【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

4次補正成立 生活保護費の国庫負担1300億円増額補正 

2012年02月08日 19時43分14秒 | 第180通常国会(2012年1月~9月)一体改革

[写真]生活保護国庫負担金など4次補正について質問する民主党の梅村聡参院議員、2012年2月6日、NHK国会中継から。

 生活保護費の国庫負担分を1300億円追加するなどした平成23年度4次補正予算は、2012年2月8日の参院本会議で政府原案通り、可決・成立しました。今平成23年度(2011年度)の一般会計は107・5兆円となりました。

 戦後の昭和22年度予算は、片山哲社会党内閣が14次補正後に倒れ、芦田均日本民主党内閣が最終15次補正を仕上げました。民主党は菅直人さんから野田佳彦さんへ総理が交代しましたが、震災後の苦しい平成23年度予算を最終補正まで仕上げることができました。

 4次補正と来年度本予算を同時に提出しました。4次補正の委員会での趣旨説明は衆参同日に行われました。衆院では鉢呂吉雄・与党側筆頭理事、参院では石井一予算委員長がぐいぐい引っ張りました。既に2月8日まで食い込んでいますが、あすから衆院予算委で本予算審議に入れるようです。切れ目ない予算編成・執行の流れができてきました。あとはぜひ国会での修正審議というものを見たい気がします。

 とはいえ、何よりもイチバンうれしいのは、これで1ヶ月近く、参議院自民党の顔を見なくてすむことです。冒頭の写真では、質問者の後ろで、参議院自民党の山本一太理事(群馬)と西田昌司委員(京都)の世襲コンビが緊張感なく談笑する姿がみられます。

 参院予算委員会での4次補正審議では、第21回参院選(逆転の夏)の大阪選挙区で当選した梅村聡(うめむら・さとし)さんが、生活保護費の国庫負担金について質問しました。

 梅村さんは「大阪市に限れば13人に1人が(生活保護)受給者という、そういう街になっています」としました。40年間基礎年金(国民年金)保険料を納めた人の月額が6万円台なのに、生活保護は10万円以上だと指摘しました。厚労大臣の小宮山洋子さんは「国民の間で、生活保護制度は理解はできても納得できない、という声がある」と応じました。梅村さんは、「日本の社会保障は自助・公助・共助が原則で、どうしても支えなければいけない人が生活保護になる」と述べたうえで、厚労省の縦割りを批判。「生活保護は社会・援護局、最低賃金は労働基準局、最低保障年金は年金局に分かれている」とし、「そこをセットで議論しないといけない」と指摘しました。

 梅村さんは「医療は限られた資源であり、タダ(無料)だからということで、これは医療機関の問題ですが、頻回受診が行われている」と指摘しました。また生活保護を受け付ける際、「現在は生活保護者の資産の調査は銀行の支店に照会しているが、全員でなくても、本店に一括して照会すべきだ」としました。岡田克也・一体改革大臣は、「年金生活者なら多少の資産がある人もいるかもしれないが、生活保護の方はギリギリの生活をしている。問題意識は共有している」として、医師であり大阪選出である梅村さんに一層の情報提供を求めました。

 梅村さんは「前の平松市長、橋下現市長はしっかりやっていきたいというメッセージを発していますが、何より頑張っているのは大阪市の職員のみなさん。個別の政策ではなく、その政策を決めるプロセスをもう一度見直すべき時期が来ている」として、「ホントウに時代にマッチしているかどうか、それも一体改革のテーマだ」と強調しました。

 これに先立ち、同じく第21回参院選で当選した秋田選挙区の民主党の松浦大悟さんは、「GKB47」と題する自殺対策のポスターの撤回を求めました。これについては、岡田さんは翌日の記者会見で25万枚・300万円のポスターを刷ってしまったが「ゲートキーパー」として刷り直すことを発表しました。

 この審議で、石井一委員長が政府参考人の村木厚子・内閣府政策統括官(局長級、共生社会担当)を指名しました。玄葉光一郎外相が村木さんが挙手しているのを目ざとく見つけ、石井委員長に伝えました。ピンさんが村木さんを指名しました。


[写真]挙手をして答弁を求める村木厚子・政府参考人(内閣府政策統括官・共生社会担当)、NHK国会中継から。


[写真]参議院自民党の野次にたじろぐ村木政府参考人、NHK国会中継から。

 村木さんはかなりていねいに経緯を説明したため、参議院自民党から激しく野次られ、たじろぐ場面がありました。この次に答弁に立った岡田さんは「まず委員のみなさんに申し上げたいのは私たち政務三役は野次に慣れているが、政府の人間への野次はやめてください。私にはいくら言ってもいいです」とたしなめました。これには石井委員長も「まず今議論しているのは、自殺という人間として極めて厳粛な問題であり、そのことで激しく野次るのは国会としての権威にかかわる」と参議院自民党を注意しました。なお、村木さんはこの翌日(7日付)で、厚生労働省局長時代の部下である上村勉氏が税金による障害者団体向け郵便割引制度を悪用した罪で有罪判決を受けたことの監督責任を問われ、(厚労省の要請により内閣府が)処分を受けました。

