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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

岡田克也さんが勝訴 田村重信・自民党職員の「通産官僚としてイオン出店に便宜」のデタラメ記述

2009年02月06日 10時07分02秒 | 岡田克也、旅の途中

 民主党副代表の岡田克也さんが、通産省職員時代に、岡田さんの父が創業したスーパーの全国展開に便宜を図ったと自著に書いた自民党本部の田村重信職員に対して、東京高裁は「事実があったとは認めがたい」として110万円の支払いを命じました。

 岡田さんは2月5日付で談話を発表しました。

 ◇

私の名誉毀損に対する訴訟及びその判決について(談話)
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2009年2月5日

私の名誉毀損に対する訴訟及びその判決について

衆議院議員  岡田 克也

本日、私が控訴人である謝罪広告等請求控訴事件(東京高裁平成20年(ネ)
第1994号事件)に対する判決が言い渡された。
 
当該事件は、自由民主党政務調査会首席専門員である被控訴人・田村重信氏がその著書の中で、私が通産省勤務時代に不動産会社「岡田興産」の取締役を務めていたことを取り上げて、「ジャスコの全国展開を推進した岡田興産と通産省の関係で、通産官僚の岡田さんが何らかの便宜を図ったので
はないかという疑惑」があるなどと誤った事実を記述し、もって私の名誉を毀損したため、謝罪広告の掲載と損害賠償の支払いを求めたものである。
 
本日言い渡された判決は、「岡田興産の事業を通じて実父が経営する大手流通企業に対する便宜を図ったという疑惑が存在するとの事実を摘示した」ことについて、その「事実の重要部分が真実であることの立証をしないし、上記事実を真実と信じるについて相当の理由があることの主張立証をしない。」「およそ岡田興産がジャスコないしイオングループの全国展開を推進するといった事実があったとは認めがたい」として、田村氏に対して損害賠償の支払いを命じた。
 
私は政治家として20年来、「政治家に対する国民の信頼」が最も重要な政
治の基盤であるとの信念の下で活動してきた。
政治家に対する批判は基本
的には広く認められるべきだが、それはあくまで事実に基づいたものでな
ければならない。今回の判決によって、その当然のことが改めて確認され
たと言える。

岡田民主副代表が逆転勝訴=名誉棄損、自民職員に賠償命令-東京高裁(時事通信)
 自民党職員が出版した書籍で名誉を傷つけられたとして、岡田克也民主党副代表が自民党の田村重信政務調査会首席専門員に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は5日、訴えを退けた一審東京地裁判決を変更し、田村氏に110万円の支払いを命じた。
 問題となったのは、田村氏の著書「民主党はなぜ、頼りないのか」の記述。岡田氏が通産官僚時代、父親の創業したスーパーの全国展開で便宜を図った疑惑があると指摘していた。
 一審判決は論評の範囲内だとしたが、渡辺等裁判長は「事実があったとは認めがたく、免責されない」と述べた。(2009/02/05-16:54)

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【評伝】高田ちえさん享年100 岡田克也さんの背中を押したたった一人のおばあちゃん

2009年01月31日 16時23分23秒 | 岡田克也、旅の途中

 正月2日早朝に、民主党副代表・岡田克也さんのおばあさん、高田ちゑ(高田ちえ)さんが亡くなりました。享年100。老衰。ここ数年は入退院を繰り返していたそうです。 岡田さんの55年間の前半生でただ一人のかけがえのない祖父母がちえさんでした。

 高田家は三重県菰野町の旧家(地主)で岡田さんのお母さんの実家です。

 岡田家(父方)は三重県四日市の老舗、岡田屋呉服店。岡田卓也さん(イオン創業者・名誉会長)夫妻のもと、長男の岡田元也さん(イオン社長)、次男の克也さん(衆議院議員)、三男の高田昌也さん(中日新聞政治部記者)がいます。いわゆる岡田3兄弟です。

 高田ちえさんは三重県海山町(いまの紀北町)出身。菰野町の旧家に嫁ぎながら連れ合いを亡くし、苦労しました。それでも3人の娘(一人は岡田さんのお母さん)を女手ひとつで育て上げたうえ、その経験から、自分と同じような境遇、つまり母子家庭、シングル・マザーを支援する活動を半世紀以上続けました。

 1949年(昭和24年)2月から最近まで「菰野町母子福祉会」の会長。県組織では、三重県母子福祉会(現在の名称は三重県母子寡婦福祉連合会)会長(1971年~1990年)、全国組織では、全国母子寡婦福祉団体協議会(全母子協)副会長(1979年~1989年)を務めました。
 
 国会議員、陳情者、官僚、マスコミ御用達の「国会議員要覧」というガイドブックがありますが、巻末の主要団体の連絡先の一覧にも「全母子協」が載っています。

 【動画】麻雀好きの明るい人でした――ただ1人の祖母、逝く(岡田かつや週刊ビデオメッセージ)

 このおばあちゃん、岡田さんにとって、「イオン創業に奔走しあまり夕食をともにした記憶がない父」との心のすきまをうめ、「大阪の高校進学&父との2人ぐらし」という思春期の大決断を助け、通産官僚から代議士への転身という岡田さんの人生の節目節目でその背中を押してあげた「政治家・岡田克也」誕生に不可欠な人物だったことが分かりました。

 ◇

 私は高田ちえさんのことを書き記すことは、いずれ現代史の大事な資料になると思い、このエントリーを書くことにした次第です。

【しごとに明け暮れる父母、10キロ離れたおばあちゃんの家へ自転車で】

 「1953年7月14日、私は三重県四日市市で生まれた。父はいまでこそイオングループの創業者として知られているが、当時は四日市で代々つづいた家業の呉服店の後継者だった」「母も地元で生まれ、父と結婚した当初は売場に立っていた」(岡田克也著『政権交代』49ページ)。

 

 「私にとってはあくまでものんびりした一地方都市で、こうした街で育ったことが自分の人格を形成する、大事な要素になっていると思う」「毎日忙しくしていて、父と夕食をともにした記憶はほとんどない」。

 公立の小中学校で学び、「社会にはいろいろな人がいる」という感覚が体に染みついた克也少年ですが、仕事にあけくれるお父さんとそれを支えるお母さんに反感を覚えていたのではないでしょうか。

 克也少年の淋しさを埋めてくれたのは、たった一人のおばあちゃんだったようです。四日市から片道10キロ離れた高田家に1人で自転車に乗って、よく遊びに行っていたそうです。

 「大変明るい人で、趣味は麻雀。私が中学校時代に麻雀を教えてもらったのも祖母からで、最近はあまりやりませんが、大学時代や社会人になってから、あまり上手くない麻雀を一生懸命やった、そのもとは祖母に教えられたものです」(1月7日付「岡田かつやTalk-About」)

