異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

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安倍政権が表に出さない「本当の目標」~田原総一朗インタビュー

2014-12-25 20:40:48 | シェアー

http://blogos.com/article/101839/よりの転載

安倍政権が表に出さない「本当の目標」~田原総一朗インタビュー

衆議院総選挙は、自民・公明の与党の圧勝に終わり、安倍内閣が引き続き政権を担うことが決まった。田原総一朗さんは今回の選挙をどう見ているのだろうか。衆院選後にインタビューして、分析してもらった。【大谷広太(編集部)、亀松太郎】 


 

総選挙の目的は「4年間の時間」を確保すること

今度の総選挙は、野党もマスコミも、安倍首相の作戦にまんまと乗せられた。 

安倍首相は衆議院を解散するとき、来年10月から実施する予定だった消費税の増税を18カ月先延ばしにするのはとても大事な問題なので国民に信を問う必要がある、と言った。 

そのため、野党もマスコミも、今度の総選挙は「アベノミクスの成果」を問う選挙だ、となった。その結果、選挙の争点は「経済、経済」となったが、これは、安倍首相の作戦に乗せられたということだ。その作戦は成功して、自民党は291議席という、ほぼ狙い通りの議席を獲得できた。 

安倍首相にとって、今度の解散・総選挙の本当の目的は、4年間の時間を確保することだったと思う。いまから次の総選挙まで4年間の時間を確保して、第一次安倍内閣のときからの悲願である「戦後レジームからの脱却」を完成させるのが狙いだ。 

実は、第二次安倍内閣になってからは、「戦後レジームからの脱却」と言わなくなった。なぜかというと、それには国家の問題や安全保障の問題、憲法の問題がからんできて、こういうことを言い出すと支持率が落ちるからだ。 

第二次安倍内閣では、こういうことを言わないで、もっぱら「経済、経済」「景気、景気」と言ってきた。これは菅官房長官らの作戦だったと思うが、それが成功した。 

「戦後レジームからの脱却」の4つの柱

では、「戦後レジームからの脱却」とはなにか。僕は4本の柱があると思う。 

1つ目は、東京裁判の事実上の見直し。東京裁判は、日本の昭和の戦争が侵略戦争だったと決めつけ、A級戦犯を逮捕・起訴し、裁いた。その結果、7人が処刑された。この東京裁判で作られた「東京裁判史観」を変えたいというのがある。 

なぜこれを変革したいかというと、靖国問題に結びついているから。安倍首相やその周辺の人々は靖国参拝を正当化したいのだが、そのためには、東京裁判史観を変えるしかないということだ。 

2つ目憲法改正。いまの憲法は1946年、日本がまだ占領下にあったときに作られたが、安倍首相は「米軍が作り、押し付けた憲法だ」と考えている。 

この憲法には、日本の「民主化」と「弱体化」という2つの狙いがあった。言論・表現の自由や結社の自由、宗教の自由といった基本的人権の尊重や、主権在民、男女同権を明記し、日本の「民主化」を進めたのは良かったが、日本の「弱体化」というのは問題だった。その根本として、憲法9条がある。 

憲法9条は、日本が軍隊を持たないことを前提にしているが、その後、日本は自衛隊を発足させた。その結果、いまの憲法下では、自衛隊が非常にあいまいな存在になっている。この憲法9条を改正して、日本を「戦争のできる国」にする。それが安倍首相の目指すところだ。

3つ目は、対米従属からの脱却。いまの日米安保条約は片務条約で、日本が危機に陥ったときにアメリカが日本を救うことになっているが、逆にアメリカが危機に陥ったときに日本は何もしないというルールだ。 

そのため、戦後の日本はずっと対米従属でやってきた。つまり、アメリカの言うことは何でも聞き、主体的な外交戦略をもたないというスタイルだ。これを変えて、日本とアメリカを対等に近い関係にしたい。そのためには、憲法を改正して日本をもう少し強い国にしようというのが、安倍首相の考え方だ。 

4つ目が、教育基本法の改正。これも、憲法と同じく、占領下の日本にアメリカが押し付けた法律という側面がある。そして、その内容は、国民の権利や自由が強調されていて、国家や家庭に対する義務や責任が希薄という特徴がある。この辺を作り直したいということだ。小中学校での道徳の正式教科化はその一貫といえる。 

「本当の目標」を前面に出すと、国民に受け入れられない

このような4本の柱からなる「戦後レジームからの脱却」。これを本格的にやるために、安倍首相は4年間の時間を確保することに成功した。 

今回の総選挙では、この「戦後レジームからの脱却」とほぼ同じ内容を正面から訴えた「次世代の党」が惨敗した。やはり、この問題を前面に出すと、国民には受け入れられないということだ。 

だからこそ、自民党は総選挙で「戦後レジームからの脱却」をテーマにしないで、「経済、経済」で押し通した。そして、その作戦がまんまと成功した。 

衆院選では大勝したが、これからしばらくは、この「本当の目標」を表に出さないだろう。まだ、先に参議院選挙が控えているからだ。参院選で6割以上の議席を確保するまでは、表に出さないと思う。 

