【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

緒方林太郎さんが語った「国家の存続」 特例公債法案、衆財金委審議入り

2012年11月10日 09時02分10秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散

[画像]特例公債法案の審議に立った民主党衆議院議員(福岡9区)の緒方林太郎さん、2012年11月9日、財務金融委員会、衆議院インターネット審議中継から。

【衆議院財務金融委員会 2012年11月9日(金)】

 解散風を煽る新聞社はよっぽど経営が苦しいのでしょうから、放っておきましょう。そもそも、10月19日の3党首会談で野田佳彦さんの「3つの提案」を全紙そろって落とすような新聞社政治部に未来はありません。

 財政運営に必要な財源を確保するための(財政法4条の)特例公債法案(181閣法1号)が審議入りしました。

 23年度法案と24年度法案の通常国会でのしめくくり質疑に立った岸本周平さんは政権交代チルドレン1期生のトップを切って、経済産業政務官として政務三役入りしています。

 「本日、こういうかたちで、審議入りできることを(与党)末席理事ながら、野党のみなさまに感謝申し上げます」。

 質問のトップバッターに立ったのは、福岡9区(北九州市の八幡、若松、戸畑区)選出の緒方林太郎(おがた・りんたろう)さん

 緒方さんは予算(案)と法律(案)の関係として日本国憲法59条が法律案について参議院が否決した場合の衆議院の3分の2ルール、60条が予算案について参議院が否決した場合の自動成立を規定していることについて内閣法制局を交えて質疑を展開しました。実は驚くべきことに、国会議員の8割方はこの程度の憲法に関する知識がありません。例えばこの日の審議でも、自民党の二世議員、丹羽秀樹さんが臨時国会の召集権が政府にあるという日本国憲法第7条などや国会法第1条~第3条あたりの解釈を知らなかったと思われる発言をしています。二世議員はこういうところは強い傾向がありますが、丹羽さんは知らなかったようです。これが実態です。

 緒方さんは知ったかぶりをせず、衆議院帝国憲法改正案委員会(芦田均委員長)の第90回帝国議会1946年7月22日(月)の議事録をひもときました。ここでは、山崎力・現自民党人事局長(旧新進党参院議員)のおじいさんである山崎岩男代議士が質疑しています。

 その前におさらい。

 大日本帝国憲法第64条が「国家の歳入歳出は毎年予算をもって帝国議会の協賛を経るべし」として予算の協賛権しか帝国議会に与えていなかったのに対して、新憲法(案)の第83条が「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」という財政民主主義を掲げ、第86条「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない」として、国会の予算議決権へと国会の権能が大きくなりました。

 国会では、予算案と法案はともに「議案」と呼ばれていますが、予算案と法案は似て非なる物です。その最大の違いは、予算は日本国憲法第7条による内閣の助言と承認による天皇陛下の公布が必要ないということです。

 「議会が予算に干渉するということは、行政権に干渉することでありますが、立法府たる議会が、予算というものを議決する以上は、予算とせず法律とした方が最も的確ではないかと考えます。そうすると、国民に対する国家の意思表示たる効果を持ってくる、国民に対して十分なる意思表示の効力を発生することになります」。

 このように、予算案と呼ばず、いわば予算法案として審議し、予算法として公布・施行すべきではないかとの指摘です。

 これに対して、金森憲法担当大臣は「予算を法律とするということはもとより成立する考えだ」と受け止めたうえで、「法律は大部分は国家と国民を拘束するものでありまして、予算は政府の支出を憲法上適法ならしむるものであります」として、予算と法律は別のものだと答弁しました。

 そして、「法律でありますれば議会はそれを可決するも否決するもおそらく絶対の自由なる判断をお持ちになろうと考えます、しかし、予算の方は、国家が存続する、その存続には経費が要るということが前提になっております」として、「予算は法律と違ってこれを何らかの形において成立させて、金額の大小、費用の差ということは別として、国の入用な経費だけ必ず必要な時期までに動くようにしてやるべきものである」として、「やはり予算は予算として、法律は法律として扱っていく方が、比較的筋の通った考え方のように思っております」と答弁しています。

 国家における予算とはすなわち人体における血液の循環と全く同じことで、国家存続のために空白期間はあり得ず、国会が「成立させない」という自由は存在しないという認識です。

 この質疑を経て、憲法59条と60条が別々の規定として設けられました。そして、それが現在の混乱をもたらしていることになります。ただ、言うまでもなく、予算の協賛権しか持たなかった帝国議会に対して、予算の議決権を持つ国会においては、1955年以降、自民党が集めた税金の分配をめぐる票と政治資金を集めて、半世紀以上にわたる長期政権をつくりました。そして、特例公債法などにより国家と国民を1000兆円の借金でがんじがらめに拘束しました。この山崎・金森問答は、予算(案)審議・可決・成立のプロセスで、国会の行政への干渉が強くなりすぎないようにするにはどうすればいいかという問題意識があったといえます。ところが、60年が経ち、実際には、予算は財務官僚がつくり、国会議員は各府省に頭を下げて陳情する格好になっています。

 さらに、特例公債を38兆円発行するという法律が国民を拘束するという考えは金森答弁からしても正しいと言えますが、予算的観点からは、国会が財務省理財局に財政法4条違反を許す権限を与える法律です。国民は義務を与え、財務省理財局に権限を与える法律を、天皇陛下が公布・施行し、国家国民を拘束する行為は、最終的には、国家国民を滅亡させます。


 財金委員会で緒方さんは「特例公債法案の存在は憲法制定時には想定していなかったのではないか」と指摘。そのうえで、「予算の上限にキャップを付ける法律はあるうる」としながらも、特例公債法案を予算案同様に扱うべきだとしました。そのうえで、1期生として感じた「国会の2つの慣れ」として、「①これだけ特例公債を発行していることに慣れてはいけない、②これだけ(遅い時期まで)こじれることに、ねじれ国会だからと言って慣れてはいけない」と先輩を戒めました。そのうえで、「私が当選する前ですが、民主党が参議院第一会派で野党だったときにも特例公債法案が4月にずれ込んでいる。誰が始めたかは言わない」。そして、「わが党は与党になって、自公に(2)倍返しされている」と述べると野党席から大きくヤジられましたが、負けずに「わが党の中には野党になった4倍返しにしてやるという先輩もいるが、議会人として襟を正すべきだ」としました。全く同感です。

 緒方さんは当選直後に質問主意書を大量17本提出しようとして、小沢一郎幹事長・山岡賢次国対委員長から封殺されました。緒方さんは福岡9区で北橋健治さんの後継者。緒方さんは勇気を持って突き進んでいただきたい。個人的なことを申し上げると、この地域は、小生の兄が大学院修了後10年以上住んでいたところで、社命により北橋陣営ら自由主義陣営は当然のこと全党各種選挙を応援していたようです。当事者として積極的に関わるという政治文化、選挙風土があるんだろうと推察します。緒方さんのその背中、北九(きたきゅう)の偉い人たちは必ず見ている。


 私はこの後、憲政記念館で開かれている「昭和、その動乱の時代―議会政治の危機から再生へ」(入館無料、無休、11月30日まで)を見ました。なんと言っても斎藤隆夫先生の粛軍演説の展示が愁眉です。この中で、斎藤隆夫先生の除名を決める衆議院本会議では欠席者が大量に出ましたが、出席して反対した7議員のうちの一人が、芦田均・帝国憲法改正案委員長だったことを初めて知りました。芦田は憲法9条に芦田修正を加えて日本の独立を守り、首相となり、おそらくアメリカの意向を受けた検察の横やりで総辞職しました。

 斎藤隆夫先生への手紙がファイルで展示されており、その中に早稲田大学政治経済学部1年生の長文の手紙があり、「都の西北は先生を守る」と端正な筆致で書かれていました。「日本傍観者党」となり果てた感のある、わが母校ですが、私も同じ1年生のころ、政治改革を実現する若手議員の会の自民党議員に手紙を書いたことがあります。その中には返事をくれた議員もいて、その人がだれか思い出すとたしか北九州だったような気がして、小選挙区制の厳しさを己にしみこませざるを得ない思いがします。

 斎藤隆夫陣営にとって、除名された後の最初の衆院選は、当然にして政治生命をかけた闘いでしたが、ポスターの「国民の力と責任」というスローガンの下、当選しました。最高点投票ですので、仮に小選挙区制度でも当選したでしょう。もともと兵庫県但馬から、歩いて上京して大学を出て弁護士になった人なので、そのため代議士として地元に恩返しする気持ちが強かったようです。歩いて上京して地元の支援で大学を卒業して弁護士になった人は、今の日本には1人たりともいないと思われますので、成熟国家となった我が国の環境を、代議制デモクラシーのルールメイキングで考慮すべきだと感じました。

 戦後、75歳、在職32年目にして初入閣した第1次吉田内閣の記念写真には、初入閣ながら吉田首相の隣に収まる斎藤隆夫大臣とともに、金森徳次郎大臣の姿もありました。そして、展示の中で、私が思わず感涙した匿名の短い文のハガキがありました。どのように辛くてきつい状況になっても政治家を見抜く国民の力と責任があるのだと感じます。第46回総選挙もそれ以降も必ずそういう有権者は居続けます。民主の敵・小沢一郎ごときに一度は屈してしまった緒方さんですが、勝負の運はもっと肝心な敵と闘うために温存したのでしょう。やがては斎藤隆夫先生のようにハッキリ物を言える政治家となるための環境を整えてほしいな、と感じました。

 そのハガキとは次のようなものです。

 「よくおっしゃってくださいました。御礼申し上げます。一兵卒の父より」。



[国立国会図書館帝国議会会議録検索システムから引用はじめ] 

第90回帝国議会

衆議院

帝国憲法改正案委員会

付託議案
 帝國憲法改正案(政府提出)
―――――――――――――――――――――
昭和二十一年七月二十二日(月曜日)午前十時二十四分開議
 出席委員
  委員長 芦田均君

(略)

○山崎(岩)委員 議會が豫算に干與すると云ふことは、是は立法權に干與することでなく、行政權に干與することでありますが、立法府たる所の議會が、豫算と云ふものを議決する以上は、豫算とせずして法律とした方が最も的確ではないかと考へます、さうすると、國民に對する國家の意思表示たる效果を持つて來る、隨ひまして豫算面と云ふものでは、國民に對しても十分なる意思表示の效力を發生することにもなりまするし、又政府其の他の機關も之に對して十分なる拘束力と云ふものが與へられて來るかと私は考へるのでありますが、憲法草案に依つて是だけに改正するに當りまして、なぜ法律としなかつたか、なぜ今まで通りに豫算としたか、其の點に付て御尋ね申上げます

○金森國務大臣 豫算を法律として、詰り形式的意味の法律とすると云ふことは、固より成立する考へと思つてります、けれども實質から申しまして、法律は大部分は國家と國民を拘束するものでありまして、豫算は政府の支出を憲法上適法ならしむるものでありまするが故に、形式的には假に同じに扱ひまするにしても、中味は違つて居ると云ふことは言へると思ひます、既に中味が違つて居るならば、形も違へると云ふ行き方は、決して不合理ではないと考へて居るのであります、特に何處が違ふかと云ふ中の一つの點を考へて見まするに、法律でありますれば、議會はそれを可決するも否決するも恐らく絶對の自由なる判斷を御持ちにならうと考へます、併し豫算の方は、國家が存續する、其の存續には經費が要ると云ふことが前提になつて居りますると、幾分議會の態度も異なつて、批判の中味が國家の必要なる經費は出してやらなければならぬと云ふことを前提として議決さるると思ひます、隨て議會の扱ひ方等も違ふと思ひます、此の憲法の草案に於きまして、法律の方は六十日の期間とか云ふものを置いて、國會の中で衆議院と參議院が色々意見の違ふやうな場合に、最後の荒つぽい解決方法を求めて居るのであります、併し豫算の方に付きましては、さう云ふ荒つぽい方法を求めないで兩院の協議會を開いて議纏まらぬ時は衆議院の意見に依ると云ふことに致したのも、其の考へでありまして、豫算は法律と違つて之を何等かの形に於て成立させて、金額の大小、費用の差と云ふことは別として、國の入用な經費だけは必ず必要な時期までに動くやうにしてやるべきものであると云ふ考へを基調として、そこに規定が現はれて來る譯であります、既にさう云ふ風な差があれば、やはり豫算は豫算として、法律は法律として扱つて行く方が、比較的筋の通つた考へ方のやうに思つて居ります。(後略)

[引用おわり]

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 


【それから】「(定額給付金補正は)選挙対策だった」と暴露 貧すれば鈍する 公明党山口那津男さん

2012年11月08日 23時14分12秒 | 第171通常会(2009年1月~)自民党追い込まれ

[画像]公明党ポスター=公明党広報局提供ファイル。

 貧すれば鈍するとはこのことで、野党のくせに12月9日(日)の投開票を求める公明党の山口那津男代表が、2008(平成20)年度第2次補正予算(麻生定額給付金補正)について、「今だから申し上げるが、自公の政調会長同士では、選挙を見通した景気対策をつくったのに解散のタイミングを逃した」「もっとハッキリ言うと、都議選を翌年に控えていた選挙対策だった」と語り、定額給付金が選挙対策だったことを明言しました。2012年11月8日(木)午後9時からのBS11インサイドアウトでの発言。

