異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

「靖国・地霊・天皇」を観て考えたことを  仙城 真

2014-08-30 02:35:09 | シェアー

https://www.facebook.com/makoto.senjo/posts/702317363186817

仙城 真さんのFBより

「靖国・地霊・天皇」3

安倍がA級戦犯の法要に「祖国の礎になってくれた」というメッセージを書面で送っていたことが発覚した。これに関連して、「靖国・地霊・天皇」を観て考えたことを、もう少し書き足しておこう。

 この映画を靖国擁護派と批判派の間のディベートを撮ったものだと捉えると大間違いだ。先に述べたように、描き出されるのは徹底した絶望的なまでのディスコミュニケーションそれ自体だと思われるのであって、説明にも説得にもなっていない言葉がただ垂れ流されていると僕は感じた。擁護派の徳永弁護士も批判派の大口弁護士もその発言の論理を追うことは全然無理で情緒の垂れ流しと言葉のすり替えばかり、と言い切っては過ぎるだろうか? ただ一人、内海愛子氏の論だけが、論者の責任において事態の規定に踏み込んでいたと僕は感じた。それは、靖国が戦死者を顕彰する装置であることの裏返しとして、戦死を強制・強要する装置としていかに作用していたかを、例えば真珠湾奇襲の「九軍神」とその時に命をとりとめ捕虜となり敗戦後に帰国した一人の兵との事例などを引きつつ、はっきりと示してみせた。靖国に祀られる誉れなどよりも、祀られそこねることで遺された家族縁者が被ることになる迫害こそが圧力となって、戦死する以外の道を閉ざす、そういう装置としてあったのだ、と。

そして、どんな無駄死にであろうとも、戦死でありさえすればよいというあり様が僕には見えてきた。軍事行動上意味のある死だったか、などの検証は日本軍には欠如しており、無駄死にに無駄死にを重ね、更には補給も何も最初から計画の無い兵員投入で大部分の死は病死と餓死だったとも言われる。だが、撤退も降伏もあり得ない。一直線に死へ向かって進むしかない。こういう不合理の極というしかない集団行動を作り出す装置としての靖国、というふうに考えを進めて、僕はすとんと得心した。
そこへ加えて、在特会の桜井の街頭演説が映し出され、彼が言うには、靖国に祀られた戦死者があるから、現在生きている君たちが居るのだ、あの方達が死ななければ、今の君たちは存在しないのだ、というようなことをとうとうと述べるのだが、死んでも生きて帰ってきても大勢に影響のないようなところで無念にも死んでしまった夥しい死というものに、そういう言い方でもって蓋をしてしまう、そういう思考に欠けた言説だと、僕は考える。必要なのは、どうしてもその兵がそこでその死に方をしなければならない戦況だったのか、死の回避はできなかったのか、作戦に間違いはなかったのか、戦略的にその戦争指揮に過誤はなかったのか、もっと根本的には、どうしてもしなければならない戦争だったのか。そういう検証であろう。その検証の結果が夥しい無駄死にを立証することになったとしても、それは死者への冒涜ではなく、それを通してしか、まず、この犠牲とまともに向き合うことはできないのだと僕は考える。そして、無駄な死を作り出した者が居るのなら、その責任をこそはっきりさせる、そして、将来に同様の過ちを繰り返させない、それこそが、残された者にできる最もまともな弔いではないだろうか。

そういう風に考えを進めると、靖国のもう一つの正体が浮き上がってくる。間違った戦争指導、間違った作戦指揮、ひいては間違った国策で多大な犠牲と苦難を作り出した者たちを免罪する装置としての靖国。
靖国の地下に封じられた死者たちの総体を象徴する地霊を演じた金満里に、上述の僕の考えはどうなのか、訊いてみたいと、思いました。

