。

「東日本大震災では、現在も行方不明の方も含めると犠牲になった方は2万人近く。いまなお故郷を離れて避難生活を余儀なくされている方が、福島県だけで12万人近くいらっしゃいます。政府は『原子炉はコントロール下にある』と明言していますが、状況は事故発生当時とほとんど変わっていないのが実情ではないでしょうか。しかも、原子炉を廃炉にするには最短でも40年はかかるそうです。それまで避難生活を続けている人たちの生活は、どうなるのでしょうか……」

 さらに吉永さん自身は自戒を込めてこう訴える。

「原子力については、これまで”平和利用”という心地のいい言葉が使われてきました。私も、どこかで怖いと思いながらも、原発を受け入れてきました。でも4年前の事故で、心から”さよなら原発”を願うようになったのです。地震が多発する、しかも、近未来に大地震も予想されているこの国に、はたして原発が存在していいのか。また、このままでは福島第一原発のような大惨事が繰り返されることになるのではないか……。経済よりも、最優先すべきは人間の命、そして、人々の生活だと、私は考えますし、政府には被災された方たちに、もっと救いの手を差し伸べてほしいと思います」







山本太郎議員、「NHK討論番組」でタブーに踏み込む

2015-03-22 21:21:50 | シェアー

田中龍作ジャーナルhttp://tanakaryusaku.jp/2015/03/00010852

山本太郎議員、「NHK討論番組」でタブーに踏み込む

 政界とマスコミにとって最も不都合な男、山本太郎議員が今朝の「NHK日曜討論」に初出演した。それも編集のきかない生放送だ。

 きょうの日曜討論は「拡大版(※)」ということで「新党改革」の荒井広幸代表らと共に出演した。

 「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎共同代表は、自民党の茂木敏充・選挙対策委員長、公明党の斉藤鉄夫幹事長代行ら与野党の幹部と「地方創生」「原発再稼働」「安全保障」などについて論を交わした。

 司会の島田敏男解説委員は「『生活の党』の山本太郎さん」と紹介した。

 山本議員の真骨頂が発揮されたのは「原発再稼働」についての発言だった。

 「安倍総理はオリンピックを招致するためにアンダーコントロールとウソをついた。汚染水はもれ続けている。子供たちが危ない。食品検査、ストロンチウムの検査を至急して頂きたい」。

 官邸が目をむいて怒りそうなコメントが山本議員の口から飛び出した。マスコミは記事にしないだろう。いや、できないだろう。

 NHKは官邸から叱られないだろうか? 「何であんなこと言わせたんだっ」と。

権威の殿堂NHK。22日は紀尾井町の千代田スタジオから生放送だった。=写真:筆者=

権威の殿堂NHK。22日は紀尾井町の千代田スタジオから生放送だった。=写真:筆者=


 原発問題以外でも、山本議員はタブーに踏み込んでいった―

 「少子高齢化対策というのなら最低賃金をあげるべき」「消費税を5%に戻し、(最終的には)廃止する」(地方創生についての議論で)

 「イラクに派遣された自衛隊員のうち28人が自殺している。若者がこれ以上生きづらくなることを決定しないで頂きたい」。(集団的自衛権についての議論で)

 番組終了後、山本議員に感想を聞いた―

 「大きく脱線して排除されないように気を付けた。一回だけで(NHK出演を)既成事実化され、伝説にされたくなかった。継続的に出演することが大事」。山本議員はセーブして見解を述べたことを強調した。

 「(安倍首相と記者クラブが好んで会食する)寿司の話もしなかったし」とギャグを飛ばす余裕も見せた。

 タブーを嫌い真実に目をつぶるNHKが、今後も山本議員を出演させるか、どうか。この国の未来を左右すると言っても過言ではない。

 ◇
 ※
「拡大版」でない場合、「生活の党と山本太郎となかまたち」は公職選挙法にもとづく政党の構成要件を満たしていても、NHKの基準は満たしていないため出演できない。改善を求めて同党がNHKに抗議した経緯がある。

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『田中龍作ジャーナル』は読者が支えるメデイァです。取材制作にはコストがかかっています。






【IS日本人殺害事件】 後藤健二さんの四十九日。母親・順子さんは・・・

2015-03-22 02:47:04 | シェアー

@minorucchu · 14時間前

後藤健二さんの四十九日。母親・順子さんは自らの信仰の形式で息子を追悼した。

胸にイランの学者たちが書いた追悼文を抱きながら。

追悼文には「後藤さんは戦争で苦しんでいる人々を助けるために、敢えて困難な道を選んだ」と、尊敬の念を表明。

合掌