こつなぎの写真ノート

身近な自然の彩りを楽しみながら

梅雨の晴れ間に尾瀬散策、大江湿原と尾瀬沼、2014年7月

2014-07-08 | 湿原

今週日曜日(6日)、ある体育協会のツアーに参加して、私達は大江湿原、尾沼、三平峠を歩いた。この日のルートは、檜枝岐村・御池駐車場 、(シャトルバス)、沼山峠入り口 、大江湿原 、尾沼ビジターセンター 、尾沼(三平峠)であった(往復)。

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御池駐車場にて、午前9時頃。この日は梅雨の晴れ間の日曜日であった。

シャトルバスは乗客数に応じて増便されたので、待たされることもなく、私達は沼山峠入り口に移動した。

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登山道は針葉樹などの森の中を通っている。道沿いに群生しているマイズルソウやゴゼンタチバナを眺めつつ、展望のない道(木製階段と木道)を辿ると、沼山峠(1784 m)を経て湿原に着く。トレッキングガイドでは、往路50分、復路60分となっている。ところで、尾では木道でのスリップによるものを含めてアクシデントが少なくない。群馬県防災ヘリコプターの業務統計によると、平成25年度は尾瀬で約10件の救助活動が行われている。

 

途中の沼山峠展望台にて

アオモリトドマツなどの木々が視界を遮っているが、尾沼の一部、荷鞍山(中央奥、2024 m)、 白尾山(右奥、2003 m)が見える。

至仏山が見えることを期待したが、残念。

 

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さて、湿原ではワタクゲ(綿菅)が見頃となっていた。風で揺れるワタスゲの群れのうねりは緑の海原に広がる白い波であった。

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白い波と尾沼方向へと歩く人々の列


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ときどき、歩いてきた道で振り返えると。


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午後になると、前日の雨で萎んでいた白い群れに、綿毛らしい質感があらわれた。

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燧ヶ岳が見え始めたとき、自分が数十年か前にタイムスリップしたような感情を、私は覚えた。高校生のときクラブ活動で尾瀬を歩き回ったが、その後は尾瀬に全く縁がなかった。

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尾瀬沼の岸辺で、燧ヶ岳(2356 m)の強い存在感に惹きつけられて、燧ヶ岳三景。

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カシミールによる山座同定

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岸辺にシラカンバが孤立している。シラカンバは湿原の乾燥した場所に一番乗りするパイオニアプランツである。


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 このようなパイオニアプランツは燧ヶ岳と組み合わせると、気象条件に応じて格好の被写体になるだろう。しかし、このものは何時か湿原の植生に大きな影響を与えるかもしれない。これは杞憂であってほしいが。

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湿原で咲いていた花から


タテヤマリンドウ

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花については次回に。

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ニコン(コンパクト) Coolpix P7700、RAW、Apple Aperture 3.5。

 

 

 

 

 



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4 コメント

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Unknown (でん)
2014-07-09 01:19:37
こんばんは、お久しぶりです。
今年はニッコウキスゲが少ないような話しですけど
ワタスゲは見事なもんですね。
すごいわぁ~
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Unknown (こつなぎ)
2014-07-09 08:20:37
でんさん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
都合で、しばらく記事の更新をパスしていました。
ニッコウキスゲについては何か理由があるのでしょうか。
大江湿原でのワタスゲは圧巻でした。
ある新聞(昨日)に、尾瀨のどの湿原でもワタスゲが
当たり年との記事がありました。


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尾瀬の写真が懐かしいです (tomiokalucy)
2020-05-25 17:16:17
kotsunagi567さんのブログで尾瀬散策の写真もあって懐かしく思い、コメントさせていただきます。
30数年前、私たちは取材で尾瀬を訪れました。同行したカメラマンは、赤城村在住の自然写真家のY.Aさん。尾瀬の写真集も多数出していて、時々NHKの尾瀬の番組にも出演している大ベテランです。
沼山峠から山道を通り、大江湿原を経由して尾瀬沼の尾瀬沼ビジターセンターや長蔵小屋にも立ち寄りました。眼前に広がる尾瀬の山と湖の織りなす美しい風景に息を飲んだことを鮮明に覚えています。
尾瀬の自然保護活動は、小学校6年の国語教科書の後藤充「守る、みんなの尾瀬を」(光村図書)で長く採用されていたので、全国の小学生に広く知れ渡ることになりました。初代平野長蔵氏から子の長英氏、孫の長靖氏と3代に渡っての尾瀬の自然保護活動が平易な文章で詳述され、小学生ばかりか先生方にも長く支持された教材で、平成13年度まで採用されていました。長靖氏が三平峠で遭難死した事故には、多くの小学生の涙を誘いました。
深田久弥は名著「日本百名山」で燧岳と至仏山を取り上げ、「広大な尾瀬ヶ原を差し挟んで東西に対立している燧岳と至仏山。燧の颯爽として威厳のある形を厳父とすれば、至仏の悠揚とした軟らかみのある姿は、慈母にたとえられようか。原の中央に立ってかれを仰ぎ、これを眺めると、対照の妙を得た造化に感嘆せざるを得ない」「尾瀬沼を引き立てるものが燧岳とすれば、尾瀬ヶ原のそれは至仏山であろう」と称賛していますが、全く同感です。
また深田は同書で学生時代に尾瀬を訪れ、平野長蔵氏に会ったことにも触れ、「長蔵小屋の炉辺でゆで小豆を食べながら、その高らかな気焔を聞いたことがある。赭顔の長蔵老は政治を論じ時局を談じて、気概当たるべからざるものがあった」とも述べ、尾瀬の自然保護活動の初志を貫徹し、一生を捧げた平野長蔵翁を讃えています。当時はまだまだ知られていない尾瀬について、学生時代からその特徴を知悉し魅了されていた深田の見識と造詣の深さに舌を巻きます。
私たちが尾瀬を訪れたのは初夏の頃で、尾瀬沼の向こうに男性的な燧岳が見えました。女性的な至仏山を見ながら尾瀬ヶ原の木道を延々と歩き、尾瀬の美しい自然を満喫しました。尾瀬ヶ原一帯や木道には空き缶などのゴミは落ちていなくて、綺麗に整備されてました。私を含めてハイカーたちは尾瀬に足を一歩踏み入れると、美しい自然を守ろうという感情がおのずと芽生えてくるのです。
水芭蕉の一部がまだ咲き残っていて、黄色いニッコウキスゲが咲き始めていました。白いワタスゲや赤いレンゲツツジも咲いていたように思います。kotsunagi567さんの燧岳や尾瀬沼、花々の一連の写真を見ますと、かつて自分も見たような気分になりますね。30数年前の自分の目になって追体験できるのです。
長々となりましたが、尾瀬の写真を拝見して思いつくままに書かせていただきました。ありがとうございました。
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Unknown (kotsunagi567)
2020-05-26 22:58:26
tomiokalucyさん、こんばんは。
尾瀨に関する深い思いでを拝読しました。わたくしは、高校生のとき、そしてこの団体旅行のとき、これら以外に尾瀨を訪れたことがありません。と申しますのは、高校生のときに脳裏に強く焼き付けた、尾瀨の自然が変化した姿を見たくなかったからです。また、昔話のことですが、そのときに泊まった山小屋からの排水が直接的に流されているのを目撃したことによってショックを受けたからです。
しかし、記事に書きましたが、今回、ワタスゲが海原での白波のごとくに風で揺れる姿には感動を覚えました。
当方の記事が、tomiokalucyさんの思いでにお役に立てて幸いです。コメントありがとうございました。
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