きのうの続きです。
陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
-----------------------------------------------------------------------
(64ページ)
蓮は清浄であるが、あまりにも色気がなさすぎる。国色――国一番の美人――といえるのは、やはり牡丹であり、この花が咲くころ、人びとは花見で、みやこじゅうを騒がせる。
牡丹を芍薬や蓮とくらべた詩は、晩唐の羅隠(らいん)(833-909)にもある。
似共東風別有因
絳羅高捲不勝春
若解語應傾國
任是無情也動人
芍藥與君爲近侍
芙蓉何處避芳塵
可憐韓令功成後
辜負穠華過此身
東風と別して因(よしみ)有るに似たり
絳(あか)き羅(うすぎぬ)高く捲きて春に勝(た)えず
若し語を解せしむれば応(まさ)に国を傾くべく
任是(たとい)無情なるも也(ま)た人を動かす
芍薬、君が与(ため)に近侍(きんじ)と為(な)る
芙蓉何処(いずこ)にか芳塵(ほうじん)を避けん
憐れむ可し韓令功成る後
穠華(じょうが)に辜負(こふ)して此の身を過ごせしを
芍薬は牡丹の家来となり、蓮はどこかに逃げて行くだろう。このころ、牡丹は「花王」――花の王――と称され、それにつぐ芍薬は花の宰相――「花相」と称され、ランクが一つ下がるとされたのである。
傾国とは、国を傾けるほどの美女のことをいう。漢の武帝のとき、音楽家の李延年が李夫人の美しさをうたった歌に、
一たび顧みれば城を傾け、再び顧みれば国を傾く。
とあるのによる。
韓令とは、中書令に昇進した韓弘(かんこう)のことである。彼は潁川(えいせん)の人で、節度使として軍功があった。はじめて都に邸を賜ったとき、その庭にみごとな牡丹があったのをみて、「吾(われ)、豈(あ)に児女子に効(なら)わんや」と言って、ことごとく切りすてさせた。牡丹などをみてよろこぶのは女子供で、わしはそんな人間ではないと、ミエを切ったのである。
穠華とは満開の花のことで、それに背をむけた韓弘の野暮ったさを、あわれむというのだ。韓弘が死んだころに、羅隠が生まれているはずで、このエピソードは昔話ではなく、羅隠にとっては、父老たちが同時代の話としてきいた、なまなましいものであった。
韓弘が長安に邸をもらったころ、一般の人たちの「牡丹狂い」が頂点に達していて、彼はそれをにがにがしくおもっていたにちがいない。牡丹を引き抜いたのは、世相にたいする精神的な抵抗であったかもしれない。
----------------------------------------------------------------------
続く
陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
-----------------------------------------------------------------------
(64ページ)
蓮は清浄であるが、あまりにも色気がなさすぎる。国色――国一番の美人――といえるのは、やはり牡丹であり、この花が咲くころ、人びとは花見で、みやこじゅうを騒がせる。
牡丹を芍薬や蓮とくらべた詩は、晩唐の羅隠(らいん)(833-909)にもある。
似共東風別有因
絳羅高捲不勝春
若解語應傾國
任是無情也動人
芍藥與君爲近侍
芙蓉何處避芳塵
可憐韓令功成後
辜負穠華過此身
東風と別して因(よしみ)有るに似たり
絳(あか)き羅(うすぎぬ)高く捲きて春に勝(た)えず
若し語を解せしむれば応(まさ)に国を傾くべく
任是(たとい)無情なるも也(ま)た人を動かす
芍薬、君が与(ため)に近侍(きんじ)と為(な)る
芙蓉何処(いずこ)にか芳塵(ほうじん)を避けん
憐れむ可し韓令功成る後
穠華(じょうが)に辜負(こふ)して此の身を過ごせしを
芍薬は牡丹の家来となり、蓮はどこかに逃げて行くだろう。このころ、牡丹は「花王」――花の王――と称され、それにつぐ芍薬は花の宰相――「花相」と称され、ランクが一つ下がるとされたのである。
傾国とは、国を傾けるほどの美女のことをいう。漢の武帝のとき、音楽家の李延年が李夫人の美しさをうたった歌に、
一たび顧みれば城を傾け、再び顧みれば国を傾く。
とあるのによる。
韓令とは、中書令に昇進した韓弘(かんこう)のことである。彼は潁川(えいせん)の人で、節度使として軍功があった。はじめて都に邸を賜ったとき、その庭にみごとな牡丹があったのをみて、「吾(われ)、豈(あ)に児女子に効(なら)わんや」と言って、ことごとく切りすてさせた。牡丹などをみてよろこぶのは女子供で、わしはそんな人間ではないと、ミエを切ったのである。
穠華とは満開の花のことで、それに背をむけた韓弘の野暮ったさを、あわれむというのだ。韓弘が死んだころに、羅隠が生まれているはずで、このエピソードは昔話ではなく、羅隠にとっては、父老たちが同時代の話としてきいた、なまなましいものであった。
韓弘が長安に邸をもらったころ、一般の人たちの「牡丹狂い」が頂点に達していて、彼はそれをにがにがしくおもっていたにちがいない。牡丹を引き抜いたのは、世相にたいする精神的な抵抗であったかもしれない。
----------------------------------------------------------------------
続く