 こういったことを岡田さんがあかすのはまれです。

 「1969年、私は大阪の高校を受験することにした。私にとっては初めての大きな決断だった」(「政権交代」51頁)。「都会の高校に行ってみたい」「それまであまり話したことのない父といっしょに暮らしてみたい」。

 この決断の裏にはおばあちゃんとの“雀卓談義”があったと思われますが、そこはちょっと分かりません。


【東大法学部、知らずに追いかけていた父の背中、おばあちゃんの背中】

 東大法学部に進んだ克也青年。

 「卒業後の進路を考えはじめる頃になっても、やはり公のために働きたいという思いがずっと心の中にあった」(「政権交代」55頁)。

 岡田さんは、通産省と厚生省から就職内定をもらいました。

 本人は気付いていないかもしれませんが、通産省はお父さんの会社の所管官庁、厚生省はおばあちゃんの団体の所管官庁です。克也青年は無意識にお父さんの背中とおばあちゃんの背中を追いかけていたのではないでしょうか。

 「どちらに行くべきだろうか。正直なところ、大変に迷った。公のために働くのであれば、年金や福祉の仕事など、厚生省のほうがよりふさわしいだろうか、という思いもあった。しかし、生きた経済や企業を相手にしながら、省内が生き生きしているような実感があって、通産省に決めた。入省は1976年である」(『政権交代』56頁)。


【志ある若者の背中をそっと押す高田家 孫文と岡田さんの意外なつながり】

 岡田さんは2008年7月25日付の訪中報告ブログで、次のようなエピソードを明らかにしています。

 高田家に今からおよそ100年前、のちに中国で辛亥革命(中華民国建国)をなしとげた孫文が泊まったことがあるそうです。孫文を経済的に支援する日本人グループの1人だったとのこと。

 孫文は中国同盟会を1905年8月20日に東京で結成しました。時の東京は日露戦争の勝利が確実で、「坂の上の雲」にのぼったような気持ちでいたころです。この中国同盟会が清王朝を滅ぼし、辛亥革命をなしとげることになります。

 孫文は革命を目指して香港、シンガポールに滞在し、宮崎滔天(宮崎寅蔵)ら支援者の力で日本国内も転々としていました。昨年、胡錦涛・国家主席が来日した際も、日比谷公園内の孫文ゆかりの「松本楼」を訪れました。岡田さんのひいおじいちゃんもそういった孫文の支援者の一人だったようです。

 孫文は高田家に一宿一飯のお礼に「博愛」という書を残しました。岡田さんが代議士になると、孫文の書を高田家の蔵から東京に運び、衆議院議員会館の自室に掲げました。



[写真は孫文が高田家に残した「博愛」の書]

 あの広い中国大陸で辛亥革命をなし遂げた孫文。その背中を押してあげた高田家。高田ちえさんも岡田さんが1988年、通産省を辞めて政治家になると「決めたときには、一生懸命応援をしてもらった」(1月7日付ブログ)。

 高田家には、志ある若者の背中をそっと押してやる思いやりが受け継がれているようです。高田家は養子縁組みした昌也さん、つまり岡田さんの実弟が跡を継いでいます。

 孫文は58年間の生涯で「中国革命の父」となりました。中国人、台湾人、日本人の大多数が偉人だと一致するおそらく唯一の人物ですが、最期は「革命未だならず」と無念さをにじませました。

 
[中華民国時代の北京・天安門にかかる孫文の肖像=1月24日付朝日新聞]

 岡田さんも若く見えますが55歳。狭いこの国で、革命ではなく政権交代をするのは、ずっと簡単なことに思えます。民主党が政権をとり、その政権がいずれ腐り、もう一つの二大政党に政権が再びかわる。そういうプロセスを経て、日本に政権交代可能な二大政党制を確立するには向こう15年間はかかります。岡田さんには「政権交代未だならず」など絶対に許されません。

 私はこの訃報に接するまで、「高田ちえ」さんのお名前も存じ上げませんでした。「政治家・岡田克也」にこれだけ大きな影響を与えた明治女性がいたとは驚くばかり。なぜだかよく分からないけど、「ありがとうございました」と感謝したい気持ちになりました。

 心からご冥福をお祈りします。

高田ちえさん死去 岡田卓也イオン名誉会長相談役の義母(共同通信) - goo ニュース

 高田 ちえさん(たかだ・ちえ=岡田卓也イオン名誉会長相談役の義母)2日死去、100歳。三重県出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。お別れの会は2月16日午前11時から三重県四日市市安島1の3の38、四日市都ホテルで。喪主は長男昌也(まさや)氏。

以上です。

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「定額給付金?」「ツケは払わされます」岡田克也、突き放す&三村和也さんの話題

2008年12月18日 23時58分52秒 | 岡田克也、旅の途中


 岡田克也「TALK-ABOUT」に選挙区で「岡田さん、2万円はいつもらえるんでしょうか」とよく聞かれるという動画が載りました。テキスト起こし版は次のページです。
http://katsuya.weblogs.jp/blog/2008/12/post-e60a.html

(引用はじめ)

 「岡田さん、2万円はいつもらえるんでしょうか」と、こういう話が結構あるんですね。

 2兆円のバラマキについて、本音ベースでは期待感を表明される方が、特に女性に多いのですが、たくさんいらっしゃることも事実です。

 しかし、私はそのときも申し上げたのですが、「これは、結局私たち、あるいは皆さんの税金なんです。ツケは払わされますよ」と。そして、「例えば、いろんな無駄を徹底的に省いて歳出を削減し、その上で、将来それでも必要であれば増税が必要という議論をしている、そういう中でこの2兆円のバラマキは無駄の典型的なものではないですか」ということを、大分申し上げさせていただきました。

(引用おわり)

 「2万円」というのは「定額給付金1人1万2000円」のことでしょう。そして、主権者に向かって「ツケは払わされますよ」と言い放つ岡田さん。

 これを読んで一つのエピソードを思い出しました。

 岡田さんはミニ集会のことを「座談会」と呼びます。

 岡田さんの座談会に2人しか集まらなかったことがあったそうです。しかし、岡田さんは1時間半とか2時間とか徹底的に話しあう。そして、話し合った結果、岡田さんは参加者に対してヒトコト言いました。

 「だったらあなたは私を支持しなくていい!」

 この参加者が町内会長さんだったようで、「岡田はとんでもない」と吹聴します。ところが、この町内会長さんは随分威張っていたらしく、返って「岡田というのは若いけど本気だ」という評判が高まったようです。そういった青年代議士・岡田克也の武勇伝を思い出しました。都市伝説かもしれないし、事実関係はだいぶ違うかもしれませんが、そういうことがあったようです。

