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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

民主党代表選、NHKニュース7 がトップで報道してくださる 比例代表の県別得票成績付き

2012年12月23日 17時22分13秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして


 2012年12月22日(土)、都内のホテルで、第46回衆院選落選者も含めた総括会議が開かれました。

 この模様は、同日午後7時からのNHKニュース7のトップで報じられました=写真。私はもう野党だから、7番目くらいかと思いましたが、トップでした。変な話ですが、前回の政権交代のときには、幹部政治記者が自らお亡くなりになりました。理由は分かりません。政権交代で「「情報を出しづらくなった」と友人に語っていたという話も聞きました。3年3ヶ月ぶりの政権交代。これからは、野党キャップがあたかも左遷ポストのように言われる政治部であってはなりません。

 そして、NHKニュース7は立派ですが、野党になったということの現実を、報道という場面からも痛感することも多いでしょう。3年3ヶ月に奢った態度がまったくなかったのかどうかを徐々に体で覚えてほしいと感じます。 

 先週は、日本維新の会(衆院第3会派)、みんなの党(参院第4会派)の党首格から、さっそく第23回参院選の1人区を中心に、民主党、日本維新の会、みんなの党で非自民勢力を結集したいとの発言がありました。残り半年しかありませんから、ていねいな候補者調整が民主党の新代表・新幹事長にのぞまれます。

 元東京都議会民主党政調会長で、東京15区から初めての小選挙区勝ち抜きで2期目になったみんなの党の柿沢未途衆議院議員は民主党代表選について「他党の党首選びに余計な口は挟みたくない」としながら「この際、岸本さんや玉木さんあたりが代表になったら、と夢想してしまう」とTwitterでつぶやきました。




https://twitter.com/310kakizawa/status/282641071983431680

 ちなみに、昨日の総括会議で、「離党者を○してしまいたい」と発言した前議員がいたと朝日新聞が報じました。気持ちは同感です。ただ、柿沢さんは都議時代に離党しています。もう1人新党大地ただ1人の衆院議員となった石川知裕さん。この2人は、「我が党(民主党)に迷惑をかけないために」離党した人です。裏切り者は、離党者というよりも除籍者と呼ぶべき。そして、未途さんや石川さんは他党ですが、裏切り者ではない、ということは忘れないでほしいです。 

 私も、3党合意の中でも農業者戸別所得補償こと直接支払い、社会保障と税の一体改革を履行していく上で、玉木雄一郎さん(43歳)岸本周平さん(56歳)が代表になり、連合とのパイプがあり国会対策も請け負えるベテランが幹事長になったらいいなと「夢想」しております。政権交代ある政治のダイナミズムを国民に示すことができます。嫉妬というのは日本社会のみならず、どんな社会にもありますが、玉木さんと岸本さんは細野豪志さん(40歳)より実年齢が上であるという好都合もあります。イチバン大事なのは、半年後の第23回参院選までに「玉木って誰?、岸本って誰?」という世論に、玉木、岸本の良さを民主党が浸透させることができるかどうか。そこで、47都道府県別の比例代表での民主党の獲得票数の表です。で、結論から言うと、残念ながら、そこまでの発信力、浸透力は民主党にまだないでしょう。

 下野時に衆議院議員に残ることで、出世の時計の針が進む。玉木・岸本になるためには、コアメンバー15人、連合、できる限りの地方議員団ら雨天の友を大事にする足腰の強い後援会・総支部でなければならない。2009年初当選組は、玉木・岸本を見習うべきです。2012年自民党初当選組にも、玉木・岸本を見習ってほしい。内輪の党首選よりも下野時に衆議院議員に勝ち残ることで党内出世が決まります。それが政権交代ある政治のメリットの一つ、世代交代のはやさ、議員仕分けだということも有権者のみなさんにお示ししたい点です。

 あるいは玄葉光一郎代表なら当選7回で48歳。非世襲で7回生の40代など、自民党にいません。さらに同期で、前原誠司さんが50歳、さらに枝野幸男さんが46歳がいるとなると、3人とも非世襲で、3人とも外相や官房長官経験者というちょとしたサプライズを、自民党議員にあたえるでしょう。自民党よりも人材がいるということが相対的に明らかになるでしょう。ただ、参院福島選挙区は1人区になり、現職同士の激戦になりますから、渡部恒三先生が引退したことなどを考えると、オール福島で地元を回りたいという玄葉さんの気持ちはもっともです。

 これからは地方議員を増やすとともに、「投票に行きます」だけでなく、投票を働きかけたり、事務所で手伝う(選挙に参加する)人がもっと増え、足腰の強いデモクラシーになる必要があります。私は当事者としてかかわってきたので、心残りはありません。しかし、今回の選挙結果に心残りがある人が多いようです。民主党支持者というよりも、民主党を心配している人。新代表らはその人とフェース・トゥー・フェースでのコミュニケーションをとっていけるか。すべての心配している人を傍観者から当事者にできるか。土俵際であり、ラストチャンスですが、まだ民主党に期待しています。それが試されているのが、今回の代表選であり、それ以降は2月の衆院予算委員会になります。世間では1ヶ月もあれば、忘れられ、ニュース7のトップにもならないでしょう。その間に、心が折れる総支部長が出てくるかもしれません。まさに正念場であり、ラストチャンスであることを心得るべし。

 
[写真]第46回衆院選の比例代表の県別得票数(得票率)。民主党および、自民党、公明党、さらに日本維新の会、みんなの党の5党のみ。18日付日経新聞6面から、一部分のみ。

 言い訳はいりません。半年後に結果を出すしかありません。 

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新進党解党手続きは小沢一郎氏が幹事長・国対委員長・政調・総務・議員会長に伏せて進める

2012年11月06日 07時31分05秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 第41回衆院選に負けながらも新進党党首にいすわった小沢一郎氏が、新進党の西岡武夫幹事長、中野寛成・国会対策委員長、近江巳記夫・両院議員総会長、神崎武法・総務会長、野田毅・政策審議会長が知らないところで、解党の準備を進めていたという驚くべき実態が浮き彫りになりました。これは当時新進党役員だった衆議院議員が引退記者会見で明らかにしました。

 元新進党役員は「小沢さんがなぜ瓦解する方向に持っていくのか。小沢さんの調整力や心をこめたリーダーシップが発揮されない状況で、私自身なんとか最後まで守り抜きたいと、西岡武夫さん、野田毅さん、神崎武法さん、近江巳記夫さんらとひっしに策を練ったが、そのメンバーも分からないところで解党の準備が進んでいた」と語り、自民党宏池会出身で元文相の西岡武夫幹事長(故人)、民社党出身の中野寛成国対委員長、公明党出身で元科学技術庁長官の近江巳記夫・両院議員総会長、公明党出身で元郵政相の神崎武法・総務会長、自民党政科研出身で元自治相の野田毅・政審会長(政調会長)が知らないところで、小沢側近議員・秘書により分党手続きがされており、何らかの資産の移し替えがされた可能性が高まりました。

 新進党本部が入っていたビルは、そのまま自由党本部になっており、金庫の場所は変わっていないと思われます。このとき、現金の運搬が側近職員(一部故人)によってなされたとの複数の証言もあります。このときの役員名簿をみると、新進党から自由党に移籍したメンバーとしては、おもに、東祥三・筆頭副幹事長、中井洽・組織委員長、田村秀昭・団体渉外委員長(故人)、小池百合子・国民運動委員長、藤井裕久・経理局長、二階俊博・選挙対策事務局長、宮本一三・国際局長、岡島正之・地方局長ら8人の名前が浮かび上がります。これに加えて上記の西岡幹事長と野田政審会長も自由党に参加しました。それぞれの関与については不明な点が残ります。

 これまでは、公明党・創価学会からの分党圧力に小沢党首が耐えきれなくなって分党を発表したとの観測が強かったのですが、石田幸四郎旧公明党委員長にかわり旧公明党出身者トップに浮上していた神崎総務会長と、ベテランで重し役だった近江両院議員総会長が党存続に奔走して、その2人が知らないところで解党準備が進んでいたという有力証言が出たことで、小沢氏が野党第1党の金庫を私物化したのが「新進党解党の真実」だった可能性が高まりました。

 小沢一郎氏は、今月中旬にも、東京高裁での裁判にメドが立つ見通しであることから、第181臨時国会で証人喚問すべきです。

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「民社の理念、実現できた」中野寛成さん今期で引退を発表 50年の政治生活にピリオド

2012年11月06日 06時45分15秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]第45期衆議院限りの引退を発表する中野寛成さん、衆議院内民主党国会対策委員会室、2012年11月5日(月)、筆者撮影。

【民社党結党50年の理念を実現し、中野寛成さん、11期32年、結党以来50年の政治生活に終止符】

 「私自身50年間の政治生活にピリオドを打つ決意をしました」。

 大阪8区(豊中市)選出の衆議院議員、中野寛成(なかの・かんせい)さんが2012年11月5日(月)午後6時、衆議院内民主党国会対策委員会室で記者会見し、第45期衆議院をもって政界を引退することを表明しました。71歳、衆議院当選11回、在職32年。「在任期間のあと10ヶ月、しっかりとなすべきことをやっていく」としながら、「二大政党が政権交代をし、日米安保、国連中心主義を基軸に社会保障を安定させる。これが私の政治生活のスタートだった」と述べ、「ある程度達成できた」と満足げな表情を見せました。

 官房長官、副総理を経て、民社党を結党した初代委員長、西尾末広さんは「政権をとれない政党は鼠をとれない猫である」と語りましたが、民社党としての政権入りはできませんでした。

 中野さんは1970年(昭和45年)、関西大学在学中に学生運動に嫌気がさし、自由社会、日米安保、中産階級を重視する民社党に入党。細川内閣・羽田内閣では民社党の政調会長・幹事長として連立与党チームからバックアップし、11期目で2度目の与党に。在職31年目で初入閣。これは同じ近畿地方選出の斎藤隆夫代議士の在職32年目よりも1年早い記録となりますが、国務大臣・国家公安委員長・拉致問題担当相として「3・11」を経験しました。「与党と野党の違いは?」との記者の問いかけに「圧倒的な情報量の差だ。国政への関与のしかたは与党と野党ではだいぶ違う」と答えました。

 こちらをご覧ください。バブル後期の1990年2月の総選挙での民社党のポスターです。

 
[画像]第39回衆院選の民社党ポスター、目で見る議会政治百年史から。

 「くらし上向き実感したい。生活先進国をつくる 民社党」。

 小沢一郎幹事長率いる自民党は「世界のあこがれ 自由な日本」、土井たか子委員長率いる日本社会党は「やっぱり消費税は廃止だ 激サイティング社会党」でした。これを見ても、今の民主党の「控除から手当へ」「最低保障年金」「子ども手当」「農業者戸別所得補償」といった政策はもともと民社党が打ち出したパラダイムであることが見て取れます。

 中野寛成・新進党国対委員長が1997年1月に出版した『友愛国家の創造 二大政党制をめざして』で、「日本的保守、リベラルは世界に通用しない」と喝破。「リベラルな政治をめざす、などといっても何をいっているのか国民からはさっぱりわからないのである。もはや日本では保守やリベラル、社会主義を政治の対立軸として掲げても、国民からはわけのわからない言葉になってしまった」として、「どのような自由主義をめざすのかを選挙の争点にすべきである」と主張しました。そして、自民党・社会党の狭間で民社党は先進的な政策を次々に提唱してきたとしながらも、「民社党は政策はいいけど議員が少ないので・・・何度となく聞かされた言葉である」「民社党の政策は自民党の5年先を行っている・・・これもよく聞かされた言葉である」と述懐しています。そして、民社党の政策として、「勤労者の福祉国家の建設、行政改革の推進、階級的労働運動でない民主的労働運動、沖縄の本土なみ返還、専守防衛、自由世界の一員としての外交・防衛、君が代や日の丸の尊重、生活先進国づくり、第二地方交付税の提唱」を掲げています。