野党やマスコミは相当しっかりしないと、安倍政権にしてやられてしまう可能性がある。


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女性が動けば変わる!  嘉田由紀子(かだ・ゆきこ)  びわこ成蹊スポーツ大学学長、前滋賀県知事

2014-12-25 12:48:17 | シェアー

http://www.magazine9.jp/article/womens/17002/より転載

2014年12月24日up

地方自治体の首長(知事、市長など)は、国と対等な関係に立ちながら、地域の行政を統轄するとともに、行政事務に関する国からの要請を事実上退けることができる、大きな権限を持っています。地域住民の生命を守るまさに政治のリーダー。このポジションに、長らく女性が就くことはありませんでした。現在においても、全国に女性の首長は知事が47人中2人、市長・特別区長は812人中16人と2%にも満たない割合です。しかしながら、地域の住民から熱烈に支持され、実績を残している女性首長は少なくありません。女性首長の先輩たちに、女性が首長になることの意義や自らの選挙戦について、また、女性へのメッセージなどを語っていただきました。

 

3・11以降、目覚めた女性票を
ターゲットにした選挙戦略

 2014年7月に行われた滋賀県知事選挙は、2期で引退を決めた私の後継指名を受けた元民主党衆議院議員の三日月大造さんが、自民・公明が推薦をした小鑓隆史さんを1万3千票差で破り、嘉田県政の「卒原発」は継承されることになりました。票差からもわかるように、きびしい選挙戦となりました。自民党陣営は早々に候補者の擁立を決め準備を進めていましたが、私自身3期目を続けるかどうかという決断に至るまで、支援者たちとの話し合いに時間を要したため、こちらは完全に時間不足です。
 しかし私は、3・11以降に原発や社会や政治の問題に目覚めた女性たちが、どう動きどこに投票するかが、この選挙の鍵だと思っていたので、ターゲットを女性票にしぼって作戦を練りました。彼女たちは「脱原発・卒原発」を望んでいましたから、三日月さんにもはっきりと「嘉田県政が示した卒原発を継承する」と宣言してもらいました。ちらしは女性を意識して、カラフルで優しいトーン。コピーや説明文も、暮らし言葉でわかりやすくすることに努めました。選挙は「戦い」ではない「参加」のプロセスだということを広め、参加型の集会で支持を積み重ねていきました。
 小さな子どもをもつ若いおかあさんたちが、いつの間にか毎日選挙事務所に来るようになり、「何かお手伝いすることはないですか」とチラシを持っていく。聞けば彼女たちは、私の昔からの支援者でもなく、これまで知事選挙の投票にも行ったことがないと言う。まさに3・11以降に目覚めたそういう人たちがどんどん増えていって、何万枚というちらしが配られていきました。自民党からは大物幹部が続々と滋賀入りをして派手な選挙応援を繰り広げましたが、私たちは市民との対話を重ね、じわじわと支持を広げていき、得票率も50%を超え「卒原発」の候補者を、再び知事に選ぶことができたのです。

◆「鉛筆1本の勇気を持って!」と
女性たちに訴えた

 今から8年前の2006年、琵琶湖研究の学者だった私が滋賀県知事選挙に初めて立った時、滋賀県の女性はおとなしくて、自らの考えを述べたり、異論があっても声をあげない人が多いなと思いました。県内には環境問題に取り組むリーダー的存在の女性が多くいましたが、ほとんどが外から来た人です。かくいう私も埼玉県の出身です。私のように飛びまわっている女性は、まず地元の人間ではない、と見られます。データ的にも、滋賀県は女性管理職の割合は全国最下位のレベルです。(*)
 でもそういう保守的な地盤の中で、もんもんとしていた女性たちがいました。最初の選挙の時には、「うちは今まで旦那の言うとおり自民党に入れてきたけど、やはり女の人に頑張って欲しいから、あなたに入れるわね」と、こっそり声をかけてくる中高年の女性が多くいました。私はこの時、新幹線栗東新駅建設、県内6つのダム建設など高コストの公共事業の凍結と中止を含む「もったいない」マニフェストを掲げて闘いましたが、その時に「鉛筆1本の勇気を持って!」とも訴えました。これは女性たちに向けて言った言葉です。というのは、彼女たちは、選挙の時でも抑圧されているのです。地元の組織や団体、家族や旦那さんに遠慮しているのです。ですから、「誰の名前を書くか、それは誰にも言わなくていい。自分がいいと思う人の名前を書いてください。鉛筆1本にあなたの意思を表現してください」そう訴えました。「自分の意思で投票をするのに勇気がいる」とは、いつの時代のお話かしら? と思うかもしれませんが、今からわずか8年前のことなのです。

(編集部注*)滋賀県女性管理職の割合は、8%で全国最下位(1位高知県21・8%)、働く女性に占める女性管理職の割合は、0・3%で最下位(1位東京都1・1%)起業家のうち女性の割合は9・3%と全国40位(1位高知県18・2%)〈2014年10月現在〉