 民主党の2回目の調査では岡田さんの三重3区での予測得票率は「77・2%」と出て、全選挙区中最高になっています。これを書くと叱られるでしょうね、本戦で本当に77・2%をとるのは至難の業ですから(^^;) とはいえ、三重3区での民主党支持率は「50%」。そういう地合を選挙の前に作っておけば、「ツケは払わされますよ」と本質論を話せる。政策を語りたければ、まずは日常活動に精を出すべきです。

 ◇

 このところ、エントリーにしていませんでしたが、岡田さんの通産省の後輩にあたる、神奈川2区総支部長の三村和也さん。対抗馬が菅選対副委員長で、やはり相当な選挙上手のようで、数字が伸びてこない。予測得票率は「35%足らず」にとどまっており、かなり厳しい情勢です。

 三村さんのブログは更新されるたびに読んでいます。この人は力があると思います。白目の多い「三白眼」。これは岡田さんに似ているし、「加治隆介」「島耕作」など弘兼さんのマンガの主人公にも似ている。そして、ミナト「横浜みなとみらい」が選挙区だけに「裕次郎」の雰囲気があります。7月14日の党本部の政治資金パーティーで少しだけお話しできましたが、醸し出すフェロモンのある人です。


 防衛庁防衛政策課で、弾道ミサイル(MD)について研究していました。私は大学で「国際政治学・安全保障論」を専攻していましたのでうらやましい限り。MD研究は世界地図を読み込んだ人にしかできません。三村さんの経験は必ず日本の役に立つと思います。ただ、当ブログは第45回総選挙での政権交代に的を絞っていることと神奈川2区が僕にとって“日経時代のトラウマの地”なので、なんとなく足が遠くなり、現地にうかがったことはありません。

 三村和也さんはミニ集会のことを「タウンミーティング」「TM」と呼んでいます。

 さて、11月30日付「ミムラのブログ」から。

(引用はじめ)

 その後、地下鉄で港南中央駅に向い、いよいよ三村和也はじめてのタウンミーティング会場の港南地区センターへ!!

 しかし、残念ながら、初回の今日は、参加者0名でした(涙)!!!

 来ていただいたのは、地元の記者さん、前市会議員の安藤さんと市会の市野さん、ボランティアで手伝ってくれていたKさん、それと三村事務所の面々でした。

 完全に営業不足です。次回は、1人でも多くの方に来ていただけるよう、地元をしっかり回りたいと思います!!今日は大反省で、勉強になりました。

 次へ向けて、がんばります。

 数年後、多くの方に集まってもらえるタウンミーティングを開催できる力をつけて、「最初はひとりも来てくれなくてさ(笑)」なんて、笑い話にできるよう、がんばります。

(引用おわり)

 三村さんのほろ苦いミニ集会デビューでした。新生党・民主党の衆院議員だった吉田公一さんも練馬区議に初出馬したときの総決起大会の参加者がゼロだったという話をしていました。

 10月時点で「35%足らず」では、対抗馬に健康上の問題でも出ない限り、第45回総選挙での小選挙区勝ち上がりはほぼ絶望的です。でも、民主党は国民が求める限り、ずっと続きます。三村さんがいつか、日本を背負うことができる人材(今でいう、岡田克也のような)になれる、神奈川2区の主権者が三村和也をそこまで育て上げる日が来ることを僕は期待しています。

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岡田副代表、接触禁止のオバマ政権幹部候補と会う

2008年12月16日 22時47分18秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真は13日付朝日新聞]

 岡田克也さんは16日、「岡田かつやTALK-ABOUT」で訪米の内容を報告しました。
 その中で、オバマ次期大統領が外国人政治家との接触を禁じている「政権移行チーム」のカート・キャンベル元国防次官補代理と偶然に会ったことを明らかにしました。なお、13日付朝日新聞の有馬記者のインタビューには「政権移行チームの人とは会えなかったが、オバマ氏への期待感の高さを感じた」と答えていました。かつやの嘘つき!

 (引用はじめ)

 ワシントンで昼食を取りながら、何人かの人とお話をしていたわけですが、隣の席をふと見ると、そこにキャンベルさんがいて、食事を取っておられる。これは全くの偶然でした。

 

 

 

 目が合いましたので、挨拶はしましたし、今回会談できなくて申し訳ないということをキャンベルさんは言っておられましたが、それ以上何か話をしたりすると、おそらく国防総省か国務省の重要な地位に就くであろうキャンベル氏に傷が付いてもまずいと思って、私も挨拶をしただけで、自制をさせていただきました。

(引用おわり)

 というわけで、必ずしも朝日記者に嘘をついたわけでなく、あいさつ程度だったとのことです。ワシントンというのは政治産業に特化した極めて狭い街ですから、こういうことが起きても不思議ではありません。

 なお、毎日新聞によると、カート・キャンベルさんは近く来日し、19日に岡田さんら民主党幹部と会うようです。マイケル・グリーンさん、ジョセフ・ナイ先生とも会います

 日米とも政権交代への準備は着々と進んでいるようです。



[写真左はマイケル・グリーン(前原誠司さんホームページ)、右はジョセフ・ナイ先生(日経)]

 マイケル・グリーンジョセフ・ナイが日本の民主党幹部と19日に会談することが分かりました。

 鳩山由紀夫幹事長、菅直人代表代行、岡田克也、前原誠司両副代表と会うようです。

 これは米国の知日派が日本での民主党への政権交代の可能性が高いと読んでいる決定的な証拠です。彼らは政治的に極めて野心家ですから、単にお茶を飲みに民主党を訪問することなどあり得ません。

 現在の日米外交は、2人の友だちであるリチャード・アーミテージを中心に回っています。論より証拠、加藤良三・日本プロ野球機構コミッショナー(前駐米大使)の娘さんはアーミテージ・インターナショナルに務めています。アーミテージは軍人出身で、10年ルール(退役後10年経つとシビリアンになる米独自のルール)で、国務省の副長官として長官のコリン・パウエル将軍とコンビを組みました。民間人としてジョセフ・ナイ・ハーバード大学教授とまとめたのが「ナイ・アーミテージ報告(第1次アーミテージ報告)」です。

 そして第2次アーミテージ報告にはマイケル・グリーンも参加しました。あごひげが特徴的な彼は日本語がペラペラですが、フジの番組などに出演するときは英語を話しています。何らかの意図があるのでしょう。グリーンはフルブライト留学生(フルブライター)として東大に留学。小沢代表と同じ岩手県選出の政治家の秘書もしました。

 アーミテージは共和党色が強く、ナイ先生は高齢ですから、オバマ政権入りはないような気が私はします。ただ、米民主党には知日派が少ないですから、この3人は一定の発言力を持ち続けると思います。

