ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

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ある自民党政治家の惨めな終幕 小杉隆さん

2008年09月29日 21時43分34秒 | 第170臨時会(2008年9月~12月)麻生兵糧攻め
【国会傍聴記 2008-9-29 衆院本会議】

 麻生太郎首相の所信表明演説に先立ち、午後2時から永年(25年)勤続議員表彰が行われました。

 自民党山崎派の小杉隆さん(東京5区、当選8回)がモーニング姿で「この演壇で話すのも最後となりました」と表彰への謝辞の演説を始めました。

 小杉さんは第45回衆院選に出馬せず引退します。解散の瞬間に引退です。早ければ今週の金曜日(10月3日)には通算25年務めた衆院から去ります。

 小杉さんは東京都目黒区出身の73歳。演説によると、小学校のときに終戦を迎え、中学校の時に母親を亡くし、新聞や牛乳を配達して、弟を育てたそうです。東京大学教育学部を卒業し、東京放送(TBS)勤務を経て、29歳で都議。

 政治家を志した理由は公害問題で、多摩川が遊泳禁止になったことに衝撃を受けたとのこと。私は下町・荒川っ子、小杉さんは山の手・多摩川っ子ですが同じ東京生まれ東京育ちとして問題認識を共有していると思いました。

 東京都議4期を経て、新自由クラブ公認の衆院議員に。地球環境国際議員連盟(GLOBE)の総裁を務めました。GLOBE総裁はアル・ゴア元米副大統領も歴任していました。

 清貧さと読書家の政策通が売りだった小杉さんですが、1986年(昭和61年)、新自由クラブ解党によって、自民党に入党したことで生活は激変してしまったようです。夫婦共に派手な生活を覚え、酒池肉林に身を興じるようになりました。朱に交われば赤くなるとはこのことで、ついに小杉夫人は20億円はくだらないと言われる金額の借金を後援会員から相対でねだるという過ちを犯した、と週刊誌などで報じられています。

 小杉さんは「政治に没頭するあまり、多くの方にご迷惑、ご心配をおかけしたこともあったかと思います。申し訳なく思います」と永年勤続表彰には異例のお詫びをしました。しかし、借金の総額や詳細などは明かさぬまま、情報をベールで包んだまま幕を引くという自民党らしい最後の演説でした。

 私は一人の東京っ子として、下町と山の手の違いはありますが、このような政治家を輩出してしまったことを申し訳なく思います。小杉さんは自民党に入っていなければ、こんな惨めな最後の演説をしなくても良かったんではないでしょうか。

 要するに何が言いたいかというと、権力は必ず腐敗するということです。53年間も政権に居続ければ、どれだけ崇高な理念を持っていようと腐ります。だから政権交代が必要だと言っているのです。

 全国の民主党の総支部長が何年政治家をやるつもりかは知りませんが、こんな惨めなラストシーンだけは御免被りたいものです。


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