◆「政治の素人」だからこそ
バランスがとれた

 私が知事に就任した8年間でやったことは、新幹線新駅の凍結をはじめ、必要性や緊急性の低い公共事業を中止して、1千億を超える税金の節約をしたことです。子育て、若者雇用、女性の仕事場づくり、琵琶湖の生態系保存や在来魚の再生、放射性リスク管理など、「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権が途中で挫折し、国ができなかったことの代わりに、滋賀県ではマニフェストのほとんどを実現しました。
 しかし3・11以降に直面した原発の問題は、ダム建設をめぐる攻防よりはるかに困難なものでした。関西のいのちの水源である琵琶湖をどんなことをしても守りたいという強い気持ちを持ってしても、一知事が原発ゼロを言うことの難しさ、また大飯発電所の再稼働を巡って、関西広域連合の中での意思決定の現場では、本当に難しい決断を迫られました。そのあたりは私の著書『いのちにこだわる政治をしよう!』に詳しく書いてあります。
 はじめて立候補した時は、「女性学者に知事ができるのか?」と言われたものですが、だからこそバランスのとれた政策が実現できたとも思っています。学者だからこそ基礎データと理論に基づいた判断や決断ができたと思っています。例えば、放射性物質の拡散シミュレーションを県独自で行いましたが、コンパスで円を描いただけの避難区域の指定ではなく、風向きや地形など自然条件に基づいた指針を示せるよう、県職員に細かい指示を出しました。指示を受けた職員は大変だったと思いますが、優秀な職員が多いので感謝しています。

◆女性と男性は生まれながらに
違う部分もある

 私自身が女性だったからよき知事になれた、とは言いません。男女は平等で、ボーヴォワールの『第二の性』にある、「女は生まれるのではない、つくられるのだ」と信じて生きてきたタイプで、女子禁制だった大学の探検部に無理矢理入って、アフリカ大陸を探検する旅もしてきました。
 でも面白い実体験があります。長男が生まれたときに、車とお人形を置くと車をとる、次男も車とお人形を置いたら車をとる、孫が生まれてその子が女の子で、車とお人形を置いたら、彼女はお人形をとる。
 それからこんなこともありました。彼女が1歳半ぐらいの頃、私がスプーンでごはんを食べさせると、次はおばあちゃんの番だと私に食べさせてくれたのです。男の子二人を育てている時は、こういう経験はしませんでした。
 ほかにも面白かったのは、みんなで旅館に泊まりにいった時、大きな鯛料理がお頭付きで出てきたのですが、彼女はその魚の身をとって、鯛の口に持っていって食べさせるんです。かわいくてみんなで笑いましたけど、ああ、男の子と女の子は、違うなと思いました。
 人生64年やってきて、男女の違いというのは、つくられるだけではなくて生まれながらの部分もやはりあるのでしょう。その部分が、特に原発に関する問題意識の男女差に出ているようにも思います。

◆自分の直感をまず信じること。
そして勉強して発信しよう

 よく「女は理屈がわかっていない。感情だけで動く」と言われますが、この世の中、合理性とか因果関係でわかることってほんの一部です。科学の世界でわかっていることも、世の中にあることの一部ではないでしょうか。わからないことがたくさんある時に、やっぱり直感的におかしいと思うことは、おかしいと声を上げて欲しい。自分の感性に正直になっていいと思います。

 その時に、なぜおかしいのかが説明ができるともっといいでしょう。説明できるためには勉強が必要です。制度、技術、あるいは社会的な仕組みを、女性たちにもっと勉強して欲しい。感性・直感を大事にして、なぜその直感が大事なのかを周りの人に説明できるように勉強し、それを発信して欲しい。一人では心細かったら、仲間をつくってもいいでしょう。今は、人が移動することも比較的簡単にできるし、インターネット経由ではもっと簡単につながれる。以前に比べたら、声を上げる場面がたくさんあります。だから女性たちにはどんどん声を上げて欲しいのです。

 よく「ふわっとした民意」とか、「世の中の流れに任せる」などと言われますが、実は、世の中の流れは、自分たちがつくり出すことができるものです。2006年の選挙はその典型でした。「もったいない」の風は吹いてきたんじゃない。こちらが吹かせたんです。ただし、それは戦略的にやらなければなりません。
 これからの地方議会に必要なのは、女性、若者、サラリーマンの人たちを何割議員として入れられるかですね、つまり、社会の多様性をどこまで議会がちゃんと代表できるかです。今、地方議会の現状は、社会の多様性を反映しておらず、それが大きな問題ですからね。

 私は以前より、政治の場所には、女性と若者がもっと参加するべきだと考えてきました。そうでないと多様性も確保できないし、生活者感覚に根ざした健全な政治ができません。そこで2012年3月に女性・若者を中心に「未来政治塾」を開講し、政治家へ新規参入したい人の育成講座も行ってきました。興味のある方は、一度ホームページをのぞいてみてください。
 2014年12月の衆議院選挙では、まさにこの「未来政治塾」で学び、事務局長を務めていた小川やすえさんが、急遽立候補を決意し「卒原発」や「子育て支援」「女性の輝きを育む政策」を訴え選挙戦を戦いました。小川さんは守山市議として約3年間活動してきたものの、選挙区全体ではほとんど知名度がありませんでした。それでも、自民党の現職の7万票に対して、小川さんは4万6000票の支持を得ました。残念ながら負けはしましたが、まったく無名でわずか4週間の選挙運動期間だったことを考えると、次に繋がる希望の一歩になったと思います。
 未来の多様な社会は、多様な政治からしか生まれません。まして今の日本の最大課題である少子化や財政再建には、小川さんのような生活者目線を持ち、市民活動も経験し、真摯に地道な政策づくりの勉強をされた女性が、どんどん政治の世界に入っていくことが必要です。これからもそのための応援は、惜しみません。