 この3人(アーミテージは来日しないようですが)は日本人以上に日本の情報を持っていますから、「政権交代近し」との考えで動いているのは間違いありません。自民党とは誰と会うのか注目したいところです。

 民主党では愛知選出の参院議員の谷岡郁子(たにおか・くにこ)さんが鳩山幹事長の指示で渡米。谷岡さんの秘書がオバマ陣営を手伝うという徹底ぶりで人脈を作りました。岡田副代表が先週1週間、渡米していました。

冬来たりなば春遠からじ、もうすぐ政権交代!
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岡田克也さんタクシーで「料金は要りません」「民主党に寄付したい」と言われる

2008年09月25日 22時36分28秒 | 岡田克也、旅の途中

 民主党(DPJ)副代表岡田克也さん(三重3区)が東京駅から乗ったタクシーを降りる際、運転手さんから「タクシー料金は要りません」「これは岡田さんと民主党に寄付したい」と言われていたことが分かりました。

 岡田さんがブログ岡田かつや「TALK-ABOUT」で明らかにしました。

 有名人が乗ることが多い東京のタクシーは、「○○さんですよね?」「サインください」と運転手さんが言うことは稀です。
 「降り際に『岡田さん頑張ってください』とか『民主党頑張ってください』と言われることは非常に多いのですが」と岡田さんも記しているように、乗車中は気付かないふりをしてゆっくりと休んでもらうようにしているようです。

 これは東京の「いき」の文化の基盤のうえに、東京では長年「4社」と呼ばれる複数の法人タクシー会社がしのぎを削ってきたので、社員教育が徹底しているからだと思います。  

 岡田さんは、「そのお気持ちは大変ありがたかったのですが、もちろん、そのご好意をそのまま受け取るわけには参りません。料金はちゃんと払ったわけですが、しかし、そういう気持ちになっていただいているということは大変嬉しかったし、そして責任も感じました」としたうえで、 「多くの皆さんのその気持ち、大切にして、是非とも政権交代を実現したい」と強調しました。


 タクシーは小泉構造改革により台数の規制が緩和されたことから「4社」以外の新勢力が台頭。しかし、行きすぎた供給台数の拡大と不況による需要減少からタクシー運転手の生活は困窮しており、構造改革の犠牲者の代表格とされています。

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【地球温暖化】岡田・李克強会談で中期目標にはずみ

2008年07月30日 17時32分06秒 | 岡田克也、旅の途中

 「岡田・李克強会談(おかだ・りこくきょうかいだん)」が開かれ、地球温暖化(Climate Change、気候変動)に関して前進がありました。

 日本の新聞はほとんど報じていませんが、同会談で、李副首相は

 「(中国は)持続可能な発展(Sustainable Development)の道を歩み、資源節約と環境保護の度合いを強める」と明言しました。

 人民日報の電子版サイトの「人民網」などを見ると、李さんは同様の発言を時折、国内でしているようです。とはいえ、日本の政権準備政党の副代表と膝を交えて発言したということは、それ自体、意味があります。外交ですから。

 李さんの発言を記録として残す、ということは大きいと思います。

 岡田克也さんのブログ(岡田かつやTALK-ABOUT)と新華社(李诗佳記者)が伝えています=中国大使館HPの「李克強副首相、岡田民主党副代表と会見」 と題した記事で日本語訳を読めます=。

 ◇

 李克強(り・こくきょう)さんは53歳。中国共産党の政治局常務委員で国務院副総理(副首相)で、次の中国のリーダー争いのナンバー1、2につけているとされます。

 胡錦涛さんの次の総書記は、2012年ないし2017年の共産党大会で就任するスケジュールになっています。胡さんは共青団の“後輩”の李さんと、太子党(共産党エリート子息グループ)の習近平(しゅう・きんぺい)国家副主席を競わせて、どちらかを後継者にすると予想されています。

 ここまで書けば、賢明な方はお気づきだと思います。「岡田・李克強会談」は、近い将来、「日中首脳会談」と呼ばれる可能性があります。
 地球温暖化という中長期的なテーマで両者がコンセンサスを得たことは、日中の温暖化対策にとって大きな意味があります。

 ◇

 7月16日の中国・北京、人民大会堂での岡田・李克強会談のようすを新華社と岡田ブログから再現します。

 冒頭、李副首相は「中国の汶川(ぶんせん)地震に民主党から同情と援助が寄せられたことに感謝」し、被災地の復興、中国の経済と社会の発展、気候変動(cimate change、地球温暖化)対応などの状況について説明しました。

 岡田副代表が「温暖化問題をしっかり議論したい」としていくつか質問をしました。

 李さんは「中国は科学的発展観を徹底させ、実行に移し、持続可能な発展の道を揺るぎなく歩み、資源節約と環境保護の度合いを強め、経済構造調整と成長パターンの転換を進め、国民経済の良好で速い発展をはかる」と表明しました。

 岡田さん一行が、温暖化問題での実務者協議を希望していると聞いた李さんはすばやく支持を出し、その晩、中国環境相との会談(およそ1時間半)がセットされました。この辺の中国共産党幹部の対応はいつもながら見事です。

 解振華・環境相と岡田さんの会談は昨年12月のインドネシア・バリ島でのCOP13(国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議)以来、7ヶ月ぶりです。


岡田さんと解「環境相」の会談

 解「環境相」は「中国は責任を共有しているが、差異ある責任だ」と発言。これは、先進国が2020年の中期目標を設定するよう促した発言のようです。

 これは北海道洞爺湖G8サミットでの福田議長のていたらくを上手く突いて、中国の国益につなげるという巧みな発言だと思います。たしかに解さんの言う通りの面が大きいですから、なんともなりません。
 民主党の地球温暖化対策本部長である岡田さんは
「民主党は2020年25%削減という目標をきちんと法律に書いて国会に提出した」と述べ、第169通常国会に提出した民主党の地球温暖化対策基本法案=審議入りせずいったん廃案=の内容を説明しました。同法案は170臨時国会にも提出する方針です。

【温暖化】排出権取引市場2010年創設 民主党、基本法案を提出

 そして、具体的な手段としてキャップ&トレード方式の排出量取引制度の2010年度導入や自然エネルギーの数値目標の導入、温暖化対策税(炭素税)などを説明して、「我々はやる気であるということを反論した」そうです。
 解さんは「中国も今一生懸命取り組んでいる」とし、「レジ袋の有料化を実現した」との成果を披露。解さんは「この前、市場に行ったら、まだそれが徹底されていないので改めて指示を出した」と話したようです。