 
物言えぬ戦死者の魂を、誰が、どういう理由にせよ、代弁出来る事などない、という思いがこの映画を観て切々と迫ってくるのです。
この映画は見事に装置としての”靖国”をひたひたと迫り狂うように、その後ろに象徴天皇が控えていて、それも必要な人達にとっての装置としてあるのだなぁ、という事を終わってから本当にこんなにじわ〜っと解った気がしました。
物事を深く考えず、美化し、それで全てがチャラになる。そんな事を、実はA級戦犯であれ、国賊扱いで捕虜になり死刑になったとしても、死ぬ瞬間に何を思ったか?天皇陛下万歳と叫ん
だか?それは当時の時代のモラルとしての強要を絶対に抜きには考えられないので、もっと掘り下げて思考しながら、何に行き付き死の瞬間に何を考えたか、また考えられたか?これは誰にも知り得ない死者だけの事です。例えそれが遺族であっても、死者の言葉をそして思いを代弁する人などいないのです。
私も、内海愛子さんの講演の言葉が非常に論理的で検証もされていて説得力を一番持ち合わせた論だと思います。それと、きけわだつみの声、で読まれていた18歳の従軍看護師として戦地に行く前の母に宛てた遺書を書いた女性の文です。
「これで、私も靖国に祀られるのですね。靖国でお会いしましょう、お母様」という言葉を最後に載せていました。
如何に、靖国の英霊になることが国の誉れであり、それを母は自分の息子娘を喜んで差し出した当時の時代のモラル。それに従うまでの行動を、自分にも他者にも誉れとして扱われる装置としての靖国神社であり、天皇の赤子として命を捧げる、を無条件に信じて激戦地へ志願し赴く若い命があった事に、本当にそんな事が賞賛されたり奨励される事が二度とあってはならないわけです。
これは、現代に繋がるそういう人達の屍を踏んで今ある、A級戦犯の子孫であれ国賊と言われた子孫であれ、あってはならないし許してはいけないのは同じなのです。
地霊として、私は自分の舞を、大浦監督が編集によって、見事に現すことができていたと思います。
最後のシーンでの靖国神社の前で”僧舞(スンム)”という韓国の古典舞踊を舞っていたシーンで、私はいろんな両者の間、左派と右派、靖国と天皇、そして遺族の両極へ、安らかな会話安らかな折り合いを両者に取り持つ、地霊としてあったのかも知れません。
まぁ言わば、在日コリアンの身障者の舞踊家としての私が、そこに位置した意味は増幅効果だと思います。
この大役をいただけた本映画に、出演させていただいたことは、私にとって大変光栄なことです。
その上で尚1つ、深く掘り下げていくべき、主体の問題があるように思います。日本人の、今の日本の在特会の桜井に、対峙出来る精神性を日本人は必死に獲得しなければならない、という問題です。
その問題を投げ掛ける、地底からの声にならない声として、地霊の舞があるのだと思います。

日本国憲法の制定過程(その7)  国民主権・基本的人権の尊重・象徴天皇制の源泉

2014-08-30 02:16:10 | シェアー

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140512/p1より転載

2014-05-12
日本国憲法の制定過程(その7) 国民主権・基本的人権の尊重・象徴天皇制の源泉      

2)「憲法草案要綱」起草者、鈴木安蔵の思想的源泉・・・植木枝盛

 鈴木安蔵のおもな思想的源泉は、植木枝盛の「東洋大日本国憲案」をはじめ、明治時代、弾圧下に自由民権運動のなかで起草された数々の民間憲法草案であった。明治時代に国権主義と民権主義のたたかいがあったが、結局、国権主義が勝利を収めて、外見立憲君主制(実質専制君主制)の帝国憲法ができた。だが、敗戦後、ひとたび葬られていた民権主義が民主立憲君主制の日本国憲法というかたちで復活してきたというわけである。日本国憲法の三大原則のうち二つ<主権在民と基本的人権>は、日本製なのである。

家永三郎は次のように指摘している。「日本国憲法は、植木枝盛草案ときわめてよく似ている。主権在民、基本的人権の保障、地方自治の確立、みなしかり。その平和主義は枝盛の『無上政法論』と精神を同じくする。男女同権、家の廃止を確信とする新民法は、枝盛の家制度改革論と寸分たがわない。枝盛の政治上、社会上の改革論は、日本国憲法体制の青写真であり、半世紀前に国民が臨みながら実現しえなかった期待が、敗戦という不幸なまわり道をたどって実現したと見るのは、決して強弁ではない。・・・(中略)・・・日本国憲法について言うならば、その原案となったいわゆるGHQ草案の作成に当り、占領軍は日本人有志の憲法研究会の草案を参考としてその内容を取り入れているのであり、かつ、その憲法研究会草案は、戦前におけるほとんど唯一人の植木枝盛研究者であった鈴木安蔵が植木枝盛草案その他を参考にして起草したものなのであるから、日本国憲法と植木枝盛草案との酷似は、単なる偶然の一致ではなくて、実質的なつながりを有するのである。」(植木枝盛『植木枝盛選集』(家永三郎編 岩波文庫)解説pp321,322)