 この定額給付金が選挙対策だったことを明言したのは、きょうの山口発言が初めてだと思われます。もちろん、1億人が「そんなの知っていたよ」と言うでしょうが、当事者に証言させるのは極めて大事な作業。そのうえで、山口さんは「もっとハッキリ言うと(麻生太郎首相は)解散のタイミングを逃した」と語り、2009年7月の都議会議員選挙敗北(公明党公認候補は全員当選)につながったとしました。一方、このとき当ブログでは「【最大の景気対策】給付金の半額を民主党に寄付しよう!」キャンペーンを張らしていただき、政権交代後に多くの現・民主党衆議院議員から感謝されました。そろそろ年末ですが、余裕のある方は、政治献金をして寄付金控除をつくるということにご協力いただきたく存じます。

 麻生内閣発足直後に公明党の山口那津男政調会長、自民党の保利耕輔政調会長らは、サブプライムショック時のブッシュ大統領の「ブッシュ減税」「戻し減税」に範をとり、「定額減税」を考慮しました。しかし、アメリカのように小切手を郵送する格好での戻し減税が小切手社会ではない日本では難しいうえ、公明党支持者が所得税・住民税の課税最低限を下回る非課税世帯が多く、定額減税をしても低所得の支持者にはまったく恩恵がないことから、いったんは立ち往生。そのうえで、2兆円の赤字国債を発行して、2兆円の定額給付金を自治体から送金する「定額給付金補正」を2009年2月の第171通常国会に提出しました。これには、ねじれ国会で参院第1党だった野党・民主党の福山哲郎参院政審会長らが歳入から2兆円の赤字国債を減額し、歳出から2兆円の定額給付金を減額する議員提案の予算修正案を提出し、憲政史上初めて参院での可決に成功。過去には、新進党が一般会計予算総則から住専(住宅金融専門会社)への公費負担を削る修正を衆院で可決し、参院で送ったことはありますが、予算費目が参院で修正可決され、衆参で違う予算が可決する憲政史上初めての事態になりました。この後、両院協議会が開かれ、参院民主党が送り込んだ、北澤俊美両院協議会協議委員が議長に、石井一協議委員が副議長になり、徹底的にやりこめました。このときから、両院協議会の懇談部分も議事録をとるなど、両院制における極めて大きな先例を残しながらも、最終的には2兆円の定額給付金が実現しました。

 貧すれば鈍する。山口さんは12月9日投開票発言はどうするんでしょうか。きょうはもう11月8日ですが。

 きょう11月8日の衆議院本会議で、城島光力財務大臣が特例公債法案(財政運営に必要な財源を確保するための(財政法4条の)特例の公債発行法案(181閣法1号)を趣旨説明。代表質問では、中野寛成さんが「本日審議入りしたのは、ご同慶のいたり」としたうえで、「顧みれば、私がこの本会議の壇上にたった昭和52年3月4日も特例公債法案の代表質問だった。あれから35年間、残念ながら財政はますます悪化し成立させられなかったのは政治の怠慢だ」と演説。おそらくカンセイの最後の演説となるでしょうが、野田佳彦首相は「民主党を代表して、30年を超える万感の思いをこめたご質問をありがとうございました」とマイク越しに感謝を述べました。

 この後、竹本直一シャドウ財務相に続き、8月28日の本会議でまったく同じ文面の法案について反対討論をした公明党の竹内譲さんが質問に立ち、法案が成立しないのは政府与党の責任だとしたうえで、どういうわけか、尖閣諸島の用地買収について質問しました。

 この後、野田首相、岡田克也副総理(兼)行政刷新相らは午後4時45分から午後5時35分まで首相官邸で第29回行政刷新会議を開きました。この中で来週末に行う「新仕分け」で、自民党が今年度減額補正の対象として求めている、生活保護費について、保護費負担金の生活扶助、住宅扶助、医療扶助と、医療費給付費(市販品類似薬)の4分野を仕分ける方針を決定しました。が、自民党の要求と違い、生活保護4分野の仕分け結果について、今年度予算で減額補正はしない方針を決めました。野田首相、岡田副総理両者の側近で、内閣府副大臣(行政刷新副大臣)の藤本祐司さんが記者会見し、「本当に生活保護が必要な人には使っていきたい。評価人次第だが、廃止、縮減といった仕分け結果ではなく、よりよく使っていくための今後の方向性を出していく方向になると思う」としたうえで、景気対策の財源捻出のための「今年度の補正予算には使わない」として、今年度の減額補正はないと明言しました。公明党が特例公債法成立に協力する見通しとなったため、生活保護受給者が支持者に多い公明党に一定に配慮したとの観測もできます。

 さて、山口さんは来夏の第23回参院選公明党東京都選挙区候補にきょうの公明党中央幹事会で公認されました。同党には「在職中に66歳を超えない」というルールが党規約にはありませんが不文律として存在しますが、幹部なので公認されたもようです。野党のくせに解散時期に言及し、与党時代の自民党とのやりとりを暴露する山口さん。BS11インサイドアウトでは、キャスターの鈴木哲夫同局報道局長の求めに応じて、山口さんが「公明党に足りないもの」についてパネルに書きました。 山口さんは「蛮勇」と書きました。公明党には「蛮勇」が足りないとのことでした。しかし、私は長年、旧公明党、新進党、新公明党の国会・地方議員を見ていますが、その山口さんの分析は間違っています。

 今の公明党に足りないもの。それは

 「

 です。

 特例公債チキンレース。死ぬのは山口です。

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 
 


特例公債法案が実質審議入り 城島財務相G20疲れ全く見せず 財金委一般質疑

2012年11月07日 17時26分54秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散

[画像]G20から帰国直後ながら答弁する城島光力財務大臣(左)と武正公一財務副大臣(右)、2012年11月7日(水)、衆議院インターネット審議中継から。

 特例公債法案の審議がスタートしました。

 というと、報道ではあすの衆議院本会議で趣旨説明ということになっていますが、きょうは衆・委員会で、大臣所信表明に対する一般質疑があり、この中で特例公債法案(181閣法1号)の審議がされました。こういったときは、自民党や国民の生活が第一の国会対策委員長は「話題にしないように」と釘をさすことが多いのですが、そのようなことはなかったようで、話題になりました。ただ、先の国会で反対討論をした公明党の竹内譲さんは「きょうは日銀総裁に質問をさせていただきます」と切り出し、一切話題にしませんでした。

 メキシコシティーでのG20からきょう帰国したばかりの城島光力財務相の日程にあわせて、午後1時半から始まった衆議院財務金融委員会でしたが、城島さんはまったく疲れを見せずに答弁し、政治家らしさをみせました。もちろんこの直後の日本時間の午後2時にバラク・オバマ大統領がミット・ロムニー候補をやぶって再選が確実になったとCNNなどの速報が出たので、ワシントンに寄って財務長官に祝辞を述べてもよかったかもしれませんが、残り19営業日の今国会なので忙しい日程になっています。

 民主党の斉木武志さんは、財政法第4条の特例公債の発行について、単年度ごとに法案を出さなくてよい仕組みを提案しながら質問。武正公一・財務副大臣は「3党首会談で野田総理(民主党代表)は、成長・財政健全化目標入りの法案や、予算と一体的に処理する覚書を党首間で結ぶことを提案したと思う」と述べました。これについては、野田さん自らブリーフィングで話したにもかかわらず、摩訶不思議なことに現時点では、当ブログが、10月19日付エントリーで報じただけになっています。 ホントウに摩訶不思議なことです。みんなICレコーダーでとっているのですから番記者レベルではむりでも、そのテクストを見たデスクが記事にしないといけないです。それから報道にうまく乗らなければ、官邸・財務省政務三役も別の格好で発信しないといけないです。

 斉木質問のさいちゅうに駆けつけた城島大臣は「文藝春秋で佐々木毅(東大名誉教授および学習院大学)教授ら日本アカデメイアが国会改革のなかで言及した特例公債法案の処理のしかたを参考にしたい」と答弁しました。私はこの21世紀臨調(旧民間政治臨調)会長でもある佐々木先生らの提言論文を知らなかったので、近いうちに図書館でチェックしたいと思います。

 続いて、財金委の良心、自民党の山本幸三理事が登場。
 「私は腹が立っている。ホントウに特例公債法案を通したければ、内閣改造で大臣を変えないはずだ」
 「前の国会で、城島さんは民主党国会対策委員長として特例公債法案を採決し、自民党は欠席した。私はホントウは白川方明日銀総裁との質疑を予定していたのに流れたので怒っている」
 「昨年の3党合意にもとづく農業者戸別所得補償の政策効果の検証では民主党は全然努力しなかった」
 「前の安住大臣は何度も私の所に来てお願いしていたが、あなたは努力が足りない」

 と立て続けに、質疑だか言いがかりだか分からないマシンガン連射が続きましたが、城島さんはまったくたじろぎませんでした。副総理の岡田克也さんは改造翌日の記者会見で「城島さんは、彼が労働組合のトップを、味の素労働組合、食品労連でしたか、そこのトップを務めておられたころからのつき合いで、労働界でも非常に注目をされていた人なのですね」として、城島さんは「労働界のスター」だったことを披露しましたが、その一端を感じました。ただ、答弁はまだ慣れていない面が散見され、しばらくは指さし確認の安全運転がベターに思えます。

 国民の生活が第一の玉城デニーさんも特例公債法案の実質審議入りに協力。「今回の特例公債法案の中には、年金特例公債が盛り込まれているが、将来的な消費税増税が財源だ。その前に特別会計の剰余金を整理すべきだ」との考えを示しました。これに対して城島財務相は「(自公政権による2004年年金改革法の)基礎年金の国庫負担2分の1への引き上げを(恒久税源の確保がないまま)見切り発車したことで財源確保が厳しくなった」としたうえで、6月15日の3党合意を踏まえ「多くの野党のみなさんのご意見をいただいて特例公債法案に(年金交付国債を)盛り込んでいるものでございますのでぜひご理解いただきたい」としました。これは実は自公との関係であって、国民の生活が第一は関係ない話ですが、やはり1期生の玉城議員はとっさに対応はできず、そのまま次の質疑項目に行きました。

 
[画像]一般質疑のなかで、事実上、特例公債法案を審議入りさせた、自民党の山本幸三理事(左)と国民の生活が第一の玉城デニーさん(右)、2012年11月7日(水)、衆議院インターネット審議中継から。

 この後、上述の通り、竹内譲さんが登場したのですが、元気なく、日銀総裁への質疑だけで終わってしまいました。どうしたんでしょうか。何かあるんなら、竹内さんと城島さんは新進党仲間なので言って欲しかったです。これに先立つ午前中の衆院内閣委員会では、公明党の高木美智代さんが事業仕分けを批判。来週末の新仕分けについて「どう違うのか」と質問。副総理(兼)行政刷新相の岡田さんは「生活保護についても、足立区の現場をみせていただいたうえで新仕分けの対象にします」と断言。そのうえで、「①ホントウに必要な方には(支給が)行くように、②自立がよりしやすいように、という2点には十分配慮をしていきたい」として、前日のアクセルをゆるめました。高木さんも「それから障害者の方々にもしっかりと配慮するように」と③番目の配慮点を言っただけで、質疑は終わりました。このように新進党仲間のなかでも、特例公債法案に関して、政府側の答弁がそろっていることは心強く感じます。

 内閣委員会では小泉進次郎さんと岡田さんの問答が見られましたが、自公政権時代に、年金支給額への物価スライドの引き下げ自動発動を凍結したことによる特例水準を解消して財源を確保する法案をぜひ通してほしいと岡田さんがお願いしたところ、小泉さんが「特例」という言葉で「特例公債法案」のことだと勘違いしてしまうシーンがあり、経験不足がありました。また文部科学委員会では田中眞紀子文科相が新設大学3件の認可を保留していることについて、自民党議員が猛反発。が、下村博文さん、馳浩さん、松野博一さんと町村派(清和会)ばかり登場する事態となり、学校法人・教育産業と自民党政治の癒着の根深さをうかがわせる場面もありました。全般的に自民党が変わっていないと感じることが多いのが、二大政党の真価が問われる今、残念な思いがしました。

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 


岡田克也副総理「自公は社会党以下」、「国民生活に極めて大きな破壊的影響」特例公債法

2012年11月07日 06時35分00秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散

[画像]日本社会党の中央執行委員長に就任した土井たか子さんら社会党執行部、目で見る議会政治百年史から

 きょうは立冬です。

 きのうの内閣府(旧経済企画庁)の発表などによると、日本の稼ぎ頭・自動車が国内外で売れなくなっています。すでに今夏から景気が底入れしていた可能性が高いという分析がでてきました。9月中旬から10月中旬にかけて、国会閉会中にかかわらず内閣支持率が下がりつつあったのは、自民党総裁選よりも、この景気低迷が影響したのではないでしょうか。景気が悪くなれば現政権が嫌いになるのは、社会的な人間として自然の摂理です。

 けんかの強い岡田さんは、解散や会期末が近づくとキレますが、今国会も、はや残り17営業日しかありません。そろそろ特例公債法案(181閣法1号)の審議入りをしてほしいところです。