 “首脳会談”と“実務者協議”を同日に行った実りある訪中だったようです。

 先進国である日本側が「基本法」などを先に作ってからでないと、地球温暖化対策での日中の話し合いは進まないでしょう。悠長に構えていられません。

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岡田克也さん『政権交代』で「父との二人暮らし」を初めて語る

2008年06月26日 01時50分12秒 | 岡田克也、旅の途中


【初の岡田本は、意外!日本政治と岡田さんの「15年史」】


 「岡田克也、初の著作」と聞いて、
 「どうせ、インテリ好みの政策本だろ。言っていることは真っ当だろうけど、ちょっと堅そうで敬遠しちゃうな」という思っている人が多いでしょう、実は私も予約時はそう思っていましたが・・・(>_<)

 ところが実際は、違う。政策本というより、自伝であり、日本近現代史の一級品です。岡田克也「政権交代 この国を変える」(講談社)は読まなくてもいいから、一冊お求めになって書棚に入れておくことをオススメします。

 講談社は「中川秀某」の本ばかり宣伝してるし、新書で小池某、与謝野某の本も出ていますが、そんなのを読むのは、時間と金の浪費(waste)です。

 夏の政治読書は「岡田克也」で決まり。

岡田克也が初の著作『政権交代』発売 宮澤解散から15年、あの日と変わらぬ志(6月17日付エントリ)



 というわけで、抜き書き。

【第1章「15年前、宮澤内閣不信任案に賛成」】

 この本は、「1993年6月18日午後8時」「その日のうちに衆議院解散が宣言された」「そして私は、衆議院議員として3年4ヶ月にわたって所属した自由民主党を離党した」(14頁)という書き出しで始まります。

 私もあのとき、新生党学生部に参画しました。その15年間が同期化(synclonize)してきます。「あのときが改革の原点だったね」。古参の政治家秘書と話すといつもその認識で一致します。

 読み進めます。

【父を追いかけて大阪へ 二人暮らしの父の背中】

 第2章では岡田さんの生い立ちです。

 「父はいまでこそイオングループの創業者として知られているが」「岡田屋7代目として、地元で呉服と日用衣料品を商う商人だった」(49頁)

 「私が中学生の頃、父は(略)次第に事業を展開し」「歩いて会社に通っていたのが、自転車になり、やがて車に替わっていった」(50頁)と述懐。

 「子どもの頃は東京や大阪にも一、二度しか行ったことはなく、新幹線に乗った記憶もない」(51頁)という岡田さん。

 私は岡田さんの経歴で前々から不思議に思っていたのは、大阪の高校(大阪教育大学附属高校)を出ていることです。これも読んで納得。

 岡田さんが中学生の頃、お父さんが大阪で2つの地域スーパーを買収し、ジャスコ(イオン)の拠点を大阪に置いていたんだそうです。

 「都会の高校に行ってみたい、という気持ちもあったし、それまであまり話したことのない父といっしょに暮らしてみたい、という思いもあった」。

 高校に通いながら、父と2人で生活して、「それまであまり会話のなかった父と、ぽつぽつと話すようになった」「当時圧倒的に強かったダイエーとの競争など、少しずつ語ってくれた」「その背中を見ながら、大変なんだな、と思ったものだ」。

 この51頁は必見です。克也少年はおそらく15歳まで父に対して複雑な心境を持っていたのではないでしょうか?岡田さんがこういった話を披露するのは初めてでは? 地元の支援者の方々はご存じなんでしょうか?

 岡田さんにとって、父の背中は最良の教科書だったようです。

【東大法学部・岡田克也の内定先は通産省、そして厚生省!】

 56頁。東大法学部の克也青年は卒業後の進路を国家公務員に定めました。

 「大蔵省は、役所を相手にする役所で、直接国民に接する役所と比べて具体的なやりがいが実感できないような気がした。それに、そもそも成績を考えると受かる自信もなかった。最終的に内定は厚生省通産省の2つをもらった」。

 これ知ってました? 私知りませんでした。

 で、「どちらに行くべきだろうか。正直なところ、大変に迷った」そうです。

 岡田さん、一歩間違えて厚生省に入っていたら、いまごろ厚労省医薬食品局長(岡田さんと同期=昭和51年入省)として、衆院厚労委員会で山井和則さんや菅直人さんに“フルボッコ”にされていたかも。

 が、「省内が生き生きしているような実感があって、通産省に決めた」。
 なんと見通しがいいことでしょうか、岡田さん。やはり“宰相の器”。

【「自民党の息の根を止めるべきだったのか」という岡田の苦悩】

 さて、第4章で再びあの日(1993年6月18日)に話が戻ります。
 第40回総選挙、細川・羽田内閣。あなたはどこで何をしていましたか?私は東京で政治学科の学生で、外では新生党学生塾で政治をかじっていました。一つ一つのシーンが走馬燈のように同期化(synclonize)してきました。

 当時の幼稚園児がいまや有権者ですよ!私のような人間でなくても、およそ日本国有権者(主権者)なら、読んでください。これを欧米では「教養」といいます。

 さて、抜き書き。101頁。

 「あと1年――。あと1年、連立与党が協力して細川政権を維持できれば、自民党は崩壊をまぬがれなかっただろう。自民党をつぶすことで日本の政治を改革するという希有なチャンスをみすみす失ってしまった。そのために、日本の政治改革は十年以上遅れてしまったのだ。」

 104頁、村山社会党の連立離脱騒動について。
 「自民党の息の根を止めるまで堪えるという選択もあり得たのではないか。」

 鉄面皮、笑わん殿下・岡田克也の芯の強さを感じました。

 1994年6月24日の深夜、同僚議員と2人で羽田総理官邸に乗り込んだとのエピソード。秘書官室に小沢一郎さんがいて、「羽田さんが言うことを聞いてくれない」。岡田さんら2人は総理執務室に入って、羽田さんと1時間以上議論した。当選2回生と議論した。
 この110頁でおそらく初めて明かされる第80代内閣総理大臣・羽田孜と青年代議士・岡田克也の会話。これもまた近現代史の一級資料といえるでしょう。

 1994年6月25日付読売新聞の「首相動静」です。

 【午前】8時46分、国会内で市場開放問題苦情処理対策本部。9時、閣議。同51分、閣議終了。同52分、加藤六月農相。10時3分、官邸で堀内巳次・長野県農協中央会長、北沢俊美農水政務次官ら。同31分、藤井威内閣内政審議室長。11時、熊谷弘官房長官。同7分、佐藤守良北海道・沖縄開発庁長官。
 【午後】1時4分、国会内で政府・与党首脳会議。2時21分、官邸で社会党の上原康助衆院議員ら。3時、「アメリカン・フェスティバル」へのメッセージ収録。同15分、石井一自治相。4時36分、速水優・経済同友会代表幹事ら。5時7分、小沢新生党代表幹事。6時1分、熊谷長官、同48分、中野民社党書記長、同52分、松岡日本新党代表幹事、同58分、市川公明党書記長加わる。9時55分、石原信雄官房副長官。10時25分、柿沢弘治外相。11時20分、新生党の山岡賢次衆院議員。同50分、同党の岡田克也、石破茂両衆院議員
 〈読売からの引用おわり〉