植木枝盛「東洋大日本国国憲案」(植木同上書pp85-111)から抜粋しておく。

●基本的人権の保障に関する条項

第五条 日本国家ハ日本各人ノ自由権利ヲ殺減スル規則ヲ作リテ之ヲ行フヲ得ス
第六条 日本国家ハ日本国民各自ノ私事ニ干渉スルコトヲ施スヲ得ス
第四十条 日本ノ政治社会ニアル者之ヲ日本国人民トナス
第四十一条 日本ノ人民ハ自ラ好ンテ之ヲ脱スルカ及自ラ諾スルニ非サレハ日本人タルコトヲ削カル丶コトナシ
第四十二条 日本ノ人民ハ法律上ニ於テ平等トナス
第四十三条 日本ノ人民ハ法律ノ外ニ於テ自由権利ヲ犯サレサルヘシ
第四十四条 日本ノ人民ハ生命ヲ全フシ四肢ヲ全フシ形体ヲ全フシ健康ヲ保チ面目ヲ保チ地上ノ物件ヲ使用スルノ権ヲ有ス (レ脱)
第四十五条 日本ノ人民ハ何等ノ罪アリト雖モ生命ヲ奪ハサルヘシ
第四十六条 日本ノ人民ハ法律ノ外ニ於テ何等ノ刑罰ヲモ科セラレサルヘシ又タ法律ノ外ニ於テ麹治セラレ逮捕セラレ拘留セラレ禁錮セラレ喚問セラル丶コトナシ
第四十七条 日本人民ハ一罪ノ為メニ身体汚辱ノ刑ヲ再ヒセラル丶コトナシ
第四十八条 日本人民ハ拷問ヲ加ヘラル丶コトナシ
第四十九条 日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス
第五十条 日本人民ハ如何ナル宗教ヲ信スルモ自由ナリ
第五十一条 日本人民ハ言語ヲ述フルノ自由権ヲ有ス
第五十二条 日本人民ハ議論ヲ演フルノ自由権ヲ有ス
第五十三条 日本人民ハ言語ヲ筆記シ板行シテ之ヲ世ニ公ケニスルノ権ヲ有ス
第五十四条 日本人民ハ自由ニ集会スルノ権ヲ有ス
第五十五条 日本人民ハ自由ニ結社スルノ権ヲ有ス
第五十六条 日本人民ハ自由ニ歩行スルノ権ヲ有ス
第五十七条 日本人民ハ住居ヲ犯サレサルノ権ヲ有ス
第五十八条 日本人民ハ何クニ住居スルモ自由トス又タ何クニ旅行スルモ自由トス
第五十九条 日本人民ハ何等ノ教授ヲナシ何等ノ学ヲナスモ自由トス
第六十条 日本人民ハ如何ナル産業ヲ営ムモ自由トス
第六十一条 日本人民ハ法律ノ正序ニ拠ラスシテ室内ヲ探検セラレ器物ヲ開視セラル丶コトナシ
第六十二条 日本人民ハ信書ノ秘密ヲ犯サレザルベシ
第六十三条 日本人民ハ日本国ヲ辞スルコト自由トス
第六十四条 日本人民ハ凡ソ無法ニ抵抗スルコトヲ得
第六十五条 日本人民ハ諸財産ヲ自由ニスルノ権アリ
第六十六条 日本人民ハ何等ノ罪アリト雖モ其私有ヲ没収セラル丶コトナシ
第六十七条 日本人民ハ正当ノ報償ナクシテ所有ヲ公用トセラルコトナシ
第六十八条 日本人民ハ其名ヲ以テ政府ニ上書スルコトヲ得各其身ノタメニ請願オナスノ権ア
  リ其公立会社ニ於テハ会社ノ名ヲ以テ其書ヲ呈スルコトヲ得
第六十九条 日本人民ハ諸政官ニ任セラル丶ノ権アリ

