起きて半畳 寝て一畳

株式投資の記録を中心に、日々感じた事や考えたこと、読んだ本のことなどなど

グッドウィルG デジタルガレージ クロスのボールペン

2006年01月26日 22時47分12秒 | 仮面の告白
【1月26日の市場概況】日経平均終値:15,891円(+240円
 日経平均株価は大幅高で3日続伸し、高値引けした。
 鉄鋼など主力株の幅広い銘柄に外国人や国内機関投資家の買いが入ったようだ。朝方の外国証券経由の売買注文動向(市場筋推計)が今年最大の買い越しとなり、買い安心感につながった。

【株式投資の記録:1月26日】
 ①グッドウィル・グループ(01/20購入@281,000*10株、01/23購入@256,000*10
株)
  @282,000-で20株とも売却しました。26万円ほどの儲けです。(神様に感謝!)
  3匹目のドジョウGETしました。 
 ②デジタルガレージ  @485,000-で7株購入しました。
  先月、2週間ほどで60万円儲けた株です。2匹目のドジョウを狙うにしては、チョット間が開きすぎたように思いますが・・・。果たして吉とでるか凶とでるか、楽しみです。
 


【クロスの18金張りボールペン】
 愛用のボールペンをまた失くしてしまいました。初めて手にしたクロスのボールペンは、会社に入って2年目か3年目の年に麻雀大会の景品としてもらったクロムメッキのものでした。

 その数年後には、自分で買ったのでは絶対無いのですが、どうやって手に入れたのかは覚えていないクロスの10金張ボールペンを愛用するようになっていて、妻と結婚したときにもそれを使っていました。

 そのボールペンを結婚1年目に失くしてしまいました。愛用していたとはいえ、特に深い思い入れがあったわけでもありませんので、代わりが欲しいということも無かったのですが、妻が誕生日のプレゼントにくれたのが、クロスの18金ボールペンでした。先ほどネットで調べたら、大体1万円前後で手に入るようです。

 そのボールペンも数年後には失くしてしまいましたが、妻はまた同じ18金のクロスのボールペンをプレゼントしてくれました。妻が亡くなって、何年か後にそのボールペンも失くしてしまい、そのときになって初めて自腹をきってクロスの18金ボールペンを買いました。きょう失くしたのはそのときの品です。
 また買おうかどうしようか、迷っているところです。
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陳舜臣「日本人と中国人」第八章われら隣人 ①

2006年01月26日 20時11分34秒 | 本・陳舜臣
 お正月に買った陳舜臣さんの「日本人と中国人」(集英社文庫)はやはり昔読んだことがありました。尾崎秀樹さんの「解説」によると、「昭和46年8月に祥伝社から、ノン・ブックの一冊として書下ろし刊行された」とありましたが、「祥伝社ノン・ブック」という言葉でどんな装丁の本だったか思い出しました。

 この本の最終章の第八章は「われら隣人―長短相補う国家、そこに摂理が・・・」と題して次のような構成になっています。

(1)名と実(204ページ)
  ①顔をふくとき、タオルを動かすかあるいは・・・
  ②中国人が最も信頼するものは"歴史"
  ③"清"の歴史が編纂されるのはこれから
(2)竜と鳳(211ページ)
  ①中国人はキャンペーン型民族か?
  ②竜的人間に鳳的性格を呼びさました毛沢東
  ③なぜ日本では根底的な変革がないのか
  ④人間の力をもってすればすべてが可能
  ⑤長短相補う国家、日本と中国

 30年以上昔に書かれたものですが、今読んでもなかなか興味深い読み物になっています。例によって、文章の練習を兼ねて書き写してみたいと思います。
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陳舜臣「日本人と中国人」第八章われら隣人(集英社文庫)
【名と実】
[顔をふくとき、タオルを動かすか、あるいは・・・](204ページ)

 実を取って名を捨てるか、名を取って実を捨てるか。―双葉山が強いか大鵬が強いか、に似た子供っぽい設問であるが、わかりやすく、どちらかに割り切ってもらおう。
 
 日本人は前者で、中国人は後者である。
 そういえば、物言いがつくかもしれない。
 だが、能率主義の軍事的集団員である日本人は、名と実をならべられると、ためらわずに『実』をえらぶ。それがわるいというのではない。勝つか、負けるか、ギリギリの線を行く集団であれば、そうしなければ生きのびることはできないのだ。

 終戦直後の世相をみれば、思い半ばにすぎるだろう。
 天皇陛下万歳が、一夜にして民主主義であり、鬼畜米英は、一転してハローになった。
 明治維新のときもそうである。廃仏棄釈で奈良のお寺の僧侶に、明日から春日神社の神主になれと新政府から命令が出ると、「はい」と、そのとおりにして、仏像を風呂の焚きつけにしてしまったという。

 歴代幕閣の首班を出す井伊藩では、幕府の旗色わるしとみると、ほとんど反対者もなく勤皇方になってしまった。
 信長から秀吉、そして家康へ。―当時の政権交代にあっても、織田恩顧、豊家恩顧の諸将も、右へならえで、あっさりとなびいてしまった。

 さらにいえば、現代の日本の政界も大体おなじではあるまいか。
 もし『名』が尊重されるようなことがあるとすれば、それは『実』を取るためのワン・クッションであるか、あるいはそのための手段ということが多い。

 仏教もそうである。中国の天台教学は、理法に即した真理、すなわち『理円』を重んじるが、それが日本にはいると、事象に即した真理『事円』のほうが重視される。道元も白隠もそうであった。

 理が名で、事が実であると、かんたんに置き換えられないが、事情は似ている。
 理法にはきまった経路があるが、事象は刻々と変化するものだ。『名』があるていど固定しているのに、『実』のほうはうごく。

 洗顔のとき、日本人はタオルを顔にあてて、タオルをうごかす。中国人はタオルを固定させて、顔の方をうごかす。――これは、例外の少なくない習性であるが、やはり性格の差というものがあらわれているようだ。

 日本人はタオルのような『物』をうごかしたり、使ったりするのが上手である。中国人はそのような道具さえ固定させてしまう。
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相手が陳舜臣さんでなければ、「それじゃあ、中国人は歯を磨くとき、歯ブラシを固定させて、歯の方をうごかすのか?」と、突っ込みを入れたくなるようなお話ですネ。
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