real SR

引越しいたします。

UAA(在米ウイグル人協会)は東トルキスタンにおいて4名のウイグル人に死刑宣告が与えられたことを非難

2011-02-26 23:52:13 | ニュース

その1からのつづき

8月に中国政府官員と国営メディアで発せられる死傷者数も変化した。8月19日アクス市政府ウェブサイトに掲載された声明によると、7人が襲撃直後かあるいは襲撃中の負傷の結果死亡した。アクス市政府は14人が爆発で負傷したと報道した。メディアの報道によると襲撃で死傷した少なくとも何人かの人はウイグル人であった。多くの警察車両が襲撃で破壊されたという。

地域の住民によると襲撃の的となったと準警察部隊はこの地域のウイグル住民の監視を担当していると信じられていた。地域の情報筋は北京からの政府官員が襲撃のあった同日にアクス市を訪れていたという。情報筋はまた襲撃事件での負傷者はアクス第一人民病院で治療されていたと報告したが、襲撃を貫徹したといわれる男性の周りは厳しい警備が配置されたという。

地域の情報筋の未確認の報告やメディア報道によれば、襲撃事件直後からアクス市と周辺地域に戒厳令が施行されたといわれている、が地方政府はそれらの報道を否定している。武装警察(武警)、特別警察(特警)、装甲車が戒厳令を執行する為に展開したと報告されている。総括的な捜索、そしてウイグル人の大規模な拘束がアワト県を含むアクス地区の行政区域管轄内とクチャ市で実行された。

ラジオフリーアジアの住民インタビューやUAAが入手したアクス市住民の報告では、同市での警察のパトロール者の行動は地域住民に憤激を生じせしめていたが、その理由は極度に強硬に採られた警察の査察方法であった。地域住民は警察の部隊はあご髭のあるウイグル人男性やスカーフを被っていた女性をしばしば執拗に苦しめていたと報告した。地域の住民はラマダンの月に関係する断食他の宗教的実践に関して激しい制約を経験したと報告したが、ラマダン月は8月11日に始まっていた。公式のメディアはホタン地区のアルトゥシュ、ケリヤ両県とカシュガル地区のポスカム県、カシュガル地区のヤルカント県を含む東トルキスタン全土の都市でラマダン中に増加する断食や礼拝に対しての制限を「安定を保護」し、民族統一と「不法宗教活動」からの防衛を強化するという名目の下に示した。公式の指針では特に政府で働くもの、教師と学生はラマダン中にはいかなる形式の宗教的行動も厳しく禁止されるのである。

カシュガルでの2008年の襲撃に関連して執行された処刑

2008年8月、中国国営メディアは2人のウイグル人、タクシー運転手ともう一人は野菜販売業の人物が2008年8月4日にカシュガルでトラック、自家製手榴弾と刀を用いた襲撃を行い、16人の警官を殺害したと報道した。アブドゥラマン・アザトとクルバンジャン・ヘミトは襲撃を行ったとして起訴され2008年12月に「能動殺人と不法銃器、武器、爆発物製造」で死刑を宣告された。

襲撃の後、カシュガル地区の史大剛共産党書記はアザトとヘミトは東トルキスタンイスラム運動(ETIM)のメンバーであったと語った。しかし史大剛の声明以来、二人がETIMに所属しているようないかなる証拠も示されていない。ウイグル人やテロリズムに関しての著名な学者たちは組織的テロ集団としてのETIMの存在について疑問を投げかけつづけている。そしてもしETIMが存在したとしても何年も前に消滅したと主張している。加えて2008年9月28日、ニューヨークタイムスはその襲撃が幾つかの主要な部分において中国の事件の公式見解に疑問を投げかけた、3人の西欧の旅行者の目撃証言で詳細を述べ、またそのうち一人は襲撃の写真を撮っていた。

アザトとヘミトの2人のウイグル人は2009年4月9日、地方のある競技場で4,000人の官員とカシュガル住民の前で差し迫った処刑の宣告が読み上げられた後に知られざる場所において処刑された。地域の情報筋によると、ヘミトは拘束中に激しく殴打されたという。
2人にはまた弁護士との接見も拒否され家族との面会も拘束の始めから与えらていなかったことが報告されている。この処刑は激しい公安取締りと同時に執行され、少なくとも90人のウイグル人が逮捕された、その時中国政府は武装公安部隊を東トルキスタン全土で動員し当局は一軒一軒家宅捜索を行った。