●革命権

第七十条 政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之ニ従ハザルコトヲ得
第七十一条 政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得
  政府威力ヲ以テ壇恣暴逆ヲ逞フスルトキハ日本人民ハ兵器ヲ以テ之ニ抗スルコトヲ得
第七十二条 政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ日本国
  民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得
第七十三条 日本人民ハ兵士ノ宿泊ヲ拒絶スルヲ得
第七十四条 日本人民ハ法庭ニ喚問セラル丶時ニ当リ詞訴ノ起ル原由ヲ聴クヲ得
  己レヲ訴フル本人ト対決スルヲ得己レヲ助クル証拠人及表白スルノ人ヲ得ルノ権利アリ

● 皇帝(天皇)について・・・立憲君主制における無答責の原則

第一章 皇帝ノ特権

第七十五条 皇帝ハ国政ノ為ニ責ニ任セス
第七十六条 皇帝ハ刑ヲ加ヘラル丶コトナシ
第七十七条 皇帝ハ身体ニ属スル賦税ヲ免カル

 植木枝盛の憲法案http://homepage2.nifty.com/kumando/si/si010515.html

これも・・→http://www.ndl.go.jp/modern/cha1/description14.html

●植木枝盛「男女の同権」

「男子にして権利あれば婦女もまた権利あるべし。婦女にして権利なしとすれば、男子もまた権利なしと謂わざるべからず。何となれば男女の二者は特に分かってこれを称すればこそ爾かく男女と別るれども、そもそも人類たるの大段落に至ってはかつて少しも相異なることなければなり。同じくこれ人なり、しかして甲には権利ありとなし、乙には権利あらずとなす、これ自ら撃切するものと謂わざるべけんや。むしろ上帝人を造るの初めにおいて甲の人の額には『汝権利あるべし』との七字を印し乙の人の額には『汝権利あらざるべし』との九字を印するなどの約束あらんには、世間あるいはこれを証拠として甲には権利を有せしめ、乙には権利を有せしめざるも可ならん。ただ上帝の人を造る至公、至正、決して甲の人の額には『汝権利あるべし』と印し、乙の人の額には『汝権利あるべからず』と印するが如き、偏仁偏愛なきをいかんせんや。(中略)それ男もまた人なり、女もまた人なり。男もまた幸福を享けざるべからず、女もまた幸福を享けざるべからず。あに男子に権利ありて、しかして女子には権利なしとの道理あらんや。(後略)」(「男女の同権」(植木枝盛『植木枝盛選集』家永三郎編、岩波文庫1974年)所収pp153,154)

● 植木枝盛「如何なる民法を制定す可き耶」・・・個人の尊重

「その民法を制定するには一民一民を以て社会を編成する者となすや、一家一家を以て社会を編成する者となすやを一定せざるべからず。・・・かつてつらつらこれを察す天下一民一民を聯(つら)ねて国を成す者あり、けだし最もその理を得たるものにして進化の徴にあらずんばあらず。一家一家を聯ねて国を成す者あり、理欠くる所ありて進化未だ足らざるものなり。」(植木同上書pp191-192)

 まとめると、明治の自由民権運動特に植木枝盛の主権在民・基本的人権尊重・個人尊重が、憲法研究会(とくに鈴木安蔵)によって「憲法草案要綱」に流れ込み、これがGHQに提出されて、GHQ草案の骨子となり、それが日本国政府に押し付けられたというわけである。

(3) 象徴天皇について

  2月3日に出された「マッカーサー三原則」においては、天皇にかんしては国家の元首に位置付けられていた。Emperor is at the head of the state. ところが、GHQ民政局行政部の天皇その他を担当した小委員会が作成した第一次案には、「第二条、日本国は皇統が君臨し、天皇は世襲である。皇位は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であり、天皇は、皇位の象徴的体現者である。天皇の地位は、主権を有する国民の意思に基づくものであって、それ以外の何ものに基づくものでもない」とあった(小西豊治『憲法「押し付け」論の幻』p145)。「国家の元首」と「象徴symbol」という表現はかなり違う。

