【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

自民党の平将明シャドウ副大臣、「枝野官房長官で良かった」&トヨタの直さんが大忙し

2011年04月14日 22時15分27秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 きょうは3月10日以来、1ヶ月以上ぶりに国会に行ってきましたが、官邸から出てきた高級車センチュリーの中に、防災服姿の宮城県知事、村井嘉浩さん(防衛大学28期)をみました。村井さんは県議会議員になる前の松下政経塾生のころに何度かお会いしていますが、そのころとまったく変わらない精悍さと、そして何より、笑顔でお付きの人と談笑する姿を見て、政治家、とくに知事という仕事は「とてもオレにはできない仕事だ!」と衝撃を覚えました。

 そして、国会内で秘書の人と話していて、「宮崎さん久しぶりですね」と言われたので、ポケットから、マスクを取り出して、「だって放射性物質とかこわいじゃないですか~!」と言ったら、「あ~、よかったオレだけじゃないんだ~!」とその秘書もマスクを取り出しました。

 昨日(2011年4月13日)の衆院・内閣委員会では、久しぶりに内閣官房・内閣府所属の担当大臣が勢揃いしました。この中で、自民党の当選2回生、つまり小泉チルドレン80人のうち生き残った10人の一人である、シャドウ内閣府行革・公務員制度担当副大臣の東京4区比例・平将明(たいら・まさあき)さんが、「きょうは枝野官房長官に来ていただきました。東日本大震災という未曾有の大災害、情報が錯綜している中で、冷静にていねいに対応されていたと思います」としました。1日中記者会見を繰り返す枝野さんにツイッターで「# edano nero」のハッシュタグが盛り上がり、海外で放送されたことも念頭に踏まえ「(野党なので官邸のことは分かりませんが)、震災直後はまさに不眠不休で対応されていたと思います」とし、「私はこの時期に、枝野さんが官房長官で良かった、と思いますし、そのことに敬意を表したいと思います」としました。


[画像]自民党シャドウ内閣府副大臣の平将明さんと民主党内閣官房長官の枝野幸男さん、2011年4月13日、衆院・内閣委員会、衆議院インターネット審議中継から

 大連立などと言われていますが、当選2回生の44歳の平さんは、あきらかに第46回衆院選での自民党の政権交代(政権奪還)に照準をしぼっていると考えます。自民党の谷垣禎一総裁のスタンスはどちらかと言えば、平さんら、中堅・若手の衆院議員の立場をあらわしているように僕には見えて、頼もしく思えます。平さんの選挙区には第40回総選挙で新党さきがけ公認で当時最年少国会議員となり、政治改革ブームの象徴となった元職が、私が兄弟ともにご縁があり、また第45回総選挙で勝った民主党の1期生も、代議士・政策秘書とも仲良い人なんです。そのようなこともあり、これまで当ブログでは、平さんについて、日本振興銀行の件などで、このブログでかなり批判したことがありました。ただ、2月の予算委審議も含めて、平さんを見ていると、小選挙区なので難しいですが、野党でも、与党でも、何らかの格好で国政に携わって欲しい人材だと感じます。これは、やはり3月11日以降の「こういうときこそ、人は見られている」(岡田克也さん)ということから見えてきたことだと考えます。

 民主党幹事長の定例会見で岡田さんは、冒頭の自らの発言で、仮設住宅について、「私たち国会議員が実際に現地で、町長さんと市長さんから聞く話と、霞が関(国土交通省)からの情報にギャップがある」とし、3ヶ月で3万戸、その次の3ヶ月で3万戸とする国交省の説明について、「供給戸数と建設戸数が違うのではないか?」「関連会社から関連会社から関連会社へと情報を流れているのをしっかりとおさえていないのではないか」と不快感を示しました。そのうえで、政府外議員でつくる、「民主党東日本大震災対策本部」(岡田本部長)の下に、応急仮設住宅建設促進チームをつくり、三日月大造(みかづき・たいぞう)さんを充てることを発表しました。三日月さんは満39歳の当選3回生。政権交代と同時に、「チーム前原」で、国交政務官に就任し、社民党が連立離脱し、辻元清美副大臣(現在は、民主党・無所属クラブ)が辞めた後に、国交副大臣に就任しています。ちなみに、1970年代生まれでは、三日月さんは副大臣就任第1号です(1974年生まれの自民党の小渕優子さんは内閣府の少子化担当大臣を務めています)。とはいえ、三日月さんは国会対策委員会の筆頭副委員長ですので、これは、1期生も多い民主党では、軍曹みたいな役割。おそらくことしはほとんど国会休会期間というのはないでしょうから、国交副大臣経験者として余人をもってかえがたいということでしょう。