嘉田由紀子(かだ・ゆきこ) 
びわこ成蹊スポーツ大学学長、前滋賀県知事。1950年埼玉県本庄市生まれ。京都大学大学院・ウィスコンシン大学大学院修了。農学博士。1981年滋賀県庁に入庁し、琵琶湖研究所研究員、琵琶湖博物館総括学芸員を経て、2000年京都精華大学人文学部教授。2006年滋賀県知事就任。2010年県政史上最高得票で再選。著書に『水をめぐる人と自然』(有斐閣選書)、『知事は何ができるのか―「日本病」の治療は地域から』(風媒社)、『いのちにこだわる政治をしよう!』(風媒社)など多数。「脱原発をめざす首長会議」顧問。

 国際環境NGOグリーンピース・ジャパンは、
「女性たちのネットワークをつなげ広げることが、
原発など環境問題の解決への大きなパワーとなる」とし、
「グリーン・ウイメンズ・ネットワーク」をスタートさせました。
グリーン・ウイメンズ・ネットワーク


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【動画】「裂かれる海の一部」 ~民主主義の最前線:沖縄辺野古

2014-12-25 12:47:38 | 紹介

 民主主義の最前線:沖縄辺野古

沖縄県辺野古の現状を理解して下さい。

何故これほどまでに安倍政権は沖縄県民を苦しめるのか。憲法九条は沖縄県には適用しないとでもいうのか。
本土の私たちは、辺野古を守ることが、九条を守ることだと思います。
普天間の代替施設とは、全く嘘で、大規模な軍事施設を作ることが目的であるのです。 (M・Yさんのフェイスブックより)

                                                                              
裂かれる海の一部(1)
https://www.youtube.com/watch?v=Az4RirDHiYY
裂かれる海の一部(2)
https://www.youtube.com/watch?v=1bLb5RIV6Cg

 

 

 

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【憲法】この国の場合、人権が「国家からの自由」を本質とするという点での認識が、意外と弱い

2014-12-25 12:44:24 | シェアー

・・・一言だけ指摘しておけば、この国の場合、人権が「国家からの自由」を本質とするという点での認識が、意外と弱いことだろう。

・・・憲法でいうところの人権とは、第一義的に「国家による人権侵害」を念頭におきながら、「国家からの自由」を本質とすることを強調しておきたいと思う。

  (文中から)    

QuonNet(クオンネット) まなぶ・つながる・はじまる・くおん

http://www.quon.asia/yomimono/business/column/mizushima/269.phpより転載

憲法から時代をよむ

第5回 基本的人権の歴史性--97条+11条(水島朝穂-憲法から時代をよむ)

  日本国憲法を、ラストの103 条から遡る旅をしている。今回は「最高法規」の章(第10章)にある97条と、第3 章にある11条後段をセットで扱う。お気づきのように、両方の条文は酷似している。「この憲法が〔日本〕国民に保障する基本的人権は、〔人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、〕侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる〔信託されたものである〕」。括弧内が97条である。これと11条後段とでは、「現在及び将来の国民に(対し)」という一節が入る位置も異なる。日本国憲法があえて、重複をいとわずに、最高法規の章に基本的人権の条項を持ってきたのはなぜだろうか。

 基本的人権は、不可侵かつ永久の権利であり、かつ、いま生きている「現在の国民」だけに保障されるものではない。11条と97条は、まだ生まれていない「将来の国民」への眼差しも忘れていない。憲法における「時間軸」の問題である。97条は、基本的人権が、人類の自由獲得の努力の産物であるという歴史性にも言及している。ここでは「スパルタクスの反乱」など、奴隷制時代の闘争にまで遡及するわけでなく、近代、特に18世紀市民革命期の自由と民主主義を求める努力が想定されている(宮澤俊義=芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』日本評論社)。「過去幾多の試練に堪へ」とは、各種の全体主義による自由と民主主義に対する攻撃や圧迫に対する抵抗と、それを守り続けてきた努力の総体を指す。そのような歴史への眼差しは、97条の特徴である。11条が、人権の総則としての位置づけをもつのに対して、97条ではさらに、基本的人権の「過去」と「現在及び未来」との関係やパースペクティヴを明確にしつつ、最高法規の章に置くことで、基本的人権を憲法のレゾン・デートル(存在理由)にまで高めたものといってよいだろう。

