【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

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2024年01月02日 15時19分00秒 | 宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki
 新しく、国会連絡室に異動したり、政策担当・公設秘書になったり、院事務局に採用されたりした人向けに、更新するページを、2023年10月13日に開設しました。
 このニュースサイトは、宮崎信行が一人で取材し、一人で書いています。
 裁判傍聴でなく、国会傍聴なのは、後者がインターネット中継があるからというのが最大の理由です。ビジネスモデルとして2007年夏に気づいた私は、こたつ記事のパイオニアです。
 とはいえ、国会議事堂、政党本部などでは週1回程度は直接取材しています。
 また、早稲田大学鵬志会幹事長から30年、選挙の戦術、取材、289選挙区の俯瞰は卓越しています。
 5年前に家業をついでから、プライベートは睡眠か、金回りの数学か、昔の恋人の回想・妄想しかしておらず、話し掛けられたり、ファンレターを送られたりすると全く会話が成立せず、取材に出掛けられないほどのスランプに陥っています。例えば、不動産の取得原価の年7%の現金が法的果実として私の懐に入り、銀行利息が年3%なら、毎月いくら現金を得られるから、不動産を買おうという割戻算を常にしています。また、未来から逆算した現在を永遠の今ととらえて銀行に提出する事業計画書を書くので、過去からの積み重ねで現在を語る会社員と全く会話が成立しません。
 永田町では、宮崎信行さんに話し掛けてはいけないことは常識ですが、百人に一人例外がいると、半分以上無視しますが、会話に応じると、生まれや育ちがよいので誠実に回答しないといけないという深層心理が働いてしまい、絶交、体調不良につながり、とても悩んでいます。
 政権交代ある政治を長年のぞんでいますが、国民への説得はペンディング。1940年8月15日の立憲民政党解党翌日に、祖父が4年間の村会議員の身分の途中で、新たに任期4年間の収入役にスライド。徴兵されず、血縁者が誰一人かすり傷一つ負わなかったことに近年、郷土史の精査で気づき、健在者に確認。二大政党制への国民の説得はペンディングしています。
 また、亡父が義兄の市議会議長、義父の元国鉄職員から「東京で働きたい」と天下りされそうになり、苦労して拒んだことも再認識しました。私は生まれてから49年間、お金に困ったことが一度もないので、両親の躾は時代の調整をして必ず従います。資金繰りに困った友人は見捨てなさいと躾けられました。
 政治ジャーナリスト、元日本経済新聞記者。現在、勉強会は全く組織していません。


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