 この第二交付税ですが、「地方分権の第一ステップ」として「現在公共事業予算は各省庁別に配分しその後地方に交付されているがこれをやめて、公共事業予算は一括して地方に配分してしまおうという制度」として提唱しています。言うまでもなく、2009マニフェストの「地方一括交付金」であり、今年度予算から国交省と農水省の沖縄関係予算の根本を引っこ抜き、内閣府経由で沖縄県庁に渡しきりにしている沖縄振興交付金のことです。いわば、民社党の政策は15年先を行っていたことになります。逆もまた真なり、ですが。新聞では野党第3党だから自民党偏重報道の中で記事にならなかったけど、民社党とはこういう政党だったんですね。

【第三極は「民主政治が成熟していかねばらならない過渡的な出来事に過ぎない」と喝破】

 引退会見では大阪選出だけに第3極に自ら触れ、「第三極は私に言わせれば、第散極であり、第乱局だ」とこの日唯一のダジャレを披露しながら、「日本の民主政治が成熟していかねばならない過渡的な出来事に過ぎない」と喝破。「決められない政治に不安を持つ人が第3極に走っているが、第3極は野心の塊のような人がつくった政党に過ぎない」と切り捨て、「国民の選択の幅がある二大政党があるのは、日本の民主政治の基本なのだろう」という長期的展望を示しました。

【言わねばならないことがある!】

 中野さんは産経新聞記者の質問に答え、「日本の憲法は一言一句変わっていない憲法としては世界で最古のものとなった」として、「憲法には30万(人)近い自衛隊が重装備をしていることがのっていないのはおかしいと思います。むしろしっかりと書いて、シビリアン・コントロールの下の自衛のための軍隊として位置づけ、国家緊急権も規定すべきだ」とし、その道筋として国民投票法を制定できたことを実績に挙げました。そのうえで、「決められない政治から脱却するためには解散制度をなくすことも一案だ」とし、「時々の(衆院政局の)混乱で『解散!』『解散!』というのは議会制政治を否定するものだ」「内閣不信任案のない中で総理が解散するというのは憲法違反だと思う。あえて言えば、憲法7条の天皇の国事行為(による7条解散)はこじつけだと考える」と持論を主張しました。

 「政局よりも国民と生活を守る方が大事で、このように(予算成立から半年経った)11月になっても、(特例公債法案という)政局に明け暮れている」としました。実は、中野さんの衆議院本会議の初登壇は、当選翌年、36歳のとき、1977年3月4日「昭和52年度の特例公債法案」について代表質問しています。福田赳夫首相や坊秀夫蔵相に対して、借金のツケは若い世代が払うとして「坊蔵相が引退しても、借金は棒引きにできません」とダジャレを交えながら、ときの蔵相を批判しました。ただ、中野さんは会見で、「衆議院社会保障と税の一体改革特別委員長として129時間の審議のうえに最終的に自民党と公明党の案を丸飲みにして3党合意をすることができた」と主張し、1998年の金融国会で野党案の金融再生法案を小渕内閣が丸飲みにしたことを思い出し、「私にとって3党協議は政治生活の宿命だ」と語りました。これについて、記者からの「金融国会で政局にすればもっと早く政権をとれたのではないか」との質問に、「政局にすることによって日本の金融界をパンクさせてはいけない。私は結果として日本を守った。今でも自負しています」と自身の考えを貫きました。これについては、今でも両論が分かれるところですが、中野さんは引退会見で断言したということです。

 野田佳彦総理の「分厚い中間層の復活」については「私は中産階級に手厚い福祉国家論のことだと考えている」と独自の解釈を示しながらも、おおむね満足感と安堵感が包まれた引退会見でした。

【原爆投下直後の長崎は「地獄絵図」】

 長崎生まれ。1945年8月9日、寛成さんは母の実家にいて、爆心地からは離れていまし。しかし、原爆投下直後の「地獄絵図を見て」医者を志しました。しかし、小学校で色覚異常が見つかり先生から「カンセイ、お前は医者になれないよ」。その後、中野寛成さんは衆院文教委員を務め、現在は同じ条件でも医学部に進学できるようになりました。医師になれないことを父に相談すると「戦争をなくさないと原爆はなくならない。そういうことをする仕事で、政治家というのがあるよ」と言われ小学1年生で政治家を志しました。父の再三の商売の失敗で夜逃げした大阪。「貧乏のどん底」のなかで関西大学に進み、民社党入党。その縁で知り合った税理士で大阪府議の事務所で働きながら、25歳で豊中市議会議員に当選し、連続3期。

 「後継者という言葉は好きではない」と述べ、「総支部が選んだ後進」のめどがついたとしました。「政治は未来永劫続くので、区切りはありませんが、一つの区切りはできたと思う。後進に大いにがんばっていただきたい」と述べ、同日、大阪府連に後継の大阪8区総支部長と、第46回衆院選候補予定者の公認申請を出したことを明らかにしました。「府連から党本部に上がって常任幹事会で議長をするのは私ですから」として現役常任幹事会議長として「しっかりとルールを守らなければいけません」。衆院選に出馬したときは落選しましたが、4年後のロッキード選挙で初当選しました。そして、第43期衆議院の副議長として8月8日に小泉首相に解散されてしまい、翌日の長崎平和祈念式典に参加できず。さらには連続当選10回で、落選の苦杯をなめました。しかし、「2ヶ月後には公認されちゃったので出ることにしました」と笑わせました。

【今初めて明かされる真実】

 新党友愛の結党に関しては、吉田之久・参院議員、伊藤英成・衆院議員(全トヨタ労連)、寺崎昭久・参院議員(日産労連)の3人が新党を検討しており、「このことは私は新進党国対委員長として執行部にいたので知らなかった」としました。そして、「新党友愛の顧問になってほしい」との話があり、いったん了承したら、一晩あけて「やはり党首(代表)になって、私たちをひっしの覚悟で守ってほしい」という話に変わり、このとき川端達夫さんがいた、と語りました。これも初めての証言でしょう。「とはいえ小選挙区時代をミニ政党ではたたかえないので、参議院の仲間のことも考え、同質な人たちを糾合」して民主党を結成したと語りました。これが、今話題になっている、「民主中道勢力の結集」です。


[写真]西尾末広・民社党初代委員長、元官房長官、副総理。友愛労働歴史館の展示から。

【解散が近い秋深い夜の国会議事堂で】

  国会議事堂の秋というのは、日が暮れるのが早く、さみしいものです。ロッキード選挙で初当選したカンセイさんの実績と言えば、金権腐敗政治をだいぶマシにしたこと。そして、政策のオールラウンドプレイヤーとしてさまざまな役割を果たしたこと。しかし、政府・与党・自民党偏重報道のなかで、「野党第3党の非世襲のダジャレ」にスポットライトが当たることはついぞありませんでした。長年の報道の関係か、当選回数・勤続年数がまったく同じ元自民党国会議員が2年連続で若手・中堅に代表選に担がれたのと対称的です。長年の自民党偏重報道が、民主党国会議員にまで影響しているという恐ろしい現状に、私は戦慄を覚えざるを得ません。

 実は今回の件は、政権交代に沸き立っていた夏から秋になったころから存じ上げておりました。その一事だけでも、政治記者冥利につきるというものです。そして、その1年余りのち、在職31年目にして初入閣し、「3・11」。関東大震災のときと違い、東日本大震災では、被災地での窃盗・性犯罪は増加してしまいましたが、治安・秩序の乱れはありませんでした。議会の子、中野寛成。さっそうと国会を去っていきます。私ももう、衆議院のことを手取り足取り教えてくださり、私の見立ての甘さを叱ってくださる先生がいなくなってしまいます。第46期衆議院で、独り立ちできるかな。それとも。様々な想いが去来する晩秋の漆黒の国会議事堂の闇でした。

 寛成さんは衆院選初出馬で落選したとき、半ば人間不信になり、もう政治を辞めようかと考えたことがあったようです。そのとき、奥さんが「子供の頃からの夢を投げ出してはいけない」と叱ってくれて再挑戦を誓いました。寛成さんは引退会見での自らの冒頭発言を晴れ晴れとした表情で、次のようにしめくくりました。

 「ここまで政治家としてやってこれたのも妻のおかげでありますが、平日にこうして東京に出てくると、糟糠の妻の介護ができません。妻のもとに戻るときですし、私も妻とともに第二の人生に出よう、というのが今の心境です」。

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池坊保子さん引退へ「心残りは新進党解党」「創価学会員でないのに温かかった公明党に感謝」

2012年08月28日 21時44分18秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[画像]参議院の特別委委員会で認定こども園法改正案の発議者として答弁する、公明党の池坊保子さん、2012年7月18日、参議院インターネット審議中継から。

 認定こども園法制定のときの文部科学副大臣で、社会保障と税の一体改革関連法の「認定こども園法改正案」の発議者・答弁者となった公明党の池坊保子(いけのぼうやすこ)衆院議員が今期限りでの引退を表明しました。

 ブログでは、23日に開いた京都府庁での記者会見で、

 「創価学会員ではないのに暖かく受け止めて下さった公明党、支持母体の学会の方々、そして宗派の異なる学会を支援母体にしている公明党に入った私に、戸惑い、驚きながらも支え、応援してくれた家元、娘たちへの感謝を述べました」と述べました。

 旧公明党(Clean Government Party)のころは、衆議院で草川昭三さん、参議院比例区に広中和歌子さんら3人~6人ほど、公明党・国民会議として創価学会員以外の国会議員がいました。しかし、新進党解党に伴う、新公明党(New Komeito)再結集以降は、池坊さんだけになっています。

 池坊さんは、今国会で認定こども園法改正案に加えて、本籍地の衆議院文部科学委員会で11月1日を古典の日とする、「古典の日に関する法律案」(180衆法30号)の発議者となっています。池坊さんは「明日、参議院では問責決議案が出て、国会はすべての審議が止まり、開店休業状態に入ります。自分の関心のある政策だけすることは許されません」と悔しさを隠しました。

 そして、初めての小選挙区選挙となった第41回衆院選(1996年)で新進党の小沢一郎党首の誘いで立候補したものの、「政局的には、新進党に入り、1年で新党が解党した事。私は継続が大切と考えているし、積み重ねの上で発展、成長があると思っているので、残念と驚きであった事」がイチバンの心残りだとしました。

 もともとは、義理の息子である元大蔵官僚が小選挙区に公認候補として立候補したため、小沢党首が抱き合わせで、華道家元「池坊」の組織票に期待して比例に出てもらった格好。選挙のプロに足元を見られたと言えそうですが、結果としては、池坊保子さんが5期務め、義理の息子さんは当選できなかったという皮肉な結果になりました。義理の息子さんはその後、朝のニュース番組のキャスターを務めましたが、何でも自分で解説するタイプの方で、なかなか不条理の多い衆議院では働きにくかったかも知れません。他の義理の息子さんは、将来のNHK会長候補といわれる記者で、テレビ解説でも柔和な笑顔を見せる、とても人柄の良いジェントルマンです。

 やはり継続が大事だということですが、改正認定こども園法を成立させた功労者という素晴らしい卒業成績を残したといえるでしょう。

 15年間、お疲れ様でした。

池坊保子さんのブログから引用はじめ]