 とはいえ、法文では重複やだぶりは美学に反する。11条と97条が酷似していることも確かである。だが、第3 章に置かれるはずのものが、「おそらくその位置を誤ったものと評すべきである」(宮澤=芦部補訂・前掲書)と言い切れるだろうか。2004年4 月の自民党憲法調査会では、「憲法97条はほかに同趣旨の条文があるのに、米占領軍の顔をたてて残しただけの無意味な条文であり、削除すべきである」という意見も出された。「制定史に鑑みれば、97条は総司令部から、ホイットニー准将が書いたものだからと懇願されたために残されたにすぎず、こうした条文を放置しておくのは不見識である」(衛藤晟一議員)とまでいわれた。憲法研究者の一部にも、「押しつけ憲法」論批判の脈絡で、この種の指摘が見られる。それでも、衆参両院の憲法調査会では、97条が重複しているから削除すべしという方向にはいかなかった。衆院憲法調査会報告書(2005年4 月)を見ると、第3 章「憲法調査会における議論」第11款「最高法規」のところで、「憲法は『最高法規』の章に人権の永久不可侵性を謳う97条を置いており、憲法の最高法規性は、人権保障という点に実質的な根拠を有している」とある。ごくまともな指摘だろう。他方、参院憲法調査会報告書では、97条に関連して、権利・義務の章に置けば形式的な最高法規性は保たれるという発言が紹介されている。両院の報告書において、最高法規性の確保という観点からの指摘も見られ、97条は重複しているから削除すべしというような意見も、提言もない。人権保障をこの憲法の最大の目的として設定し、過去の人間の努力でかちとられた成果を、現在に生きる者が守り、未来の人間に引き継いでいくことを、最高法規の章で再確認することは、決して過少に評価されてはならないだろう。「将来の国民」への言及は、単なる言葉の勢いや美称ではないのである。

 ところで、11条と97条では「基本的人権」という表現が使われているが、憲法の他の条文には、この言葉は出てこない。第3 章の各人権条項にも、11条を除けば、「基本的人権ないし「人権」という表現は見られない。もっぱら「自由」あるいは「権利」である。
 「人権」という表現は、人間解放の要求の、「一歴史的時点における、特殊的表現」(といわれる(高柳信一・東大社研編『基本的人権』Ⅰ)。人間解放の要求が、「近代」という歴史的時点において、「国家権力からの自由」という特別な表現で定式化されたものが基本的人権というわけである。樋口陽一によれば、人権は「個人の解放」=「国家による〔社会からの〕自由」と、個人の「国家からの自由」の二段階で捉えられる。
  人権のゲネシス(生成史)を踏まえつつ、そのイデオロギー性についても自覚が求められる。例えば、フランス人権宣言(1789年)における「人および市民の権利」の場合、そこでの「人の権利」には、辻村みよ子がつとに指摘するように、三つのフィクションが含まれている。「人」(homme) の権利だが、ここでのhomme は英語のman にあたり、端的にいえば、「男」の権利である。そして、そこには子どもは含まれない。さらに、植民地の人々も含まれない。1789年の時点で「人の権利」といっても、そこでの「人」とは、「フランス本国の、成人男性の権利」だったわけである。

  だが、「人権」への熱い想いは、それ以降、200 年以上にわたり、全世界の人々の心をつかみ、植民地解放の運動を含め、自由を求める運動の目標やスローガンになっていった。女性の権利を求める運動のなかで、女性参政権の実現など、「男」の権利を克服する長い過程もあった。そして、1989年、「子どもの権利条約」が採択され、ようやく「子どもの権利」も一般に自覚されるようになった。奇しくも1989年には、人々の「居住移転の自由」を暴力的に制限してきた「ベルリンの壁」が崩壊する。

 「人権」とは何かをめぐっては、講学上、さまざまな議論がある。詳しくは立ち入れないが、一言だけ指摘しておけば、この国の場合、人権が「国家からの自由」を本質とするという点での認識が、意外と弱いことだろう。いわれるように、私人間のトラブルを「人権問題」という形で捉える傾きも強い。「人に優しくすること」が「人権の尊重」として語られてしまう、「人権教育」の問題性である。いまでは、「元カレによる人権侵害」という言葉が平気で飛び交ってしまう。
 ここでは、憲法でいうところの人権とは、第一義的に「国家による人権侵害」を念頭におきながら、「国家からの自由」を本質とすることを強調しておきたいと思う。
                                                                                                             (2007年6月8日稿)


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百田尚樹「国家があって個人の幸福がある。国家のために死ぬ生き方を思い出そう」

2014-12-25 12:43:13 | シェアー

百田尚樹「国家があって個人の幸福がある。国家のために死ぬ生き方を思い出そう」

※国家があって、人権がある=民主主義でなく民族主義!まさに国家主義の発想だ。国あっての人権。国のために生き、国のために死ね!戦前と発想変わらず!