 岡田克也副総理2012年11月6日(火)午後の定例閣議後記者会見で、自民党と公明党の国会対応について、「我々も野党のときにいろいろなことをしてきましたが、特例公債法(案)を人質にとって、っそして夏までとか、この冬まで引っ張ってきたことはありません。ここまで極端なことをやっておられることについて、もうそろそろこれはいかに国民生活に大いに悪い影響を与えていることを真剣に考えていただきたい」としたうえで、

 「55年体制の社会党ですら、こういうことをやっていませんから

 と述べ、自公は社会党以下だ、と最大級の侮辱文句で批判しました。

 ただまあ、社会主義協会の土井たか子委員長は人気は別として抵抗野党として日本政治を後ろに引っ張りましたが、政権構想研究会の田辺誠委員長(現・民主党群馬県連常任顧問)は日本で最初に影の内閣をつくるなど日本政治を前に進めたと思いますが(^_-)

 そのうえで、特例公債法が成立しないことは「国民生活全体に極めて大きな破壊的な影響を及ぼすものであります。そういうことが分かっていて、成立をずっと夏から先送りしてきました」としました。

 自民党石破茂幹事長が求めている今年度予算の歳出を減額する第1次補正予算成立とひきかえの特例公債法成立アイディアについては、「農業者戸別所得補償は交付がそろそろ済んでいるのではないかと思う」とし、稲刈りが済んだ11月になってからの歳出の減額補正は遅くて応じられないとの考えを示しました。

 ただ、自民党が減額のポイントにあげている生活保護については、前日の東京都足立区の視察時に理解を示しており、この日の記者会見では「新仕分けでは成長戦略と、社会保障とくに生活保護を含む分野を対象にしたい」としました。新仕分けについては、報道では「新事業仕分け」となっていることもありますが、岡田さんの命名で「新仕分け」が正式名称です。当初は、復興予算など3本程度を対象にする予定でしたが、自民党から減額補正のポイントと出たことを配慮して、東京都足立区視察の際に、生活保護を仕分ける考えを示しました。

 法定委託事務である生活保護費について、国から自治体への支出金である生活保護費等負担金は今年度当初予算一般会計では2・8兆円で、前年度の(当初・最終補正後とも)2・6兆円から大幅に伸びています。実際には、生活保護の不正受給は増えてはいないとされていますが、高齢化と震災後不況などによる生活保護受給者の増加による自治体からの歳出圧力で増加傾向になると考えられます。生活保護費等負担金の予算書コード番号は

 12-064-03082ー2845-16

 所管が「12厚労省」、項が「番号064」、主要経費別が「03生活保護費」、目的別が「082生活保護費」、財政法公債金対象が「2非対象(税など負担)」、経済性質別が「84社会扶助給付」、使途別が「5補助金・委託費」となります。最後の2行はかつての予算コードとの比較のために残っている数字です。

 なお、減額補正や予算執行停止の対象としては、上に示した通り、農業者戸別所得補償はすでに遅く、年金給付は保険料の積立金が原資なので性質が違います。生活保護費よりも金額の削りしろが大きいものとしては、法改正が必要ですが、地方交付税交付金となりますが、民主党政権は、自治体の円滑な行政執行のために、地方交付税は、新仕分けの対象にはしない方針。

 冬来たりなば春遠からじ。

 私たち民主党は正しいことをしているのですから、まったくためらうことなく、特例公債法案(181閣法1号)を強行採決し、成立させればいいのです。なんの見返りも必要ありません。

 日本時間のきょう、アメリカの大統領、今週、中国の国家主席が決まり、ともに来年2013年1月から新体制になります。日本でも新体制をつくる準備が始まりました。

 任期末。会期末。一歩もたじろいではいけません。しょせん政治家はインテリヤクザです。ケント・デリカットさんやケント・ギルバートさんに「日本おかしいよ」と言われた幸せな時代は終わりました。私たちが日本国民が、ケント・デリカットさん、ケント・ギルバートさんのようにもっと物を言い、かつ行動しなければなりません。

 コアメンバーがしっかりしていれば、メッセージはしっかりと伝わります。

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 


新進党解党手続きは小沢一郎氏が幹事長・国対委員長・政調・総務・議員会長に伏せて進める

2012年11月06日 07時31分05秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 第41回衆院選に負けながらも新進党党首にいすわった小沢一郎氏が、新進党の西岡武夫幹事長、中野寛成・国会対策委員長、近江巳記夫・両院議員総会長、神崎武法・総務会長、野田毅・政策審議会長が知らないところで、解党の準備を進めていたという驚くべき実態が浮き彫りになりました。これは当時新進党役員だった衆議院議員が引退記者会見で明らかにしました。

 元新進党役員は「小沢さんがなぜ瓦解する方向に持っていくのか。小沢さんの調整力や心をこめたリーダーシップが発揮されない状況で、私自身なんとか最後まで守り抜きたいと、西岡武夫さん、野田毅さん、神崎武法さん、近江巳記夫さんらとひっしに策を練ったが、そのメンバーも分からないところで解党の準備が進んでいた」と語り、自民党宏池会出身で元文相の西岡武夫幹事長(故人)、民社党出身の中野寛成国対委員長、公明党出身で元科学技術庁長官の近江巳記夫・両院議員総会長、公明党出身で元郵政相の神崎武法・総務会長、自民党政科研出身で元自治相の野田毅・政審会長(政調会長)が知らないところで、小沢側近議員・秘書により分党手続きがされており、何らかの資産の移し替えがされた可能性が高まりました。

 新進党本部が入っていたビルは、そのまま自由党本部になっており、金庫の場所は変わっていないと思われます。このとき、現金の運搬が側近職員(一部故人)によってなされたとの複数の証言もあります。このときの役員名簿をみると、新進党から自由党に移籍したメンバーとしては、おもに、東祥三・筆頭副幹事長、中井洽・組織委員長、田村秀昭・団体渉外委員長(故人)、小池百合子・国民運動委員長、藤井裕久・経理局長、二階俊博・選挙対策事務局長、宮本一三・国際局長、岡島正之・地方局長ら8人の名前が浮かび上がります。これに加えて上記の西岡幹事長と野田政審会長も自由党に参加しました。それぞれの関与については不明な点が残ります。

 これまでは、公明党・創価学会からの分党圧力に小沢党首が耐えきれなくなって分党を発表したとの観測が強かったのですが、石田幸四郎旧公明党委員長にかわり旧公明党出身者トップに浮上していた神崎総務会長と、ベテランで重し役だった近江両院議員総会長が党存続に奔走して、その2人が知らないところで解党準備が進んでいたという有力証言が出たことで、小沢氏が野党第1党の金庫を私物化したのが「新進党解党の真実」だった可能性が高まりました。

 小沢一郎氏は、今月中旬にも、東京高裁での裁判にメドが立つ見通しであることから、第181臨時国会で証人喚問すべきです。

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65


「民社の理念、実現できた」中野寛成さん今期で引退を発表 50年の政治生活にピリオド

2012年11月06日 06時45分15秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]第45期衆議院限りの引退を発表する中野寛成さん、衆議院内民主党国会対策委員会室、2012年11月5日(月)、筆者撮影。

【民社党結党50年の理念を実現し、中野寛成さん、11期32年、結党以来50年の政治生活に終止符】

 「私自身50年間の政治生活にピリオドを打つ決意をしました」。

 大阪8区(豊中市)選出の衆議院議員、中野寛成(なかの・かんせい)さんが2012年11月5日(月)午後6時、衆議院内民主党国会対策委員会室で記者会見し、第45期衆議院をもって政界を引退することを表明しました。71歳、衆議院当選11回、在職32年。「在任期間のあと10ヶ月、しっかりとなすべきことをやっていく」としながら、「二大政党が政権交代をし、日米安保、国連中心主義を基軸に社会保障を安定させる。これが私の政治生活のスタートだった」と述べ、「ある程度達成できた」と満足げな表情を見せました。

 官房長官、副総理を経て、民社党を結党した初代委員長、西尾末広さんは「政権をとれない政党は鼠をとれない猫である」と語りましたが、民社党としての政権入りはできませんでした。

 中野さんは1970年(昭和45年)、関西大学在学中に学生運動に嫌気がさし、自由社会、日米安保、中産階級を重視する民社党に入党。細川内閣・羽田内閣では民社党の政調会長・幹事長として連立与党チームからバックアップし、11期目で2度目の与党に。在職31年目で初入閣。これは同じ近畿地方選出の斎藤隆夫代議士の在職32年目よりも1年早い記録となりますが、国務大臣・国家公安委員長・拉致問題担当相として「3・11」を経験しました。「与党と野党の違いは?」との記者の問いかけに「圧倒的な情報量の差だ。国政への関与のしかたは与党と野党ではだいぶ違う」と答えました。

 こちらをご覧ください。バブル後期の1990年2月の総選挙での民社党のポスターです。

 
[画像]第39回衆院選の民社党ポスター、目で見る議会政治百年史から。

 「くらし上向き実感したい。生活先進国をつくる 民社党」。

 小沢一郎幹事長率いる自民党は「世界のあこがれ 自由な日本」、土井たか子委員長率いる日本社会党は「やっぱり消費税は廃止だ 激サイティング社会党」でした。これを見ても、今の民主党の「控除から手当へ」「最低保障年金」「子ども手当」「農業者戸別所得補償」といった政策はもともと民社党が打ち出したパラダイムであることが見て取れます。

 中野寛成・新進党国対委員長が1997年1月に出版した『友愛国家の創造 二大政党制をめざして』で、「日本的保守、リベラルは世界に通用しない」と喝破。「リベラルな政治をめざす、などといっても何をいっているのか国民からはさっぱりわからないのである。もはや日本では保守やリベラル、社会主義を政治の対立軸として掲げても、国民からはわけのわからない言葉になってしまった」として、「どのような自由主義をめざすのかを選挙の争点にすべきである」と主張しました。そして、自民党・社会党の狭間で民社党は先進的な政策を次々に提唱してきたとしながらも、「民社党は政策はいいけど議員が少ないので・・・何度となく聞かされた言葉である」「民社党の政策は自民党の5年先を行っている・・・これもよく聞かされた言葉である」と述懐しています。そして、民社党の政策として、「勤労者の福祉国家の建設、行政改革の推進、階級的労働運動でない民主的労働運動、沖縄の本土なみ返還、専守防衛、自由世界の一員としての外交・防衛、君が代や日の丸の尊重、生活先進国づくり、第二地方交付税の提唱」を掲げています。

 この第二交付税ですが、「地方分権の第一ステップ」として「現在公共事業予算は各省庁別に配分しその後地方に交付されているがこれをやめて、公共事業予算は一括して地方に配分してしまおうという制度」として提唱しています。言うまでもなく、2009マニフェストの「地方一括交付金」であり、今年度予算から国交省と農水省の沖縄関係予算の根本を引っこ抜き、内閣府経由で沖縄県庁に渡しきりにしている沖縄振興交付金のことです。いわば、民社党の政策は15年先を行っていたことになります。逆もまた真なり、ですが。新聞では野党第3党だから自民党偏重報道の中で記事にならなかったけど、民社党とはこういう政党だったんですね。

【第三極は「民主政治が成熟していかねばらならない過渡的な出来事に過ぎない」と喝破】

 引退会見では大阪選出だけに第3極に自ら触れ、「第三極は私に言わせれば、第散極であり、第乱局だ」とこの日唯一のダジャレを披露しながら、「日本の民主政治が成熟していかねばならない過渡的な出来事に過ぎない」と喝破。「決められない政治に不安を持つ人が第3極に走っているが、第3極は野心の塊のような人がつくった政党に過ぎない」と切り捨て、「国民の選択の幅がある二大政党があるのは、日本の民主政治の基本なのだろう」という長期的展望を示しました。

【言わねばならないことがある!】

 中野さんは産経新聞記者の質問に答え、「日本の憲法は一言一句変わっていない憲法としては世界で最古のものとなった」として、「憲法には30万(人)近い自衛隊が重装備をしていることがのっていないのはおかしいと思います。むしろしっかりと書いて、シビリアン・コントロールの下の自衛のための軍隊として位置づけ、国家緊急権も規定すべきだ」とし、その道筋として国民投票法を制定できたことを実績に挙げました。そのうえで、「決められない政治から脱却するためには解散制度をなくすことも一案だ」とし、「時々の(衆院政局の)混乱で『解散!』『解散!』というのは議会制政治を否定するものだ」「内閣不信任案のない中で総理が解散するというのは憲法違反だと思う。あえて言えば、憲法7条の天皇の国事行為(による7条解散)はこじつけだと考える」と持論を主張しました。