引退します

 皆さま方へのご報告が遅くなり、お許し下さい。
 私、23日午後3時より、京都府庁記者クラブで引退会見をし、今期限りで引退することを発表しました。
 我が家は、6世紀に聖徳太子により建立されたお寺です。毎年、住職である家元が、丁寧に年末から本堂にある如意輪観世音菩薩をはじめ、2時間くらいかけて、小さな仏様にもお参りをします。除夜の鐘を鳴らしながら新春を迎えます。私は一心不乱に祈りつつ、でもその時、しっかりと心に政治家を今期限りで辞めようと決意しました。
 池坊は今年、550年。私は政治生活15年を迎えるとともに、古稀になります。政治家としての一つの区切りをつけ、これからのんびりと自分の人生を楽しみたいと強く思ったのです。
 自分のしたい政策、特に議員立法には意欲を持っています。社会保障と税一体改革の子ども・子育て支援法、今日は京都府知事、市長が特に力を入れていた「古典の日」の提案者として参議院文教科学委員会にて提案説明を行い、成立させました。今日、たぶん緊急上程されることでしょう。
 その後、明日、参議院では問責決議案が出て、国会はすべての審議が止まり、開店休業状態に入ります。
 自分の関心のある政策だけすることは許されません。特に小党派においては、さまざまなことに関わっていかなくてはなりません。私はもうフルタイムで働くのは精神的、体力的にもきついと感じました。特に選挙活動はもうできません。一日に何回も会場を回る、街頭演説を一日に、衆議院議員で共に文部科学行政でご一緒している馳浩先生は20回やり、この暑さにさすがに10日目には前に倒れそうになったそうです。あの頑健なレスラーだった馳先生にしてそうなのです。私が思うのは、ある意味当然と理解してください。もったいないと言ってくださる方もいらっしゃいましたが、私はもう揺るぎない思いでした。
 私の人生は私が決めたい、というより無理な心境でした。燃え尽き症候群に近い気持ちであり、燃え尽きる前に、まだ余力の残っている間に、15年間培ってきた人脈、ノウハウ、英知を、有能な若い人に受け渡していきたい。そのことにより、より大きな希望や夢が実ると信じたのです。
 会見では、学会員ではないのに暖かく受け止めて下さった公明党、支持母体の学会の方々、そして宗派の異なる学会を支援母体にしている公明党に入った私に、戸惑い、驚きながらも支え、応援してくれた家元、娘たちへの感謝を述べました。
 公明党は福祉、教育の党であり、私は15年間、教育一筋にやってこられたのも公明党にいればこそだと思います。
 平成8年、小沢さんに請われて近畿比例1位で新進党に入り、1年後の解党に伴い、公明党の前身の新党平和の結党にかかわり、公明党に入り、5期の当選を果たしました。
 文部科学大臣政務官を2年半、副大臣を2年、文部科学委員長、青少年特別委員長をすることもできました。
 議員立法として児童虐待防止法、文化芸術振興基本法、子ども読書活動推進法、文字・活字文化振興法、展覧会の美術品損害補償法、劇場法、子ども・子育て支援法などを成立させました。
 たくさん集まっていただいた記者さんから、「公明党に先生がいて党の支持者が広がったのではないか」と問われ、私としては、公明党の議員の方はすべて真面目で誠実で、使命感や責任感を持っている方ばかりで、党のイメージばかり先行し、議員の顔があまり見えないのを残念に思うと言いました。
 また、心に残った事と問われ、政局的には、新進党に入り、1年で新党が解党した事。私は継続が大切と考えているし、積み重ねの上で発展、成長があると思っているので、残念と驚きであった事。
 また政策的には、児童虐待防止法を成立させることができた事。今は児童虐待という言葉もみんな理解していますが、当時は、長老から「虐待とはなんだ。しつけではないのか」と言われ、また旧厚生省からも児童福祉法の改正だけで事足りると大反対された中、養護施設を視察したり、努力の積み重ねで法律を成立させたとき、政治家になってよかったと心から思いました。
 法律は国民の生活に多大な影響を及ぼします。文化芸術振興基本法により、文化芸術予算は、平成8年度の750億円より今や1056億円になり、私は先頭に立って財務省と掛け合い、予算獲得に頑張ってきました。子ども読書活動推進法により、今や小・中・高校の朝の読書が徹底され、文字・活字文化振興法は、活字離れの昨今、一人でも多くの国民に新聞等を読む習慣を身につけていただきたいとの切なる願いが込められています。
 皆さま、支えて下さり、ありがとうございました。残された日々、全力で頑張ってまいります。これからもお支え下さるようお願いいたします。

[引用おわり]

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「小沢新党かすむ存在感」と読売新聞が報道 新進党解党者・小沢一郎

2012年07月26日 05時25分27秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 新進党を解党した小沢一郎氏が代表をつとめる「国民の生活が第一」(国民の生活が台無し)について、2012年7月26日付読売新聞は「小沢新党かすむ存在感」と報じました。きょうはちょうど、衆議院本会議での社会保障と税の一体改革法案の不正常採決から1ヶ月経ちますが、院の構成のやり直し、自民党から経緯を求められて衆参両院での予算委員会集中審議合計4日間開催などで、延長国会で法律が一本も成立しない異常事態になっています。すべては新進党解党者である小沢一郎氏の責任であり、小沢一郎氏に同調して法案に反対・棄権した恥知らずのせいであり、それを煽ったマスコミの責任です。小沢一郎同調者はことごとく歴史法廷の断頭台に送るべきだし、小沢一郎氏は八つ裂きにして、両手足がもがれた蟹にして、墓も荒らすべきです。

 ただし、造反者の中でも、反対票は投じないで党に残った、小沢鋭仁さん、篠原孝さん、福島伸享さん、宮崎岳志さんらは1ヶ月経ってだいぶ反省しているようですし、もう許してあげてもいいのかなという気がします。県連や総支部の考えですけど。ただし、こういうことをしでかす人は同じことを繰り返す傾向があることは紛れもなく憲政史が証明しているところです。

 読売新聞記事によると、結党2週間で、「党の一枚看板である小沢代表の発信は少なく、党の存在感はかすみがちだ。衆院選に向けて、所属議員の危機感が広がりつつある」としています。「また、小沢氏の妻が支援者に宛てた手紙で、東日本大震災後に小沢氏が『放射能が怖くて逃げだした』と指摘しており、『記者会見などを開いて、手紙の件を聞かれるのが嫌なのではないか』との憶測も出ている。『出無精の癖が出ているだけだ』との見方もある」と読売新聞は報じています。

 調査によると、国民の生活が第一の次期衆院選での獲得議席は5議席ほどにとどまるとの見通しもあります。さらに、小沢事務所は資金繰りのために所有する複数のマンションの売却をめざしていますが、安価な賃貸オフィスビルへの移転の動きが続いており、難航しているという分析もあります。小沢一郎さんが顧問をつとめて資金提供を受けている新興宗教団体教祖が経営する会社は、亀井静香さんも顧問として給料を支払っており、「お金が大好きな小亀は同じ穴の狢(むじな)だ」との指摘もあります。この件には、警察OBである亀井静香氏と国家公安委員長経験者である小沢氏を逮捕を含めて立件することで、自らのクリーンさをアピールしたい捜査当局が重大な関心を持っているとの見方をする人もいなくはありません。ただし、亀井静香氏は、国民の生活が第一の財務委員長(総務省届け出団体の会計責任者)である参院議員と衆院選挙区の地盤が重なることから、小亀連携はないのではないかとの見通しがあります。政党助成金の受給も来年4月22日以降になる見通しで、各議員には「私設秘書や総支部スタッフを解雇して人件費を節約するように」と指示されたとしています。 

 新進党を返せ!新進党を返せ!新進党を返せ!返せないなら腹を切れ。小沢一郎を歴史法廷の断頭台に送り、手足がもがれた蟹にし、「ごめんなさいでした」と泣き詫びさせましょう。また自民党幹事長室長や小沢和子さんが指摘するように、20年以上前に京都に頻繁に出かけていた理由を証人喚問で根掘り葉掘り聞く必要があります。小沢一誠(おざわ・かずまさ)さん36歳が父を見限った理由についてもインタビューで聞きたいところです。

 新進党解党により、日本国民の世帯年収(父、母、子2人)は100万円減り、国民1人あたりの国の借金(赤字公債や地方交付税の銀行借り入れなど)は500万円増えました。小沢一郎の息の根を止めるんだ。歴史法廷の断頭台に送るんだ。そのためには、理由はなんであれ、小沢一郎氏とともに、一体改革法案に造反した議員は、消えていただくしかありません。

 「小沢一郎がいないと食べていけない」マスコミも同罪です。

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◎民主党規約・代表選挙規則がついに改定! 党大会、やっと報われた「長い道」

2012年01月16日 17時37分38秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[画像]渡部恒三さん、羽田孜さん、岡田克也さん、鹿野道彦さん=Ustreamからキャプチャ。

 予想外の内閣改造で、すっかり疲労してしまい、報道の事前登録をしていたのに、党大会に行けませんでした。1998年4月27日の民主党統一大会以来、14年ぶりに党大会をこの目で見たいと思ったが、奢れる者は久しからず、その栄華は見ずに、通常国会に備えたいと考えます。

 北澤俊美・実行委員長の下、2012年1月16日(月)、民主党2012年党大会がホテルニューオータニでにぎにぎしく開かれました。


[画像]北澤俊美・2012年民主党定期党大会実行委員長。

 北澤実行委員長は「議論は活発に行い、決定には従う。そういう責任政党としての政党文化を確立しなければなりません」と語りました。

 そして、ついに、民主党規約案、代表選挙規則案の改定に成功しました! これは、両院議員懇談会で小沢グループも交えて議論し、先月20日の第543回民主党常任幹事会で決定した案。公正な運営の下、小沢グループも含めた全会一致で承認されました。

 新しい民主党規約の第11条3項では、「代表の任期は就任から3年後の9月末日まで」となりました。ですから、今後、「総選挙による下野」などの理由で代表が途中辞任した場合でも、少なくとも2年以上はしっかりと腰を落ち着けて代表職に取り組みことができます。また「重ねて就任することができる」となりました。自民党は連続して3期以上務めることはできませんが、民主党は「総選挙での国民の信」がある限り、何年でも総理・代表を続けて、国際会議に出席し続けることができます。新しい代表選挙規則第6条4項は常任幹事会の発議、両院議員総会の承認の基、選挙日程を変えることができます。これは一昨年の英国労働党が下野したとき、ブラウン前首相(党首)の後任を5ヶ月かけてじっくり決めて、党再建に取り組んでいるように、長期的なリーダー選びによって下野時の代表(次の首相)を選ぶことが可能になりました。なお、党規約第10条では「本党が政権の任にない場合、党の政策に関して審議、決定するため、『次の内閣』(ネクスト・キャビネット)を設置する」とし、引き続き、民主党は「次の内閣」、自民党は「影の内閣」と名称は違う状態が続きます。

 これにより、政権準備政党(自由主義の野党第1党)としてフロントベンチに座った1995年12月以来17年間繰り返された小沢グループによる選挙違反(ただし公選法適用外)事件にようやく終止符が打たれることになりそうです。

 これに先立つ15日のNHK日曜討論では、副総理である岡田克也さんが「小沢グループと権力争いしているつもりはまったくない。お互い協力して政権交代の実を挙げないと国民のみなさまに申し訳ない」と発言し、民主党内における権力争いの終結を宣言しました。党大会には、小沢一郎さんは出席せず、ごらんのように鈴木克昌・一新会会長(小沢グループ)が党役員としてとりしきりました。また、小沢グループを含めた全会一致で、党規約、代表選挙規則が承認され、成立しました。ですから、これを持って、小沢グループとの闘いは終わりました。

 
[画像]民主党大会を幹事長代理(内定者)としてとりしきる、鈴木克昌小沢グループ会長=Ustreamからキャプチャ、トリミング。


[画像]小沢グループも含めた満場一致で、民主党規約、民主党代表選挙規約が成立した瞬間。

[資料 小沢グループによる選挙違反事件]

小沢グループによる党首選選挙違反の歴史(公選法適用外)

1995年12月(衆院満了まで1年6ヶ月、実際には10ヶ月後)。

野党第1党・第2回新進党党首選(海部俊樹党首の任期満了)

小沢一郎候補 112万票(66%)
羽田孜候補   56万票(34%)

議員、党員以外に「1000円を払った日本国民のハガキによる投票」を実現。大いに関心を呼ぶ。しかし、「小沢一郎」と同じ筆跡のハガキの束が党本部に大量に届く事態に。党首選挙後、米沢隆幹事長が投票用紙の全焼却を指示。非党員支持者や創価学会などに不満が溜まる。旧新生党の有力議員はほとんどが反小沢派(新進党羽田派)を結成。自社さ内閣の震災初動不手際、消費増税に対して、1996年10月の第41回衆院選での政権交代のチャンスを逃す結果に。1996年12月、羽田派(羽田孜さん、北澤俊美さん、前田武志さん、奥田敬和さん)が太陽党を結成し、離党。石井一さんと岡田克也さんは党に残り改革を目指す。

