「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」とは美人を形容する言葉ですが、芍薬と牡丹の違いがイメージできませんでしたので、その写真を載せてみました。左が芍薬で右が牡丹です。
きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
-----------------------------------------------------------------------
(62ページ)
美女も時代によって基準が異なるようである。前漢の趙飛燕(ちょう ひえん)はほっそりして、人の手のひらのうえで舞うことができたという。誇張があるかもしれないが、スリムな女性であったのはたしかだろう。戦国の楚の霊王は腰の細い女性を好み、宮女たちは腰を細くしようとして絶食したので、餓死者が出たというエピソードがある。
ところが、唐代の美女は豊満でなければならなかったようだ。唐の美女の代表はなんといっても楊貴妃だが、彼女はライバルの梅妃に、「肥婢(ひひ)」(デブのはしため)と罵られている。グラマーであったのだ。唐三彩の女性をみても、たいてい妊娠しているのかとおもわせるほど、ぜんたいにふくよかである。それに、唐代の人たちは「美」をかんじた。
同じ審美眼が花にむけられたとき、牡丹がクローズアップされるのはとうぜんであろう。また牡丹が、春のほかの花よりやや遅れて咲くのも、人びとに愛惜される一因であったようにおもう。
梅は春のさきがけであり、牡丹はしんがりである。羅鄴(らぎょう)の「牡丹」と題する詩は、
落盡春紅始見花 春紅落ち尽して始めて花を見る
という句にはじまっている。春の花があらかた散り尽くしたあと、やっと、花のなかの花が登場するというのである。この登場ぶりはなかなかよろしい。
劉禹錫(りゅう うしゃく)の「牡丹を賞す」という七言絶句はよく知られている。
庭前芍藥妖無格
池上芙蕖浄少情
唯有牡丹眞國色
花開時節動京城
庭前の芍薬妖(よう)なれど格無し
池上の芙蕖(ふきょ)浄(きよ)けれど情少なし
唯だ牡丹の真に国色有るのみ
花開く時節京城を動(ゆる)がす
芙蕖は芙蓉(ふよう)と同じで、「蓮」のことである。芍薬や蓮にくらべて、牡丹がいかにすぐれているかをよんだ詩なのだ。
芍薬はなまめかしいが、品格がないというのである。花そのものをくらべてみると、牡丹が「木芍薬」と呼ばれるように、私たちにはあまりちがいはないようにおもわれる。
だが、芍薬は『詩経』の古から詩によまれているが、その最初の登場が、あまりかんばしくない形においてであった。
---------------------------------------------------------------------
続く
きのうの続きです。陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
-----------------------------------------------------------------------
(62ページ)
美女も時代によって基準が異なるようである。前漢の趙飛燕(ちょう ひえん)はほっそりして、人の手のひらのうえで舞うことができたという。誇張があるかもしれないが、スリムな女性であったのはたしかだろう。戦国の楚の霊王は腰の細い女性を好み、宮女たちは腰を細くしようとして絶食したので、餓死者が出たというエピソードがある。
ところが、唐代の美女は豊満でなければならなかったようだ。唐の美女の代表はなんといっても楊貴妃だが、彼女はライバルの梅妃に、「肥婢(ひひ)」(デブのはしため)と罵られている。グラマーであったのだ。唐三彩の女性をみても、たいてい妊娠しているのかとおもわせるほど、ぜんたいにふくよかである。それに、唐代の人たちは「美」をかんじた。
同じ審美眼が花にむけられたとき、牡丹がクローズアップされるのはとうぜんであろう。また牡丹が、春のほかの花よりやや遅れて咲くのも、人びとに愛惜される一因であったようにおもう。
梅は春のさきがけであり、牡丹はしんがりである。羅鄴(らぎょう)の「牡丹」と題する詩は、
落盡春紅始見花 春紅落ち尽して始めて花を見る
という句にはじまっている。春の花があらかた散り尽くしたあと、やっと、花のなかの花が登場するというのである。この登場ぶりはなかなかよろしい。
劉禹錫(りゅう うしゃく)の「牡丹を賞す」という七言絶句はよく知られている。
庭前芍藥妖無格
池上芙蕖浄少情
唯有牡丹眞國色
花開時節動京城
庭前の芍薬妖(よう)なれど格無し
池上の芙蕖(ふきょ)浄(きよ)けれど情少なし
唯だ牡丹の真に国色有るのみ
花開く時節京城を動(ゆる)がす
芙蕖は芙蓉(ふよう)と同じで、「蓮」のことである。芍薬や蓮にくらべて、牡丹がいかにすぐれているかをよんだ詩なのだ。
芍薬はなまめかしいが、品格がないというのである。花そのものをくらべてみると、牡丹が「木芍薬」と呼ばれるように、私たちにはあまりちがいはないようにおもわれる。
だが、芍薬は『詩経』の古から詩によまれているが、その最初の登場が、あまりかんばしくない形においてであった。
---------------------------------------------------------------------
続く