 「政局よりも国民と生活を守る方が大事で、このように(予算成立から半年経った)11月になっても、(特例公債法案という)政局に明け暮れている」としました。実は、中野さんの衆議院本会議の初登壇は、当選翌年、36歳のとき、1977年3月4日「昭和52年度の特例公債法案」について代表質問しています。福田赳夫首相や坊秀夫蔵相に対して、借金のツケは若い世代が払うとして「坊蔵相が引退しても、借金は棒引きにできません」とダジャレを交えながら、ときの蔵相を批判しました。ただ、中野さんは会見で、「衆議院社会保障と税の一体改革特別委員長として129時間の審議のうえに最終的に自民党と公明党の案を丸飲みにして3党合意をすることができた」と主張し、1998年の金融国会で野党案の金融再生法案を小渕内閣が丸飲みにしたことを思い出し、「私にとって3党協議は政治生活の宿命だ」と語りました。これについて、記者からの「金融国会で政局にすればもっと早く政権をとれたのではないか」との質問に、「政局にすることによって日本の金融界をパンクさせてはいけない。私は結果として日本を守った。今でも自負しています」と自身の考えを貫きました。これについては、今でも両論が分かれるところですが、中野さんは引退会見で断言したということです。

 野田佳彦総理の「分厚い中間層の復活」については「私は中産階級に手厚い福祉国家論のことだと考えている」と独自の解釈を示しながらも、おおむね満足感と安堵感が包まれた引退会見でした。

【原爆投下直後の長崎は「地獄絵図」】

 長崎生まれ。1945年8月9日、寛成さんは母の実家にいて、爆心地からは離れていまし。しかし、原爆投下直後の「地獄絵図を見て」医者を志しました。しかし、小学校で色覚異常が見つかり先生から「カンセイ、お前は医者になれないよ」。その後、中野寛成さんは衆院文教委員を務め、現在は同じ条件でも医学部に進学できるようになりました。医師になれないことを父に相談すると「戦争をなくさないと原爆はなくならない。そういうことをする仕事で、政治家というのがあるよ」と言われ小学1年生で政治家を志しました。父の再三の商売の失敗で夜逃げした大阪。「貧乏のどん底」のなかで関西大学に進み、民社党入党。その縁で知り合った税理士で大阪府議の事務所で働きながら、25歳で豊中市議会議員に当選し、連続3期。

 「後継者という言葉は好きではない」と述べ、「総支部が選んだ後進」のめどがついたとしました。「政治は未来永劫続くので、区切りはありませんが、一つの区切りはできたと思う。後進に大いにがんばっていただきたい」と述べ、同日、大阪府連に後継の大阪8区総支部長と、第46回衆院選候補予定者の公認申請を出したことを明らかにしました。「府連から党本部に上がって常任幹事会で議長をするのは私ですから」として現役常任幹事会議長として「しっかりとルールを守らなければいけません」。衆院選に出馬したときは落選しましたが、4年後のロッキード選挙で初当選しました。そして、第43期衆議院の副議長として8月8日に小泉首相に解散されてしまい、翌日の長崎平和祈念式典に参加できず。さらには連続当選10回で、落選の苦杯をなめました。しかし、「2ヶ月後には公認されちゃったので出ることにしました」と笑わせました。

【今初めて明かされる真実】

 新党友愛の結党に関しては、吉田之久・参院議員、伊藤英成・衆院議員(全トヨタ労連)、寺崎昭久・参院議員(日産労連)の3人が新党を検討しており、「このことは私は新進党国対委員長として執行部にいたので知らなかった」としました。そして、「新党友愛の顧問になってほしい」との話があり、いったん了承したら、一晩あけて「やはり党首(代表)になって、私たちをひっしの覚悟で守ってほしい」という話に変わり、このとき川端達夫さんがいた、と語りました。これも初めての証言でしょう。「とはいえ小選挙区時代をミニ政党ではたたかえないので、参議院の仲間のことも考え、同質な人たちを糾合」して民主党を結成したと語りました。これが、今話題になっている、「民主中道勢力の結集」です。


[写真]西尾末広・民社党初代委員長、元官房長官、副総理。友愛労働歴史館の展示から。

【解散が近い秋深い夜の国会議事堂で】

  国会議事堂の秋というのは、日が暮れるのが早く、さみしいものです。ロッキード選挙で初当選したカンセイさんの実績と言えば、金権腐敗政治をだいぶマシにしたこと。そして、政策のオールラウンドプレイヤーとしてさまざまな役割を果たしたこと。しかし、政府・与党・自民党偏重報道のなかで、「野党第3党の非世襲のダジャレ」にスポットライトが当たることはついぞありませんでした。長年の報道の関係か、当選回数・勤続年数がまったく同じ元自民党国会議員が2年連続で若手・中堅に代表選に担がれたのと対称的です。長年の自民党偏重報道が、民主党国会議員にまで影響しているという恐ろしい現状に、私は戦慄を覚えざるを得ません。

 実は今回の件は、政権交代に沸き立っていた夏から秋になったころから存じ上げておりました。その一事だけでも、政治記者冥利につきるというものです。そして、その1年余りのち、在職31年目にして初入閣し、「3・11」。関東大震災のときと違い、東日本大震災では、被災地での窃盗・性犯罪は増加してしまいましたが、治安・秩序の乱れはありませんでした。議会の子、中野寛成。さっそうと国会を去っていきます。私ももう、衆議院のことを手取り足取り教えてくださり、私の見立ての甘さを叱ってくださる先生がいなくなってしまいます。第46期衆議院で、独り立ちできるかな。それとも。様々な想いが去来する晩秋の漆黒の国会議事堂の闇でした。

 寛成さんは衆院選初出馬で落選したとき、半ば人間不信になり、もう政治を辞めようかと考えたことがあったようです。そのとき、奥さんが「子供の頃からの夢を投げ出してはいけない」と叱ってくれて再挑戦を誓いました。寛成さんは引退会見での自らの冒頭発言を晴れ晴れとした表情で、次のようにしめくくりました。

 「ここまで政治家としてやってこれたのも妻のおかげでありますが、平日にこうして東京に出てくると、糟糠の妻の介護ができません。妻のもとに戻るときですし、私も妻とともに第二の人生に出よう、というのが今の心境です」。

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65


細川門下2人が対決 20年前と変わらぬ「鄙の論理」 野田・松野問答

2012年11月05日 09時45分39秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散


 「私は、かつて参議院議員として国政に参加しておりましたが、どんなに頑張っても容易に変わらない永田町の論理に辟易しました」「国が変わらないのなら、地方から変わってみせると決意し、故郷熊本の県知事になったのは昭和58年のことでした」。

 このセリフ、例えば、蓮舫さんや舛添要一さんらが都知事選(2012年12月16日投開票)の出馬会見で言いそうにも聞こえますが、書いてあるとおり、30年前の昭和58年1983年のバブル初期の話です。

 細川護煕さんの21年前に書いた初の著作、『鄙の論理』(ひなのろんり)の書き出しです。「鄙」とは、鄙びた(ひなびた)温泉宿のように「田舎(いなか)」という意味です。地方自治を語るときに時々混乱するのは、中央と地方といった場合には、地方交付税不交付団体の東京都庁も入るわけですが、この辺の混同も懸念したうえで、「いなか」というと角が立つので、「鄙の論理」としたのではないでしょうか。

 この本では、2期8年で熊本県知事を勇退して「地域コンサルタント的仕事をしてみたい以外は今後のことは白紙」とした細川さんは翌年春、文藝春秋で「自由社会連合」を発表。すぐさま「日本新党」に改名して、第16回参院選に比例代表単独(当時は拘束名簿式)で出馬。この選挙は東京サミットのさいちゅうに開かれたこともあり、宮澤自民党が勝利。平成において与党が参院選に勝ったわずか2回のうちの1回ですが、日本新党も細川さん、小池百合子さんら4人が当選し、ブームとなりました。

 第16回参院選と、翌年の「あの夏」第40回衆院選(宮澤嘘つき解散)で私たち改革派がよく聞いた街頭演説は「バス停を動かすにも国の認可がいる」。このエピソードの元ネタは、この「鄙の論理」のはじめにでてきます。

 この中で、細川さんは「熊本から飛行機で1時間30分、参勤交代ではないのですが知事というのはしょっちゅう東京へ行きます」「東京詣の最大の原因は、諸々の許認可の8割近くをいまだに中央が握っていて、バス停を10メートル移動させるのも、小さな公民館1つ立てるのも、中央政府のお墨付きをいただかなくてはならない仕組みになっているからです」としています。

 これは、私も大ファンだったNHK「クイズ面白ゼミナール」「歴史への招待」「NHK紅白歌合戦」でおなじみの鈴木健二アナウンサーが1988年にNHKを退職した後、細川知事が熊本県立劇場の館長に就任してもらったということで、このときは、大きな話題になりました。その鈴木館長が、「玄関の真正面にあるバス停が景観を損ねているので移動したい」と知事に求め、知事が「ただちに移動するように」と指示したところ、県庁内の担当者から「バス停というのは、バスの運行距離と密接な関係がありまして、バス停を動かすと運行距離が変わり運賃が変わる場合がありますので、運輸省の許可が必要なんです」と言われた。実際には10メートルの移動なら、運賃に影響がないので許可ではなく届け出で済んだそうです。この辺は当時の街頭演説で使った弁士の中にも多少の理解不足があったかもしれません。とはいえ、届け出制とはいえ、実際に動かせたのは半年後だったということで、当時の運輸省の怠慢ぶりには辟易とします。そして、この直後に局は違いますが、日本航空機墜落事故で航空・鉄道事故調査委員会(国土交通省運輸安全委員会に改称)がアメリカ・ボーイング社による圧力隔壁の修理記録を隠すという暴挙に出て、人命を犠牲にしたうえで日航を助け、その日航も倒産しました。多大な人命と国益の損失です。

 細川さんは朝日新聞記者を経て、経世会(自民党竹下派)から保守系無所属(自民党公認漏れ)で中選挙区熊本1区に出馬したものの惨敗。参院熊本選挙区で議席を得て、2期当選し、熊本県知事に転じて2期8年。そして、参院全国比例で当選し、小池百合子さんとともに、衆院に転じました。この衆院選の公募候補のうち、第1次公認が出た4人が野田佳彦さん、河村たかしさん、牧野聖修さん、石井紘基さん(故人)です。このとき、長年熊本1区で自民党衆院議員を務め、前回落選後に勇退した松野頼三さんの後援会から支援をうけて、細川さんは22万票という地滑り的圧勝し、第2党以降の連立ながら初当選と同時に細川内閣が発足します。そして、細川・羽田内閣総辞職、新進党結党を経て、政権構想会議議長として1998年4月、民主党結党を見届けて議員辞職。このときの小選挙区熊本1区補選が民主党初の国政選挙でしたが、後継指名を受けた民主党公認の松野頼久さんは、「やはり松野家と細川家に密約があったのか」「大政奉還ではないか」との批判を浴び、自民党前県議の新人候補に敗れました。しかし、第42回衆院選後は、小選挙区4連勝をしており、九州では数少ない民主党のテッパン選挙区となりましたが、このたび民主党を離党し、橋下徹・大阪市長が率いる「日本維新の会」の国会議員団代表に就任しました。

 さて、この日本新党衆院1期生の野田佳彦首相(民主党代表、当選5回)と、日本新党職員出身ながら初の民主党国政選挙公認候補でもあった松野頼久・日本維新の会国会議員団代表(当選4回)という細川門下2人による初めての「野田・松野問答」が2012年11月1日(木)の第181臨時国会の衆議院本会議代表質問でありました。

 松野さんは「我が国は今、明治維新、終戦につぐ時代の大きな転換点に立っています。(第45回衆院選で)国民が期待したのは140年にわたる中央集権や官僚主導政治を変えてほしいとの思いです。中央集権を前提とした自民党政権には統治機構を変える力はないので、政権担当能力には不安はあるが、民主党に1度やらせてみよう、との思いです」と分析しました。



 そして、日本維新の会(にっぽんいしんのかい)について、「代表の橋下徹が大阪府知事だったときに大阪府と大阪市の二重行政を断ち切るために、自ら市長選に出たのが立党の原点だ」と説明しました。これに関連して、報道によると、橋下大阪市長は、この質問演説の内容を事前にすりあわせていたとして、大阪市の声がダイレクトに国政に反映したのは画期的だ、松野議員は首相候補だ、という趣旨の発言をしたように報じられています。ということは、橋下市長は残り任期が3年間あるので、第46回衆院選には出馬しないということなのでしょうか。

 本会議場に戻って、松野さんは「日本は瀬戸際まで来ており、グレートリセットが必要だ」として、道州制を導入するように求めました。

 これに対する野田さんの答弁。「地方自治は受益と負担がイチバン見える基礎自治体が担うべきで、すなわち市町村に権限を集中すべきで、できない分を広域自治体が補う」との国のかたち、いわゆる補完性の原理を提示し、松野提案と一線を画しました。そのうえで、「基礎自治体が足りない分を道州制が担うことは将来的な検討課題だ」としました。