1997年12月(衆院満了まで2年10ヶ月、実際には2年7ヶ月後)
野党第1党・第3回新進党党首選(小沢党首の任期満了)

小沢一郎候補 230票(55%)
鹿野道彦候補 182票(45%)

翌夏に参院選を控え、創価学会系、連合系を中心に無投票ムードがあった。しかし、反小沢派が党改革を訴え、「当選8回、閣僚2回、旧自民党ながら非竹下派(福田派)」の鹿野道彦さんが早期に単独で出馬表明。ダークホースとみられながら、旧羽田派、創価系、連合系などから徐々に支持を集める。結果として小沢党首に肉薄し、「党首に反省を求める」党内世論が明らかになる。しかし、小沢党首は反省せず、政党助成法の基準日を控えた年の瀬に突如、両院議員総会を開き、「新進党解党」を宣言。翌夏の参院選では橋本自民党が地滑り的惨敗で、参院選2連勝(第1会派)の機会を逃した、

2009年5月(衆院満了まで4ヶ月、実際には3ヶ月後)
野党第1党・第12回民主党代表選(小沢代表の途中辞任)

鳩山由紀夫候補 124票(56%)
岡田克也候補   95票(44%)

支持率から政権交代が確実な情勢で、事実上の首相選挙。小沢代表が突然辞任表明しその週の土曜日に選出する日程を発表。良識派が抵抗も、「決まったことを守るのが民主主義だ」という謎の言葉で押し切る。古川元久中央代表選挙管理委員長が両院議員総会中にディベートタイムを取り込むなどの善後策をはかる。鳩山由紀夫幹事長を小沢系が応援。郵政勝ち残り組の衆院議員は岡田副代表陣営がわずかにリード。小沢氏は参院での巻き返しを図り、小沢一郎政治塾出身議員が参議院議員会館に二十人前後の議員を呼び出し、鍵を閉め、支援を確約する文書に署名しない限り部屋から出さないと迫る「監禁事件」が発生。泣き出す議員も。また離党した無所属の前田雄吉・衆院議員が飛脚としてベテランを籠絡。岡田系の躍進に怒った小沢氏は、両院議員総会の最後に登壇しないという大人げない行動に出る。この3ヶ月後の政権交代で、岡田克也さんから幹事長職を奪い返し党の主導権を握り、翌夏の参院選で惨敗する事態に。ねじれ国会となり現在にいたる。

2010年9月(衆院満了まで2年11ヶ月)
与党・第14回民主党代表選(定期代表選)

菅直人候補 721票(59%)
小沢一郎候補 491票(41%)

8年ぶりの定期代表選で、地方議員、党員・サポーターも参加。結党以来初めて、総理大臣が出馬。勝敗を決する1期生議員に対して、小沢氏の議員秘書が、総選挙の際の資金提供に関する領収書など支援に関する文書をみせて、投票を迫る。東京、大阪、札幌での街頭演説会に大量に聴衆を動員し、菅候補をののしる戦術をとるが効果は不明。結果は、41%の得票率の大惨敗。党内での影響力は大幅に低下する。

[資料おわり]

 第2回新進党党首選での屈辱により、太陽党の船に乗り込んだ、羽田孜さん、北澤俊美さん。新進党に残った岡田克也さん。そして、新進党第3回党首選に出馬し、善戦した恨みで、解党という屈辱を受けた鹿野道彦さん。そして、「(第41回衆院議員総選挙で)新進党と書いてくださった有権者(国民)に対する裏切りだ!」と叫んだ岡田さん。無所属(衆議院副議長)として見守った渡部恒三さん。そして、なんと言っても、新進党千葉4区総支部長として浪人中に党を解党され、イチバン苦労した野田佳彦総理・代表。生活・子育てが困窮し、不安で暗い長い道を歩いたのは野田さんなんですよね。最近まで、そのことに気付きませんでした、ごめんなさい。亡くなった奥田敬和さん。政界引退した畑英次郎さんら。

 みんながそろってきょうこの日を迎えました。


[画像]渡部恒三さん、羽田孜さん、岡田克也さん、鹿野道彦さん。


[画像]野田佳彦代表(総理)と渡部恒三さん。

 まさに二大政党制のしくみが完成した歴史的な日となりました。

 なお、民主党規約、民主党代表選挙規則の改定は、鉢呂吉雄さん、細川律夫さん、藤本祐司さんらが取りまとめにあたりました。

 代表選挙規則の第4条では、任期満了の代表選挙では、国政選挙の公認候補予定者(内定者含む)も有権者となりました。また同13条では、国会議員は2ポイント、公認候補予定者(内定者含む)は1ポイントとなりました。これは、任期満了ではありませんでしたが、野党時代の2009年5月の第12回民主党代表選のルールを決めるときの常任幹事会で、北澤俊美さんが提案したアイディアとほぼ同じです。このときは、辞任を表明した当時の代表から「北澤俊美先生の言葉とは思えない」と恫喝され、実現しませんでした。同日の役員会では野田佳彦広報委員長、安住淳・国対委員長代理、長妻昭政調会長代理、福山哲郎政調会長代理らが指を刺され、「お前らは俺の代表在任中にずいぶん文句を言ったな」という趣旨の発言をその時の代表はしたと伝えられています。それから2年半経った与党として実現しました。当時北澤さんは党副代表でした。今も党副代表です。

 野田さんは第180回通常国会について「(ねじれ国会の)参院では、衆院から法案を送って、野党に『この法案が通らないとどうなるか』(迫る)ということも時には示していく」と述べました。昨年末の常任幹事会で提案し、民主党機関誌新年号で広く党員に呼びかけた「北澤3策」の一部採用を代表・総理が表明したものです。


[画像]民主党籍10年以上の功労者を表彰する野田代表(総理)。

 北澤さんは「民主党にはまだまだ若く力強いエネルギーがあります。これを私は信じております。そのエネルギーをいたずらに党内で浪費することなく、国家国民のために燃焼させようではありませんか」と語りました。

[画像]眼帯をした総理を気づかう、北澤俊美さん(後ろ姿)。

 長い道。

 北信越地方で縁故疎開した少年時代を描いた映画や井上陽水さんの曲のタイトルは「少年時代」ですが、もともと柏原兵三(かしわばら・ひょうぞう)さん自伝的小説です。第58回芥川賞を受賞した柏原さん。北信越地方での苦労がたたったのかは存じ上げませんが、38歳という若さで亡くなりました。そのため現代では、その名前を知る人はまれでしょう。この自伝的小説のタイトルは「長い道」。羽田さんと北澤さんの長い道。ホントウに長かった。「国民の衆院選での投票行動による政権交代が可能な二大政党制」というりんごの実はしっかりと残りました。



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民主党本部への寄付金はわずか1913万円 「党費」も3・5億円 危うい政党助成金頼み 【再追記あり】 

2011年11月30日 17時48分33秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

(数字は未定稿)

 がく然としました。

 民主党が1998年4月の結党以来、はじめて「年間を通して与党(政権政党)」だった2010年の党中央本部への「寄付金」が、個人・企業・団体をあわせて、わずか1913万円にとどまっていることが明らかになりました。きょう午後5時からインターネットで解禁になった平成22年暦年定期公表分の総務大臣届け出の政治資金収支報告書で明らかになりました。なお、総務省記者クラブ所属メディアには、事前にしばり(ラジオ・テレビ解禁)付きで準備のために公開されていたんだろうと予測しています。私はきょう午後5時からインターネットで見ながら、与野党の党本部や議員のパワーバランスについて分析をすすめています。

 これは民主党の献金の受け皿である国民改革協議会(自民党でいう国民政治協会に相当)への献金が1900万円です。民主党本部から国民改革協議会への寄付は除きます。少額とはいえ常連のみなさんの個人献金のほか、野党時代からの常連の製薬会社数社、そして日本薬剤師連盟からの500万円などでした。前年からの繰越金を入れて、「5000万円」を党本部に寄付しましたが、これは、「家族間のやりとり」「子から親への仕送り分」です。民主党本部への直接の寄付金は13万円。よって、新聞に載る数字は違うと思いますが、民主党中央本部への寄付金は真水で1913万円です。民主党本部が、政党助成金頼みの「役所化」した党運営をしていることが明らかになりました。これでは官僚に取り込まれるのもムリはありませんし、むしろ当然です。

 ちなみに、国民改革協議会の代表者は、連合元副会長の元参院議員で、民主党の初代組織委員長(現在の企業団体委員長に相当)の前川忠夫さんであることが分かりました。会計責任者は党職員。党本部は2010年暦年ですので、代表者は菅直人さん、会計責任者は長浜博行・参院議員(当時の財務委員長、現在は官房副長官)としての政治資金収支報告書が公開されました。

 党や支持団体の「組織の闘い」である参院選イヤーだった2010年。党員(サポーター)は35万554人で過去最高だったと思われます。ことしは大震災の影響もあり、大幅に減っていることがすでに常任幹事会で報告されています。この2010年分では、党費または会費が3億5055万4000円で、党員・サポーターの楽しみであり、セールス文句である「代表選への投票資格」を8年ぶりに行使し、かつ結党後初めて「総理を選ぶ代表選」への参加ができたにもかかわらず、党本部財政への貢献は交付金に比べると、はるかに少ないことになります。党費6000円、サポーター費2000円は、4分の1(500円)が集めた総支部に残り、2分の1(1000円)を党本部に上納、4分の1(500円)が党県連に上納。県連によっては一部総支部に戻すというシステムなんだろうと思われます。しかし、1総支部あたりのノルマ500人は、若手議員や大組織内でない参院議員にはキツイとされます。それでいて、代表選まであって3・5億円とは、あまり党本部財政への貢献は大きくないように感じますが、いかがでしょうか。

 また、機関紙の販売収入はわずか406万円、グッズの販売収入にいたっては126万円にとどまり、涙がチョチョぎれそうです。党員には機関紙が送られていますから、販売収入には入っていないでしょう。ちなみにサポーターには機関紙を送っていませんが、一部の総支部では独自の判断で届けているところもあるようです。

 民主党本部主催の政治資金パーティーは野党時代の2008年を最後に、実施していません。野党時代の岡田克也・幹事長は、自民党の派閥主催のパーティーに対抗して、党本部主催のパーティーを開くべきだという方針を立てて、自ら企画し、営業に回ったことがあります。ただ、与党になってからは、小沢一郎氏の政治とカネの問題が影響し、有権者や自民党の批判をおそれてパーティーが開けない状態になっています。

 各種団体は、個別議員のパーティ券などを購入して、動かす方法をとっているようです。

 政党助成法は、有権者1人×250円と決めています。政治を国民の手に取り戻すためには、100人に1人の篤志家が国民改革協議会にドンドン寄付して頂きたいと存じます。有権者1人当たり政党助成金は250円なのですから、世の中で100人に1人の成功者は、年間2万5000円を国民改革協議会に寄付すべきです。あるいは、自民党の国民政治協会でもいいです。所得税控除もあります。

 アメリカは、キリスト教文明ですから、寄付しないと天国に行けないんですよね。

 それにしても、小沢一郎氏の政治とカネの問題が、第45期衆議院を台無しにしたことが裏付けられた格好になりました。ちなみに小沢一郎幹事長の個人の政治団体への寄付金は増えています。しかし、小沢一郎氏は幹事長として民主党本部の財政の足腰を鍛えようという意識が全くなかったようです。これもまた、ちがった側面からの「政治とカネ」「小沢問題」です。

 政治を国民の手に取り戻すために、陸山会でなく、国民改革協議会、あるいは国民政治協会でもいいですから、ドンドン寄付してやってください。

【追記 2011年11月30日 午後8時半】


[画像]成功秘話を参考人として述べる、似鳥昭雄・ニトリ社長(ニトリホールディングス)、2011年11月30日、参議院・国民生活・経済・社会保障に関する調査会、参議院インターネット審議中継から。