 この日の首相動静は、「午後11時50分、新生党の岡田克也、石破茂両衆院議員」で終わっています。

 これは、最終版シメキリの午前1時過ぎ分まで、羽田総理、岡田、石破各氏がひとりも首相執務室から廊下に出てこなかったことを意味しています。

 現職総理が当選2・3回生と日をまたいで、1時間半以上話し込んだことなど、憲政史上、これが最初で最後でしょう。
                             

 しかし、14年経ってみると、このときの岡田さんの進言と羽田さんの決定は間違いでした。やはり総辞職ではなく、解散すべきでした。

 「歴史に“if”を問うことはナンセンスではあるが、私はいまも折にふれて、羽田さんに対して申し訳なかったという気持ちになる」(111頁)。

【政界再編に疲れ果てて・・・】

 さて、ここから先は私にとっては日経新聞入社後の話が続きます。
 私は学生時代、新進党員でしたが、入社の1ヶ月前に党籍を離れましたので、無所属。首相官邸で、小憎らしい自民党政治家を取材していました。まあ、勉強にはなりましたが。

 でも、それから今日に至るまでの10年間、岡田克也には苦悩の日々だったようです。

 「小沢さんに、初めて公然と異を唱えた瞬間だった。」(134頁)

 「いままでやってきたことは、一体何だったのか。

 ――もう政治家を辞めようか

 気がつくと、そんなことを思う自分がいる
。」(135頁)

 そして、2008年、民主党副代表としての今。

 「あれから十年が過ぎた。民主党になってから私がある種の充実感を感じてきたのは、党の分裂や離散を心配することなく、政権を担う政党をつくるという、本来の目的に向かって前進しているからだ。」

 「近い将来、民主党政権が実現することを私は確信している。」(236頁)

 「政治家となったあの日からいまに至るまでずっと、私は同じ志を抱きつつ、同じ道をひたすらに歩きつづけている」(238頁)




【岡田克也とぼくたち】

 
1993年夏、自民党学生部にいた僕たちは、改革派として、新生党学生塾を設立しました。同級生には石川知裕(民主党衆院議員・北海道11区)がいます。1学年上には森山浩行(民主党大阪16区総支部長、前大阪府議)がいます。森山は“僕のカリスマ”です。近くブログでご紹介します。そして新進党東京11総支部の同級生が玄素彰人は現役最年少35歳の和歌山県印南町長。

 1993年夏、自民党を飛び出した新生党35人衆のうち、最年少が岡田克也さんでした。35人衆のうち、民主党の現職国会議員は、羽田さん、小沢さん、渡部恒三さん、石井一さん、藤井裕久さん、前田武志さん、そして岡田さんだけになってしまいました。このほか当時参院議員だった北澤俊美さんがいます。

 石川、森山、玄素は強い男たちですが、私はもうヘロヘロですよ。1年3ヶ月以内にある第45回総選挙で自民党が勝ったら、本当に海外に移住する考えです。

 9月に代表選がありますが、私は民主党政権はまず小沢首相、そして次かその次に岡田首相をのぞんでいます。

 ああ、もう午前2時だ。

 岡田さんがあの日の志を忘れていないことに感動して、長文のエントリを書いてしまった、2008年夏。15年目の夏。僕の青春、民主党の青春。

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岡田克也が初の著作『政権交代』発売 宮澤解散から15年、あの日と変わらぬ志

2008年06月17日 23時17分38秒 | 岡田克也、旅の途中


 「宮澤総理、あなたは国民に対して、ぬけぬけと嘘をつきましたね」

 野党第一党だった日本社会党委員長の山花貞夫さんのハキハキとした声。
 宮澤内閣不信任案を提出した趣旨説明の冒頭部分。今でも忘れられません。

 平成5年(1993年)6月18日の嘘つき解散

 あの日から15年が経ったんですね。

 とはいえ、感慨なんかありません。もう15年も経ってしまったのです!

 横浜開港から明治維新までたった9年間。
 ソ連崩壊から55年体制崩壊までたった3年間。

 しかし、羽田内閣が倒れてから14年間、日本の時計は止まったままなんです。

 嘘つき解散で、改革を目指した羽田孜さん・小沢一郎さんら「新生党35人衆」、鳩山由紀夫さんら「新党さきがけ10人衆」の多くは今でも政界の中心です。

 もう覚えている人も少ないでしょうが、新生党35人衆で最年少の一年生議員が岡田克也だったのです。

 青年代議士の「二大政党は、三越党と高島屋党でいいんだ」という二大政党論を私は今でも覚えているし、今でも同感です。
 つまり、イデオロギー対立ではなく、バックアップ政党が重要だということ。

 あれから15年。あの日の志そのままに岡田克也さんの初の著作「政権交代 この国を変える」(講談社、1500円)が発売されます。

 どうかみなさん、岡田克也が嫌いでも、支持できなくても、政策が合わなくてもかまいません。もっと岡田克也のことを知って下さい。お願いします。

 “鉄面皮”“笑わん殿下”と呼ばれた岡田克也がついに語り出した2008年夏。民主党の青春。

岡田克也著「政権交代 この国を変える」
ISBN-10: 406214607X
ISBN-13: 978-4062146074
版元 講談社
判型 四六判
定価 1500円
初版 2008年6月18日

【追記 2008-6-26】

 読み終えましたので、「抜き書き」をまとめました。参考にしてください
6月26日付けエントリ)
岡田克也『政権交代』で「父との二人暮らし」を初めて語る

【追記おわり】

 以下、岡田かつやHPから引用します。
http://www.katsuya.net/book.html

 ちょうど15年前の6月18日、宮沢内閣不信任案が可決され、ほどなくして非自民党政権である細川政権が成立しました。

 いわゆる55年体制以降、日本に実現した唯一の政権交代です。

 しかし、それはわずか11ヵ月で自社さ連立政権に取って代わられました。

 細川政権を誕生させ、野に下っても「政権交代ある政治の実現」を目指してひた走る政治家・岡田克也初の著書を、まさに6月18日に刊行します。

 いま、さまざまな綻びを露呈する日本は危機的状況にあります。

 年金、財政、環境問題・・・。現政権は時代の変化に対応できていません。

 この国を救うには政権交代しかない。――それは、なぜか。

 著者が自らの政治信念を綴った本書は、日本の未来を左右する一冊です。

【本書の内容】                 
第1章 政権交代で日本が変わる
第2章 この国を何とかしたい
第3章 なぜ自民党ではダメなのか
第4章 非自民政権の成立と崩壊に見たもの
第5章 新党の誕生と失敗の中で
第6章 民主党をエクセレント・パーティーに
第7章 日本に起きている地殻変動
第8章 民主党政権という“新しい政府”
終 章 自由で公正な社会を実現する