このブログに興味をいただけたらblogランキングへクリックお願いします。


ラビア・カーディル紹介サイト↓

世界ウイグル会議日本語サイト↓


UAA(在米ウイグル人協会)は東トルキスタンにおいて4名のウイグル人に死刑宣告が与えられたことを非難

2011-02-26 23:42:37 | ニュース

UAA condemns death sentences given to four Uyghurs in East Turkestan.
在米ウイグル人協会声明 2011年2月23日

在米ウイグル人協会(UAA)はウイグル人名を持った4人の男性が東トルキスタンにおいて死刑を宣告されたことを非常に懸念している。
アクス、ホタン、クムル(中国名:哈密)の裁判所で、トルフン・トルディ、アブドゥラー・トュニヤズ、アフンニヤズ・ヌリ、そしてアブドゥケリム・アブドゥラーマンが2010年8月及び11月に起きた三件の別個の事件において訴追された役割を果たしたとして死刑を宣告された。
公式メディアの報道によると、4人の男性に与えられた死刑判決は中国の最高裁によって認可され、いかなる時でも執行可能を意味している。
加えて、ヤシン・カーディルとアフメット・クルバンがそれら諸事件に関しての二年の執行猶予付の死刑判決を受けている。

「彼ら4人のウイグル人に死刑を宣告することによって、中国はウイグルの人々を脅迫することを試みています、中国はウイグル人が街に繰り出してデモを行い、人権、民主政治、そして専制的な中国政府からの自由を要求することを恐れているのです。」

ウイグルの民主指導者、ラビア・カーディルさんは話す。

UAA(在米ウイグル人協会)は東トルキスタンにおけるウイグル人に対する死刑適用の不均衡、この地域における極度に緊迫した政治環境、そして、中国政府のウイグル人を迫害する口実としての「テロリズム」の濫用が立証されていることに鑑み、国際社会にこれら死刑判決を非難することを要請する。なぜなら、これら男性は9名の殺害で「テロリスト暴力行為」を実行したとして訴追されたからである。

加えて、アクスで起こった襲撃事件の直後の透明性の欠如、同様にホタン、クムルで生じたとされる襲撃事件に関しての報道が全くない事はそれら事件に適用された刑事的及び法的な手続きに関しての重大な疑問を呈している。

一方で中国公式メディアは2月23日にアクスでの8月の襲撃にすぐに続いての報告の中で2010年秋の襲撃のテロリスト性質を強調したが、中国の政府官員はその事件のテロリスト性質を説明しなかった。詳細が不明なこと、そして証拠が確認されないことでこのような公式の主張に関しては懐疑論が提起させられ、独立した調査を正当にするものとなる。

ウイグルでの騒乱に、その平和的なものに対してでさえ不釣合いな反応を正当化するための長期的戦略の一部として、中国政府官員はウイグルの人々と世界的テロネットワークとの間の関係を捏造してきた。9.11事件以来、中国当局は「対テロ戦争」をウイグル人の抑圧を強化するための口実として用いてきた、ウイグル人のほとんど大多数はいかなるテロ攻撃とも関係がないのである。

UAAは無条件でいかなる形式の暴力にも反対する、いかなる暴力的行動をも非難する、そしてテロリスト活動はウイグルの人々への抑圧を増大させ、ウイグル人と漢族中国人との間の緊張を悪化させるのにかなうだけであると主張する。UAAは平和的にウイグル人の為の民主政治、自由、人権の実現のために活動しているのである。

暴力的襲撃は近年、中国全土で頻繁に発生しつづけている、その中には2010年7月の湖南省の税務署において複数の死亡者が出た爆発、2010年上期と一ヶ月強に五つの諸省で起こった学校生徒への死者の出た襲撃、2010年7月に山西省での鉱山労働者と村人の衝突、そしてある村で2010年7月に起こった村長の家族への致死的な襲撃などである。