 まったく偶然ですが、2011年11月30日、参議院の国民生活・経済・社会保障に関する調査会に参考人として、家具製造・販売の「ニトリ」創業者の似鳥昭雄さんが登場しました。「調査会」とは参議院にだけ3つ置かれていて、任期3年の間に報告書をまとめます。元構造特区担当大臣(元日本青年会議所=JC会頭)で自民党議員の鴻池祥肇さんが会長を務めています。

 似鳥社長は、「岡田かつや後援会」の大口献金者の常連で、2010年分でも株式会社ニトリ(現・ニトリホールディングス)が150万円のパーティー券を購入していたことが、同日分かりました。会社四季報や日経新聞によると、同社の東証上場は1989年9月。売上高3000億円を超えています。TVCMでおなじみの「IDC大塚家具」が2位ですが、売上高はおよそ350億円ぐらいだそうですから、家具製造・販売業界で「ニトリ」は断然トップということになります。また、上場以来(創業以来?)、増収増益(毎期とも売上高・利益とも前年を上回り続けている)の企業です。似鳥昭雄さんは個人献金者として「岡田かつや後援会」の政治資金収支報告書に登場している年もよくあります。

 似鳥社長は、少し緊張しながらも、コンパクトに
 「私もサラリーマン1年やりまして、その後、土木をやりましたけどクビになりましたので、そのあと何とかしなければならない」
 「親戚から100万円借りて創業した」
 「1年目の売り上げが約1000万円」
 「5倍ぐらいの大きい店を出したら倒産しそうになった」
 「一度アメリカに行きたくて、倒産する前に行こうと思って、親戚に40万円借りて行った」
 「日本では値札を見てから買うのに、アメリカではカートにドンドン投げ込んで買う。それで価格が3分の1。なんで日本人は3倍高いものを買わされるのだろうと衝撃を受けた」
 「私は樺太・サハリンの引き上げ。うちの母親もヤミ米で生計を立てて、父は日雇い。貧しくて兄は学校に行けなかった。私はなんとか学校に行かせてもらったが、出来が悪くてでコンプレックスの塊だったがアメリカに行ってから変わった」
 「売上高より客数である。それが社会貢献のバロメーター」

 ・・・私は聞いていて、涙ぐみました。20分間ですから、みなさんも聞いてみてください。インターネット越しに、初めてお姿を拝見しましたが、やはり素晴らしい方です。

 若い働く仲間の諸君! 君も髪に白い物が交じった頃に、国会に「成功秘話をお聞かせ願いたい」呼ばれてみたくないか?

 こういう人が献金者として岡田かつや後援会を支えているのだなと感じました。まさに、岡田克也の“梅屋庄吉”。私はそうはなれないけど、ミニ“宮崎蹈天”になれればいい。

【追記おわり】

【再追記 2011年11月30日 午後10時】

●民社協会が会員数6000人越え、与党内派閥・グループでは、憲政史上初か?

 民社協会(代表者・田中慶秋衆院内閣委員長)の会員数が6080人となり、6000人超えしたことが2011年11月30日に公開された2010年分の政治資金収支報告書で明らかになりました。民社協会は「その他政治団体」になります。政権党のいわゆる派閥・グループが「会員」で6000人超えしたことは、憲政史上初めてだと思われます。それはさておき、民社協会。実は地方民社協会は、所属地方議員の高齢化などから、解散が相次いでいるのが実態。民社としては、細川・羽田内閣以来15年ぶりの与党として、公募で当選した小選挙区選出議員がより多くの支持をもらいたくて入会しているケースが多いとみられます。このため、翌年分になる今年分では、会員数が減る可能性があります。また民社協会は今月、政治資金パーティーを開いています。自民党では派閥パーティーは恒例行事ですが、6000人の会員をもつ民社協会の存在は、日本の政党史の与党では極めて異例です。とはいえ、「党中党」的なイメージを持たれない、民社協会の姿勢は高く評価すべきだと考えます。

 ところで、自民党では政治改革を実現するため1992年に旗揚げした「自民党羽田派」こと「改革フォーラム21」が一般会員を募集し、「孜くん・一ちゃん人形」のグッズを販売したことがあります。私も会費を払い、グッズを購入しました。ですから、改革フォーラム21の繰越金のうち、およそ千円ぐらいは私のお金です。小沢一郎さんは私物化しないでいただきたい。

【再追記おわり】

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最高裁「小選挙区制は2大政党による政権交代がしやすく国政が安定性する」須藤正彦・裁判官が太鼓判

2011年11月16日 07時49分54秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]須藤正彦・最高裁判所判事、裁判所ホームーページから。

 まさに現代の大岡裁きと言えるでしょう。

 最高裁判所・大法廷(裁判長=竹崎博允・最高裁判所長官)は2011年3月23日の判決(最大判)で、「1人別枠方式を採用した本件区割規程は憲法に違反し、本件選挙(小選挙区)は違法である」として、第45回衆院選は違法だとしました。そのうえで、原告(職業は弁護士)らが求めた「東京18区など合計8つの選挙区の選挙は無効だ」との請求は「事情判決の法理によって請求を棄却する」としました。

 現在開会中の第179臨時国会では、国対委員長も務めた公明党の東順治さんらが、9党による「衆議院選挙制度に関する各党協議会」(座長・樽床伸二民主党幹事長代行)をつくり、協議しています。このなかで、民主党と自民党は今国会に定数是正を先行させて「衆議院選挙区区割り画定審議会設置法」を改正し、定数削減と選挙制度改革はその付則に盛り込むことで合意した、と報じられています。一方で、7党の少数政党は「抜本改革が必要だ」として抵抗しています。

 改めて、3月23日の最高裁大法廷判決を読み直すと、弁護士出身の須藤正彦・判事が書いた補足意見の中で、「小選挙区制では、一定の実績と継続的活動能力がある政党の所属者が当選しやすくなり、2大政党の形成が容易になり、政権交代の可能性が高くなる」「政権交代はこれら多数派政党(2大政党)間で行われ、国政の連続性・安定性が確保できる」として、2大政党のメリットを認めました。

 最高裁が2大政党のメリットを判決文で認めたのは、この平成23年3月23日最大判の須藤意見が初めてだと思われます。今後、岩波書店の芦辺『憲法』などの最新版にも盛り込まれることになるでしょう。

 公明党など少数7政党はこの判決の重みをよく考えるべきです。もちろん15裁判官中1裁判官の意見ですが、この裁判は1票の格差の是正と第45回衆院選の無効を求めた裁判であり、2大政党デモクラシーの是非を問うた裁判ではありません。従前より、弁護士出身の最高裁判事は、職業裁判官、学者、官僚出身の判事よりも軽妙洒脱な判決文を書く傾向があり、須藤意見もそれに沿ったものではないでしょうか。ちなみに最高裁ホームページによると、須藤判事は中央大学法学部卒。2年後に司法修習生になり、「東京弁護士会」に所属し、副会長に。1991年に法学博士をとり、2008年には地労委(東京都労働委員会)の委員も務めました。政権交代直後の2009年12月28日に最高裁判事となりました。ホームページでは、裁判官としての心構えとして「40年間の弁護士生活で培った在野精神,市民感覚をもとに,適正な洞察と判断,手堅くかつ迅速な処理に努めたい。社会がますます高度化,複雑化,国際化の度を強めている今日の状況下にあって,大局的かつ複眼的な見地を失わないようにしたいとも思っております」としており、今回の大岡裁きに通じるものを感じさせます。スキな言葉はサン=テグジュペリで内藤濯(ないとう・あろう)翻訳の『星の王子さま』(岩波少年文庫)の「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」。このほか、相田みつをさんの「つまづいたって いいじゃないか人間だもの」をあげています。

 政党間協議のほかに、今国会から衆院予算委員にもなった東順治・公明党元国対委員長(比例単独九州ブロック)は11月10日の平成23年3次補正しめくくり質疑のなかで、「40%台の得票率で70%台の議席をとるのはどう考えても理屈に合わない」とし、「物の本によると~~」を連発しながら、欧州などで小選挙区制から比例代表制に移行していると主張しました。しかし、わが国のデモクラシーは欧州の各国議会のような成熟した段階にはありません。欧州では国境が近いですから、他国を相対化しやすく、「ギリシャやイタリアのようにならないようにしないとな」という意識が庶民の間でもわきます。野田佳彦首相は「私は小選挙区の光と影を両方体験しました。光とは、前回の(第45回衆院選の)ダイナミックな政権交代です。影とは、最初の(第41回衆院選)での惜敗率99%の落選で、死に票をたくさんつくってしまったことだ」と答弁しました。そのうえで、野田首相は「今の政治の閉塞感は選挙制度だけでなく、衆参がねじれた場合の両院協議会など国会の中の改革もある」と主張しました。私は野田さんの答弁に全面的に同意します。


[画像]竹崎博允・最高裁長官、議会開設120年記念式典、参院本会議場、2010年11月29日、参議院インターネット審議中継から。

 ガバナンスとは、政府だけでなく、衆議院、参議院、最高裁、そして自治体が分担するものです。最高裁大法廷判決を少数政党7党はよく読み直すべきです。また、この須藤意見は、2大政党デモクラシーのメリットをスッキリと解きほぐしてくれていますから、学校・大学の教材や、入学試験などにも広く活用されてしかるべきでしょう。スッキリ読めます。

 最高裁大法廷の2011年3月23日の判決の須藤正彦判事(弁護士出身)の補足意見をよく読み直すべきです。そして、7つの少数政党は、せっかく比例代表制が並立しているのですから、比例で足場を固めた上で、小選挙区でも、民主党ないし自民党のどちらか一翼を襲って、2大政党になればいいじゃないですか。イギリスの労働党は20世紀前半に二大政党になり、連立を組みながら力を携え、世紀をまたぐときには、3期連続で単独で政権を担いました。昨年5月からは下野していますが、影の内閣が与党時代の自己批判も含めて、積極的にメッセージを発しています。

[上記判決文の20ページから24ページから引用はじめ]

裁判官須藤正彦の補足意見は,次のとおりである。

 私は,遅くとも本件選挙時においては1人別枠方式が憲法の投票価値の平等の要求に反する状態になっていたとの多数意見に賛成するものであり,また,候補者届出政党の選挙運動に関する公職選挙法の規定が合憲であるとの多数意見に賛成するものであるが,なお,人口の少ない県に対する配慮と衆議院における投票価値の平等との関係で,次の1の点を補足するとともに,候補者届出政党の選挙運動に関する公職選挙法の規定を合憲と考える理由につき,小選挙区制選挙制度の観点から,次の2の点を補足しておきたい。

(略)

 選挙制度の仕組みをどのようなものにするかは国民の選択,具体的には国会の広範な立法裁量に委ねられるところ,現行の衆議院議員選挙制度は,小選挙区制の選挙制度を中心とし,これによって政策本位,政党本位の選挙制度としているといえる。しかるところ,この小選挙区制の選挙制度の下では,一つの選挙区から1人の議員しか当選しない仕組みが採られている。その結果,一定の実績と継続的活動能力を有すると認められる政党の所属者が当選しやすくなり,そうすると,国会での多数派ないし2大政党の形成が容易になり,政権交代の可能性が高くなる一方において,政権交代はこれら多数派政党間で行われ,国政の連続性,安定性の確保が図られ得るといえる。そして,小選挙区制の選挙制度の趣旨・目的についての以上の捉え方よりすれば,それは,国会において一定の実績と継続的活動能力を有すると認められる政党による論争・審議が中心となることが前提とされているといい得るし,また,そのような考え方を重視すると,その一環ないし延長として,飽くまで合理性を是認し得ないほどに候補者間の平等を害しない範囲においてではあるが,一定の実績と継続的な活動能力の存在を示す一定の要件を備えた政党について,その政策や所属候補者についての情報など投票のための判断資料が選挙民に十分に伝わるように,候補者個人とは別に選挙運動を認めるという考え方も生じ得よう。もとより,民主主義社会にとって,多様性は生命線ともいうべきもので,小政党や無所属の者の表現の自由が侵されたり,少数意見が封じられることがあってはならないのは当然であるが,記の考え方は,議会制民主主義の機能発揮という憲法上の理念に合致する面を有しており,賛否はいずれにしても,一定の合理性が認められる一つの考え方として成り立ち得ると思われるのである。

