【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

豊原昭二・事務局長と俊成浩章経理局長も「立憲民主党」へ

2020年09月13日 21時58分00秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして
[写真]かつて「新進党本部」が入っていたビルの前に立つ宮崎信行、おととし2018年12月28日、宮崎信行。

 当初は資金が豊富で合流で有利だとされていた、旧国民民主党の豊原昭二・事務局長と俊成浩章経理局事務部長が、退職し、2020年9月15日の立憲民主党に入党することが明らかになりました。

 内情を知る事務局長と経理局事務部長の立憲移籍で、国民民主党に残る人たちは、「森友・加計・桜の安倍菅官邸のようになにか隠したものがあるのか、自民党の二階幹事長への組織活動費のようなものだろうが」といった憶測までたち始めました。

 豊原さんは、1993年、その日の朝まで大臣をつとめる宮沢内閣不信任決議案に賛成して、新生党結党メンバーとなった中島衛衆議院議員(故人)の公設第二秘書出身。前任者の立憲移籍に伴い、民進党事務局長に昇格していました。

 俊成さんは、元県会議長の父を持ち、小沢一郎さんの引きで、経世会職員、新生党職員をつとめ、新進党に。1997年末には小沢さんの厳格な密命で、溜池の新進党本部ビルから赤坂見附の旧新生党本部まで現金25億円を2人で疎開するミッションを遂行。もう1人はすぐに亡くなりましたが、俊成さんはジョギングの成果もあって元気はつらつ。2003年に「民由合併」で民主党の岡田克也幹事長の面接を経て、民主党に入職し、経理局に。2012年の小沢新党とは一線を画し、バブル崩壊後の四半世紀以上、政党経理を任せられ続け、前任者の定年退職で民進党経理局事務部長に昇格していました。

 俊成さんは、本部と衆国対、参国対含めて10名ほどの新生党職員として、新生党学生塾の世話を焼きました。学生塾幹事をつとめた、筆者・宮崎信行が2009年以降、小沢一郎元代表幹事批判に動いたのですが俊成さんは2012年以後も民主党に残りました。それでもいろいろあったので、党本部ビルの階段で私が挨拶しても、挨拶を返してくれなくなりましたが、岡田克也事務所から「気にする必要はない」と、そりゃそうだろうという、アドバイスをもらい、気にしていませんでした。

 新生党関係者が集うことでごく一部で知られる元学生塾員藤澤潤さんが社長として経営する「香土」(港区の白金高輪)の常連で、私は対立から出入り禁止になっていると思ったのですが、メールマガジンの宛先を確認してくださいとメールを返したら、メルマガが配信され続けるので出入り禁止ではないらしい。これも、きょねん香土を訪れた岡田事務所関係者から「出入り禁止にはなっていない」と言われて、そうなのかな、という感じです。なお、ここには、新生党は関係ない、菅直人さんのパトロンとして知られる橘民義さんも常連で、菅さんのグループの神出鬼没なバルカン半島ぶりはさすがだと感じます。

 民社党出身の岡崎敏弘・参議院国対事務部長は新・国民民主党に参加することになりました。

 旧・国民民主党は、党本部から議員会館内外のごく一部の関係者に、「私的流用」が噂され始めましたが、自民党本部の幹事長への組織活動費などの渡し切り領収書が要らないマネーと同趣旨であり、問題がないのではないかとされています。但し、何らかの深層心理が働いたとのうがった見方も出始めました。

 これらすべてのお金の流れを読み切った、元大和証券社員の福山哲郎幹事長の大勝利となりそうです。福山さんを信頼しきっていた、枝野幸男代表の胆力ということになりそうです。枝野さんの福山幹事長への信頼ぶりは、関係者にとって、初めて見る姿だったのではないでしょうか。

このエントリーの本文記事は以上です。
国会傍聴取材支援基金の創設とご協力のお願いをご一読ください。 
このブログは以下のウェブサイトを活用しエントリー(記事)を作成しています。
インターネット版官報

Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki


最新の画像もっと見る

コメントを投稿