  基本的人権を基礎に置く平和憲法の破壊者だ


http://www.sankei-kansai.com/2014/08/15/20140815-069263.phpよりの転載

桐山靖雄×百田尚樹 8月15日特別対談「平和にかけた命」

08.15 01:00

ひゃくた・なおき 放送作家・小説家。大阪市生まれ。『探偵!ナイトスクープ』のチーフライターを25年以上にわたり務めているほか、『大発見!恐怖の法則』などの番組の構成を手がけた。2006年(平成18年)に『永遠の0』(太田出版)を発表し、小説家としてデビュー。2013年(平成25年)、『海賊とよばれた男』で本屋大賞を受賞。同年11月11日、NHK経営委員に就任。

ひゃくた・なおき 放送作家・小説家。大阪市生まれ。『探偵!ナイトスクープ』のチーフライターを25年以上にわたり務めているほか、『大発見!恐怖の法則』などの番組の構成を手がけた。2006年(平成18年)に『永遠の0』(太田出版)を発表し、小説家としてデビュー。2013年(平成25年)、『海賊とよばれた男』で本屋大賞を受賞。同年11月11日、NHK経営委員に就任。

 今日8月15日、69回目の終戦記念日を迎えました。戦後生まれの日本人が人口の約8割になろうとする現在、先の戦争の記憶はかなたに消え去ろうとしています。当時の日本人はなぜ戦わねばならなかったのか。平和を当たり前のように享受している私たちが、この平和を守るために、今こそ真剣に考え、胸に刻むべきことは何でしょうか。祖国の安寧を願って命を捧げた方々に思いを馳せ、供養するとともに、平和への祈りを現実の力に変えていかなければ。

 世界各地の戦跡を巡って戦没者の成仏供養を続ける阿含宗・桐山靖雄管長と、特攻に殉じた祖父の軌跡を訪ねる孫の姿を描いてミリオンセラーとなった『永遠の0』の作者、百田尚樹氏の2人に存分に語り合っていただきました。

(司会・構成 上島嘉郎)

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8月15日を迎え改めて考えたい。私たちのために命を捧げた英霊に感謝し、その思いを、子孫に引き継いでいきたい。

 ――『永遠の0』は文庫版で450万部を超え、映画も700万人以上が劇場に足を運びました。改めてうかがいますが、百田さんが『永遠の0』でいちばん伝えたかったことは何ですか

 百田 放送作家として長くやってきましたが、50歳になったとき、「とことん命懸けで仕事をしたことがあったか? 人生これで終わっていいのか?」という思いに駆られ、新しいことに挑戦しよう、何か形に残るものをと書き上げたのが『永遠の0』です。

 その頃、おやじが末期がんで、その1年前には母方の伯父も鬼籍に入っていました。おやじも伯父も先の大戦に出征しました。私は昭和31年生まれですから戦争体験はありませんが、ビルに撃ち込まれた米軍機の銃弾の痕跡や爆弾が開けた淀川の河川敷の大穴など戦争の残滓(ざんし)は街中に色濃くありました。いろいろな体験談をおやじや伯父たちから聞かされ、自分の血肉につながる話だと思いました。でもおやじは孫たちには戦争のことを話さなかった。それで自分がおやじの代わりに、祖国のために勇敢に戦い、戦後は焦土から奇跡の復興を果たした偉大な世代の物語を、彼らが消え去ってしまう前に感謝と鎮魂を込めて書きとめておかねばならないと思ったのです。

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 桐山 主人公の宮部久蔵は百田さんの父の世代、宮部はどんな人物だったのかと訪ね歩く孫は百田さんの子の世代で、その両者を結びつけることを目的にされた。宮部は大正9(1920)年生まれですから、私の1つ上です。同世代としてとても親近感を覚えました。

 私も健康ならば出征したはずですが、喀血(かっけつ)し、結核であることが分かって召集されることはなかった。友人、知人が大勢戦死しました。彼らは今、靖国神社に祀られています。私も彼らと同じように戦場で斃れ、靖国に祀られていたかもしれないと思うと、生死は紙一重で、身代わりになってくれたという気持ち、感謝の気持ちが自然に湧いてきます。彼らのおかげで私たちは生かされている。この思いを子孫に引き継いでいくことが大切です。靖国神社に参拝し、英霊に感謝の気持ちを表すことと平和を祈る心とは何ら矛盾しない。これがまっとうなこととしてなかなか伝わらないのは、今の日本人のいびつな歴史観によるのでしょうが、『永遠の0』は、それに対しきちんとした問題意識を持って書かれています。

 百田 ありがとうございます。戦前は日本が悪かったから戦争に突入し、負けたのだ。そして負けたことは正しかったのだと決めつけ、戦前の日本の歩みを真っ黒に塗り潰すことが「反省」であり、「誤った愛国心を正す」ことなのだと突き進んできたのが戦後の「反戦平和」イデオロギーだったと思います。私はそれに異を唱えたかった。現実はそんな単純な話ではありません。

 物語のなかで特攻隊員をテロリストと断じ、「戦前の日本は、狂信的な国家」で、「国民の多くが軍部に洗脳され、天皇陛下のために死ぬことを何の苦しみとも思わず、むしろ喜びとさえ感じた」といい、「ジャーナリストは二度とこの国がそんなことにならないようにするのが使命だ」と誇らしげに語る新聞記者を登場させましたが、実際にこういう独善的な新聞社や出版社が今も日本に害毒を垂れ流し続けています。