アクスでの8月19日の襲撃の背景

トゥルスン・トゥルディとアブドゥラ・トゥニヤズは東トルキスタン西部キルギス国境近くの都市のアクス市で8月19日に発生したと報道されている死亡者の出た襲撃事件に関係したとして判決を受けた。その襲撃事件はアクス郊外でその朝に発生し複数の死傷者が出た。その襲撃事件の詳細の多くに関連しては明瞭さが欠けていた。国際ジャーナリスト連盟は8月20日に中国の中央宣伝部がその事件について報道することを禁止していたと報告した。UAAは襲撃事件の起きた数時間後に地域の情報筋からアクス市と東方に位置するクチャ市を含む周辺地域で戒厳令が施行されたという未確認の情報を得た。

複数のメディアの報道によれば、襲撃者あるいは複数の襲撃者はアクス市で三輪の乗り物で群衆に突っ込んで行き、爆発物を発破させ複数の法執行機関員を死傷させた。地方政府のスポークスパーソン侯漢敏(Hou Hanmin)新聞弁公室主任は8月19日の記者会見で記者にウイグル人男性容疑者が襲撃中に自身も負傷し、当局に拘束されていると話した、しかし彼の年齢や身元は不明だった。侯漢敏は中国公安が襲撃の背景となる動機を捜査中であると言明した。8月20日に中国国営メディアは一人の女性も襲撃に加わっており、彼女は爆発で死亡したと報道した。

つづく

このブログに興味をいただけたらblogランキングへクリックお願いします。


ラビア・カーディル紹介サイト↓

世界ウイグル会議日本語サイト↓


UAA声明:グルジャ大虐殺は中国の人権記録における一大汚点であり続けている。

2011-02-07 01:51:38 | ニュース

Ghulja Massacre remains a stain on China’s human rights record.
在米ウイグル人協会 2月4日

グルジャ大虐殺の14周年にあたり、在米ウイグル人協会(UAA)は中国当局に対しその1997年2月5日及びそれに続いた弾圧において当局がかかわった野蛮な行動に全面的な説明をすることを要求する。その日、東トルキスタン北西部のグルジャ(中国語:伊寧)市内において警察は非武装のウイグル人抗議活動者に対して銃撃を行なった。目撃者は1万から1万5千人の抗議活動者の多くは若い男性であったと報告した、しかし完全武装した準軍事的警察により殺傷された群衆の中には女性と子供が存在した。当局はその後に続いてウイグル人を一斉検挙した、その中には逃亡した抗議活動者、デモに参加したと疑われた人たち、そしてその家族さえもが含まれていた。

中国政府はアムネスティ・インターナショナルを含む国際的な人権団体によるグルジャにおいて重大な人権侵害の事実の存在の調査をすること、デモ参加者の不満を発表することなどの要請を無視し続けた。アムネスティのような団体はグルジャでの1997年の抗議活動や区都ウルムチで2009年7月5日に起こった抗議活動で火花を発したウイグル人の不満を発表することの必要を強調してきた。

2010年4月に新疆党書記張春賢が新任となった、前新疆党書記王楽泉の後任でありウオッチャーの中にはより透明性のある地方政府への希望を抱いた者もいたが、当局が刑事上のそして司法の手続きをより公の精査に向けて始めていくという徴候は全くなかった。2010年の下半期ウイグル人ジャーナリストやブロガー達に終身刑を含む長期の懲役刑が宣告されたことが報道された、それらは秘密裁判で公式には報道されなかった。加えて、東トルキスタンの法廷においてはウイグル人を迫害するために、また何事もないようにウイグル人異論派を弾圧する為に「国家機密」容疑に重度に頼り続けている。

今年初めに発行された世界全体の人権状況についての報告書において、ヒューマンライツウォッチは中国政府がウルムチで2009年に、チベットで2008年におきた抗議活動の調査への手助けを履行しないことを批判した。

「中国政府は未だにチベットや新疆での抗議活動の直後に訪問を申請した国連人権高等弁務官や他の数人の特別調査官への招待状を発行していない。」

2009年7月5日広東省でのウイグル人労働者への致死的な襲撃への後、ウイグル人たちは正義を求めて街頭に繰り出した。ウイグル人権プロジェクト(UHRP)にインタビューされたウルムチでの抗議活動者は恣意的拘束、就職差別、そして教育におけるウイグル語の排除が抗議活動に油を注いでいると訴えた。UHRPによってインタビューを受けた目撃者らは中国の警察が激しい銃撃を他のタイプの極度な実力と同様に抗議活動者に用いたと報告した。目撃者の報告は中国政府発表の事実と著しい相違を見せていた。

