
初投稿は、2024年3月13日。
[写真]「早稲田大学鵬志会」1992年入学組の全体写真、左から4人目が筆者、5人目が石川知裕・元衆議院議員でメガネ姿は当時もやや印象が異なる姿、大学生協制作のアルバムから。7人中選挙に立候補したのは石川さんだけで、他の2人は模索したものの、断念しました。2年生の夏の「政権交代選挙」での取り組みをTBSビッグモーニングが十数分紹介し、ラストに「サザンオールスターズの希望の轍」がBGMが流れた映像を見た野党自民党職員からの横やりで生じた内紛に伴い退会したメンバーはここには写っていませんが、中央省庁キャリア官僚の男女らがいます。
久しぶりに眠らない夜を過ごしました。石川知裕・元衆議院議員(3期6年)が50歳で、「大腸がんステージ4」できょうにも手術を受けると、報道や本人のSNSで明かされました。
今月50代を迎えた筆者はちょっと考えていたのですが、これを機に40歳からクローズにしていた「双極性障害Ⅱ型」(プログラム性遺伝、生涯治癒しない)で障害厚生年金3級で精神障害保健福祉手帳3級であることを、10年ぶりに再オープン、カミングアウトしたいと思います。
有病率140人に1人。人一倍冬の朝がつらく、平日月曜日から金曜日までフルタイムで就労し続けることが困難なため、自立のための経済的支援がかかせません。
当ブログの8000本の記事のうち4本にその記載があります。また十数年前は、ヤフー知恵袋で「双極性障害Ⅱ型で活躍している人はいますか」に「政治ジャーナリストの宮崎信行さんがいます」との回答がなされていた時期がありますが、私が再クローズにしたころには消えました。
このことは、立憲民主党の議員、リアル友達、取引業者はほとんど知っていることです。だから、改めて言う必要もないのですが、充実した40代に、それを知らない人に話しかけられたり、私をよく思わない人にけん制されたりすることをおそれ、無言で威嚇していたところがありました。50代になりましたので、肩の力を和らげて活動した方がいいと考えました。
なお双極性障害Ⅱ型は被選挙権行使の法律のどこにも欠格事項ではありませんが、私は立候補を断念して、17年間、このニュースサイトを運営しています。
ただ、40代の経験で、銀行の融資を引っ張るには、収益性の計算と担保価値の評価・金融資産力で評価されるものであり、双極性障害Ⅱ型で減ったり降りなかったりするものではないことが分かりましたので、ほとんど問題ないと判断しました。銀行本社内で、行員が自分の会社の審査部に上げる書類にどう書こうかと質問される程度です。
1992年4月、早稲田大学に入学し、鵬志会に入会。新生党ブームに参画し、細川・羽田連立政権の樹立に政治は自分の手で変えられるという大成功体験を得ました。石川さんと私は親が資産家という共通点もありましたが、ライバルでした。1学年から2人幹事長をやっている期はまれで、おそらく私の代だけだと思います。
その後、2005年9月に日本経済新聞社を退社し、2007年の参院選前から政治ジャーナリストとしての活動を再開した筆者は、石川議員室をよりどころにさせてもらい、感謝しています。委員会の質問作りを雑談しながらして、次の日の委員会で大臣が答弁するのですから、自分は社会とつながっているという実感を再び得ることができました。
石川さんは私の双極性障害Ⅱ型が「治り」、一緒に国会議員をやりたかったとのことですが「治らない」ことを伝えました。
3期6年在職した石川さんですが、私をロールモデルとするところが18歳ごろからあり、議員を辞めた後に、留学したことがあります。私が政治学科だからか、法政大学院政治学研究科に入りました。在職0年0か月の私を追いかけても、こまるのです。
私は東京23区で3棟目のアパートを買い、この後、2棟にしてキャッシュフローを改善しようともくろんでいます。が、諸費用の目算を誤り、1998年、2011年以来で最大の資金繰りの綱渡りの局面をむかえています。私、母、会社名義の各銀行の口座のやり取りを毎月どころか毎日把握しないといけない日々が数カ月続くかもしれません。人生最後の大波だと心得ています。母亡き後の高齢障害者の当事者としての未来からの逆算もしていますが、母から「あなたは頭が良すぎる」とたしなめられています。
