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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

岡田克也「外交をひらく」出版、政治家として核軍縮、外相時代の核密約 仏外相、中国外相との顛末も

2014年11月28日 12時50分47秒 | 岡田克也、旅の途中

(このエントリーの初投稿日時は2014年11月28日午後12時30分)

 岡田克也さんが3冊目の著書

 「外交をひらくーー核軍縮・密約問題の現場で」

 を出しました。

 2014年11月27日発行。 

 実質選挙戦となりましたが、もちろんもともとの予定で、外相時代(2009年9月~2010年9月)までの記者会見録を基にして、岡田さんが記憶も交えて書き綴ったものです。岩波書店、ハードカバー、およそ300ページ(年表含む)の、1900円+税というものです。

 実質選挙戦中の今としては、第2次内閣の安倍晋三首相の外交密約の取り扱いに対する姿勢への批判がありますが、領域(領海)警備法の話などはありません(尖閣諸島についての日中外交は岡田外相退任の直後)。それと記者会見のオープン姿勢。これ以外は、12月14日の投票日までの争点はないので、ぜひ、岡田ファンは、14日以降でも、図書館に行ったときに、どんどんリクエストを出すというのがいいかと思います。

 拾い読みしてみます。

 まず、「核軍縮・核不拡散の問題は、私の政治家としてのライフワークの一つだ。その原体験となっているのは、1991年9月、渡米した際の出来事だった」として、国務省で、「ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンに存在する核兵器の扱いをめぐって協議していた」と聞き、仮にソ連が崩壊すると、核保有国が5か国(当時)からさらに3か国増えることを知ったからだそうです。(3ページ、5ページ)。

 「こういう問題意識から、2000年4月に、民主党政調会長代理を務めていた私が中心となって文書にまとめたのが、民主党核政策だ」(8ページ)、「2008年8月に議連の成果として、長崎で北東アジア非核兵器地帯条約案を発表した」(10ページ)。

 日米同盟では、「日本の安全保障を確保するために、どうこれらの核兵器を位置付けるべきかなどといった議論すら、ほとんどなかったのではないか」(17ページ)。

 そして、やはり外務大臣としての密約調査です。

 「外務大臣就任は数日前に正式に内示されていたので、薮中次官には、事前に命令を行うことを通告してあった。わざわざ法律の根拠を示し、仰々しく文書により調査命令を行ったのには理由があった。密約問題には関係者が多く、有力政治家や外務省OBから外務省幹部に圧力がかかるのを防ぐためにも、明確な形で大臣命令を出したほうがいいと考えたためだ」(28ページ)

 このあとは、密約調査の経緯についても書かれているし、さらに「密約がなぜ結ばれ、隠されたのか」もかなり書いています。

 さて、岡田克也元外務大臣にも国家公務員法第100条の守秘義務が終生かかります。

  岡田さんは記者会見のオープン化についての、霞クラブ(外務省記者クラブで、全国紙、通信社、NHK、民放などが加盟)とのやりとりについても書いています。その後、「会見は基本的に時間制限なしで、通常1時間弱」(118ページ)、「このオープン化と時間制限なしの会見は、私にとっても様々な観点からの質問に答えることで、多様な見方を知るいい機会だった。まだ、この場で可能な限り丁寧に説明するよう心掛けてきたことが、情報開示につながった。今回この本の中で、私が大臣時代の守秘義務があるにもかかわらず率直に語ることができるのも、記者会見でかなりのやり取りがなされ、守秘すべきものが少なくなっていたことによるところが大きい」(119ページ)。つくづく、岡田というのは、頭が良いというよりも、むしろ、異次元の発想を持つ男だと驚嘆せざるを得ません。

 もう一つ、面白かったのは、各国外相とのやりとり。このうち、2010年3月31日のG8外相の軍縮不拡散会合で、岡田外相と、フランスのクシュネール外相が激論になったことは当時から報道されていました。これについて、「私は、G8は核を持つ米露英仏と核を持たない日加独伊とが参加しており、まさしく核の問題を議論するにふさわしいと指摘した。そのうえで、核兵器のない世界実現のためG8の強い決意を対外的に示すべきであり、また、核兵器の役割の低減をG8の大きな目標として掲げるべきだと主張した」「クシュネール外相はこれに強く反論した」(201ページ)。

 で、このやりとりですが、岡田外相は合計8回発言し、クシュネール外相は合計5回発言したそうです。岡田さんは「他の外相に強い印象を与えたのではないかと思っている。それがよかったかどうかについては様々な意見があるとしても、である。」(202ページ)と書いています。

 それと2010年5月15日に韓国で開かれた、日中2国間の外相会談で、岡田外相は、中国の「楊外相に対して核保有国5か国の中で、中国のみが核兵器を増加させていると指摘」したところ、楊外相は「淡々とした冷静な、しかし私の指摘にはまったく応えることのない対応だった」(207ページ)としています。ところが、会場を移動し、日中韓3か国外相会議となったら、「突然、楊外相が顔色を変えて立ち上がり、激しく発言を始めた」(208ページ)という、顛末は、これは、政党、政治家を超えて、日本の外交当局者すべてが共有すべき貴重な体験談と言えそうです。

 岡田克也さんは、野党時代の2008年6月18日発行で、宮澤うそつき解散15周年の当日に、

 「政権交代 この国を変える」
 
 、政権交代ある政治への思い、政治改革の思い出、生い立ち、政治家を志したきっかけ、民主党改革などについて、書いています。講談社。1429円(税別)。

 与党になった直後の2010年6月23日発行で、

 「岡田語り。」

 を出しています。本人のブログを選り抜き再編集しており、一部語りおろしもあります。武田ランダムハウスジャパン、1429円(税別)。

 そして、2014年11月27日発行で、

 「外交をひらく 核軍縮・密約問題の現場で」

 。これが、ISBNコードは、
 978-4-00-061004-9
 になります。岩波書店、1900円(税別)。

  


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