[写真]三日月大造さん。

 さらに余人をもってかえがたいのは、直嶋正行さんです。直嶋さんは2009年9月16日~2010年9月17日まで民主党第1次与党期スタートの経済産業大臣を務めました。その直嶋さんは、きょう、同じく岡田本部長から、「(夏の)電力需給問題検討プロジェクトチーム」の座長に任命されました。これにより、直嶋さん(参院全国比例、2016年改選)の役職は次のようになりました。

 まず公職である、参議院では、「共生社会・地域活性化に関する調査会」の会長です。これは衆院にはなく、3年かけて参考人や議員同士のディスカッションで報告書をまとめあげる参議院改革の目玉で、おもに閣僚経験者などの大物が充てられます。

 つぎに政権与党である民主党本部では副代表。さらに、民主党国会議員団としては、両院議員総会長。参議院会派「民主党・新緑風会」では会計監査。2月15日は、菅直人さんが2009年12月にまとめた「新成長戦略」の実現本部長に就任。さらに他党の人には笑われますが、民主党にとっては大きな一歩である、「党綱領策定委員会」初代委員長に就任しました。これは、昨年来、直嶋さんが所属する民社協会がねらっていたポジションです。そして「3・11」では、復旧・復興検討委員会で岡田さんの下、副委員長になり、経産大臣として培った財界人脈で調整に乗り出します。
 
    
[写真]活躍する直嶋正行さん。左から、参議院共生社会・地域活性化に関する調査会長、民主党副代表、民主党両院議員総会長、民主党綱領策定委員長、民主党復興ビジョン検討チーム座長。
左1枚参議院インターネット審議中継、中の3枚は、なおしま正行メールマガジン「私の主な活動報告」から、右の1枚はBSフジPRIME NEWSのホームページから。

 直嶋経産大臣の評判といえば、「官僚をよく使いこなしている」「いやいや、直嶋大臣は官僚に取り込まれているんだ」というものでしたが、これは裏表ですから、「政治主導」について、考える上で、直嶋さんの体験は貴重です。

 このような直嶋さん、三日月さん、あるいは芝博一・総理補佐官や高橋千秋外務副大臣、中川正春・衆院予算委員会筆頭理事、鉢呂吉雄副代表らの重用を、「岡田側近政治」と批判する人が出てくると思いますが、なぜそうなるかは、「察してください」という感じですね。ホントウに「こういう時こそ人は見られている」。

 民主党では、「小沢グループの1年生」という風に言われることが多いですが、国難の非常時ですからハッキリ言えば、「鳩山グループの中堅(3~5期生)辺り」も不良債権化しているように思えます。また当選7回生以上でも、細川・羽田内閣でわずかな与党経験があるとは言え、閣僚は任せられないと思われる人がいます。どんな会社にもそういう人がいます。日本経済新聞社も数割の社員はそうでしたし、東京電力並みに、前任者とか部下とか他部署など他人のせいにしていました。直嶋さんが務めていたトヨタ自動車販売(トヨタ自動車)もそうでしょうが、じゃっかん割合は下がるでしょうか。直さんも典型的なトヨタマンで、細かいし、怒るときは厳しいようです。とはいえ、トヨタで通用する人は、世界で通用します。世間的には、TVでたまに破顔一笑をみせる小沢さんや、スタイリッシュなスーツの鳩山さんに安心感を持つ人もいるようですが、世間的には地味でTV受けせず、スタッフにとっては少し恐くて怒鳴る直さんや、三日月さん、岡田さんらに当分、負担はかかりますが、頑張ってもらうしかありません。

 がんばろう日本ではなくて、がんばろう「がんばれる人」。がんばれない人やできない人も、せめて、当分の間、菅降ろしはやめてほしいですね。

 ◇

 2011年4月13日(水)の参・災害対策特別委員会で、「民主党・新緑風会」の平山誠さん(全国比例の新党日本名簿で当選)が、東京電力福島第一原子力発電所の3月11日のデータが公表されていないことについて質問しました。原子力安全委員会は「3月11日のデータについては、その信憑性の確認をとっている」とし、「できるだけ早くオープンにしたい」と述べました。平山さんは、4月8日(金)のNHK報道
からしても、3月11日分のデータ公表は必要不可欠だとしました。



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