 これは総理が言うとおりで、道州制というのは、大阪府、大阪市にとって有利なシステムです。なぜなら、大阪府の負債残高は5兆円を超えており、大阪府の税収増や歳出減では絶対に解決できない危篤状態にあります。ですから、道州制ということで、その負債を薄めて、国からの財源(地方交付税交付金や税源移譲)に頼るしかない状況です。そのうえで、比較的文化的・経済的・人的な交流が太い近畿圏、具体的には、大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山を包括する格好で近畿州をつくる。そうすると、各5県のうち、損をする県はほとんどないことが可能になります。なお、たまに「関西」という言い方をする人がいますが、関西といった場合は、福岡県も関西になるので、近畿と呼ぶべきです。このような道州制が可能なのは、近畿、九州、中国・四国、北東北などに限られ、中部地方の、静岡県、岐阜県、長野県などでは不可能です。さらに、関東州となると、東京一極集中が進みながら、税財源は周辺に流れる格好になるので、これもできるわけがありません。そして、近畿州構想を経済界でもっとも推進してきたのは誰かというと、松下幸之助・パナソニック創業者です。すなわち松下政経塾の創設者でもあり、松下政経塾は長年道州制を主唱していましたが、野田総理にしろ、玄葉光一郎外相(元民主党分権調査会長)にしろ、基礎自治体強化の考え方です。現在の民主党マニフェストの地方分権に対する考え方はおもに玄葉さんがまとめたものという認識で良いと思います。

 野田さんは著書「民主の敵 政権交代に大義あり」の中で、「本来は衆議院が小選挙区制と導入したときに、地方分権をセットでやるべきでした。あのときセットで分権ができなかったために、せっかく小選挙区=二大政党政治=政権交代が可能な政治を目指しながら、地元の陳情などで忙殺される人がいまだに多いのです」としています。実際には、2000年に地方分権一括法が施行されたので、私と野田さんの認識は違います。私は2000年からここまで、地方分権が進んでいないのは、不況による自主財源難が最大の理由だと考えています。よく地方議員で自らの自治体での活動を卑下して、国会議員を目指す人がいます。しかし、横を見ることも大事です。例えば不交付団体の自治体では、単独事業、市単は充実しています。私は日産自動車系部品メーカーからの税収などで長年不交付団体である厚木市を月に1回程度でしたが、3年半取材し続けましたが、幾たびに右翼に街宣されていました。右翼としてもお金があるところに集まるのでしょう。職員は比較的のんびりしていて、非常勤(と思われる)市長室受付の20代前半の女性職員に「あれなんですか?」と聞くと、「右翼ですよ」とやさしく応答してもらいました。またハーモニカ産業が盛んだということで、「ハーモニカの街」を打ち出すことになった市長記者会見で、日本を代表するハーモニカ奏者が自ら演奏しながらPRして、後で名刺交換したら私の実家のすぐ近くで、平成不況の中、景気のよい街まで演奏しに来ているのだなと遠い故郷に想いを馳せました。市長は長嶋茂雄さんと同級生だそうでいつもその話をしていました。厚木市は、他自治体とは別の明るい世界でした。このように、国に恨みを持つ地方議員は、財政力指数の高い自治体を訪問してみると、実は違うところに問題があることに気付くでしょう。ただし、不交付団体はほとんどないのが現実です。鄙の論理は20年経っても残り続けています。

 野田さんは「民主の敵」の中で、松野さんについて書いています。「松野頼久衆院議員が取り上げたのは空港整備特別会計です」「この会計の中から松野議員は空港内の有料駐車場の運営に絞って質疑を行い、国土交通省所管の天下り財団が独占的かつ過分に利益を上げている実態を明らかにしました」と褒めています。

 空港整備特別会計、いわゆる空整特会(くうせいとっかい)は運輸省所管ですが、実際には大蔵省(財務省)がかなりコントロールしており、「打ち出の小槌」と呼ばれ、税収難の年には空整特会から突然、一般会計の歳入が出てくることがよくありました。そのため、この狭い日本列島に100以上の空港ができてしまいました。これからどうやって、整備・運営していくのでしょうか。運輸省が日本に残したツケは、多大です。民主党政権が泥をかぶって、消費税を増税しましたが、自民党政権によるツケは900兆円です。

 こちらをご覧ください。


[画像]第16回総選挙の各党ポスター(目で見る議会政治百年史から)。

 第16回総選挙のポスターですが、政権準備政党の民政党は政友会は「見栄を張って借金をして政府を運営しているが内面はこの通り」「民政党は政権を取れば整理緊縮財政をとりながら内面は堅実な政府をつくります」として政府に対するネガティブキャンペーンを張りながら、政権交代を訴えています。ときあたかも、日露戦争から20年。バブルがはじけながら不況ながらも大正デモクラシーという成熟した経済・社会を迎えていたことを感じさせます。一方、政府・政友会は「中央集権は不自由なもので、自立した行政が行えなくなります」「地方分権は丈夫なもので一人歩きで発展します。地方に財源を移譲すれば自律的な経済発展が可能です」と訴えています。すなわち、政府・政友会は、中央集権か地方分権かを訴えているだけで、政友会と民政党の対立軸の提示からは避けていることが見て取れます。

 このように、中央集権か地方分権かは、87年前の総選挙でも争点でした。なぜ、このようなことになるかというのは、政党や議会政治は、薩摩・長州による明治維新における負け組がつくったものであり、二大政党がともに中央集権ではなく地方分権論者であったことは当然です。そして、この選挙で友愛会の創設者である鈴木文治をはじめとする無産階級者が初めて議員となりましたが、太平洋戦争後に一気に勢力を伸ばして日本社会党をつくります。これに対する対抗手段として自民党が生まれ、中央集権による利益の分配の政治システムをこしらえ、現代にいたるわけです。そして、不況のために利益の分配が機能しなくなりつつあり、民主党政権となり、事業仕分けをしているわけです。

 1985年がプラザ合意、バブルの頂点でしたから、歴史観という意味では、1991年の細川護煕さんの鄙の論理、1992年の日本新党、1993年の細川内閣、1994年の新進党結党と極めて正しい歴史認識できたことが分かります。そして、1995年の阪神・淡路大震災で不幸中の幸いで、日本が明治維新前の幕藩体制に近い国のかたちに戻ることが可能でした。それを阻害したのは、一つは鄙に住む人がテレビジョンを見すぎていたということ。それとテレビジョンでニュースが放送されなくなる1997年12月28日というタイミングで小沢一郎氏が新進党を解党したことです。細川さんは密約があったのかもしれませんが、比例単独という手もあるのに、還暦を理由に自ら議員辞職してしまいました。細川さんもまた、小沢一郎氏の被害者の一人です。

 山口県(長州)出身の安倍晋三さんに地方分権ができるかと言えばできません。能力本意ではありません。長州出身者に地方分権は絶対にできません。安倍議員とかそういう問題ではありません。日本の歴史に叛くものです。今回橋下さんは今後も橋下市長が東京に連絡し、国会議員団がダイレクトに国会に意思を反映させるシステムをつくりました。インターネットの時代だから可能になったもので、日本の歴史上初めてでしょう。このシステムを活用することが地方分権につながります。それが鄙の論理からの再スタートの第一歩です。

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65
 
  


「どうぞ厳しい声をください。すべて受け止めます」野田佳彦

2012年11月03日 10時05分37秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 細川護煕さんは『内訟録』の最後のインタビューで、日本経済新聞の伊集院敦記者の「2大政党化で影の内閣が普通になり、以前に比べて専門知識を持つ若手議員も多くなってきました」との問いかけに、「しかし、登用する人材は専門家である必要はまったくない。つまるところは肚がすわっているどうかだけなんですよ。やることは断固としてやるという私心のない人が、5、6人いたら、大抵のことはできる。必ずしも300の小選挙区から上がってきた人の中から選ぶ必要もない」と語っています。

 野田佳彦さんは、松下政経塾1期生であり、日本新党公募新人の第1次公認(他に河村たかしさん、牧野聖修さん、石井紘本井さん)の1人です(他に小池百合子さんが先に参議院議員に当選)。民主党のなかには、驚くべきことに、「野田さんは駅前演説ばかりしていて、(野党期は「次の内閣」、与党期は「政策調査会」の)朝の部門会議に出てきていなかったから総理大臣がうまくできない」と平然と言う議員がありますが、そんなものは、自分で本を読んだり、衆議院調査室・国立国会図書館から資料をもらったり、役所からレクチャーをうけて自分で勉強すればいいだけの話です。

 きょうの新聞各紙には野田さんの肚がすわった全面広告がありました。

  

 政策進捗報告会ということで、日程が重なっているので、全部野田さんが出るわけではないでしょうが、説明し、意見を聞くことになりました。ちなみに、どこにもマニフェストという言葉はありませんが、野田さんは2003年にしろ、2009年にしろ、マニフェスト作成時には、党内非主流派でしたから、やむを得ないでしょう。「個別に連絡がない」と怒る人もいるかもしれませんが、若い組織ですから私たちが育てていかないといけないし、それだからこそできる「事業仕分け」でもあります。すべての民主党員・サポーターが参加し、忌憚のない意見をぶつけましょう。

 いずれにしろ、選挙はもうすぐです。次の闘いこそ、私たち党員・サポーターの志と足腰が試されることになります。冬来たりなば春遠からじ。

民主党政策進捗報告会のお知らせ

民主党ホームページから引用はじめ]

○開催日程

<北海道> 11月11日(日)13:00~ TKP札幌ビジネスセンター赤れんが前
<宮城> 11月17日(土)15:00~ KKRホテル仙台
<埼玉> 11月10日(土)13:30~ ※会場調整中
<神奈川> 11月18日(日)13:00~ 横浜市教育会館
<東京> 11月11日(日)13:00~ ベルサール汐留
<石川> 11月18日(日)13:00~ ホテル日航金沢
<愛知> 11月11日(日)13:00~ TKP名古屋駅前カンファレンスセンター
<大阪> 11月10日(土)13:00~ 新梅田研修センター
<広島> 11月18日(日)13:00~ 広島県立広島産業会館
<香川> 11月17日(土)13:00~ ホテルパールガーデン
<福岡> 11月10日(土)13:00~ 福岡ファッションビル

 

○プログラム

政策進捗報告/20分
質疑応答/120分
※当日の進行状況により時間が変動する場合がございます

○申し込み締切

11月10日(土)、11日(日) 開催 ⇒ 11月 6日(火) 18:00締切
11月17日(土)、18日(日) 開催 ⇒ 11月13日(火) 18:00締切

○申し込み受付について(一般参加)

    • お申し込みは「本申し込み受付フォーム」及び「FAX」からの登録のみ有効となります。
    • 一度に複数人数をお申し込みすることはできません。
      お一人様ずつお申し込みをお願い致します。
    • 開催日、地域、時間は変更となる場合がございます。
    • お申し込み人数が定員に達した場合は抽選で当選者を選出させていただきます。
    • 当選者にはご登録いただいたメールアドレスに参加証を送付いたします。
      ※ご当選されたご本人様のみ入場可能となります
    • ご当選された後の参加会場の変更はできません。
    • 一般参加の方が取材受付よりお申し込みされた場合、ご参加いただくことはできません。
    • 当日は各会場にて手話での通訳を実施いたします。
    • 手話通訳が必要な方は、当日受付時にお申し出ください。

 

      【FAXからお申し込みの場合】 FAX番号:03-6862-5491

 

      参加を希望する「開催場所」、「氏名」、「性別」、「年齢」、「職業」、「住所」、「連絡先(受信可能なFAX番号/電話番号)」、関心のある政策テーマを明記してください。ご登録いただいたFAX番号に参加証を送信いたします。

 

    ※FAXでお申し込みの場合は落選の通知は行いませんのでご了承ください。

 

○「民主党 政策進捗報告会」 お問い合わせ事務局

電話番号/0570-043-333
開設期間/11月2日(金)~11月18日(日)
受付時間/10時~18時

※お問い合わせ事務局では、本政策進捗報告会についてのご質問以外は、お答えすることができませんのでご了承ください。

(報道機関の取材申し込みについても、本サイトからのお申し込みとなります。)

[引用おわり]

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65 


2月6日の脇雅史さんの参議院の声、ダイレクトに 「内閣官房と内閣府」見直しを閣議決定

2012年11月03日 09時02分06秒 | 第180通常国会(2012年1月~9月)一体改革

[写真]参議院自民党の脇雅史さん。

 ことしの国会は、戦後2度目の「4次補正」から始まりましたが、その2012年2月6日(月)の参議院予算委員会での自民党と民主党の質疑がダイレクトに国政に反映されています。

 政府は、11月2日(金)の閣議で、「内閣官房と内閣府」の関係について整理することを決めました。これは2月6日(月)に参議院自民党の脇雅史さんがトップバッターとして、質問した項目で、野田内閣は内閣法制局長官も含めてやられっぱなし。この脇さんの質疑は、私が民主党第1次与党期の答弁で、もっとも失望を覚えた問答でした。野党時代から、内閣官房と内閣府の違いを理解していない民主党議員がいるとこのブログで指摘してきました。今までこのブログでは具体名に言及してきませんでしたが、それは山田正彦議員です。ところが、年の初めの脇質問では、野田佳彦首相、枝野幸男経産相(前官房長官)ばかりか、藤村修官房長官、岡田克也副総理、古川元久国家戦略室担当大臣に加えて、ついには山本庸幸・内閣法制局長官がまるっきり答弁に立ち往生するきりきり舞い。私は3・11の一つ前の内閣改造で、山田農相が閣外に去ったことで、3・11の危機管理能力は高まったとばかり思っていたのですが、当時の官房長官を含めて、内閣官房と内閣府の違いが分かっていないようでは、危機管理がうまく行くわけがない。その状態で原子力発電所が爆発したのかと思うと、戦慄を覚えざるを得ない脇質問でした。

