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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

【長野補選】羽田次郎候補は地元・軽井沢で「ミスター政治改革プラス市民と野党の統一候補イコール羽田次郎」でかなり勢いを増したか、自民党の小松裕候補は「信濃の国を6番まで歌える」と強調

2021年04月17日 20時50分00秒 | 国政統一補欠選挙
[写真]グータッチでこたえる羽田次郎候補、長野県北佐久郡軽井沢町、きょう2021年4月17日、宮崎信行撮影。

 長野選挙区補欠選挙は、きょうで10日目。残り7日間となりました。

 全国的に有名な別荘地「軽井沢」ですが、長野県北佐久郡軽井沢町(地域ブランドは他自治体にもまたがる)ですので、中選挙区時代・小選挙区通じて、羽田孜元首相の地元選挙区です。

 きょうは羽田次郎候補が参上。雄一郎さんがつくった「市民と野党の統一候補」として多くの聴衆がつめかけ、かなり熱気を帯びました。雄一郎さんを恩人と思う市民の方は当地にはかなり多いようです。

 羽田次郎候補は、マスクを外してマイクを持つ直前に「羽田○○」と下の名前を間違えて紹介されかけ「今ちょっとどっきとしましたけど(そちらの次郎!次郎!の声)ありがとうございました。立憲民主党公認、市民と野党の統一候補、羽田次郎でございます」とあいさつ。2週間前に雄一郎さんの納骨が済んだとして、「それまで(参院選候補になることが)少し不安でしたが、今同じ信州の空の下で見守ってくれていると思います」と語りました。



 政策では「PCR検査を無料にする。今は陽性になってしまったら、仕事を、家事を、育児を休まなければならないのではないかと心配して、かえって感染が広がっていることもある。また、医師らエッセンシャルワーカーへの、偏見があり、家族まで差別され、小さな差別が心をきづつけ、自殺してしまう人までいる。この車にも書いてあるように、小さな声に耳を傾ける。信州には77市町村があるが、声なき声、小さな声、小さな悩みに寄り添っていく」と語りました。

 演説会には、杉尾秀哉参院議員、寺島義幸元衆院議員、千曲会の軽井沢担当者、はなおかけんいち県議、やなぎさわせいあん元県議、なかざわむつお町議、きうちとおる町議もスピーチ。

 このうち寺島さんは「羽田孜先生はミスター政治改革と呼ばれた。改革の火を消すな。そして、そちらの方が持っているように、市民と野党の共同」と話し、「ミスター政治改革」プラス「市民と野党の共同」イコール羽田次郎候補の当選だとの認識を提示しました。


[写真]演説開始前に、私が「顔をとってもいいですか」と問うと「どうぞ赤旗など全国紙に載せてください」「赤旗でないけどいいですが」「もちろん」。「次郎」のマスクと「私たちは忘れない」。反原発の傘は十年間使っているそうです。


[写真]JA佐久浅間軽井沢支所に集まったみなさん。


[写真]手ごたえを感じたように思える羽田次郎候補ら。



 私が初日にいいな、と思った政策演説部分は骨格はそのままで手ごたえを感じているようです。また、次郎さん兄弟がもっとも信頼を置いた前政策秘書に、きょうは「あの日」以来初めて会えて、うれしかった。

 これに先立ち、長野市の長野駅前「ながの東急」百貨店前の自民党公認の小松裕候補の演説会にも行きました。

 演説会は、かざまたつふみ元県会議長が司会で、世耕弘成・参議院自民党幹事長と若林健太・同党長野1区支部長が司会。小松候補は竹下派ですが、世耕幹事長(参議院細田派・清風会会長)の前任幹事長(参議院竹下派)が長野県選出だったことと、若林さんが細田派なので、小松さんを押し上げると、衆院1区で若林さんも押し上げられるという思惑でしょう。

 小松候補は「私は、信濃の国を6番まで歌えます」と長野県歌で郷土育ちをアピール。小松さんは「信州には未来がある。国土強靭化を進めるためにも私が勝たなければならないんです。私に、新型コロナとのたたかいをさせてください」としました。名前の裕(ゆたか)とかけあわせて「みなさんの一票でゆたかな信州をつくりたい」とボルテージを上げました。


[写真]演説する小松裕候補(右)と世耕幹事長(左)、長野市、同日、宮崎信行撮影。

[写真]演説会後に聴衆と話す世耕幹事長、同。

 国会の不思議で、参議院幹事長は警護対象で、国対委員長は違います。警視庁の警護対象者ということで、たくさんの長野県警の警備課警察官が動員されました。ただし、弁士、スタッフ、おまわりさん、テレビ局関係者、聴衆の全員を合わせても50名弱。「ながの東急」は営業時間中だったようです。市内の他会場を流してきたといっても、かなり旗幟鮮明となっているようにも感じます。ただ、IOC会長の「(オリンピック開催地は)東京」の発表に安倍晋三首相(当時)の後列で外務政務官の立場で最も喜びを爆発させた愛すべき若林支部長は「弔い合戦と言われだいぶリードされましたが、相手の手が届くところまで来たようです」と演説しており、コロナ禍で期日前・当日投票所に足が向かない人も多そうですので、勝負はまだ靄の中のようです。

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