中国当局は7月5日の騒乱への独立かつ国際的調査を許可することを拒否しつづけている、そして7月と9月両月にウルムチを動揺させた騒乱についての情報を管理、操作することを試み続けている。東トルキスタンにおいて7月5の夜の後に施行されたインターネットと携帯電話のロックダウンは住民と国際的なウォッチャーに何がウルムチで起こっていたかの情報を得ることを妨げた。コミュニケーション遮断はまた当局が7月5日の抗議活動と暴力に参加していたことの責めを負う個人の進行中の恣意的拘束、不公平な裁判、そして処刑についての情報を不明瞭にする働きかけに伴なっていた。

グルジャにおいてのデモ参加者はグルジャ市における宗教の抑圧と民族差別に終止符を求める非暴力の行進に参加していた。抗議活動に火を付けた諸政策の中には「マシュラップ」として知られる伝統的なウイグルの集会活動の禁止があった。中国当局は「マシュラップ」をデモの直前に禁止した、それらがウイグル人青年の間にあったアルコールやドラッグの濫用との戦いに成功を収めていたにもかかわらずである。

皮肉なことに、中国官員は禁止され続けられている「マシュラップ」をユネスコの保護が必要とされている世界中の「無形遺産」伝統のリストに提出した。ユネスコは中国の提出を受理し、緊急に保護を必要とされる伝統のリストに「マシュラップ」を加えた。中国当局が「マシュラップ」を保護することをこの集会活動に対する禁止を解くことなく声明したことは、政府のカシュガル老城(旧市街)の破壊に照らしても更に皮肉なことである。その破壊は2009年の2月に始まった。中国官員は国内、そして国際的な保護運動家や人権団体がこの老城を徹底的に破壊することを止めようと、そしてカシュガル老城をユネスコの中国シルクロードの場所として提出に加えようとの嘆願を無視しつづけている。

2011年末までにカシュガル老城の大部分はは消滅するだろうと見積もられている。カシュガル、とりわけ老城はずっとウイグル文化のゆりかごとしてみなされてきた、そして古代シルクロードに重要な停留所としての任を勤めてきた。当局がこの計画に対して2009年2月前に老城に住んでいた20万人のウイグル人住民に抱かれていた深い懸念を無視してきたということを示唆する証拠がある。住民たちは移転したいかどうかに関して選択肢は与えられず、そして何世代にもわたって住んできたウイグル人家族の財産への適切な補償がされていないという多くの報告がある。

このブログに興味をいただけたらblogランキングへクリックお願いします。


ラビア・カーディル紹介サイト↓

世界ウイグル会議日本語サイト↓


在米ウイグル人協会はノーベル平和賞受賞者劉暁波氏に敬意を表する。

2010-12-15 02:20:57 | ニュース

Uyghur American Association honors Nobel Peace Prize recipient Liu Xiaobo
2010年12月9日 在米ウイグル人協会
Liuxiaobo
12月10日の国際人権デーそしてノーベル平和賞授与式の前日にあたり、在米ウイグル人協会(UAA)は平和賞受賞者の劉暁波氏と彼の中国に人権と法の支配をもたらすための努力に対して敬意を表する。劉氏はいまやアウンサンスーチー女史、ネルソン・マンデラ氏、そしてダライ・ラマ法王猊下らノーベル平和賞受賞者の地位に列している、そして彼が平和賞授与式に列席できないことは劉暁波氏への授与が妥当であることを強調しているにすぎないのである。
UAAはノーベル賞委員会が中国政府からの報復の脅迫の数々にもかかわらず、劉氏に平和賞を授与したことを賞賛し、この賞が中国内部で民主と人権を向上させようとしている他の人々を勇気づけるであろうということを希望する。

「劉暁波氏の不在は人権へのコミットメントの実現を中国が失敗していることをまさに思い出させるものです。」

ウイグルの民主指導者ラビア・カーディルさんは語る、ラビアさんはオスロでの平和賞式典に出席することになっている。

「私は中国政府が劉氏の収監を決めたことを深く悲しく思います。劉氏は中国においての非暴力、民主改革の象徴であり、そして妻の劉霞さんを軟禁状態に置くのは尊厳と正義を侮辱するものです。」