にもかかわらず、「象徴」は第一次案に現われ、民政局内で議論の的になることもなく、すんなり合意された。小西豊治の推定によれば1946年1月に民政局内で回覧され読まれていた弁護士布施辰治「打倒?支持?天皇制の批判」(新生活運動社)を背景としているのではないかという。布施はここで天皇のありかたについて「民の心を酌んで君の心とする」と表現しており、これが上記第一次案のsymbolということばで表現されたのであろうとしている。あるいはそうかもしれない。

さらに肝心なことは、この象徴という表現は、すでに前年12月26日に発表され、民政局が深い関心を寄せていた憲法研究会「憲法草案要綱」の根本原則第三項、「1 天皇は国民の委任によりもっぱら国家的儀礼を司る」とぴったり内容的に一致する用語であったということである。

 また、天皇は「象徴」であるという表現は、憲法研究会で元来共和制論者であった室伏高信が議論の中で発案・発現したのが最初だという岩淵辰雄と三宅晴輝の証言があるが、発言した当人の室伏は記憶になく、鈴木安蔵の書記録にも残されていない(小西、同上書pp166-169参照)。1945年12月、岩淵はこの象徴天皇説をGHQ憲法顧問コールグローブに伝えた。岩淵は、コールグローブが民政局に「象徴天皇」を伝えられたのだと信じている(小西、同上書pp172-173参照)。コールグローブの証言、通訳者の証言は得られていないが、あるいは、そうであったのかもしれない。

 いずれが事実であったにせよ、GHQ民政局内には、第一次案が検討されたときには「天皇を象徴とする」件については、異論は発せられなかったほどに、すでに彼らは合意していたし、それは憲法研究会の「憲法草案要綱」の「天皇は国民の委任によりもっぱら国家的儀礼を司る」と一致していたのである。

 幣原喜重郎が最晩年(昭和26年)に述べていることであるが、「元来、象徴が天皇本年の姿であり、権力などとは関係はなかった。民族のふるさとと言うか、日本人全体のお友達である。だから永くつづいてきたのであり、本来のその在り方に戻るのが陛下の願いであった。 」幣原が「象徴天皇」を発案したというのではないが、たしかに明治から戦前の軍事大権・政治大権をもった天皇のあり方は、確かに伝統にそぐわない異形のものであった。逆に言えば、明治に欧米列強に伍するために造り上げられた覇王のような天皇制が伝統に背くものであったからこそ、数十年で破綻してしまったとも言えよう。

こちら参照「国のありかたについて まとめ」の第6項

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20130102/p1

 以上で、「象徴天皇制」、「国民主権」、「基本的人権の尊重」という日本国憲法の四大特徴のうちの三つの源泉が一応あきらかにされた。残る「戦争放棄条項」の源泉はどこにあるのか?


日本国憲法の制定過程(その6)  GHQが憲法研究会「憲法草案要綱」に注目した背景

2014-08-30 02:15:27 | シェアー

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140511/p1より転載

2014-05-11
日本国憲法の制定過程(その6)  GHQが憲法研究会「憲法草案要綱」に注目した背景


GHQ民政局が「憲法草案要綱」に注目した背景

 この憲法研究会の「要綱」には、GHQが強い関心を示し、これを英語に翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた報告書が提出されている。ラウエルはホイットニー、ケーディス、ハッシーらと同じく実務経験をもつ法律家であった上に、シカゴ大学で民政訓練学校において、明治憲法と日本の政治制度の研究をし、その専門家として訓練された人物だった(小西豊治、前掲書pp101-102)。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。こうして憲法研究会『憲法草案要綱』はGHQの英文日本国憲法の骨子を提供することとなった。http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/060shoshi.html .