 桐山 敗北したのだから、戦前までの日本の歩みは間違っていたと一方的に決めつけるのは短絡的です。私はあの時代に生きていました。戦前の日本はとても良い国であったと思っていますし、その思い出は私の財産です。今の若者が日本の国を愛する気持ちを持てないのは、現代の教育ではやむを得ないことかもしれませんがね。

 当時の日本はアメリカ(米)、ブリテン(英)、チャイナ(中)、ダッチ(蘭)という4カ国のABCDラインに包囲され、対日経済制裁によって石油を断たれ、真綿で喉くびを絞められるように窮乏の一途をたどるところまで追い詰められていました。このままでは備蓄石油もまもなく無くなる、どうするのだ、と日本中が悲鳴を上げていたのを私も肌で感じていた。だから、あの戦争は日本が好んで起こしたのではなく、過酷な国際情勢に触発され、自存自衛のためにやむを得なく立ち上がったものと理解しています。

 百田 管長のおっしゃるとおりで、日本には戦わざるを得ない理由があったのです。マッカーサーも後年、「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と米議会で語っています。それが今日では、戦ったこと自体が悪いという考えに日本人がなってしまっている。そして命を粗末にした人命軽視のむごい時代だと決めつける。

 確かに私は、『永遠の0』で宮部を特攻隊員として死なせましたが、そこに込めたのは、決して命を粗末にするなというメッセージです。生き残るために戦い抜くことと、生き延びるために逃避することとは全然違います。26年という短い人生ですが、宮部が全うしたのは前者です。特攻精神とは人生を完全燃焼させる前向きの姿勢で、命を粗末にすることをよしとするものではない。「自分の人生は誰のためにあるのか」という思い、生と死の間にあって宮部が葛藤した諸々のことから読者が生きる喜びと素晴らしさに気づいて、どんな困難があっても生きる気概を持ってほしいと願って書いたのです。

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 桐山 人生を完全燃焼させるということは、ただ長生きをするということではありません。戦時中に青春を送った私は、赤紙(召集令状)が来れば、すぐ飛んでいく。突撃と命令されれば突撃する。そういう覚悟を持って生きていました。これは今日的価値観からすれば、なんとバカらしいと感じられるかもしれないが、当時の若者にとって「国を護る」という思いは当たり前だった。自分の命はもちろん大事だけれども、同時に誰かのために、何かのために命を懸けることがあり得るということを自覚していました。

 百田 そうですね。それがなかったら人間の生きる意味は、ただ自分の利益だけになってしまいます。戦後は個人の幸福追求が第一で、国家に奉仕や献身を求められることがあってはならないと見なされている。しかし、個人の幸福追求も、まず自分の属する国家社会が安定していればこそです。この他者とのつながりのなかで自分は生かされているという感覚がないと、管長が常々おっしゃっている「英霊にとっては全ての日本人が遺族」ということが分からないし、ご先祖があって今の自分がある、先祖からつながっている命を子孫に引き継ぐために何をなすべきかという垂直の意識も希薄になります。

 桐山 宮部久蔵が生きて妻子のもとへ帰ることを願ったのは、決して自分の命を惜しんだからではない。後に続く命、最も身近な命を見守りたかったからで、それは人情として自然ですし、国のためという意識との間で宮部がどれほど苦しんだか、私はよく分かります。突き詰めると、百田さんは「他者のために自分の人生を捧げる」日本人の姿を描かれたことになる。

 百田 私は、日本人はそういう生き方をずっとしてきた民族だと思っています。そしてそれは今も全ての日本人の心の底に眠っている。そういう生き方を思い起こしてほしいと願って書いています。

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 ――出光佐三をモデルにした近作『海賊と呼ばれた男』も同じテーマで貫かれています

 百田 主人公の国岡鐡造(出光佐三)は敗戦後すぐ「焦土となった国を今一度立て直す」と決意し、焼け残った社屋で将来の生活に不安を感じている社員を前に、「日本は必ずや再び立ち直る。世界は再び驚倒するであろう」「わが社には最大の資産である人がまだ残っている」「ただちに建設にとりかかれ」と叱咤(しった)激励します。そして1人もクビにしない。

 桐山 社員を守るのですね。

 百田 物語のハイライトは昭和28年5月の「日章丸事件」ですが、そのとき日章丸がイランに向かうことは船長と機関長しか知らない。船員たちは本当の目的地を知らずに出航します。セイロン沖で暗号電文を受信した船長が、この船の目的を英国の海上封鎖を突破してイランから石油を積み出すことだと告げると、船員たちは「日章丸、万歳! 国岡商店、万歳! 日本、万歳!」と叫ぶ。

 私は、この件を書きながら何度も泣きました。己一個の人生の充実、幸福なんてどうでもいいとはいいませんが、己一個を超えたところにつながる人生がある。国岡(出光)と、国岡を支えた男たちのすごさと今の日本人はつながっているのだということを知らせたかった。過去と現在の日本は断ち切られたままではなく、ちゃんとつながっている。私たちの父祖は苛酷な時代を懸命に生き、自分以外の誰かに人生を捧げたのだと。

