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仙城 真さんのFBより
「靖国・地霊・天皇」3
安倍がA級戦犯の法要に「祖国の礎になってくれた」というメッセージを書面で送っていたことが発覚した。これに関連して、「靖国・地霊・天皇」を観て考えたことを、もう少し書き足しておこう。
この映画を靖国擁護派と批判派の間のディベートを撮ったものだと捉えると大間違いだ。先に述べたように、描き出されるのは徹底した絶望的なまでのディスコミュニケーションそれ自体だと思われるのであって、説明にも説得にもなっていない言葉がただ垂れ流されていると僕は感じた。擁護派の徳永弁護士も批判派の大口弁護士もその発言の論理を追うことは全然無理で情緒の垂れ流しと言葉のすり替えばかり、と言い切っては過ぎるだろうか? ただ一人、内海愛子氏の論だけが、論者の責任において事態の規定に踏み込んでいたと僕は感じた。それは、靖国が戦死者を顕彰する装置であることの裏返しとして、戦死を強制・強要する装置としていかに作用していたかを、例えば真珠湾奇襲の「九軍神」とその時に命をとりとめ捕虜となり敗戦後に帰国した一人の兵との事例などを引きつつ、はっきりと示してみせた。靖国に祀られる誉れなどよりも、祀られそこねることで遺された家族縁者が被ることになる迫害こそが圧力となって、戦死する以外の道を閉ざす、そういう装置としてあったのだ、と。
そして、どんな無駄死にであろうとも、戦死でありさえすればよいというあり様が僕には見えてきた。軍事行動上意味のある死だったか、などの検証は日本軍には欠如しており、無駄死にに無駄死にを重ね、更には補給も何も最初から計画の無い兵員投入で大部分の死は病死と餓死だったとも言われる。だが、撤退も降伏もあり得ない。一直線に死へ向かって進むしかない。こういう不合理の極というしかない集団行動を作り出す装置としての靖国、というふうに考えを進めて、僕はすとんと得心した。
そこへ加えて、在特会の桜井の街頭演説が映し出され、彼が言うには、靖国に祀られた戦死者があるから、現在生きている君たちが居るのだ、あの方達が死ななければ、今の君たちは存在しないのだ、というようなことをとうとうと述べるのだが、死んでも生きて帰ってきても大勢に影響のないようなところで無念にも死んでしまった夥しい死というものに、そういう言い方でもって蓋をしてしまう、そういう思考に欠けた言説だと、僕は考える。必要なのは、どうしてもその兵がそこでその死に方をしなければならない戦況だったのか、死の回避はできなかったのか、作戦に間違いはなかったのか、戦略的にその戦争指揮に過誤はなかったのか、もっと根本的には、どうしてもしなければならない戦争だったのか。そういう検証であろう。その検証の結果が夥しい無駄死にを立証することになったとしても、それは死者への冒涜ではなく、それを通してしか、まず、この犠牲とまともに向き合うことはできないのだと僕は考える。そして、無駄な死を作り出した者が居るのなら、その責任をこそはっきりさせる、そして、将来に同様の過ちを繰り返させない、それこそが、残された者にできる最もまともな弔いではないだろうか。
そういう風に考えを進めると、靖国のもう一つの正体が浮き上がってくる。間違った戦争指導、間違った作戦指揮、ひいては間違った国策で多大な犠牲と苦難を作り出した者たちを免罪する装置としての靖国。
靖国の地下に封じられた死者たちの総体を象徴する地霊を演じた金満里に、上述の僕の考えはどうなのか、訊いてみたいと、思いました。
この映画は見事に装置としての”靖国”をひたひたと迫り狂うように、その後ろに象徴天皇が控えていて、それも必要な人達にとっての装置としてあるのだなぁ、という事を終わってから本当にこんなにじわ〜っと解った気がしました。
物事を深く考えず、美化し、それで全てがチャラになる。そんな事を、実はA級戦犯であれ、国賊扱いで捕虜になり死刑になったとしても、死ぬ瞬間に何を思ったか?天皇陛下万歳と叫んだか?それは当時の時代のモラルとしての強要を絶対に抜きには考えられないので、もっと掘り下げて思考しながら、何に行き付き死の瞬間に何を考えたか、また考えられたか?これは誰にも知り得ない死者だけの事です。例えそれが遺族であっても、死者の言葉をそして思いを代弁する人などいないのです。
私も、内海愛子さんの講演の言葉が非常に論理的で検証もされていて説得力を一番持ち合わせた論だと思います。それと、きけわだつみの声、で読まれていた18歳の従軍看護師として戦地に行く前の母に宛てた遺書を書いた女性の文です。
「これで、私も靖国に祀られるのですね。靖国でお会いしましょう、お母様」という言葉を最後に載せていました。
如何に、靖国の英霊になることが国の誉れであり、それを母は自分の息子娘を喜んで差し出した当時の時代のモラル。それに従うまでの行動を、自分にも他者にも誉れとして扱われる装置としての靖国神社であり、天皇の赤子として命を捧げる、を無条件に信じて激戦地へ志願し赴く若い命があった事に、本当にそんな事が賞賛されたり奨励される事が二度とあってはならないわけです。
これは、現代に繋がるそういう人達の屍を踏んで今ある、A級戦犯の子孫であれ国賊と言われた子孫であれ、あってはならないし許してはいけないのは同じなのです。
地霊として、私は自分の舞を、大浦監督が編集によって、見事に現すことができていたと思います。
最後のシーンでの靖国神社の前で”僧舞(スンム)”という韓国の古典舞踊を舞っていたシーンで、私はいろんな両者の間、左派と右派、靖国と天皇、そして遺族の両極へ、安らかな会話安らかな折り合いを両者に取り持つ、地霊としてあったのかも知れません。
まぁ言わば、在日コリアンの身障者の舞踊家としての私が、そこに位置した意味は増幅効果だと思います。
この大役をいただけた本映画に、出演させていただいたことは、私にとって大変光栄なことです。
その上で尚1つ、深く掘り下げていくべき、主体の問題があるように思います。日本人の、今の日本の在特会の桜井に、対峙出来る精神性を日本人は必死に獲得しなければならない、という問題です。
その問題を投げ掛ける、地底からの声にならない声として、地霊の舞があるのだと思います。