 この後、脇さんは2012年国会において、ご存じの通り、絶好調。野田内閣も社会保障と税の一体改革法を成立するという偉業を国会ではなし遂げましたが、官邸や霞が関ではどうなっているのか。なかなかハンドリングが出来ていないのではないかと推察せざるをえません。

 岡田副総理は、閣議後の定例記者会見で、内閣官房と内閣府の見直しが、2月の国会質問に基づくものだと認めました。ところで、藤村官房長官と岡田副総理が見直しについて答弁したと言及しましたが、私が議事録を見た限りでは、きりきり舞いになっているだけで、見直しを答弁したことはないようです。「子供の頃から親から絶対に嘘をつくなと言われて育ってきたので政治家にしては珍しく嘘がつけない」(日テレ番組で村尾信尚キャスターのインタビューへの答え)岡田さんなので、他の質疑者に「見直し」を答弁したのかもしれませんが、脇質問を読み限り、逆ギレしているだけにしか思えません。

 ところで、2月6日の同じ質疑の中で、民主党議員では唯一岡田さんの高校後輩にあたる梅村聡さんが生活保護の不正受給防止のために、自治体が申請者の財産把握のために、銀行に口座の一括照会ができるよう要望しました。これは12月から実施される運びとなりました。ところで、生活保護者は増えていますが、不正受給は増えていないそうです。私も「不正受給数は年々増えている」と思っていましたが、これは「生活保護者数と不正受給に関する報道量が増えている」ことによって生じたイメージギャップのようです。これは政治を見る眼を曇らせる可能性があり、注意が必要です。梅村聡さんは来夏の大阪選挙区で改選になります。3人区から4人区になる可能性がありますが、大阪選挙区選出でこれに言及したの勇気があるとも言えるし、中選挙区の強さとも言えます。梅村聡さんは野田第3次改造内閣が厚生労働大臣政務官になり、この日の衆議院厚生労働委員会で「参議院議員ですので、衆議院で答弁するのは初めてです」としながらも、2月の政府外議員としての提案を12月から政務三役として実施するという責めを負いました。


 脇質問では、国家戦略室が法律どころか政令でも内閣官房に位置することが定められていないことが明らかになりました。橋本行革以降の「官邸主導」は大幅に前進し、三木武夫首相が「官邸は5人だけで動いている」(筑紫哲也さんのインタビューへの答え)状態からは、小泉純一郎首相時代に大幅に前進しました。しかし、脇さんも「これは民主党内閣になってからだけじゃない。自民党の終わりのころから内閣官房とか内閣府がたるんでいるんですよ」との指摘通り、内閣官房の「室長」「本部事務局長」や内閣府の「政策統括官」「所長」など、実際には「局長」であり、ラインであるのに、国家行政組織法第23条「官房および局の数は96以内とする」の抜け穴となってきました。内閣官房から内閣府に移せばいいという問題でもありません。首相官邸隣には、内閣内政審議室、内閣情報調査室、旧沖縄開発庁が入居していた内閣府本府ビル(旧総理府本府ビル)があり、高層ビルに建て変わります。現在は7階建てだと思いますが、20階建て以上になるようです。空間の拡大を機に、内閣官房から内閣府に移ることで生き残ろうとする組織もあるでしょうが、一つの省に戻すべきです。その一方で、内閣府経済社会総合研究所は、「内閣府経済企画庁」として人員を増やして、官庁エコノミストを復活すべきです。世界恐慌の今、民間エコノミストは銀行・証券・保険会社の社員ですから、「復興需要がある」などとして必ず高めの成長予想を出します。不況だからこそ、官庁エコノミストによる分析、予想が必要です。

 このように内閣官房・内閣府は時代とともに、内閣とともに変化すべきです。硬直した組織はいりません。

 そのためには、すべての未入閣議員は、内閣法、行組法、各府省設置法、国家公務員法を熟読し、理解すべきなのです。

国会議事録データベースから引用はじめ]