 ラウエル中佐の証言がミズーリ州のトルーマン・ライブラリーに保管されている。

「私は民間グループから提出された憲法に感心しました。これで(憲法改正が)大きく進展すると思いました」「私はこの民間草案を使って、若干の修正を加えれば、マッカーサー最高司令官が満足しうる憲法ができると考えました。それで私も民政局の仲間も安心したのです。『これで憲法ができる』と」。

さらに、ラウエル中佐は「民間の『憲法研究会』草案について、ケーディス(陸軍大佐・民政局次長)たちと話し合ったことについても、次のように述べている。

「たしかに話しました。憲法研究会の草案に関する私のリポートをケーディスと議論しホイットニー准将(民政局長)に提出する前に彼の承認を受けたはずです。私たちは確かにそれを使いました。私は使いました。意識的あるいは無意識的に影響を受けたことは確かです」 。


 また、GHQの憲法草案の中心となったケーディス大佐は、憲法研究会の「憲法改正案要綱(ママ)」があったから、アメリカ側は九日間で憲法草案を作成することができたのだ、と回想している(伊藤成彦『物語日本国憲法第九条』影書房2001年p32 )。鈴木昭典はケーディスにインタビューした際のことばを次のように記している。

「この憲法研究会案と尾崎行雄の憲法懇談会案は、私たちにとって大変参考になりました。実際これがなければ、あんなに短い期間に草案を書き上げることは、不可能でしたよ。ここに書かれているいくつかの条項は、そのまま今の憲法の条文になっているものもあれば、いろいろ書き換えられて生き残ったものもたくさんあります。」(鈴木昭典、同上書p150)

 また民政局内での議論のなかでは、ケーディスは次のように述べている。

「しかしアメリカの政治イデオロギーと、日本の中での最良、または最もリベラルな憲法思想の間には、日本政府案との不一致ほどのギャップはないと思う」(鈴木昭典、同上書p196)

 憲法研究会のものが特に民政局のラウエルの目に止まり、GHQ草案作成上、格別の影響を持ったのにはつぎのような背景があった。ラウエルは直接には起草者の鈴木安蔵を知らなかった。しかし、「鈴木安蔵と植木枝盛は、ラウエルが来日した当初からもっとも注目してきた名前であった。」(小西豊治『憲法「押し付け」論の幻』p105)というのは、ラウエルは鈴木の『現代憲政の諸問題』の巻頭論文「日本独特の立憲政治」の英訳されたものを読んでいたからである。ラウエルはこれをカナダの外交官であり当時最もすぐれた日本研究者であったハーバート・ノーマンから借りたが、実は、ノーマンはこの本を親交のあった鈴木安蔵から借りていたのだった。ノーマンは、明治に植木枝盛という偉大な民主主義者がいたこと、そして、鈴木安蔵がその研究者であることを知悉していた。こうしてノーマンを介して渡された件の論文によって、ラウエルの中に鈴木安蔵と植木枝盛の名がセットで刻まれることになった。ラウエルは鈴木の件の論文の英訳されたものを民政局の同僚たちにも回覧して読ませた記録が残されている(小西豊治同上書p108)。

 憲法研究会の鈴木安蔵がものした憲法草案要綱が発表されたとき、ラウエルと民政局がただちにこれに注目して英訳したのには、このような背景があった。
 

④『憲法草案要綱』とGHQ草案

 事実、鈴木安蔵らの手になる「憲法草案要綱」の内容は、事実、松本委員会に押し付けられたGHQ草案によく似ている。ここに、憲法研究会案のうち、根本原則として述べられる<国民主権、天皇の位置づけ、基本的人権>が述べられているところをもう一度引用しておこう。

「根本原則

 1 日本国の統治権は日本国民より発す

 1 天皇は国政を親らせず国政の一切の最高責任者は内閣とす

 1 天皇は国民の委任によりもっぱら国家的儀礼を司る

  (中略)

国民権利義務

 1 国民は法律の前に平等にして出生または身分に基づく一切の差別は之を廃止す

  中略

 1 国民の言論学術芸術宗教の自由に妨げるいかなる法令をも発布するをえず

  中略

 1 国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す

  中略

 1 男女は公的並びに私的に完全に平等の権利を享有す

 1 民族人種による差別を禁ず」

 1946年2月13日、GHQ民政局は英文の日本国憲法草案を日本側に渡した。日本政府松本委員会にとっては青天の霹靂だった。もっとも首相幣原喜重郎首相のみは、マッカーサーとのやりとりで、内容について相当承知の上であったという観測(堤堯)もあって、筆者はそれが的を射ていると思う。この英文新憲法の骨子は、日本人からなる憲法研究会「憲法草案要綱」だったのである。 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html