 松浦さんはこの自殺対策の審議の中で、故・山本孝史さんの名前を出し、「あしなが育英会出身・日本新党同期・大阪府連」の藤村修官房長官らに答弁を求めました。また山本孝史さんの奥さんの手紙を読み上げました。この後に質問に立った梅村さんも山本さんの名前を出しました。山本さんは健康上の理由で、第21回参院選で全国比例に転出したため、梅村さんが選挙区候補になりました。山本さんは有権者の混同を招かないため「大阪府内で選挙運動してはいけない」という条件を受け入れて出馬。梅村さんは大阪選挙区で128万票(得票率33・2%)でトップ当選。山本さんは全国比例で6万7000票、民主党としては最下位、全体でも個人名では下から2番目で奇跡の当選を果たしました。梅村さんは「私の参院大阪選挙区の議席は山本孝史先生の議席を受け継いだ」と、バトンを受け継いだとしました。

 ところで、今回の4次補正審議では衆院段階で、もっと大きな課題で、山本孝史さんに関する質疑がありました。

 これは自公政権の年金のマクロ経済スライド(物価スライド)について民主党の反対方針を、当時の代表で、現在は副総理の岡田さんが「今思えば、キツイ制度だったが、マクロ経済スライドを高く評価すべきだった」とした答弁。2月2日の公明党の遠山清彦衆院議員は「今方針展開された。まったく異論がない」としました。同様の答弁について、2月6日の参院でも、「オーッ」という声が上がり、現行の自民党案について、「岡田さんが褒めてくださった」と林芳正参院議員が述べています。この2月2日の質疑で、遠山さんは「当時は私は参院議員で厚生労働委員会の理事だったが、民主党議員にこっぴどくやられたんですよ」と述べました。実は、この「与党・公明党の遠山参院厚労委員をこっぴどくやった野党・民主党議員」とは、元祖ミスター年金こと山本孝史さんのことです。

 例えば第159通常国会(2004年の年金国会)で山本さんは自民党・公明党政権提出の国民年金法改正案の審議で次のような議事録を残しています。

国会議事録データベースから引用はじめ]

(前略)こんな状態で法案通して、国民の皆さん方に14年間連続の保険料引上げをお願いすると。それで何か、よりによって与党の皆さん方は、国会議員もこれからまだ追納できるようにしようとかとおっしゃっているわけでしょう。何か、やっぱり立場というか、自分たちの立っている場所を忘れているんじゃないかと思うんですよ。そういう意味において、自分の年金額も知らない、自分の年金どうなっているかも分からないままに年金の審議に参加するというのはどうかなと私は思うわけ。だから、私は、あなたたち2人には、申し訳ないけれども、ここにいてほしくないので、済みません、退席してください。森副大臣と谷畑副大臣、退席してください。私はあなたにもう質問しないんです。あなたたち、ここにいる必要性ないんだから、出ていってください。申し訳ないけれども。委員長、あの二人に退席を私は求めます。質問者が呼んでないんだから、もう終わったから、あなたたち、仕事が忙しいから出ていっていいよ
○委員長(国井正幸君) いや、これにつきましては、大臣を補佐してこれまでも両副大臣、国会に出席をしていただいておりますので、このまま質問、続行してください。(発言する者あり)
 じゃ、速記止めて。
   〔速記中止〕
○委員長(国井正幸君) 速記を起こして。
○山本孝史君 では、失礼をいたしました。御答弁はいただきましたので、私はもうお二人に質問をいたしませんので、御退席いただいて結構でございます。
○委員長(国井正幸君) 公務御多用ですから、山本委員の質問は両副大臣にないようでございますから、御退席していただいて結構でございます。
○山本孝史君 それぐらいに私、腹を立てているということです、本当に。悲しい思いがします、この国会は。未納で騒いでいるのではありません。みんなに未納は起きたと思います。しかしながら、それに対してきっちりと対応して国会という権威をみんなで守っていかないと、本当に国民が投票に行かないし、政治というものに対して信頼しないし、年金法案というものに対してみんながこれで納得して保険料を払うということに私はならないと思うんです。その意味で、やっぱりきちっとしたことをやらなきゃいけない。それは一つ一つ節目を付けて、公表するとか謝罪するとか、あるいはきちっとした大臣の指示を受けてやるとか、そういうことをやってほしいと思います。
 本論です。給付水準の低下の問題について、大臣とここで会話を交わさせていただきたいと思います。
 もう既に明らかになっていますように、給付水準の五〇%維持という問題ですけれども、これは六十五歳の支給開始時だけだという話はもう御承知のとおりでございます。最初のころ、今の早い人たち、早く受ける人たちはマクロ経済スライドが余り掛かってきませんので、五〇%台をずっと維持していくことができますけれども、これから先、若い人、将来受ける人、確かに受け始めのときは五〇%ではありますけれども、そこから先はこの賃金スライドが掛かっておりませんので、物価スライドでその価値は維持をされますけれども、賃金の方の、いわゆる働いている人たちの賃金は上がっていくものを、年金生活者の方にはそれを反映させないという仕組みを取っていますから、当然のごとくに給付水準は下がっていくわけです。 