 桐山 それが確かに今もつながっていると思わせたのは、東日本大震災でした。津波到達の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ死亡した女性職員。最後まで住民の避難誘導に当たって津波にのみ込まれた警察官や消防団員の存在です。彼らは、なぜ自分の安全を図るよりも他者の命を案ずることができたのか。

 その一方、震災がれきの処理では「放射能汚染が心配」などという市民のクレームによって、実際には放射線量を測って問題がないにもかかわらず、処理を受け入れた自治体は数えるほどしかありませんでした。がれきを受け入れた石原都知事(当時)は、「自分のことしか考えないのは、日本人がダメになった証拠のひとつ」といいましたが、私も石原さんに同感です。日本人は岐路に立っている。

 多くの命が失われた大震災から私たちは何をくみ取るべきか。生き残った人々は、自分は独りではないということ、家族や同胞、連綿と続く命の絆を実感したでしょう。その絆は、今生きている者同士だけにあるのではなく死者との間にもある。この死者との結びつきを忘れてしまったら、日本人は日本人でなくなると私は思っています。それは先の大戦の英霊との絆にもいえることです。残されたわれわれのために命を投げ出してくださった彼らのことを忘れてはならない。

10月に福島で東日本大震災の成仏法要と震災復興祈念。11月にはサイパン島、テニアン島での大柴燈護摩供を挙行し、戦没者供養と世界平和を祈念します。

 ――管長はこの10月に福島県で、11月にはサイパン島、テニアン島で大柴燈護摩供を挙行されるとうかがっています

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 桐山 福島では東日本大震災犠牲者の成仏供養と震災復興、国土安寧を祈念します。またサイパン島、テニアン島では先の大戦の戦没者成仏供養と世界平和を祈念します。

 百田 管長はこれまでもシベリア、ガダルカナル、パラオ諸島、東シナ海など、陸上・洋上の戦跡を巡られて慰霊法要を続けてこられましたが、この度の法要はどのような思いから発心されたのですか。

 桐山 福島は地震と大津波だけでなく原子力発電所の事故という二重の災害に見舞われました。今、反原発や脱原発など原子力発電を巡って議論がやかましい。天然資源の乏しい日本にとってエネルギー問題は安全保障を考えるうえでもきわめて重要です。この問題を一時の感情論や不安感で判断してはならないと私は思っています。

 戦前、福島県石川町に原子爆弾の研究開発をする理研の施設がありました。戦後原子力は平和利用に限定され、福島県にも原子力発電所が建設された。核エネルギーは広島、長崎に投下された原爆の惨禍を見るまでもなく、正負の両面性を持っています。しかし誤解を恐れずにいえば、「過ちは繰り返しませぬから」という広島の原爆記念碑の碑文のように、主語のない、曖昧な立場から、ただ「核」を忌避し、拒絶すればそれですむのか。恐怖という情緒的な反応だけに囚われて思考停止してはならない。平和や国家の安寧を祈る力は、決してひ弱なものであってはならない。私は震災犠牲者の成仏供養とともに、そうしたことをしっかり考える契機にもなればと思っています。

 『永遠の0』にも出てきますが、昭和19年6月のマリアナ沖海戦に敗れ、7月にサイパンを失陥したことで、日本は米軍による本土空襲を受けるようになりました。そしてテニアン島から広島、長崎への原爆投下のB29が飛び立っています。福島とサイパン島、テニアン島には時空を超えて「核」という存在があり、そこで護摩を焚くのは、自然災害と戦争という違いはあるにせよ、人間の生死の根源的な意味、「核」と人間との関わりを考えるものです。

 百田 慰霊と祈念と、深い思惟のための法要ということですね。

 桐山 実はこんなことがあったのです。かつてガダルカナルでの法要を終えた夜、ふと気がつくと宿舎の寝室の窓に大勢の英霊が並んで私を見つめていました。その御霊に向き合った私は、「ああ、海底に沈んだままの英霊のご供養が残っている」と覚り、その後洋上法要を挙行しました。この度は、居宅の仏間にたたずむ人がいて、それがサイパンの防衛戦の作戦主務参謀だった晴気誠少佐のような気がしてならない。彼は何も語らないのですが、私はそう直観した。信じられない話といわれても一向に構わない。

 百田 晴気少佐の作戦は、米軍の圧倒的な物量の前に敗れました。責任を感じ続けた少佐は、「サイパンにて散るべかりし命を今日まで永らえて来た予の心中を察せられよ」と家族に遺書を残し、終戦の翌日、市ケ谷の陸軍省で自決しました。

生き残った者、生かされた者の
使命を忘れてはならない。

 桐山 私は“呼ばれた”ような気がしているのです。生き残った者、生かされた者には使命がある。それを今の日本人は忘れてはいないか、そう問いかけられている。これは私だけが感じていることかも知れない。一緒に付いて来てくれと誰かに頼むことでもない。しかしそれでいいのです。日本人としての矜持を共有する者に通じればそれで良い。

 百田 千万人と雖(いえど)も吾往かん、の気概ですね。

 桐山 日本人は自らの気概によってこれまで続いてきた民族です。それを失ってはならない。

 ――ありがとうございました

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2014.8.15

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