第180回国会 予算委員会 第3号
平成二十四年二月六日(月曜日)
   午前九時開会
○委員長(石井一君) 平成二十三年度一般会計補正予算(第4号)、平成二十三年度特別会計補正予算(特第4号)、以上二案を一括して議題といたします。
 これより質疑に入ります。脇雅史君。
○脇雅史君 いよいよ参議院の予算委員会の総括質疑ということで、今日からあしたの午前中まで、やや長丁場でございますが、野田総理、どうぞよろしくお願いをいたします。そしてまた、閣僚の皆様方も、やや長いですけれども、途中で行方不明になどならないようにしっかりとお願いを申し上げます。
 野田総理は、年が明けてから、この日本の難局を乗り切っていくに当たって正心誠意、不退転の決意でやっていくんだと再三述べられておられまして、私どももお聞きをいたしておりまして、その決意のほどはよく感じることができます。しかし、決意が幾ら良くても、中身がなければしようがないんですね。正心誠意とおっしゃいますが、残念ながらその誠意の方は私どもの方に伝わってこないんです。
 例えば、お辞めになった山岡前大臣、立派な方だと思うんですが、しかし、誰が考えても消費担当大臣、消費者庁の担当大臣、これはどう見ても適材適所ではないんですよ。それは多くの方に聞いても皆さんそうおっしゃいます。しかし、野田総理はずっとそれは適材適所だと言い続けておられた。そこに言葉の誠が見られません。
 また、この間の本会議での我が党の中曽根会長の質問に対して、それは総理の民主党大会における参議院に対する発言でございますが、おかしいのではないかということについても一切誠意ある回答は見られませんでした。ですから、なかなか信じられないんですね。
 これは野田総理だけではなくて、民主党の歴代の総理の方々、みんな言葉が軽いといいましょうか、言葉が躍っているように思えます。例えば、CO2を二五%削減するとか、あるいは脱原発だとか、どんどんどんどん言葉だけ出てくるんです。本来、結論が先にあるのではないのです。しっかりと内部で討論をし、議論をし、吟味をして、そして我が国の取るべき方向を定めていく、そしてしかるべき手続を取って進めていくというのが本来の姿なんですが、最初の言葉だけなんですよ。だから、幾らしゃべっていても信頼できない、そういうことが民主党の基本的な体質にあるように思うんです、失礼ながら。
 そこで、私もこの二年半の皆様方の様々な言動を本当に疑問に思うことが多いんです。今日は一つずつそれを検証していきたいと思っています。私の後に、次が林先生、礒崎先生、片山先生ということでだんだんに予算については質問をしてまいりますが、私は今申し上げた点に絞って質問させていただきますので、よろしくお願いいたします。
 そこで、まず憲法でございますが、総理、御就任なされてから憲法は何度ぐらいお読みになっていますでしょうか。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 全体を読んだということはありません。ただ、折につけ必要な条文を確認をしたということはありました。
○脇雅史君 お忙しいですから、全部読むなんということはあり得ませんし、問題になったときにお読みになればいいと思うんですが。
 それでは、憲法七十三条はお読みになっていますか。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 読んでおりません。
○脇雅史君 七十三条というのは実は大変大事な条文だと思っているんですが、法制局の方、ちょっと読んでいただけませんか。私は資料一でお配りしてありますので皆さんには分かるんですが、ラジオをお聞きの方もおられるでしょうから、七十三条を読んでみてください。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。 一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。 二 外交関係を処理すること。 三 条約を締結すること。但し、事前に、」、以下、省略いたします。「四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。 五 予算を作成して国会に提出すること。 六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。」、以下、省略します。「七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。」でございます。
○脇雅史君 ありがとうございました。
 その今の第一項は、特に第一号は「法律を誠実に執行し、国務を総理すること。」。誠実に執行するということを、総理、どのように解釈されていますか。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) まさに、文字どおり法律に基づいて誠実に執行するということを心掛けるということであります。
○脇雅史君 それでは、内閣法はお読みになっていますでしょうか。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 内閣法個別の条文云々ではなく、全体を読んでいるということではございません。
○脇雅史君 憲法は、法律を誠実に執行しろと言っているんですね。法律を読まずに誠実に執行することは可能なんでしょうか。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 内閣が行う仕事はたくさんあります。いろいろ個別法に基づいて、もちろん上位法である憲法に基づいた個別法に基づいて内閣として仕事をしてまいりますが、私がその一つ一つの仕事の法律の裏付けを全部読んで対応するんじゃなくて、それぞれの担当の閣僚あるいは政務三役あるいは各府省が法律に基づいて仕事をしているというふうに思います。
○脇雅史君 内閣法に言う主任の大臣はどなたか総理は御存じなんでしょうか。いや、知らなかったら知らないでいいですよ。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 内閣総理大臣だと思います。
○脇雅史君 そのとおりですね。
 それでは、内閣府の設置法はお読みになったことはありますか。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 内閣府設置法全体を読んだということはありません。
○脇雅史君 内閣官房の主任の大臣も総理大臣、それから、お読みになっていないとおっしゃっているんで、それは御存じでしょうから、内閣府の主任の大臣もやはり総理大臣ですね。
 では、一般の方々は内閣官房って一体何するんだろう、内閣府って何するんだろうと思われると思うんですが、総理は内閣官房と内閣府をどのように使い分けていらっしゃるんでしょうか。
 総理にお聞きしているんです。総理が主任大臣なんだよ。(発言する者あり)
○委員長(石井一君) それじゃ、まず……(発言する者あり)いや、まず答弁して、答弁して。
○国務大臣(枝野幸男君) 法令解釈担当大臣も命じられておりますので、法令解釈担当大臣としてお答えを申し上げますが、内閣の総合調整にかかわる役割のうち、一定の恒常性を持つものについては内閣府において、そしてアドホックなものについては内閣官房において主に処理するという使い分けがなされております。(発言する者あり)
○委員長(石井一君) ちょっと、ちょっと帰ってくれ。ちょっと、ちょっと待ってくれ。(発言する者あり)答弁しますか。(発言する者あり)
 それでは、恐縮ですが、議場整理のため、脇雅史君、もう一度御質問願います。
○脇雅史君 私は法令解釈をお尋ねしているのではありません。総理がどのように運用されているかをお聞きしているんです。内閣官房と内閣府をどのようにお使い分けなされているかということです。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 私の頭の中では、内閣府の中にはそれぞれの所掌、分掌があります。必要に応じて総合調整しなければいけないようなときは内閣官房に仕事を負わせると。例えば行政改革全体等は内閣府でやっていました。行政刷新は官房の事務が担当したりと、そういう何か使い分けをしてきているというふうに思っております。
○脇雅史君 内閣官房と内閣府と似たような仕事を大変な人数を掛けてやっていらっしゃる。それをうまく使いこなすにはきちっとした理念が要ると思うんですね。元々、法令上の決まりはあるんです。決まりに基づいてしっかりやってほしい。現実にしっかりやっていないように見えるから、私は申し上げているわけであります。
 それでは、少し具体例に行きます。
 国家戦略室ですね、国家戦略室はどこにある組織ですか。
○国務大臣(古川元久君) 内閣官房に設置されております。
○脇雅史君 それでは、内閣法の二十二条、ちょっと読んでいただきたいんですが。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 二十二条でございますが、「内閣官房の所掌事務を遂行するため必要な内部組織については、政令で定める。」ということです。
○脇雅史君 それでは、国家戦略室は政令で定まっているんですか。
○国務大臣(古川元久君) お答えいたします。
 政令で内閣官房組織令というのがございまして、そこの第十二条に「この政令に定めるもののほか、内閣官房の内部組織に関し必要な細目は、内閣総理大臣が定める。」となっておりまして、この内閣総理大臣決定によって戦略室が設置をされております。
○脇雅史君 細目なんですか、この戦略室というのは。細目で定めるものなんですか。いいかげんな答えはやめてくださいよ。
○国務大臣(古川元久君) これは、ちゃんと法令に基づいて、そして政令に基づいて総理の決定できちんと定められているというものでございます。
○脇雅史君 資料二にこの内閣官房の組織図、これはホームページから取ったものですね、立派にその国家戦略室というのが上から二番目に書いてありますよ。これが細目なんでしょうか。大体ここで黄色で書いてあるやつは、これは政令で書いてあるわけですね。このまさに国家戦略室は政令で定めるべきものだというふうに見えますね。
 要は、先ほどの、憲法で誠実に法律を執行しなさいと言っているわけです。それは、内閣法できちんと政令で定めなさいと書いてあるんだから、素直に読めば、誠実に読めば当然政令でやるべきでしょう。へ理屈で国家の運営をやってはいけないんですよ。あなたの言うのはへ理屈なんだよ。
 総理、どうですか。
 あなたは主任大臣じゃないんだから。
○国務大臣(古川元久君) へ理屈というんじゃなくて、これは委員、大変恐縮でございますが、そういう細かいことで言われるわけじゃなくて、これは全体として内閣として決めた話であって、別に法令に反しているような話ではございません。
 逆に言うと、もう少し中身の話で是非議論をしていただきたいと思います。(発言する者あり)
○委員長(石井一君) 何か総理、補足しますか。(発言する者あり)
 速記を止めて。
   〔速記中止〕
○委員長(石井一君) 速記を起こしてください。それじゃ、古川担当大臣、もう一度。
○国務大臣(古川元久君) ちょっと言葉が過ぎたかもしれませんけれども、ここの部分は法令に反するものではなくて、きちんとそれは法令に基づいて総理大臣決定によって設定をされたというものでございます。(発言する者あり)
○委員長(石井一君) 古川国家戦略担当大臣。
○国務大臣(古川元久君) 言葉が過ぎた部分はおわび申し上げます。
○委員長(石井一君) 脇君、質疑を続行してその点を指摘してください。
○脇雅史君 私は総理にお聞きしているんですが、今のように、法律の体系というのは法律があって政令事項があって規則があるんです。政令に定めたものの中で規則に委ねるものは書いてあるんです。政令で定めるべきものを細目といって規則で決めるなんてことはあり得ないんですよ。あなたの答弁は全く間違っています。これはささいなことではありません。法治国家としての原点です。
○国務大臣(古川元久君) 言葉が過ぎた部分はおわびを申し上げますけれども、これは法令に基づいてきちんと内閣総理大臣決定によって設置をされた組織であるということであります。
○脇雅史君 総理大臣がこの組織を決める権限はないんです。総理。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) この国家戦略室の設置根拠は、先ほど古川大臣が御説明したとおり、内閣法二十二条及び内閣官房組織令十二条の規定であります。十二条の規定は、「この政令に定めるもののほか、内閣官房の内部組織に関し必要な細目は、内閣総理大臣が定める。」と書いてありますが、これを根拠にして国家戦略室をつくりました。ここで方向性が出る国家戦略についての方向性については、最終的には閣議で意思決定をいたします。閣議で意思決定したものについては個別の省庁が法令に基づいて対応するということでございますので、私は問題はないというふうに理解をしております。
○脇雅史君 もうあきれて物が言えませんね。全く解釈論が間違っています。
 それでは、もう一つお聞きしましょう。その内閣府の組織令の冒頭を読んでみてください。法制局、どうぞ。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 内閣官房組織令の十二条でございますか。
○脇雅史君 最初、冒頭の部分。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 最初、そうですか。ちょっと手元にはございません。
○脇雅史君 そんなもの出てこないの。組織令ぐらいすぐ出るでしょう。この内閣出ないの。それでは貸してあげるよ。これ読んで。組織令ぐらいは出るでしょう、すぐ。冒頭部分でいいから。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) ちょっと突然のお尋ねでございまして、申し訳ございません。
 内閣官房組織令の第一条、「内閣官房に、次の三室を置く。」……
○脇雅史君 第一条じゃないです、冒頭部分。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) はい。
 「内閣は、内閣法第十六条第二項及び第十七条の規定に基き、この政令を制定する。」ということになります。
○脇雅史君 今、第十六条第二項に基づいてと読んだんですね。この政令なるものは、内閣法第十六条第二項に基づいて定めているとおっしゃいましたね。これ、うその資料を渡したんじゃないんです。ホームページなんです。
 じゃ、内閣法十六条第二項って何ですか。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 現在の内閣法十六条は「内閣官房に、内閣官房副長官補三人を置く。」という規定でございまして、多分それは制定文でございまして、その後改正をされまして、その条項が移動したというふうに考えます。
○脇雅史君 またあきれちゃうんですが、これ、内閣府のホームページに堂々と載っているんですよ。
 私読んでみて、今言った内閣法を読んでみたら、十六条第二項に基づいてどうやって政令が制定されるんだろうかと思って、全く意味が分からない。どうするんですか。教えてくださいよ。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 一般的に法令を作るとき、法律が書かれる、その法律を根拠に当然政令が作られるんですけれども、その政令を作るときに、えてして最初のときに作ったままの制定文が書いてあって、その後法律が改正され、あるいはその政令が改正された後、その改正後の条文を書くべきところを書いていないということがよくあるわけでございます。
 ちょっとそれを、根拠を少しチェックさせていただきたいと思います。
○脇雅史君 今の答弁では国家は成り立ちませんよ。法律を変えたら全て関連条項変えるんでしょう。それで内閣は大変な内部で意思調整するんですよ。できていないからこうなっている。これは民主党内閣になってからだけじゃない。自民党の終わりのころから内閣官房とか内閣府がたるんでいるんですよ。だからこんな、法制局もそうだ、こんなばかなことを、今のばかな答弁があったら国家は成り立ちませんよ。どうするんですか、これは。
 総理、総理。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 私どもは仕事を行うに当たりまして、いわゆる黒本といいます大きな法令全書を使って、約百冊ぐらいありまして、それに従って仕事をしているわけでございますが、そこのいわゆる編集の問題でもございます。その編集は、えてしてそこの制定したときの制定文をそのまま書いてあって、その後、慣習として、その本体が動いてもそれを動かさないということになっていると思います。多分、現在の内閣官房のその組織令は、ホームページはそれをそのまま取ってきたんじゃないかと思っております。
○脇雅史君 これ、真面目に法律読んでいったらつながらないじゃないですか。そんなばかな話はあり得ないんですよ。全部直す。今コンピューターの時代ですからね、関連条文全部ぱっと直せますよ。早く直してくださいよ、陳謝して直してくださいよ。あなた主任大臣なんだから。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 根拠はあるということは、その法制局の今の答弁のとおりなんです。ただ、問題はその編集の問題等でありますから、そこはきちっと対応を早急にしなければいけないというふうに思います。
○脇雅史君 これは編集の問題ではありません。法律は言葉が命なんです。一字一句間違っちゃいけないんですよ。そういう緊張感のない答弁だから、こんないいかげんな内閣、こんないいかげんな国になってしまうんですよ。こういう大事なことを、古川さんなんかささいなことだと言っているんだよ。法律の字句が違っていいの、この一つ一つの字句が違っていいんですか。あり得ないでしょう。担当大臣、枝野さん、ちょっと言ってあげてください。変わってもいいの、こんないいかげんなことでいいんですか。
○国務大臣(枝野幸男君) 法令の解釈論といたしましては、それぞれの法令は何年何月何日に改正されたと、その時点における他の法令の規定が前提になっておりますので、現在のような運用が法令の解釈上問題になるとは思いません。ただ、御指摘のとおり、法令は法制局などの専門家だけが使うものではありませんので、そうした意味では不便というか分かりにくい点があるというふうには思います。
 ただ、法令解釈担当大臣でありますが、内閣法制局に対する私は指揮権がございませんので、あります総理や官房長官と御相談をさせていただいて、国民の皆さんに分かりやすい解釈ができるような運用について努力したいと思います。
○脇雅史君 今、大変な答弁ですよ。最新の法令、まあ改正しますわね、改正に基づいて、そこで全部の法令を直すんじゃないんですか。直さないのがあって、あちこち見なくちゃいけないようになっているんですか、古い法律も見ながら。違うでしょう。法律を変えたときに全て変えるんでしょう。変えるのが義務です。あなたは、変えなくてもいいと言った。
 法制局長官、いいのか、それで。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 少し問題を整理して御説明いたしますが、法令本体は、法令の題名から、したがって以下つながっている条文、これが法令の本体でございます。何か改正があれば必ずそれを完璧に全部直すということは普通やっております。
 そして、制定文は、恐らくこれは、かねてからさっき申し上げたようなその運用をしてきたというのは、これは歴史的事実を示すものということで、それを作ったときの歴史的状態でそのまま固定されていて、その後それは、特にそれまで触ることはしないというのがこれまでの経緯でございます。
 それで、それは要するに……(発言する者あり)
 それで、もう一つ申し上げますと、要するに制定文というのは作ったときのその当時の状態を示すものでありまして、法令としての効力は題名以下の法令の本文であるということでございます。
○脇雅史君 今の答弁によれば、政令だけ読むと、そこに書いてある条文というのは、昔変えたやつ、いろんな様々な条文が混在しちゃっているということがあり得るということなんですね。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) それは、法令を制定する前の一番、何といいますか、その根拠、法令を制定したときの根拠を示すだけでございまして、法令そのものは、法令以下の、その題名以下の本文ということでございますので、それは完全に整合性があるように作られております。
○脇雅史君 それでは、昔の十六条第二項と十七条の規定というのを教えてください。どういう条文ですか。わざわざ根拠として昔のやつ取っておいたんだから、教えてよ。分からないんだ、昔の法律が。だから教えてくださいよ。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) それは、内閣府、内閣組織令を作ったときの状態でございまして、そのときの条文に戻らないと分からないわけでございますが、その後組織令が改正されて、それで条文がずれたということで、ですから題名以下の本体のところは間違いなく、そして制定文のところはそれを作ったときの状態がそのまま残されているのがこれまでの慣行といいますか、ということでございまして、そこまでは私どもは特に改正していないということでございます。(発言する者あり)
○委員長(石井一君) 内閣法制局長官、質問に直接的に簡潔に答えていただきたいと存じます。
○政府特別補佐人(山本庸幸君) 普通、組織令、そういう政令を書くときは、その前に必ず、新設するときはその制定文を書くわけです。その制定文は書いたときの、その組織令を作ったときの状態でそのまま残されるということでございます。そして、それはあくまでも制定文でございまして、法令本体の効力としては、題名以下の各条、これが完全に実効を有するわけでございまして、昔のその経緯までは私どもはそこに書いていないということでございます。
 それで、お尋ねにつきましては、多分その作ったときの法律の政令の状態、これが必要だと思います。それから、その後、一部改正を行った、その一部改正を行ったときの状態、この二つが必要だと思いますが、ちょっと今手元にございませんので、誠に申し訳ございません。
○脇雅史君 じゃ、至急提出してください。すぐ調べて提出して。(発言する者あり)いや、答弁要らない。
 次へ行きましょう。まあ、余り、いいかげんであるということがよく分かりましたが。
 内閣府の組織図を皆さんにもお配りしています。私ずっと読んでいったんですが、全て法律で規定されています。そして、例えば十八条に経済財政諮問会議というのがありまして、右の上から二番目ですね。全てみんな法律で決まっているんです。ここに書いてあるのは全部決まっているんです。なぜか沖縄振興審議会だけ、ちょっと法律で私見当たらなかったんで、私の見逃しかもしれませんが、後で教えてください。大した話ではないです。
 それなのに、ここの中に税制調査会とか地域主権戦略会議とか行政刷新会議とか、そういうものはないんですよね。私は、ここの右に並んでいる全て法律で定められた組織と比べて軽いものではないと思うんです。何でここに出てこないんでしょうか。(発言する者あり)総理大臣。
○委員長(石井一君) それじゃ、岡田副総理。
○国務大臣(岡田克也君) 私は行政刷新会議の担当でございます。
○脇雅史君 税制調査会は関係ない。
○国務大臣(岡田克也君) 行政刷新会議につきましては、我々も国会に法案を提出をして法定していただきたいということをお願いしていた時期もございます。しかし、残念ながら、御審議いただけないということで法律で定めるには至っておりません。閣議決定で行政刷新会議を設置しているということでございます。
○脇雅史君 法律で規定しなくちゃいけないと思っていたと言うんだから、やっぱり法律で決めるべきものだという意識はあるみたいですね。法律がなかったらできないんですよ。閣議でそんなものをつくっていいという根拠はどこに書いてあるんですか。
○国務大臣(岡田克也君) 法律で規定することができれば、私はその方がより良いというふうには考えます。しかし、閣議で設定することが否定されているわけではございません。
 行政刷新会議で議論された事項について行政刷新会議で執行するということであればともかく、最終的には閣議で決定をし、その上で執行されるものでありますので、そういう意味で、行政刷新会議そのものは法律で定めなければならないということではございません。
○脇雅史君 今の御答弁だったら、ここで全部法律で定める必要はないですよ。全部閣議で決めりゃいいんですよ。それでは駄目だと。
 要するに、国会に対してきちんと説明しなくちゃいけないから、憲法の精神からしても全部法律で決めることに我が国はなっている。だから、あなた方も法律を作ろうとしたんでしょう。法律が通らなかったらできない。いいかげんなこと言っちゃ駄目ですよ。
 どうですか、総理。あなたは行政刷新だけだから。税制調査会もあるから、総理、どうですか。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 行政刷新会議も、それから国家戦略会議、それから税調、地域主権戦略会議は、今副総理が答弁されたように閣議決定を根拠にしております。
○脇雅史君 どこに法律書いてあるの。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 閣議決定においても、その後、方向性を出したときには最終的には閣議で決めていく、そして各府省できちっと法律に基づいて執行していくということによって特段の問題はないというふうに思います。
○脇雅史君 そんなことだったら全部要らないんです、閣議で全部やりゃいいという論理なんですよ。日本の法制度はそうなっていないんですよ。いいかげんにしてくださいよ。
 全部これ、きちんと法に基づいて処理をしていただきたいと思うんですが、総理、どうですか。
○国務大臣(岡田克也君) 委員の御意見を聞いていてよく理解できないところは、法律に基づいて設置することになっていると言われますが、その根拠を是非お教えいただきたいと思います。
○脇雅史君 逆質問なんかあり得ないんですが、国家行政組織法とか内閣府設置法でこれが全て法律で設定されている。全て法律なんですよ、ここに書いてあるのは、審議会等も。
 何で法律で決めているんですか、これらは、じゃ。法律で決めなくちゃいけないから決めているんでしょう。同じようなものが法律で決めても決めなくてもいいなんて、これは国家成り立たないじゃないですか。
○国務大臣(枝野幸男君) 内閣は法律や法律上の組織に基づいて行政行為を行う、これについては、内閣が替わっても政権が替わっても、それについて国会の議決をいただかないとにかかわらずに設置をされると、こういう法律上の拘束力があります。ただ、国家行政組織法等においても憲法においても、内閣が法律によらない法令上の根拠に基づく行政組織的なものを用いて一般行政事務を行うことについては憲法で否定をされているものではございませんし、そのことがなければ行政事務は動きません。
 一方で、例えば憲法は、租税法定主義など国民の権利義務に直接関係する例えば税については、これは法律で定めなければならないという規定を置いておりまして、行政組織などの扱いについて憲法は明確に区別をしております。
○脇雅史君 全く違いますよ。法律に基づかないで行政やっていいわけないんです。全てきちっとやるんです。あなた方は間違っていますよ。もうこれは、ここで時間が無駄だからもうやりませんが、大変な思い違いだということを申し上げておきます。
 それで、行政刷新会議は何で法律で定めないか、もう一回言ってください。
○国務大臣(岡田克也君) 先ほど言いましたように、必ずしも法律で定める必要はございません。しかし、でき得れば、これは内閣の中で重要な組織でございますので、会議でございますので、我々としては法律で決めることを一旦はお願いをしたところでございます。
○脇雅史君 衆議院でちゃんと通して参議院へ送ってくればいいんですよ。衆議院に圧倒的多数があるんでしょう。送ってくる気もないのによく言いますね。あきれてますよ。
 それから、行政刷新会議で民主党の議員がその行政の一部分を担当しましたよね。これは明らかに国会法の三十九条に違反していると思いますが、これはどうですか。
○国務大臣(岡田克也君) 民主党の国会議員が具体的な議論に参加をしたことは事実でありますが、それで何かを決定したということではございません。
○脇雅史君 ああいう場所で人を集めてやるということは行政行為なんです。国会議員は、立法府はそこへ参加してはいけないというのが三十九条の法律の精神なんです。
 憲法には、法律を誠実に執行しろと、先ほど申し上げましたように書いてあるんですよ。ですから、この国会法を誠実に執行しようとしたら、これはどう考えたって国会議員はそんなチームに参加できるはずがないんですよ。それはもう詭弁なんです、詭弁と言い訳。政府が詭弁で行政をやってどうするんですか。国政は堂々とやらなくちゃいけないんですよ。この法律の精神にそんなことが読めますか。
○国務大臣(岡田克也君) そこは、考え方、解釈の異なるところだと思います。(発言する者あり)今から御説明します。
 まず、事業仕分、提言型政策仕分の国会議員評価者は、行政刷新会議の議長である内閣総理大臣が指名した者でございます。行政刷新会議は、内閣府設置法に基づく行政組織ではなく、その役職等は官職に当たるものではないことから、国会議員を評価者に指名し、その参集を求めることは、国会法第三十九条との関係で問題が生ずるものではないというふうに考えております。
○脇雅史君 これはもう抜本的におかしいですよ。
 本来、行政法で、法律できちんと定める行政組織を定めずにおいて、それで法律で定めていないからいいんだと。これ、定めてやらなくちゃいけないものを定めずにやって、だからいいんだという、もうむちゃくちゃな論理なんですよ。国家がこんな運営はしていいはずがありません。これはもう重大な問題として、今までもずっと言い逃れ、へ理屈ばっかりでこの内閣やっているんです。そのことをきちっと指摘しておきたいと思います。
 それからもう一つ、税制調査会の設置の根拠の条文を教えてください。
○国務大臣(安住淳君) 今の税調は、二十一年の九月二十九日の閣議決定において決定をしております。
○脇雅史君 根拠条文を教えてください。
○国務大臣(安住淳君) 閣議決定における内容については、まず、総理大臣の諮問に応じ、租税に関する制度について調査審議をするために内閣府に税制調査会を設置する旨書かれております。そのほかは、構成要員それから運営方法等について規定を設けております。
○脇雅史君 これ、財務大臣じゃなくて、内閣府に置かれているんですから総理なんですね、主任の大臣は。
 内閣府に置いている根拠を教えてください。
○国務大臣(古川元久君) これ、税制調査会の庶務については、財務省及び総務省の協力を得て内閣府が行うということになっております。国税に関する制度の企画立案を行う財務省と地方税に関する制度の企画立案を行う総務省とともに、内閣府が両省の連絡調整を行いながら税制調査会の運営を行っているという形になっております。
○国務大臣(枝野幸男君) 先ほど来、憲法七十三条の第一項第一号をお読みになっておりますが、憲法七十三条は「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」となっておりまして、その一号に「法律を誠実に執行し、国務を総理すること。」となっておりまして、この憲法七十三条に基づき閣議において決定したものでございます。
○脇雅史君 他の一般行政事務の定義を教えてください。
○国務大臣(枝野幸男君) この話をし出しますと、行政法のまさに一つの大きな論点でございます。立法や司法についてはその範囲について明確に定義ができますが、社会の複雑化の中において、行政は国民生活の向上、国益、国民益の保護のために立法、行政以外の機能について果たしていくということになっているのが一般的な解釈でございます。
○脇雅史君 解釈論をする気はないんですが、基本的に、みんなこれまで法律で定めてやってきたことはやっぱり法律で定めるべきなんですよ。国会としてもそう思います。あるとき急に法律なしでやってみたり、法律は出したけれども通らないから法律なしでやっているというのは、まさしく異常としか言いようがありません。
 それから、さっきの根拠条文教えてください、内閣府に置いている根拠条文。財務省じゃないんだよ、内閣府。
○国務大臣(古川元久君) 先ほど私御説明を申し上げましたが、内閣府は庶務を担当、これ置いているといいますか、これは、税制調査会は閣議決定に基づくものであって、内閣府設置法上の行政組織ではございません。内閣府がやっているのは、この税調の庶務の部分を内閣府の担当としてやっているというところでございます。
○脇雅史君 根拠もなしに、どこに置いてあるか分からないと。民間の人も入っているんですよね。どこにあるか分からない会議なんですか、調査会というのは。
○国務大臣(枝野幸男君) ですから、それは先ほど私がお答えしましたとおり、憲法七十三条柱書きに基づき閣議決定したものでございます。
○脇雅史君 そんな権限は内閣にないですよ。とんでもない話です。もうとんでもない話だということだけ指摘して、もうやめます。重要な事項について、やはりきちんと検討して、きちんと法律を作って、手続にのっとって進めるべきですよ。あなた方は間違っています。
 それでは、八ツ場ダムについて、二年半ほど前にいきなり停止を命令しましたよね、命令したというか実際止めたわけですが、どういう根拠に基づいて、どういう手続を経て止めたんでしょうか。
 総理、内閣の総理にお尋ねします。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 八ツ場ダムの事業停止の手続についてのお尋ねでございますけれども、平成二十一年の十月に、当時の前原国土交通大臣の判断により八ツ場ダムの本体工事の入札契約手続を中止をいたしました。この手続の中止については、特定多目的ダム法等の法令に基づく特定の手続は取っていないと承知をしております。
○脇雅史君 八ツ場の予算を執行するというのは、憲法七十三条に基づいて、様々な法令に基づいてやろうということは決定されて、お金を使うこと自体が憲法七十三条による誠実な執行なんですよ。それを何の根拠もなしに一大臣が勝手に一人で決めたんですか。もう一回答弁してください。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 中止の前段階としてのダム本体工事に関する入札契約手続の取りやめを判断したものでございますので、この時点で直ちに法令に基づく手続を取る必要はなかったというふうに承知をしています。
○脇雅史君 もうとんでもない話ですよ。
 法律に基づいて執行する義務があるんですよ、あなた方は。それをやめるんだったら、やめる手続もありますよ。内閣法に一般行政の中止手続ってあるんですよ、知っていますか。内閣法、主務大臣、どうぞ。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 内閣法の中にはそういう規定はあるかと思いますが、先ほど申し上げたとおり、この八ツ場ダムに関しては、中止というその前段階の入札あるいは契約手続の取りやめの判断でございます。
○脇雅史君 全くの詭弁で、現実にダムの工事を止めたんですよ、本体はね。それで、本体が止まったことによって完成が遅れているんです。二年半遅れるでしょう。遅れたことによって実質的な損害を受けた人もいるんです。この損害の賠償は誰が払うんですか。
○国務大臣(前田武志君) 脇委員が誠にこれはもう専門家でございますので、要は、総理がお答え申し上げたように、事業の中止の方向性を示したものであって、法令に基づく手続は行っておりません。