[引用おわり]

 これは2004年5月20日の山本さん。「みんなに未納は起きたと思います」。この国会では、閣僚3人に年金保険料の未納が発覚し、野党・民主党代表の菅直人さんが「未納3兄弟」と批判します。しかし、菅さんにも厚生大臣時代の切り替えミスによる未納問題が起きました。後に役所のミスと発覚しますが、菅さんのはしゃぎぶりによるブーメランで、世論は大混乱し、この審議の2日前に岡田幹事長が無投票で代表に就任し、菅さんはお遍路に出かけます。そして、7月11日の参院選を迎えます。しかし、ナント民主党は改選50議席を獲得し、結党以来初めて国政選挙第1党となります。土井社会党のおたかさんブーム以来の快挙となります。このような大逆転は国政選挙、まして政権に直結しない参院選ではよくあることですが、この山本さんの「出ていっていいよ」という魂の叫びが勝利につながった面もあるでしょう。この後にも、山本さんは何度もマクロ経済スライドが、ホントウに厳しい生活の人を苦しめる制度だと徹底的に批判しながら逝かれました。

 岡田さんはその物価スライド批判を「今思えば(自公を)高く評価すべきだった」と述べました。山本さんは衆院時代に、岡田さんと第140回通常国会(1997年)の厚生委員会で、岡田筆頭理事、山本次席理事でコンビを組みました。オリミンは枝野幸男理事。自民党は小泉純一郎厚相、町村信孝・厚生委員長、津島雄二・筆頭理事で、健康保険法改正案で審議時間100時間超えという伝説の国会となりました。

 新進党はなくなりましたが、岡田さんは山本さんのバトンを受け継いで、野党第1党の案から与党の案・政府の案へとこねて、日本の法律に持ち上げようとしています。山本さんを偶像化せず、その思いを受け継ぐ。心は原理主義、政策は現実主義。岡田代表にまさかの大逆転勝利を実現した山本さんの魂を受け継いで、岡田さんのダッシュが続きます。ぜひ、遠山さんや当時の厚労大臣、坂口力さんらの力添えをいただきたいものです。

 岡田さんと梅村さんは高校の同窓生になります。大阪教育大学附属池田高校です。恵まれた境遇ともいえる2人が命にまっすぐな政治に今、ひたむきです。世の中には、学歴を妬む人がいます。ある程度はしょうがありませんが、国が総崩れになりかねません。最近はだいぶ変わってきたでしょう。ところで、梅村さんの母方の5代前に、関寛斎さんという人がいます。72歳まで徳島で医師を開業していて、それから北海道の十勝・陸別町に入植しました。日露戦争前のことです。十勝ではタイヘン尊敬されていると以前から私は聞いていました。4年前の「96回忌(白里忌)」に梅村さんは十勝に駆け付けています。ところで長年、私は関寛斎さんは十勝で医師をしていたのだと思っていましたが、これは勘違いで、72歳から酪農を始めて農場を拓いたそうです。wikipediaで知りました。さらに驚いたのは、広大な関農場を開き、自作農創設に挑んだそうです。すなわち農地解放です。しかしその理想は果たせず大正元年に自殺したそうです。日露戦争後で、日本が坂の上の雲から落ちだした時代。明治維新による殖産興業のなか、徳島から、フロンティア北海道に渡り、農地解放という理想を追いかけながら、早すぎる理想を実現できずに、命を絶ってしまった。農地解放が実現したのは、それから35年後、米国GHQの命令。35年後ですから、一世代後に実現したわけです。いつの日も理想を追いかける人は、現実がついてこないという隔靴掻痒にさいなまれるものです。

 そういった様々な命にまっすぐな政治を実現する。そのためには、やはり、国というものは、自分が死んだあとにもずっと生き続けるものなんだ、という意識を国民が持たなければならない。1人1人がりんごの木を植えているんだという自覚を持つべき。自分の植えたりんごの木に、りんごの実がなり、それを喜ぶ人々を想像する。そうやって日々を生きる。そこに自分がいなくてもいい。明日への責任を少しずつ果たしていく。それが「明日(あした)の安心」につながります。山本さんも彼岸にいるだけであって、この日本という社会の一員だ、と私は認識しています。

 岡田副総理は7日の定例記者会見で、2012年2月18日(土)に「明日(あした)の安心対話集会」の全国行脚のスタート地点を長野県長野市、と発表しました。「長野県のどこでも、長野市でも松本市でも良かったのですが長野市にしました」と秘書官6人の優秀さも同時にうかがわせました。前を見て、先を見ていると、人間は不安にならないものです。今日を嘆くより明日の笑顔を想像しましょう。人生をあきらめない。日本をあきらめない。

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