 「いまの政治で本当にいいとお考えですか。もし、いまの政治であなたやご家族の生活に不安がなく、お子さんやお孫さんの時代によりよい日本になっていると信じておられるなら、政権交代は必要ありません。しかし、いまの政治に不満や不安があり、これを変えたいと思うのであれば、政権交代がどうしても必要です」
(「はじめに」より)

 ぜひ、ご購読いただけますようお願い申し上げます。

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【温暖化】排出権取引市場2010年創設 民主党、基本法案を提出

2008年06月08日 09時59分07秒 | 岡田克也、旅の途中




 民主党(DPJ)は4日、温室効果ガスの国内排出量取引制度を2010年度に設けることなどを定めた「地球温暖化対策基本法案」を参院に提出しました。

 排出量取引市場の創設を盛り込んだ法案は日本で初めてです。

 民主党地球温暖化対策本部長岡田克也さんがまとめ、民主党が第一党を担う参院に提出しました。

 発議者は参院議員の福山哲郎、直嶋正行、広中和歌子、大石正光各氏ら8人。



 早ければ秋の臨時国会で参院で可決する可能性があります。

 この法案の目玉はなんといっても第14条です。

① 国は国内排出量(排出権)取引制度を創設し、平成22年度(2010年度)から実施する。

② 温室効果ガスの排出枠の割り当て対象者、割り当て方法、割り当て対象者の排出状況の公表などを定めた法律を施行する


 としています。



 基本法はまず、

 国には「地球温暖化対策を総合的かつ計画的に策定し、実施する責務」、自治体には「区域の自然的社会的条件に応じた施策を策定し、実施する責務」があると明確に定めています。

 中長期目標として

 国内での温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素、六フッ化硫黄など6物質)の排出量を

 ①2020年までに、1990年比25%削減する
 ②2050年までのできるだけ早い時期に1990年比60%超の削減をめざす

 という“キャップ”(排出量の上限)をかぶせることにしています。

 排出量取引とは「キャップ・アンド・トレード(cap and trade)」。キャップがなければ取り引きが成り立ちません。

 中長期目標
 基本計画
 都道府県計画
 市町村計画

 と各層の計画をきっちり定めた上で、目標を達成した企業(省エネ企業)はその“排出枠”を未達成企業に売って、おカネを得ることができます。

 おカネがインセンティブ(動機付け)になる。
 この瞬間に、企業の地球温暖化対策理念から利益に変わるわけです

 排出量取引はEUで始まっているほか、米国(連邦と一部の州)、カナダ(同)、オーストラリア、ニュージーランドでは準備が進んでおり、日本の対応は先進国で最も遅れています。

参考)世界の動きに関しては、三菱総合研究所研究員の橋本賢さんがNIKKEI NET に書いている次の記事が参考になります。
「排出権取引所」創設へのうねり(08/06/03)
http://eco.nikkei.co.jp/column/emission/article.aspx?id=MMECcb000002062008

 福田首相が排出量取引市場創設について自民党にハッパをかけているようですが、商工族議員の反発で、自民党としての統一方針をまとめるにいたっていません。

 民主党が先手を打って法案を提出したことで、参院で年内に可決し、ねじれ解消後に成立する可能性が出てきました。

 岡田さんは昨年のバリ島でのCOP13に非政府代表として参加。野党ですから会議で発言はできませんが人脈を作り、世界の動向を学びました。


(写真はブログ「岡田かつやTALK-ABOUT

 5月の連休には、環境先進国として日本を追い越したドイツを視察しています。「次の総選挙の最大の争点は地球温暖化だ」とブログに綴るほど、気候変動(climate change)に打ち込んでいます。

 なお法案には地球温暖化対策税(環境税、炭素税などと呼ばれる)の新設も入っています。

 温暖化対策はリーダーシップが必要です。話し合いではどうにもならない。
 私個人は、「地球温暖化は岡田克也に賭けてみよう」と考えています。

法案は下のページからダウンロードできます
http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=13418

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ありがとうございました。

タグ 民主党の地球温暖化対策 温暖化ガス 炭素税 排出権 排出権取引市場 環境税 ガソリン税 地球温暖化対策税 DPJ climate change policy of DPJ(Democratic party of Japan)

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【温暖化】「地球は役所別になっていない」菅さん、岡田さん指摘

2008年04月08日 17時30分13秒 | 岡田克也、旅の途中

〔第44回総選挙マニフェストの岡田克也さん 金子洋一さんのブログから写真をお借りしました。〕

 きょう(4月8日)の東京は「春の嵐」でした。
 雨はさほどではないですが、風が強い。
 繁華街では、長靴を履いている人もいたし、おしゃかになった傘を必死に支えながら、重い荷物をひっぱていくスーツ姿の中年男性もいました。

【追記 2008-4-14】


〔マンション前に大量に出されたおシャカになった傘の山〕
4月14日、宮崎信行撮影【追記おわり】

 ことしは東京での“春一番”を知りません。和歌山にいました。
 ただ、「春一番とは名ばかりの突風だった」と帰京のあと、聞きました。
 臨海副都心(お台場)では人が飛ばされたそうです。

 ビル風の影響でしょう。私の生まれ育った下町もビルの林です。私のところは東京には珍しく幹線道路が直線に走っていますので、「ビルの風」はすさまじい。時々地震と間違えるほどです。

 理由はみんな分かっているはずです。でもなぜか口にするのがはばかれるようです。日本にしては珍しく物申す下町っ子たちも
 「これって地球温暖化のせいなのかねえ?」
 「ビルが建ちすぎたのがいけないんじゃないの?」
 と疑問形で話すのが、関の山。みんな「確信」しているくせに。

 民主党が「地球温暖化対策本部」を設け、岡田克也さんが本部長になったとき、岡田さんがブログで「第45回総選挙の最大の争点は地球温暖化だ」と書いていました。

 私は岡田さんがまだ自民党経世会一年生議員だったときから、好きでした。政治改革に関して、岡田さんは「二大政党というのは“三越党”と“高島屋党”でいいんだ。イデオロギーでなく、政権交代可能な二大政党が日本に必要なんだ」という趣旨の発言をしていました。
 当時、政治学科で“政党論”を学んでいた私は「その通りだ」と感じました。
 「岡田かつやっていいよ」と15年前から私が言っていたのは私の親戚に聞いてもらえば証明されます。