(中略=この間に河川法、国の出先機関改革、人事院勧告についての質疑)

○脇雅史君 大変残念なことに時間が来てしまいましたが、今の答弁でもいかにいいかげんかと、やることは全くすぐできるんですから。本当に法律や制度を無視してむちゃくちゃな内閣だなということを改めて思います。
 そして、最後になりますが、これまでいろいろ述べてきましたが、この内閣は本当に憲法の下に法律を執行するという意味でふさわしくない内閣だと思っています。欠陥内閣と言うしかほかはありません。民主党政権の基本的な、本質的な欠陥として、今まで言ってきたように、法律によらない、そして言葉が軽い、責任を取らない、基本政策自体も間違っている、それから皇室を大変に軽視している、そういうことが挙げられます。この今の我が国が置かれている重大な局面を乗り切っていくには全くふさわしくない内閣だと思います。一刻も早く退陣されることを要求いたします。
 私が退陣を言うのは、ただ単に自民党に政権を取り戻したいということではありません。今の我が国は、本当にきちんとした国家観に基づいて堂々たる政府、実行できる政府をつくる必要があると思います。自己の利益のためではなくて、国家国民のために、ここにおられる国会議員の皆様方も是非このことを御理解いただいて、御尽力、御努力をお願いいたしまして、私の質問を終わります。(後略)

[引用おわり]

[お知らせ①]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

[お知らせ②]

 会員制ブログを設けております。

 今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行

[お知らせおわり] 


◎ついに問責の連鎖を断ち切ったぞ 野田首相が参議院本会議場の演壇で「緊急質問」に答弁

2012年11月02日 11時10分25秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散

[画像]問責決議を受けながら、参議院本会議の演壇に登壇した野田佳彦総理(民主党代表)、2012年11月2日、参議院インターネット審議中継から。

 ついに問責決議が解けました。野田佳彦首相は2012年11月2日(金)、国会法74条および76条にもとづき、野党9会派が平田健二議長に提出した質問に対する口頭での答弁のため、参議院本会議場の総理大臣席に座り、演壇で答弁しました。参院で問責決議を受けた内閣総理大臣や大臣(衆院議員)が、参議院本会議場に入り、演壇で発言したのは憲政史上初めて。

 これにより、問責決議により大臣が辞職(内閣改造による事実上の更迭)に追い込まれる問責政局の連鎖は完全に終焉しました。きょうは参議院と国会のまた新しい出発の日です。

 野田総理は、「緊急質問というかたちで、今こうしてこの演壇に立たせていただいております。引き続きご審議をお願いしたい」とし、これからも参議院に出席し続けることを断言し、内閣総辞職要求をはねとばしました。問責決議が可決された事実については、「反省すべきは反省し、国政の諸課題に邁進していきますので、(法案の)参議院でのご審議をお願いしたい」と語り、問責の重みを「肝に銘じ」、「正心誠意(誠心誠意)」、国難を一つ一つ乗り越えていく決意を表明しました。

 問責決議を政治的なかけひきにしてしまう悪弊を断ち切ることが出来ました。野田さんの正心誠意が、策士策に溺れ、自らを問責してしまった参議院自民党を破りました。このもようは、NHK国会中継はされませんでした。2日間にわたる本会議NHK中継を逃しました。来夏に半数改選となる参議院全体にとって大きな損失です。

 今国会中に参議院予算委員会集中審議を開いて、NHK入りの審議で名誉挽回をはかるやさしさ。石井一委員長にはあります。ピンさんはそういう男です。

 その一方で、きょう午前中の衆院委員会は、法案審査の前提になる大臣の所信表明がされ、財務金融委員会などが「店開き」しました。召集週の店開きは速いペースですが、今国会は、残り19営業日しかありませんから当然です。この中で、国土交通副大臣のうち1人が委員会に現れず、大臣がお詫びし、なぜ現れなかったのか調査・報告することを約束しました。さらに、内閣府副大臣である前川清成参議院議員が金融庁なので、「中塚一宏大臣のもと」と言うべきところを他の担当の上司である「小平忠正大臣のもと」と言い間違える場面があり、自民党の山本幸三理事のやじで気付く場面がありました。例え秘書官が何らかの間違いをしたのであっても、すべては副大臣の責任です。

 衆議院も、参議院も、府省も、しっかりしなければいけません。国難を楽しむ余裕を持つか、さもなくば消えるかのいずれかです。

 [お知らせ1]

 会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。

 今後の政治日程 by 下町の太陽

 最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。

[お知らせ2]

 「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 ご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

[お知らせおわり]
http://www.kantei.go.jp/jp/fukusouri/press/ http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65