「同時に、世界中から中国の人権擁護者がオスロに劉暁派氏を支援するために来て、中国において人権と民主制が栄えるであろう未来への希望を伝えることは勇気づけられます。」

中国が劉暁波氏個人が平和賞を受けることを許さないことはナチスドイツの行動を連想させる。1936年、ドイツの平和主義者カール・フォン・オシエツキはノーベル平和賞授賞式に出席することを禁じられたのである。中国現体制は強情に劉暁波氏に関して、旧ソビエト連邦諸当局の行動を模倣している、彼らは市民的自由の唱導者であったアンドレイ・サハロフ博士が1975年に平和賞を受けるのを許さなかった。またこのことは1983年のポーランドの共産主義政府の抑圧的性格を思い出させるものである、ポーランド政府は労働組合組織者で人権活動家のレフ・ワレサ氏個人をノーベル平和賞受賞することを出来なくするように強いた、彼がポーランドに戻ってこなくなることを恐れてである。

「中国政府は、とてつもない経済改革を成し遂げながら、共産主義者の支配の60年間、公民および政治的権利を改善しなかった専制主義者的体制のままなのです。」

ラビア・カーディルさんは語る。


「中国はその市民の権利への抑圧を弱めることはありませんでした。たとえば言論の自由は、普遍的価値と考えられるべきであり中国の司法制度の恣意的判断に服従してはならないのです。」

「劉暁波氏は中国司法の不透明な実態の一つの実例です、劉氏は中国当局が改革の息の根を止める為に抑圧しようと試みた異論派のたくさんの声を具象化したのです。」

劉暁波氏は作家であり、大学教授、活動家でもあるが現在11年の刑に服している、2009年12月に秘密裁判で「国家転覆扇動」有罪とされた後に。劉暁波氏はおそらく国際的に零八憲章への貢献で最も知られた存在である。零八憲章は中国における民主改革を要求して2008年12月に発行された宣言であり、10,000名以上の中国の市民によって署名された。零八憲章の最初の署名者たちの多くは、自宅軟禁、監視、そして財産の没収などの警察の弾圧に苦しめられている。

零八憲章は中国の人々の意志に基づいた真正の民主政治を創出する為の中国のための青写真である。零八憲章は憲章77に触発されたものである、憲章77はチェコスロバキアの共産党政権に基本的人権を認識するように要請した陳情書である。ヴァーツラフ・ハヴェル氏は劇作家で異論派であったが、後に最後のチェコスロバキア大統領、続いてチェコ共和国の初代大統領であり、この宣言の起草者の一人であった。ハヴェル氏は劉暁波氏と零八憲章を支持し積極的発言を続けている、そして諸国政府や多くの人々に中国の人権擁護者と政治犯との連帯を表明する必要性を強調している。

民主の章において、零八憲章は以下のような主張を含んでいる。「多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。」連邦制の論考の中でさらに同憲章は主張する「大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。」
連邦制は人権とりわけ少数諸民族の諸権利の尊重に基づく東トルキスタンとチベットにおける中国の領域的問題の解決への希望を提示するものである。
連邦主義制度というものは安定を確実にするものであり、ウイグル人、チベット人、中国人に真正の平和をもたらすことによって、胡錦濤国家主席が推奨する「和諧社会」を創出するのである。

参考:「思いつくまま」
零八憲章 中華連邦共和国憲法要綱

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/597ba5ce0aa3d216cfc15f464f68cfd2

このブログに興味をいただけたらblogランキングへクリックお願いします。


ラビア・カーディル紹介サイト↓

世界ウイグル会議日本語サイト↓


中国はウイグル語を指導言語から排除することを強化している。(その2)

2010-11-24 02:28:01 | ニュース

China intensifies its official push to eliminate the Uyghur language from instruction

から先にお読みください。.

