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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

【訃報】【霞が関】坂篤郎さん逝去の報道、橋本龍太郎内閣の大蔵省出身の首相秘書官として大変お世話になりました

2024年05月09日 21時04分22秒 | 訃報
 橋本内閣を通じて、首相秘書官(事務=大蔵省出身)をつとめた坂篤郎さんが亡くなったと報じられました。

 筆者の首相番記者在任中は、たいへんお世話になりました。

 5人ほどの記者がいる環境で、「生命保険は予定料率が下がるから今入らない方がいい」と聞き、資本主義ってそういうもんかなと思いました。また、「お金の流れを読むと、それからの人の流れが分かる」と教えてもらい、今日まで実践していますから、これはとても感謝しています。明治元年前夜に江戸だった地域の出身で、私の地元は武蔵ですが、坂さんの奥さんに元日の首相公邸(現存せず)開き(慣行として廃止)で、私の両親とともに最寄りですと挨拶したら、ご近所ですねとにこやかに返していただきました。

 秘書官室で唯一の、首相の麻布中・高の後輩ということもありました。また母校・東大の正門近くの「旅館」出身で、試験で泊まった同窓も多いようです。

 総理秘書官在任中も、文京区内に所有するマンションの最上階のメゾネットに住んでいました。当時の日本テレビ記者(退職)が「坂さんの官舎でさあ」と後日談を話すので、「あれ、官舎でなく、ビル全部坂さんの持ち物だよ」という話をしました。

 戦前生まれのお兄さんは、法人として千葉にゴルフ場などを経営。嫉妬もあり、大蔵省では主計局次長までで他省に移りました。私がフリーランスの政治ジャーナリストになって間もなく「坂さんに久しぶりに会いたいな」と思いつつ旧・議員会館前にいったら、坂さんがいて、ようと左腕を上げてくれました。日本損害保険協会の副会長に天下っていた当時で、「坂タワー」は「あれ、もう売っちゃった」とあっけらかんとして、そういうものなんだなと思いました。私は巨大な「坂タワー3」を発見したことがあります。「三四郎」で与次郎が引っ越したあたりです。坂タワー3は、自転車置き場が五十メートルほどありますが、昔から所有していた土地に、建蔽率・容積率に従い建設したのかもしれません。お兄さんの法人の方の「坂」なのでしょうか。

 首相秘書官時代は、総理にかわって客人に会う役回りもあり、とくに予約せず空いている部屋で会っていました。その中には弁護士で香川県の産廃の話をする人もいて「これはなんの話だ」と思いつつ総理に会わせずに政府につなぎ、山一・拓銀ショック後の債権回収の公職で一時は大変な名声をえる人物と官邸内で接触していました。

 霞が関後輩だけど、上席だった江田憲司さんは、多少の軋轢があったようで衆議院予算委員会で坂篤郎さんを批判したこともあります。わずか5人の総理秘書官室で何があったかは分かりませんが、「さか・あつろうさん」と繰り返していましたが、「さか・あつおさんだよ、5人しかいない同僚の名前間違えるなよ」と私は内心でツッコミました。

 以上です。


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