 さて、「第45回総選挙の最大の争点は地球温暖化だ」との言葉に接したとき、「岡田さんらしい本質論、そもそも論だけど、次は農業、年金、子育てだろう」と感じました。

 岡田さんは新進党解党大会の当日、解党反対のビラを撒き、同僚から「岡田は空気が読めないやつだ」といわれたそうです。僕はそれを聞いて、岡田克也がますます好きになりました。そして第44回総選挙で「小泉総理か、岡田総理か」を国民が選ぶことになりました。親戚から“予言”が当たったね、とほめられ、小躍りしていたら、9月11日の投開票日、愕然とする結果が出てしまいました。

 民主党地球温暖化対策本部の活動が活発になってきました。おそらくTVでは報じられていないでしょうけどね。

 民主党ニュースを基にご紹介します。

 民主党地球温暖化対策本部は3日夕、国会内で第7回の会議を開きました。

  岡田本部長は会議のはじめに「道路、年金とともに温暖化問題にも焦点が当たってくると思う」と述べました。
 会議では「環境サミットの実現を」とのテーマでNGOの人から話を聞きました。バリ島で開かれた「京都議定書締結国会議」に民間の立場から参加した岡田さんら出生議員は、気候変動を考えるうえで、G8サミットの役割が重要であるという認識で一致しました。

 7月の北海道洞爺湖サミットでも、民主党が前向きなメッセージを発信できるよう働きかけてきたとして、その活動内容を報告した。

 3月27日に閣議決定した「改定京都議定書目標達成計画」の概要などについて関係各省庁がらヒアリング。

 ヒアリング後の意見交換では、各省庁が示した政策ビジョン、検討項目の根拠が明確でないとして、その実現性をただすとともに、「サミット主催国として不安だ」との声があがりました。

 会合に出席していた菅直人代表代行は、「(政府の洞爺湖サミットへの対応が)1枚の絵になっていない」と指摘。

 「地球は役所別になっていない」として、役所が縦割りの中で政策をつくっている今の体制を改め、地球温暖化対策に向けてトータルなビジョンを示すことが必要だとしました。

 地球温暖化対策を語る政治家が「あおくさい」と言われたのは遠い昔。
 民主党の温暖化本部が何とかしてくれないと、春の嵐、酷暑と私たちは生きていけなくなります。


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民主党、地球温暖化対策基本法(仮称)を提出へ 温暖化対策本部を設置

2008年01月11日 22時51分40秒 | 岡田克也、旅の途中

 民主党(DPJ)が8日、「地球温暖化対策本部(岡田克也本部長)」を設置しました。

 今国会で大きな前進を見せた薬害C型肝炎の問題では、「民主党B型・C型肝炎総合対策推進本部(菅直人本部長)」が、福田首相の被害者一律救済の政治決断を促しました。

 日本だけでなく、先進国だけでなく、世界(地球)の大きな課題である「地球温暖化」に関しても、政調会の枠を越えて取り組む姿勢を鮮明にしました。

 本部長には第44回総選挙時の民主党代表で、現在は副代表の岡田克也さんが就きました。副本部長には関係のネクスト大臣を包みます。
 事務総長は福山哲郎・参院政審会長。

 岡田さんは、昨年末、インドネシア・バリ島での「ポスト京都議定書国際会議」にも出席しました。
 野党の立場ですが、世界的な人脈づくり、意見交換をしてきたようです。

 岡田さんは通産省出身。
 実父の岡田卓也さんが創業者、長男(実兄)の岡田元也さんが社長をつとめる「イオン」もレジ袋削減や植樹をしています。

【「地球温暖化」は世界的合い言葉】

 ところで、土日の夕方にNHKが「地球ラジオ」という番組を放送しています。これはAMラジオ第一だけでなく、短波とインターネットで放送していますので、ほとんど世界全域で聴けます。

 この番組には、海外で暮らす日本人が毎週2人ずつ電話出演します。
 昨年来、東京・渋谷にいるNHKアナウンサーから、現地の天候を聞かれた出演者が「例年より暑いですね。やはり地球温暖化のせいなのでしょうか」「温暖化の影響でしょうが、ことしは天候が悪く、突然雨が降ることがあります」という声をたびたび耳にしました。

 2人に1人以上が「温暖化」ということばを使っていた感覚があります?

 国内の民放TVでは、フィリピン・レイテ島の大規模な地滑りが起きたとき、女性の評論家が「やっぱり地球温暖化のせいもあるのかしらねえ~」と発言しかけたところ、TBS解説委員が「いや、これは~~」と遮ったことがありました。
 石油卸売会社がスポンサーにでもなっていたのでしょうか?
 どうなんですか、みの(もんた)さん?

 何につけてもそうですが、「地球温暖化」という言葉を使いにくい社会はどうなのかな? 風穴をあけたいですね。

 だってみんな夏暑いでしょ?
 変だな?って思っているでしょ?
 ねえ?ねえ?

 ハッキリ議論しないと、とんでもないしっぺ返しがきますよ。
 そうなってからじゃ遅いです。絶望的に遅いです。

政権交代=二大政党制」で「国民の生活が第一。」と思う方は・・・
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【1月11日付民主党(DPJ)ニュース】

第1回地球温暖化対策本部役員会を開催、今後の運営を議論

 民主党地球温暖化対策本部は11日午前、党本部で第1回会議(役員会)を開き、役員構成を確認、今後の運営について議論した。

 冒頭、岡田克也本部長(副代表)が挨拶。本部の活動について、国民の皆さんに地球温暖化問題の重要性を訴え、取り組みを具体的な形にしていくことが必要であるとの認識を示した。また、具体的な政策をさらに充実させ、法案にして通常国会に提出したいと語った。

(略)

 終了後に記者会見した岡田本部長は、まず日本が自ら、何をするか語ることの重要性に言及し、日本が対策の実施に主導的な役割を果たすべきであることから、民主党としてきちんと考え方をまとめる対策本部の意義を主張。

 また、国民の皆さんは地球温暖化対策に高い関心を持っていると指摘し、次期衆議院総選挙における争点となるとの考えも示した。

【2008年1月8日付民主党(DPJ)ニュース】

地球温暖化対策本部を設置、渡部恒三元衆議院副議長を最高顧問に 常任幹事会

 常任幹事会で8日、「地球温暖化対策本部」の設置と、渡部恒三元衆議院副議長(前最高顧問)を最高顧問に復帰させることを決定した。

 地球温暖化対策本部の役員は以下の通り。
 顧 問   菅直人代表代行、直嶋正行政調会長
 本部長   岡田克也副代表
 副本部長  関係ネクスト大臣
 事務総長  福山哲郎政策調査会長代理

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