起きて半畳 寝て一畳

株式投資の記録を中心に、日々感じた事や考えたこと、読んだ本のことなどなど

武田薬品 京成電鉄 他 1月度収支報告

2006年01月31日 22時58分04秒 | 収支報告
【1月31日の市場概況】日経平均終値:16,649円(+98円
 日経平均株価は6日続伸で、連日の昨年来高値更新。好調な企業業績や経済指標の好転、円相場の下落基調が日経平均を押し上げた。寄り付き前に発表になった昨年12月の完全失業率や有効求人倍率の改善も景気回復観測を裏付け、相場を支えた。
 ただ前日に続き1万6700円台での売り圧力が強かった。

【株式投資の記録:1月31日】
 ①武田薬品工業(12/14買建@6,510*1,000株)
  @6,580-で1,000株とも返済しました。4万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
 ②京成電鉄(01/18購入@731*3,000株)
  @811-で3,000株とも売却しました。23万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
 ③シンプレクス・テクノロジー(01/25買建@132,000*12株)
  @117,000-で12株とも返済しました。▲18万円チョットの損失です。
  とりあえず二階建てを解消しました。
  残りはきのう@122,000-で買った現物10株です。

【2005年度01月度収支報告】
 1月度の実現損益は、353万円程の黒字でした。

 ・株式           336万円ほどの利益
 ・日経225オプション    17万円チョットの利益
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 ・合計           353万円ほどの利益 
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【2005年度累計 収支報告(2005年4月1日~2006年1月31日)】
 2005年度も残すところあと2ヶ月となりましたが、昨年4月からこの1月までの10ヶ月累計の実現損益は745万円ほどの黒字でした。 
 
①実現損益
 ・株式          1,095万円ほどの儲け(黒字)
 ・日経225オプション ▲350万円チョットの損失(赤字)
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 ・合計          745万円ほどの儲け(黒字)          
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②未実現損益(*1月31日現在)
 ・株式          ▲19万円チョットの損失(赤字)
 ・日経225オプション      0円<建玉なし>
 --------------------------------------------
 ・合計          ▲19万円チョットの損失(赤字)          
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【1月31日現在の保有銘柄】(評価損益に諸費用は含まず)

[ 銘 柄 ]     [取得価格] [株数]  [評価損益]
日本マクドナルドHLDG  @1,901-  3,000株   ▲3,000円

オープンインターフェース   @62,000-  20株   ▲114,000円
              @60,000-  20株    ▲74,000円

シンプレクス・テクノロジー  @122,000-  10株   ▲50,000円

キーエンス       @31,800-  100株   +45,000円

ファナック        @10,290- 1,000株  +40,000円

川崎重工業       @446-  10,000株   ▲40,000円

オープンインターフェースとシンプレクス・テクリロジーは余計な買い物だったと思っています。毎年、買ってからバカをやったと反省する取引を懲りずに何度もやっていますが、この2社の買いは今年のバカ第一号じゃないかなと思っています。(バカは私であって、2社の方ではありません。念のため!)
 
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陳舜臣「日本人と中国人」第八章われら隣人 ③

2006年01月31日 21時08分11秒 | 本・陳舜臣
29日の続きです。
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陳舜臣「日本人と中国人」(集英社文庫)
第八章われら隣人
【名と実】
["清"の歴史が編纂されるのはこれから](208ページ)

 なにが間違っていてもかまわないが、歴史だけは誤謬は許されない。なぜなら、それは人間がすべてを托すものだからである。
 歴史は人間にとって、神聖な土俵である。それが歪んでいては、はじめから勝負ができないではないか。
 現実的といわれる中国人が、ときに不可解と思える行動に出るのは、たいてい「歴史」を意識したのだと思えば間違いない。

 『史記』を筆頭とする正史は二十五史であるが、このうち『新元史』などは二十世紀になってから完成したものだ。じつに王朝滅亡後五百年を超える。
 今年(昭和四十六年)は辛亥(しんがい)の年だから、清朝が滅びてちょうど六十年になるが、正史の清史はまだ編纂されていない。文化大革命で批判を受けた『三家村札記』のなかに、そろそろ清朝の正史を編もうという提案があった。明史のごときも、百年以上かかってできたのだから、清史が書かれるのがとくに遅いけではない。

 だから、現在の自分およびそのまわりを歴史に書くのは、いまそのあたりで万歳、万歳と叫んでいる連中ではない。政権がなんども交替して、自分にたいして情け容赦もない後代の学者が担当するのだ。
 政治的人間は、そのような歴史を意識する。
 キリスト教徒が、『神かけて・・・』というところを、中国人は『歴史にかけて・・・』というだろう。

 歴史尊重主義が極端になると、まちがいなく形式主義になる。
 しかし、この形式主義があったからこそ、中国は一つにまとまってきたのだ。どんなに混血しても、外来の侵略者がかきまぜても、中国人意識――中国の文明を奉じるという形式さえ整っておれば、それを中国人と認めてきた。

 かって中国が帝国主義列強の餌食になっていたころ、
 ――中国は国家ではなく、ただの地域の称呼(しょうこ)にすぎない。
 という発想法から、しきりに中国分割論が唱えられた。

 中国の歴史でも、三国分立の時代もあれば南北朝もあった。だが、そのような分裂の時代の人たちも、それをけっして常態とは思わなかった。
 ――ほんとうは一つの国だ。
『二つの中国』を、中国人が嫌悪するのは本能的なもので、それは列強の切り取りご免時代の、にがい記憶につながる。

 満州族が政権を取って、人民に辮髪を強制したとき、それを拒んで何万という人が殺されていった。髪型は形式であるが、そのために人は死ぬことができる。
 中国人は現実的かもしれないが、けっして実利的な人間ではない。かんじんのところでは、むしろ実より名を取る。――後代の歴史家の筆を意識するときがそうなのだ。
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 続く

面白い意見だと思いますが、応用はかなり難しそうですね。
 "中国人は現実的かもしれないが、けっして実利的な人間ではない。かんじんのところでは、むしろ実より名を取る。――後代の歴史家の筆を意識するときがそうなのだ"とありますが、実より名をとる『かんじんのところ』というのが、結局は結果論でしか分わからないもののような気がします。
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