[引用おわり]

[お知らせ①]

今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行
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[お知らせ②]

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野田内閣発足 議員総会の木曜常設化を ハーマン党首代行のような人を置いて欲しい

2011年09月04日 23時41分12秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 さて、野田内閣の布陣を官報で見てみましょう。官報の場合は、名前が先にきて、役職名が後ろなので、少し慣れが必要です。

 

 この中で民主党のも与党らしくなってきたのは、台風上陸が予想・予報されていたことから、後ろから2人目「阿久津幸彦」「内閣府大臣政務官に任命する」と防災担当の政務官として阿久津・衆院議員が引き続き再任されました。政務官は陛下の認証はいりません。この辺は評価して欲しいですね。

 一方、今回の組閣では、党幹事長・政調会長・国対委員長、そして藤村修官房長官に続き、首相秘書官人事が先に報道されました。そして、この秘書官を見ると、菅首相秘書官は財務省主計局次長が総理秘書官になったら、菅首相秘書官は主計局次長にかえりました。このほかにも官房総務課長が秘書官になったら、菅さんの秘書官は官房総務課長にかえりました。これなら選挙に出るというリスクをとるより、官僚になった方がよっぼど楽ですね。

 なぞの「竹歳誠・官房副長官(事務)」。現職の国交事務次官ですが、昭和47年・建設省入省です。例えば、安達・経産事務次官はすでに昭和52年まで時計が進んでいます。国交省は4省庁合併、経産省は通産省を改称しただけですから、国交省は人材が詰まって居るんですね。そこで昭和50年入省の勝栄二郎・財務事務次官が引っ張ったのではないか。というのは、歳入面では国税と地方税をめぐる財務省と総務省の「50年戦争」はいまだに続いています。しかし、歳出をめぐる主計局では、エース級は公共事業(建設省)担当の主計官でしたが、最近では社会保障(厚労省)担当の主計官の方がエリートコースになっています。そこで、総務省から来ていた瀧野欣也・官房副長官にかえて、竹歳・副長官。「被災地復興のため国交省から」と言えば、いかにも納得しますし、総務省は首相秘書官を出していませんから、官房副長官をとられれば、官邸内での力が大きく落ちます。

 さて、制度改革は待ったなしですが、政調による閣法の事前審査制には反対です。これには、国会が形骸化することで、国会内(ないし政党本部内)のみを取材するのが前提の当ブログとしても困るという事情もあります。

 それよりも、英国保守党の1922委員会に学ぶべきです。「1922委員会」といっても1923年設立で、1922年の総選挙での地滑り的圧勝で生じた大量の政府外議員の求めで、1923年にできたもので、現在に続きます。

 保守党、労働党とも、国会開会中は毎週木曜日の夕方に「議員総会」を開いていて、閣僚はあまり出来ませんが、党執行部は必ず参加しているようです。また両党とも夏に1週間程度の合宿形式の党大会を開いています。相対的に、保守党は議員政党、労働党は組織政党になりますので、党大会は労働党執行部の方が修羅場ですが、保守党の議員総会では、ときに党首おろしが過熱し、ヒラ議員たちの世論が与党任期途中での総理・党首の進退に直結することがあります。ですから、キャメロン首相(党首)は、就任直後から、1922委員会の権限縮小に乗り出しました。一方の労働党も与党時代は、ブレア派によるブラウン首相・党首おろしが起きました。地方選挙の敗北をきっかけに複数の閣僚や閣外相、副大臣が五月雨式に辞任していく(おそらくシナリオがある)わけですが、なんとかこらえました。そして返す刀で、「イラク戦争検証委員会」をその週のうちに立ち上げました。すなわち、イラク戦争で「血を分けた同盟国だ」としてアメリカ・ブッシュ大統領と行動をともにしたブレア前首相を引きずり出すと同時、「ブレアの戦争であって、労働党の戦争ではない」と強調したかったのでしょう。ちなみに当時、ブラウンさんは財務卿でしたから、まったく責任がないわけではありませんが、党内的には旧ブレア派を黙り込ませて、求心力回復に成功したでしょう。とはいえ、総選挙は「追い込まれ解散」にまで追い込まれ、負けましたが、保守党は単独過半数を逃したので、この”悪あがき”はそこそこ成功だったかも知れません。ただ、その木曜日夕方の議員総会も「何もなければ」数人のヒラ議員しか出席しないで、あっさり散会することもしばしばのようです。この仕組みをつかえば、政調事前審査制のシステムなどつくる必要がないと考えます。もう衆議院任期は半分を切ったのですから、政府外議員の政策などという悠長なことを言っている場合ではありません。

 

 ところで、昨年5月6日、12年間の政権の座から転落した野党・労働党は、党首(シャドウ首相)選挙を5ヶ月間かけてじっくりやりました。すでにブラウン首相がエリザベス女王に辞表を出していましたから、党首代行を立てましたが、これは、与党時代から副党首(閣議には出席しない)だったハーマン女史が5ヶ月間党首代行を務めました。ハーマン女史はまさに、労働党の母として、「選挙管理執行部」を守りました。そして、5ヶ月間の末、「デービッド・ミリバンド前外相vsエド・ミリバンド前エネルギー大臣」の兄弟による決勝戦で、弟のエド・ミリバンド新党首(影の首相)が誕生しました。日本では、政治家が兄弟の場合、「岸・佐藤兄弟」「安倍・岸兄弟」「鳩山兄弟」でも兄が先に首相になるものですが、英国では弟が当選するんですね。しかもお兄さんは外相として、米国のクリントン国務長官が「彼ってとってもハンサムでステキなのよ!!」と絶賛されていたと報道(後に国務省が否定)されていたほど、リアル外相経験もあるのに、弟が勝ちました。僅差でしたが、より若い党首を据えた方が、政権奪還への日常活動がしっかりできるという計算もあるのでしょう。ミリバンド党首(影の首相)も野党ですから、充電しているようで、先日はツイッターで、著名な黒人ゴルファーにレッスンを受けたとツイートしたところ、有権者から、野党なのに、「あなたにはもうそんなことをしている余裕はないのですよ」とたしなめられ、黒人ゴルファーが「いや、あくまでもレッスンをしただけなんですが・・・」と理解を求める一幕もありました。

 そして、フランス国民議会は総選挙後1年間は解散できないと憲法でに書いてありますが、英国庶民院は、その5ヶ月間に絶対に解散がないとは断定できません。その中で、「労働党の母」の大役を終えたハーマン前党首代行は、先日、ケンブリッジ大学の「レーバー(労働党クラブ」を訪問しました。そのときの写真が上の写真です(ハーマン議員のツイッターから)。こうやって日常活動をしながら、次の選挙、あるいは半世紀後の労働党を見すえて居るんですね。さて、この写真の中から未来の労働党党首、首相はでるか?私は写真に向かってイチバン右の唯一の黒人女性が、未来(20年後ぐらい?)の労働党党首の雰囲気を醸し出している気がしますがどうでしょうかね。

 もう衆議院の任期は半年切ったのですから、下野に備えて、党首代行になれる副代表、基本的には参議院議員、できれば女性、そして首相への野心が外形的にもない人を指名して欲しいと考えます。

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「ユニクロの安売りは是か非か?」 民主党綱領策定へ、党改革本部(綱領、規約、代表選)が今週スタート

2011年01月31日 23時48分12秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]左上から時計回りに民主党改革本部の「規約」委員長の川端達夫さん、「綱領」委員長の直嶋正行さん、委員長代理の長妻昭さん、「代表選挙管理規定」委員長の鉢呂吉雄さん

 岡田克也幹事長2011年1月31日の記者会見で、「民主党改革本部」を設置し、自ら本部長に就任することを発表しました。まだ手元にペーパーがないので、正式名称などは未定稿ということで、後で時間があれば、手直ししたいと思います。

 民主党改革本部は、本部長に岡田克也さん、副本部長に仙谷由人代表代行、輿石東参院議員会長が入ります。オール民主党の意見集約が可能となりました。このほか、副本部長には、党副代表(石井一、山岡賢次、直嶋正行、鉢呂吉雄、岡崎トミ子、石毛子各議員)の6人が参加します。衆参といわゆる「グループ」も横断的。そして、岡田さんの本気さを感じさせるのは、川端達夫さん、玄葉光一郎さん(政調会長兼大臣)も入れた布陣です。当選回数・年齢とも上でありながら、第45回衆院選で「岡田代表-川端幹事長」として玉砕してくれた川端さん。そして、仮に第46回総選挙で民主党が下野した場合、第47回総選挙での与党復帰(政権交代)に向けて、おそらく代表を含めた有力ポジションで与党をめざす有力候補(そのころには50歳代前半)である玄葉さんを入れたことで、岡田さんは、10年、20年の長い目で、この国に政権交代可能な政治を定着させようとしているという確かな志を感じとりました。

 党改革本部には、規約改定委員会、綱領策定委員会、代表選検討委員会(正式名称は不明)の3つの委員会を設けます

 まず、政権交代による「与党らしい規約」ですが、これは野党時代から川端達夫さんが規約改定委員長だったのですが、2009年9月に川端さんが文科大臣として入閣後、空席でした。これについては、「与党らしい規約を」と唱えていた岡田幹事長が、総選挙で大勝したのに、直後に、幹事長を更迭されるという鳩山由紀夫代表の理解不能な人事で、小沢一郎氏が幹事長に。小沢氏は、おそらく確信犯的に後任をおかずに「幹事長命令」を連発し、ボタンをかけちがえたまま1年半もの時間を浪費しました。

 ちなみに川端さんが組織内の「UIゼンセン同盟」は2年連続で数万人の組合員数増に成功しています。これは派遣社員の組織化に成功しているからです。日本最初の労働組合としての矜持を感じます。小沢幹事長は、「100万人組合員がいるゼンセン同盟が参院選で20万票しか出せないのはサボっているからだ!」「自治労と日教組を見習え!」という趣旨のことを言っていたようですが、中小・零細企業、派遣社員、パートなど「非正規雇用」(あまり好きな言葉ではありませんが、)を網羅している「ゼンセン」が、春闘がなく政治に専念できる「日教組・自治労」の公務員労組に比べて、組合員を政治・選挙に動員しづらいのは当たり前。むしろ、労働運動の地平を広げるゼンセン同盟の自由と友愛の挑戦を、民主党は応援すべきです。川端さんは2009年5月の代表選でも、岡田候補に投票しています。

 「与党らしい規約」については、昨年9月17日の岡田幹事長復帰記者会見で筆者(宮崎信行)の質問について、岡田さんは次のように答えました。

民主党本部幹事長会見録から引用はじめ]

【幹事長】代表選挙管理規程については先ほどお答えしたつもりであります。党規約につきましては私が幹事長のときに、川端さん、委員会から提言をいただきまして、あとは党として、それを常任幹事会とか、そういうところでどう議論するかというところで幹事長が変わったということであります。あのときの提言をそのままでいいのかということをもう一度吟味する必要があると思いますが、いずれにしても、規約の改定というのもひとつ検討課題だと思います。いろいろな課題が山積しておりますので、まずこの国会で、ねじれの状況の中でどのように物事を進めていくかということのほうが、優先課題であります。そういう意味では、優先順位をつけながら、物事を進めていかなくてはいけないとそんなふうに感じているところでございます。

[引用おわり]