東トルキスタンにおける「双語教育」の強化

11月12日、公式メディアが中国の国務院教育部が東トルキスタンにおける教育を振興させる為、双語教育と中等職業教育およびより高度な教育に焦点を定めた特別グループを設けたと発表した。「新疆工作座談会」は2010年5月に行なわれ、新疆ウイグル自治区全体での大規模開発プロジェクトが目的とされた。政府幹部は新疆ウイグル自治区で全ての学生が2020年までに普通話を確実に話すことができるようにすることを誓った。10月、新疆ウイグル自治区政府はその目的に達することに向けての10カ年計画を概略する文書を発表した。サウスチャイナモーニングポストによると、新疆ウイグル自治区政府は今月「双語教育」についての会議を開くであろうということである。

新疆ウイグル自治区政府は東トルキスタンの学校の全ての段階の指導においてウイグル語を排除すると公式に命じている、このことは前新疆ウイグル自治区共産党書記、王楽泉によって実施されたが、ウイグル人住民の中では極度に不評である。ヌリ・ベキリ新疆ウイグル自治区主席を含む自治区官員はこの政策を政治的安定に関連させていたが、中国語を話せないウイグル人はテロリストの影響を受けやすいとまで言明している。中国政府は「双語教育」がウイグル民族に中国の競争的な労働市場において成功するためには必須の漢語普通話の能力を与えるであろうと主張するが、多くの漢語普通話に流暢なウイグル人学卒が雇用者の間にはびこる民族差別により採用の困難さに直面していると報告している。

1997年「新疆班(新疆クラス)」が設立された、そこでウイグル人及び他の「少数民族」の学生が東中国の大都市の高等学校に送られた、そこで学生たちは中国の文化に浸透させられ、それと同様に中国語での指導を受ける。2005年に王楽泉はこの計画を政治的重要性という語を用いて、その目的が学問的な準備でなく「政治思想訓練」と言明した。公式メディアの報道によると22,000人の学生が2010年秋に東中国の漢語の高等学校に入学し、それは前年よりも2,000人の増加を記録した。

背景-トクスン郷での「双語教育」

2000年の統計によると、トクスン郷には初等、中等/高等および職業学校を含む50のウイグル語学校があった。しかし近年の「双語教育」政策の施行と強制的なウイグル語学校と漢語学校の統合により、ウイグル語学校はたった24までに減少した。学校の統合で多数のウイグル語教師がレイオフされた、しかし518人のウイグル語教師のレイオフ計画は今日までの最大のウイグル語教師レイオフである。

東トルキスタン全土の学区と同様にトルファン県の官員は、東トルキスタンの開発の為に国家計画の一部として、6月に42の「双語教育」幼稚園が2010年末までに当県で建設され、そして中央政府が5,200万元(750万ドル)を2012年までに計58の幼稚園を建設する為に投資するだろうと発表した。

開発の利益から取り残されるウイグル人

東トルキスタン全土でのウイグル語教師の解雇、そして漢族教師による後任は、5月の新疆工作座談会において作成された大規模開発計画それ自体が、漢族中国人とウイグル人の間の不公平さを明白にしていた如く、ウイグル人住民の憤激を掻きたてている。雇用率は漢族中国人に有利に歪められ、自治区の商業、政府部門における漢族の優位は、構造的な差別と伴なって、ウイグル人住民に公式な開発の利益の大部分がトリクルダウン(滴り落ち)してくるのを妨害している。

多くのウイグル人は、個別のウイグル人意識が分離主義を導くという恐怖の中での、教育局面におけるウイグル語の根絶はウイグル人を漢族社会に同化させる試みの一部であると感じている。「双語教育」政策の強化は「テロリズム、分離主義、極端主義」を根こそぎにするという公的な作業、および「分割主義」に関しての公式布告、そして領土的統合の保全の必要と一致している。

他の政策もウイグル人の間に文化的な壊滅の恐れを提起している。2009年初頭、政府官員はカシュガル旧市街(老城)における伝統的なウイグル建築の破壊をはじめたが、これは独特のウイグル人アイデンティティを保持する為に不可欠な、かけがえのないウイグル文化と宗教の中心の大部分を根絶やしにしてしまった主導計画である。中国政府当局はこの破壊は地震の被害を受けやすく、下水設備の貧困な家屋から旧市街(老城)住民を守る必要により始められたと言明している。しかし、この破壊は現在進行中のウイグルの文化伝統を制限し管理する政府の動きと一致しているのである。

このブログに興味をいただけたらblogランキングへクリックお願いします。


ラビア・カーディル紹介サイト↓

世界ウイグル会議日本語サイト↓