私は50年間、山手線駅歩いて9分、明治通りに面した自宅、占有面積130平米に住み続け持続してきました。石川さん逮捕の報を現役幹事長と二人で見守った私は、帰宅後に子供部屋で息がしづらくなりへたりこんだところを母に肩をもみ背中をさすってもらいやり過ごしました。今回は私が母の寝室の隣まで行って、母に背中をさすってもらっています。石川さんと私の体は、それを否もうとするほど、かえって同調してくるようです。これが人の世だと感じます。
以上です。
今月50代を迎えた筆者はちょっと考えていたのですが、これを機に40歳からクローズにしていた「双極性障害Ⅱ型」(プログラム性遺伝、生涯治癒しない)で障害厚生年金3級で精神障害保健福祉手帳3級であることを、10年ぶりに再オープン、カミングアウトしたいと思います。
有病率140人に1人。人一倍冬の朝がつらく、平日月曜日から金曜日までフルタイムで就労し続けることが困難なため、自立のための経済的支援がかかせません。
当ブログの8000本の記事のうち4本にその記載があります。また十数年前は、ヤフー知恵袋で「双極性障害Ⅱ型で活躍している人はいますか」に「政治ジャーナリストの宮崎信行さんがいます」との回答がなされていた時期がありますが、私が再クローズにしたころには消えました。
このことは、立憲民主党の議員、リアル友達、取引業者はほとんど知っていることです。だから、改めて言う必要もないのですが、充実した40代に、それを知らない人に話しかけられたり、私をよく思わない人にけん制されたりすることをおそれ、無言で威嚇していたところがありました。50代になりましたので、肩の力を和らげて活動した方がいいと考えました。
なお双極性障害Ⅱ型は被選挙権行使の法律のどこにも欠格事項ではありませんが、私は立候補を断念して、17年間、このニュースサイトを運営しています。
ただ、40代の経験で、銀行の融資を引っ張るには、収益性の計算と担保価値の評価・金融資産力で評価されるものであり、双極性障害Ⅱ型で減ったり降りなかったりするものではないことが分かりましたので、ほとんど問題ないと判断しました。銀行本社内で、行員が自分の会社の審査部に上げる書類にどう書こうかと質問される程度です。
1992年4月、早稲田大学に入学し、鵬志会に入会。新生党ブームに参画し、細川・羽田連立政権の樹立に政治は自分の手で変えられるという大成功体験を得ました。石川さんと私は親が資産家という共通点もありましたが、ライバルでした。1学年から2人幹事長をやっている期はまれで、おそらく私の代だけだと思います。
その後、2005年9月に日本経済新聞社を退社し、2007年の参院選前から政治ジャーナリストとしての活動を再開した筆者は、石川議員室をよりどころにさせてもらい、感謝しています。委員会の質問作りを雑談しながらして、次の日の委員会で大臣が答弁するのですから、自分は社会とつながっているという実感を再び得ることができました。
石川さんは私の双極性障害Ⅱ型が「治り」、一緒に国会議員をやりたかったとのことですが「治らない」ことを伝えました。
3期6年在職した石川さんですが、私をロールモデルとするところが18歳ごろからあり、議員を辞めた後に、留学したことがあります。私が政治学科だからか、法政大学院政治学研究科に入りました。在職0年0か月の私を追いかけても、こまるのです。
私は東京23区で3棟目のアパートを買い、この後、2棟にしてキャッシュフローを改善しようともくろんでいます。が、諸費用の目算を誤り、1998年、2011年以来で最大の資金繰りの綱渡りの局面をむかえています。私、母、会社名義の各銀行の口座のやり取りを毎月どころか毎日把握しないといけない日々が数カ月続くかもしれません。人生最後の大波だと心得ています。母亡き後の高齢障害者の当事者としての未来からの逆算もしていますが、母から「あなたは頭が良すぎる」とたしなめられています。
私は50年間、山手線駅歩いて9分、明治通りに面した自宅、占有面積130平米に住み続け持続してきました。石川さん逮捕の報を現役幹事長と二人で見守った私は、帰宅後に子供部屋で息がしづらくなりへたりこんだところを母に肩をもみ背中をさすってもらいやり過ごしました。今回は私が母の寝室の隣まで行って、母に背中をさすってもらっています。石川さんと私の体は、それを否もうとするほど、かえって同調してくるようです。これが人の世だと感じます。
以上です。
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