 というわけで、「幹事長が変わった」ことで空白期間ができてしまったわけで、民主党も早く「人治」から「法治」にガバナンスを切り替えなくてはいけません。

 次に「代表選挙管理規程」の検討委員会。これは、岡田さんの持論「与党の党首すなわち総理の任期は、衆院選から次の衆院選までにすべきだ」という改定が眼目になります。私も全く賛成です。これについては、岡田さんは以前から、たびたび言及していますし、著書でも触れています。この委員会は、自分の選挙も代表選挙も巧者で知られる、鉢呂吉雄さんが委員長に。おそらく菅直人代表・総理の今の任期(2012年9月まで)を延長して、2013年8月までに必ずある第46回衆院選の結果が出るまで、ということになるでしょう。具体的には、来年の党大会を待たずに、臨時党大会で決定する格好になると思います。自民党では、中曽根康弘首相(総裁)が2期4年の任期を延長して、続投した例があります。しかし、これと違い、あくまでも「政権交代可能な政治を担う民主党」としての理念を具体化する改定です。

 これは逆に言えば、岡田さんが第1次与党期(2009年夏~)のうち、第46回衆院選(2013年8月までのいつか)の前に、代表・総理の座を襲う考えがないことの証明でもあります。政治家・岡田克也の第一目標は政権交代可能な二大政党+αデモクラシーを日本に根付かせること。天下をとるのは2番目。育ちのいい岡田さんらしく、菅代表・総理が岡田さんに全幅の信頼を寄せて、党を任せているのも、野党時代にもコンビを組んでいて、その「志」を知っているからでしょう。一つ問題は、党員・サポーター集めのセールスポイントが無くなることです。しかし、昨年9月の代表選を見ていると、民主党員・サポーターというのは、「代表選に投票したい」というよりも、「日本政治において今民主党はどうあるべきか」を優先するオピニオン・リーダーが多いようです。ただ、組織拡大で、いろいろな人が増えてきますから、配慮が必要でしょう。

 そして、岡田さんがこれまで、「優先順位が低い」、さらには「(菅さんとの育った)世代の差かな」と、必要性がないとしていた、「党綱領策定委員会」も民主党結党後初めてできます。これは昨年来、民社協会が提言してきましたので、民社協会から直嶋正行さんが委員長になります。民主党議員には、最後まで物事を見届けない中途半端な連中が多く、昨年9月の代表選では、負けた候補者の陣営が閉会前に退席し、先日の両院議員総会では地方選のガンバロー!3唱が議題として残っているを知らずに、勝手に退席し始めた小沢系議員を「後ろの人座ってください!」「まだ終わってません!」と大声で叱り付けました。このようなときに退席するような議員は、トヨタの工場で働いたり、トヨタのクルマを運転するのは止めてほしいですね。民社協会は「原子力」に関して、政策面での自信があるので、これをうまく使って、旧社会党出身者も納得できる綱領をつくろうという考えがあるように、私は見ております。

 そして、この党綱領に関しては、昨年2月5日の予算審議で、ライバル・自民党の長老である伊吹文明さんと、当時の民主党代表の鳩山由紀夫さんに次のような興味深い“禅問答”がありました。

 
[画像]自民党長老の伊吹文明・衆院議員(NHKさん映像から)

[第174通常国会 衆・予算委 2010年2月5日の議事録から一部引用]

○伊吹委員 あなたが言っておられること、マニフェストに書いてあることとおやりになっていることは、かなり私は違うと思いますよ。
 それで、では、簡単なことを聞きましょう。総理、入学試験は認める、必要なものだと認めますか。あるいは、特許権というものの権利を認めてあげるということはいいことだと思いますか。あるいはまた、ユニクロの安売り商法というのはどういうふうにお考えになりますか。

○鳩山内閣総理大臣 入学試験、何の入学試験かわかりませんが、入学試験というものによって、ある意味でその試験によって、その成績で、当然、倍率が高いときに結論を出すというやり方は、私は十分考えられるものだと思っております。特許権というものも現実にあるわけでありますので、知的財産権の議論というのはいろいろあろうかと思っておりますが、特許権も当然存在を認めるべきだと思います。
 あと何でしたか、忘れましたが……(発言する者あり)ユニクロの安売りですか。ユニクロの安売り、その安売り商法で、これは経済にのっとってユニクロが商売されているわけでありますから、それを一概に悪いとかいいとか言うべきものではありませんし、消費者が選んでいるわけですから、よろしいんじゃないでしょうか。

[一部引用終わり]

 財務大臣、党幹事長も務めた自民党長老の実に味わい深い質問でした。「ユニクロの安売り商法?」なんだそれ?と私も思いました。伊吹さんの質問はどういう意味か。

 入学試験→学校の入学者を、試験で選ぶのは、学力による差別ではないか?
 特許権という権利を認める→特許権を持った人は独占的な生産活動で富を得られるが、持たない人はその技術を使うことができず生産もできないし、あるいは学者も学術研究ができない。
 ユニクロの安売り商法→消費者に恩恵はあるが、同業他社(とくに中小企業)の経営は厳しくなるし、また、ユニクロの周辺で働く様々な人の収入が下がるし、海外生産で産業空洞化が進めば、国民所得が減りかねない。

 で、伊吹さんが言いたいのは、党綱領がないと、こういった3つの社会的問題への「民主党としての答え」が出せないだろう。とこういうわけです。私はこれは、憲政史に残る名問答だと考えます。

 党綱領策定委員会は、直嶋委員長に加えて、委員長代理に長妻昭さん、事務局長に近藤洋介さんが就きます。長妻さんと近藤さんは記者、さらに言えば、ともに日経グループの僕の先輩です。イデオロギーが終焉した今こそ、日本と民主党を元気にする党綱領を書いてほしいと思います。やりがいのある仕事ですね~~!

 たとえば・・・

 「私たちは3000の島々からなる列島の夏にはえる入道雲のような大きな志とそのつきぬける青空のようにクリーンな志で、政権交代可能な民主政治を実現する。政策を競い、常に国民の声を聞き、既得権益者の雑音を排し、この国を内にも外にも前に進めていく勇気に満ちている。マニフェストを明確に打ち出し、その正否は総選挙における国民の信にすべてゆだねる。私たちの進む道の答えは常に国民の中にある。与党の日も、野党の日も、その議論と振るまいに責任を持ち、健全なるデモクラシーの発展のためにすべての力を結集し、行動する。それが民主党である」

 なんていうのはどうでしょうか(^_^)v

 ◇

 きょうから衆院予算委員会が始まりました。野党時代の2009年国会の予算審議は、一般質疑も含めて民主党質疑完投を果たしました。2010年国会では、与党としての予算審議ということで、戸惑うこともありました。ことしは予算案よりも予算関連法案がカギとなり、予算委よりも財金委が友達も多いし、財金委をウォッチしようかな、とも思っています。しかし、正直言って、3月末にどうなるか。不安です。はっきり言いますが、不安です。

 ドン底の国民生活を考えれば、単年度主義とはいえ、平成23年度(2011年度)予算をしっかり仕上げないといけませんが、やはり筆者も人間ですので、新しいこと、前向きなことに興味があります。ということで、未来志向で、民主党改革本部と、3委員会の動きも取材し、お伝えしていこうと考えております。もちろん、意見もバンバン書かせてもらいます(^_-)

 「党綱領をつくれ」と言って、実際に委員長になった、民社協会国会議員団長の直嶋さんが離党することなんてありえないですよね。川端規約委員長も、あるいはグループは違いますが鉢呂「代表選」委員長もしかり。これだけでも「民主党が分裂するんじゃないか」という不安をこのブログに送って下さる方(複数名いらっしゃいます)に対して、「絶対、大丈夫です、安心して下さい!」と言える。まあ、仮に党綱領策定委員長が突然離党していったら、もうどうしょうもないと民主党をあきらめます(笑)

 予算委では、総理大臣の菅さんは、馬淵澄夫さんの質問に、「ボリビアの大統領から『(わが国は)日本のようになりたいんだ』と言われました。京都大学にも2人の大学生が留学しています」として、予算委の常連ながら与党としては初めて質問に立った馬淵さんに「激励のご質問ありがとうございました!」と答弁しました。この菅さんの質問を空元気だ、と言う人。だったらどうするの? 何か対案は出せるの?

 僕自身、ちっぽけなつまらない人間ですが、子孫に美田を残したい、りんごの木を残したい。岡田本部長とともに、僕も頑張ります!

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おめでとう自民党55周年「候補者になりませんか?」とビラを配る底力

2010年11月15日 20時27分34秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[画像]自民党総裁の谷垣禎一さん、第22回参院選の自民党CM(YouTube)からキャプチャ

 おめでとうございます。

 きょうは自民党の結党55周年です。帝国議会開設時の「自由党(板垣退助)vs立憲改進党(大隈重信)」、その後も大政翼賛会直前まで、名前を変えながらも、主に「立憲政友会vs民政党」と、せっかく複数あった自由主義政党ですが、天皇制廃止と社会主義・共産主義をソ連の指導・資金援助による暴力革命という手法でめざした日本社会党・日本共産党という目の前の恐怖を克服するために保守合同ということになってしまい、昭和30年(1955年)11月15日、東京・神田にあった中央大学の講堂で自民党(自由民主党)が産声をあげました。

 「政治は国民のもの」で始まる自民党立党宣言では、「第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する」とあり、時を経た今でも、共産主義を唱える政党がわが国に存在するという現実を忘れずに、改めて、自由主義、民主主義に立った現代日本の立脚点を忘れないようにしたいものです。

 立党宣言の結びは、「われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。右宣言する。昭和三十年十一月十五日」とあり、戦後日本の再興にかける政治家としての使命感が伝わってきます。

 「ひたすら議会民主政治の大道を歩む」とか、「秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し」とか、岡田さんかよ!という気になりますが、谷垣禎一総裁・石原伸晃幹事長らにもぜひ体現していただきたいと願います。

 また「党の政綱」の中の、「3.経済自立の達成」の書き出しに「通貨価値の安定と国際収支の均衡の上に立つ経済の自立繁栄と完全雇用の達成をはかる」とあり、経済政策のいの一番として、野田佳彦財務大臣や白川方明日銀総裁にもくりかえし読んでいただきたいようなことが書いてあります。そして、「原子力の平和利用を中軸とする産業構造の変革に備え、科学技術の振興に特段の措置を講じる」とのシメの文に、資源の無い日本の経済成長に向けた自民党の見通しの確かさとその実績を認めざるを得ません。ここなんかは、谷垣総裁にも自信を持って、演説なんかに使ってほしいと思わせる文です。

 そして、「5.平和外交の積極的展開」に垣間見える「国際連合への加入を促進するとともに」との文に、ハッ!と手を止めました。自民党結党は1955年11月で当時の日本はまだ国連に加盟していなかったんです。松岡洋右から時代が止まっていた。国連安保理が「日本の国連加盟」を全会一致で決議したのは、その1年後の1956年12月だったんですね。おととい(2010年11月13日)の横浜での日米首脳会談でオバマ大統領から「日本の国連安保理入りのサポート」の表明がありましたが、当たり前と思える国連も、当たり前でなかったということを再認識しました。

 そして、「6.独立体制の整備」では、「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う」という文。これに関して言えば、自民党は53年間も与党にいて、憲法改正(自主憲法制定)という党是を達成することができなかった。これは自民党の反省すべき点です。教育基本法や地方自治法の改正はなりましたが、自民党が自ら残し、かつ野党・自民党の政権交代戦略にも重くのしかかる課題なのではないでしょうか。そして、最後の文、「世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障の下、国力と国情に相応した自営軍備を備え、駐留外国軍隊の撤退に備える」とあります。これを読むと、「駐留外国軍隊の撤退」はアンハッピーなことであり、そういうアンハッピーな不測の事態に備えて、自衛隊をつくった、と。そしてその現状認識は、半世紀経った今も変わらないばかりか、より的確さを増している。

 高邁な理想と怜悧な現実認識が渾然一体となった結党宣言文に、自民党が政権という重荷を半世紀担い続けた秘策をみた気がします。とはいえ、やはり1970年代以降は、遅くとも冷戦後は、私たちは、政権担当能力がある自由主義政党を2つ持たなければならなかった。いわば経済成長に目が行ってしまい、少し先を見通した政治システムを作るということをしなかった。そこに人間の性(さが)をみる気がします。お隣の中国の現状などを見ても、人はお金がある間は、お金に踊らされます。与党・民主党議員の一部にもそれを感じますが、せめて高邁な理想と怜悧な現状認識は、自民党を少し見習ってほしいです。アメリカでは共和党(Republican Party)のことを、古き良き党、グランド・オールド・パーティー、Grand Old Party、GOPと呼ぶことがあります。これは、下院議員の略称がRep.で、共和党の略称とまったく同じ3文字なので混同しやすいという理由もあり、TVニュースなど極めて日常的な場面で頻繁に使われる表現です。先週の衆・予算委で岩屋毅・影の防衛相が総理の外交姿勢を「腰抜けだ」となじりましたが、そういう理論や理屈を超越して伝わってくるものがある。自民党も日本のグランド・オールド・パーティー、“古き良き日本”を守る党という心構えを持ってもらうと、日本人として非常に心強く感じます。

 民主党の岡田克也幹事長は15日の記者会見で、「ぜひ頑張ってほしいな、と思います。なかなか選挙区がたくさん空いている状況のようですが、若い良い人材をたくさん擁立して、立ち直っていただきたい。やはり、自民党、民主党、それぞれがしっかりしないと健全な民主主義というのはできませんので、ぜひ元気になって頑張ってほしいなと思います」とエール。

  
[画像民主党幹事長の岡田克也さん、2010年11月15日、民主党本部ホームページ内の動画から

 そのうえで、外相時代の経験も踏まえて、「国会でいろいろなやりとりがあります。与党時代にこの人がこんなことを言う人だとは思わなかったぐらいの厳しい言葉も飛んできます。言葉だけでなくしっかりと政策で、中身で議論できればいいな、もちろんそういう立派な議論をする方もいらっしゃるわけですけど、国会の中で実質的なしっかりとした議論をしたいものだと思っております」と語りました。記者会見の司会は党副幹事長(埼玉12区)の本多平直さんが務めました。

 私は1974年生まれですが、前世紀の後半には、自民党員であることが社会的経済的成功者であることのステータスシンボル(社会的地位の象徴)である面があり、これが日本における政権交代可能な二大政党デモクラシーの導入(復活)を阻害していた点があると思います。その自民党も全国の100前後の衆院支部長(次期総選挙公認候補予定者)を探していて、なかなか困っている選挙区もあるようです。衆参とも民主党が独占している山梨県の自民党を伝える、山梨日日新聞の記事。

[引用はじめ]

支部長公募スタート 自民県連 - 山梨日日新聞 みるじゃん
山梨県内のニュース(山梨日日新聞から)2010年11月02日(火) 
   
 自民党山梨県連(堀内光雄会長)は1日、次期衆院選候補となる衆院山梨1~3区支部長の公募をスタートした。20日まで自薦のほか、各選挙区の県議や市町村支部長らによる他薦で応募を受け付ける。
 公募初日の1日朝、皆川巌幹事長ら県議3人がJR甲府駅南口で通勤客らに「候補者になりませんか」などと声をかけながらチラシを配り、公募のスタートをPRした。同日は県連事務局に応募方法などについての問い合わせが数件あったものの、応募は1件もなかった。
 支部長公募をめぐっては、自民党を離党した長崎幸太郎前衆院議員が週明けにも、2区に応募する方針。夏の参院選で敗れた宮川典子氏、3年前の参院選に立候補した入倉要氏の名前も挙がっている。両氏とも「現時点では白紙」としているが、県議らが他薦で応募する可能性がある。このほか、1区支部長への復帰に意欲を示している赤池誠章前衆院議員は近く後援会幹部と協議して対応を決める。
 公募は3選挙区ごとに行い、挙がった候補の中から県議を中心とした「選考・擁立委員」が選考。年内にも新しい支部長の選任を目指している。新しい支部長は次期衆院選の自民党公認候補となる見通し。

[引用おわり]

 この皆川幹事長、ググッたら、元県会議長のようです。県会議長経験者が武田信玄の巨像がある甲府駅前で、「自民党の候補者になりませんか」と声をかけ、チラシを配る。そこに自民党の底力を改めて、感じた次第です。 自民党が落ちたのではありません、ただ野党にポジションが変わっただけです。私たちがそういう配置換えをしただけのことです。


[画像]第22回参院選の自民党CM(YouTube)からキャプチャ

民主党がイチバンになったり、自民党がイチバンになったりしながら、日本をもう一度イチバンの国に、そして、一人一人のイチバン、一家族一家族のイチバンを実現していきましょう。

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小泉純一郎さん、「野党になっていい」「与党でずっといること不思議だ」と発言

2009年06月30日 07時44分42秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

  首相を務めた元自民党総裁の小泉純一郎さんは、29日、高級日本料理店で夜な夜な会合し、「ずっと与党でいること自体が不思議なことだ。野党になることもあっていい」と述べ、自民党54年長期独裁は異常だとし、民主党への政権交代が必要だとの考えを示唆しました。30日付日経新聞2面が報じました。

 小泉は政権交代ある二大政党デモクラシー発祥の地であるロンドン大学政治学部に留学していて、当時から、二大政党デモクラシーの便利さを熟知していたと言われています。

このエントリは以上です。

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反省しろよ民主党 だけどやっぱり民主党

2009年04月17日 23時59分59秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]民主党機関誌「プレス民主4月17日(207)号」から。プレス民主は民主党員(年党費6000円)に郵送されます。第1・第3金曜日発行です。

 鳩山由紀夫幹事長は17日の定例記者会見で、西松事件について「民主党は党としてこの問題に取り組んでいる」と述べ、党内にある「小沢さんと検察の問題は、民主党と政権交代の構図から切り離すべきだ」との声をけん制しました。
 その上で「反転攻勢をしっかりしていかないといけない」とし、「小沢一郎代表が全国各地を回り、候補予定者を激励する」「多くの国民の皆さんと触れ合う」「名古屋市長選挙の応援に入る」「マニフェストを豊富化していく」「政府が提出する15兆円の補正予算のバラマキ、ムダ遣いを追及する」ことで、民主党の存在感を高めることを強調しました。

民主党ニュース:小沢代表を先頭に国会、選挙態勢づくりで反転攻勢をかける 鳩山幹事長が会見で

 「政権交代は天から与えられた使命」と会見をしめくくった幹事長。私は3月22日以降の二大政党のインターネット視聴率を確認しましたが、民主党へのアクセス数は低迷していますが、1人あたりの閲覧ページ数は、自民党の5倍になっています。つまり、民主党(政権交代)を支持するコアメンバーは民主党に関する情報を渇望している。しかし、民主党は十分な情報を発信できていない、と分析できます。

 17日の本会議では「代表辞任論」をぶちあげた衆院議員が「委員会へのマスコミ取材が少なかった」と壇上で話しました。しかし、この法案は初めから政府案と民主党案が修正合意の上全会一致することが予想されていました。第1回総選挙から119年目の第45回総選挙で、日本の歴史上初めて国民の投票行動による政権交代をかけた戦いを必死にやっているさいちゅうです。この特別委はメンバーに弁護士および凌雲会が多いという傾向が多く、私は冷めた目で見ていました。

 3月22日以降、情報発信ができなかった現職議員は反省すべきです。もちろん民主党の一員として、西松事件を招いた巨額の政治資金に関して、反省すべきです。内心はどうであれ、民主党公認で国政に出ているのですから。

 さて、名古屋市長選ですが、これはすべて名古屋市民がご判断されることです。しかし、マスコミの「知事選2連敗」報道の逆風のなか、トロイカが名古屋に入ることになりました。
http://www.dpj.or.jp/news/?num=15760

菅直人代表代行
 4月18日(土)
 13:00メド~  愛知  街頭演説 八事交差点 名古屋市昭和区広路町
 
鳩山由紀夫幹事長
 4月19日(日)
 12:00メド~  愛知  街頭演説 三越名古屋栄店前 名古屋市中区栄3-5-1

 13:00メド~  愛知  星ヶ丘三越前 名古屋市千種区星が丘元町14-14

 幹事長の会見によると、「小沢さんは21日、22日、23日あたりに名古屋入りする予定で調整している」そうです。

 繰り返しますが、名古屋のみなさんがご判断なさることですから、民主党本部は、河村たかしさんの軒先をお借りして雨宿りする、という感じです。

 亡くなった山本孝史・前参院議員(動画:山本たかしさん「命のバトン」)は「俺、河村の推薦人になってもいいから」と申し出ました。河村たかしさん公式ウェブサイト内関連記事。他の前参院議員は河村たかしさんに「俺の名前はいつでも使っていいぞ」と言っていたそうです。だから毎回推薦人1人は確保していました。この前参院議員とは佐藤道夫さんです。理由は「俺、なんかあんたのこと好きや」。参院議員のあるべき姿と思います。

佐藤道夫さんの経歴(ウィキペディア)↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E9%81%93%E5%A4%AB

 佐藤さんは「西山記者事件」を立件した東京地検特捜部検事です。「西山記者事件」で世論を大きく動かした「外務省女性職員と毎日新聞政治部記者の不倫関係」について、逮捕前から把握していたとされています。そして、マスコミが「言論の自由への弾圧だ!」と拳を振り上げた後にその事実を起訴状に書くことで世に出しました。世論の風は正反対に向き、ついに毎日新聞社は倒産に追い込まれました。その辣腕検察官は参院選当選後、民主党に参加したのです。今の民主党は山本さんや佐藤さんたちの積み重ねで出来ているのです。

 民主党は河村たかしさんにどれだけ助けられているんでしょうか? 河村さんに対して小馬鹿にする態度をとっていた現職サラリーマン国会議員諸君、私がイチバン反省してほしいのはあなたたちです。

 反省しろよ民主党。
 だけどやっぱり民主党。
 
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来賓の経団連幹部が民主党大会で「国民の生活が第一。に全く同感」と述べる

2009年01月18日 18時47分38秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 2009年の民主党大会が18日、東京の「メルパルク」(郵便貯金会館)で開かれ、来賓として経団連政治対策委員長の大橋光夫さんが祝辞を述べました。

 大橋さんは昭和電工の会長。1908年創業、旧安田財閥系の老舗メーカー。石油化学製品やアルミニウムなどをつくっていて、連結の売上高は1兆円を超える大企業です。

 大橋さんは「そこに座っている藤井裕久最高顧問とは70年来の先輩後輩」と自己紹介。同郷の幼なじみという意味でしょう。さらに昭和電工本社が会場に近いと強調し、「メルパルクは昭和電工のなわばりで、他社は気兼ねして使わない」とし、この会議に来たことの正統性をくりかえし強調しましたが、大丈夫ですよ、大橋さん。民主党は開かれた政党ですから。

経団連「国民の生活が第一。に全く同感」民主党大会

 大橋さんは「国民の生活が第一。という精神に全く同感であります」と述べて、民主党との政策懇談の場を持ちたいと提案しました。



 「民主党・経団連政策責任者会合仮称)」は近く第1回協議を持ち、労働、雇用、経済、産業政策における重大な政策決定の場となりそうです。

 私は8年半、経団連のお隣の会社(日本経済新聞社)に勤めていました。とはいえ、経団連のことはよく分かりませんが、まさか経団連さんほどのお方が、民主党に口だけ出すってことはありませんよね(^_^)v?

 世界を代表するニッポン企業の矜持が試されています。

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自民党やめますか?それとも人間やめますか?

2008年04月13日 02時23分19秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

 この写真。
 昭和50年代、私が小学校低学年のころにTVで流れていた懐かしい広告。
 Youtube で見つけました。
 これ長年、警察庁=政府公報だと思っていたら、AC公共広告機構の広告だったんですね。

 「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」

 これは子供心にもインパクトが強かった。
 もちろん、今まで覚醒剤に手を染めたことも、所持したことも、買ったこともありません。

 時は移ろい、平成20年。

 もはや日本国民には

 「自民党やめますか? それとも人間やめますか?」

 という広告が必要です。


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 東京で暮らしていると分からないけど、自民党が覚醒剤より「生活」を破壊しているってこと分かっていない人多いですよ。地方に限らず。



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