起きて半畳 寝て一畳

株式投資の記録を中心に、日々感じた事や考えたこと、読んだ本のことなどなど

項羽と劉邦

2006年09月11日 19時46分00秒 | 本・司馬遼太郎
 先週、目に留まった記事です。

【北京7日共同】日本の著名作家、故司馬遼太郎氏の代表作の1つである「項羽と劉邦」が7日までに中国の南海出版社から初めて出版された。中国では、村上春樹氏の現代小説などがベストセラーとなっているが、日本人が書いた中国歴史小説の翻訳は珍しい。

 中国の有名作家、熊召政氏は中国紙、東方早報に対し「司馬遼太郎氏の中国史への研究(の深さ)は驚くべきもの」と称賛。「口語で物語る方式で項羽と劉邦の死闘を描き、普通の小説とは違った独特の心地よい読後感がある」と評価した。

「項羽と劉邦」は秦(紀元前221-同206年)の滅亡後、覇権を争った2人の武将を描いた英雄劇。

 司馬氏は1994年、台湾の李登輝総統(当時)と対談。李氏が「台湾人として生まれ(ながら)台湾のために何もできない悲哀があった」と発言したことから、「1つの中国」原則を掲げる中国政府の強い反発を招いたことがある。
 「項羽と劉邦」は趙徳遠訳。上下巻で小売価格は49・8元(約730円)。

中国で「項羽と劉邦」出版-司馬遼太郎氏の歴史小説
中国で出版された司馬遼太郎氏の「項羽と劉邦」=7日午前、北京市内の書店(共同)

 ちなみに、今の共産中国における出版業界の規模は、日本と比べてどうなのだろうか? 日本では何年も前から「活字離れ」とか言われ、本が売れないという話をよく聞きますが、それでもお隣の韓国と比べれば未だ本を読んでいる方だという話を聞いたことがあります。

 中国の農村部はまだまだ貧しいと聞いていますので、13億人の中国を1億人の日本と単純に比較すれば、日本人の方がよく本を読んでいるという結果がでるだろうということは予想できますが、それはアンフェアな比較のような気もします。
 例えば上海地方だけとの比較とかではどうなのだろうか?
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陳舜臣「唐詩新選」牡丹④:牡丹と芍薬と蓮

2006年01月18日 20時22分16秒 | 本・司馬遼太郎
 きのうの続きです。
 陳舜臣「唐詩新選」牡丹(中公文庫)
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(64ページ)

 蓮は清浄であるが、あまりにも色気がなさすぎる。国色――国一番の美人――といえるのは、やはり牡丹であり、この花が咲くころ、人びとは花見で、みやこじゅうを騒がせる。

 牡丹を芍薬や蓮とくらべた詩は、晩唐の羅隠(らいん)(833-909)にもある。

  似共東風別有因
  絳羅高捲不勝春
  若解語應傾國
  任是無情也動人
  芍藥與君爲近侍
  芙蓉何處避芳塵
  可憐韓令功成後
  辜負穠華過此身 
 
  東風と別して因(よしみ)有るに似たり
  絳(あか)き羅(うすぎぬ)高く捲きて春に勝(た)えず
  若し語を解せしむれば応(まさ)に国を傾くべく
  任是(たとい)無情なるも也(ま)た人を動かす
  芍薬、君が与(ため)に近侍(きんじ)と為(な)る
  芙蓉何処(いずこ)にか芳塵(ほうじん)を避けん
  憐れむ可し韓令功成る後
  穠華(じょうが)に辜負(こふ)して此の身を過ごせしを

 芍薬は牡丹の家来となり、蓮はどこかに逃げて行くだろう。このころ、牡丹は「花王」――花の王――と称され、それにつぐ芍薬は花の宰相――「花相」と称され、ランクが一つ下がるとされたのである。

 傾国とは、国を傾けるほどの美女のことをいう。漢の武帝のとき、音楽家の李延年が李夫人の美しさをうたった歌に、
 一たび顧みれば城を傾け、再び顧みれば国を傾く。
 とあるのによる。

 韓令とは、中書令に昇進した韓弘(かんこう)のことである。彼は潁川(えいせん)の人で、節度使として軍功があった。はじめて都に邸を賜ったとき、その庭にみごとな牡丹があったのをみて、「吾(われ)、豈(あ)に児女子に効(なら)わんや」と言って、ことごとく切りすてさせた。牡丹などをみてよろこぶのは女子供で、わしはそんな人間ではないと、ミエを切ったのである。

 穠華とは満開の花のことで、それに背をむけた韓弘の野暮ったさを、あわれむというのだ。韓弘が死んだころに、羅隠が生まれているはずで、このエピソードは昔話ではなく、羅隠にとっては、父老たちが同時代の話としてきいた、なまなましいものであった。

 韓弘が長安に邸をもらったころ、一般の人たちの「牡丹狂い」が頂点に達していて、彼はそれをにがにがしくおもっていたにちがいない。牡丹を引き抜いたのは、世相にたいする精神的な抵抗であったかもしれない。
----------------------------------------------------------------------
続く
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韓のくに紀行

2005年11月26日 22時17分25秒 | 本・司馬遼太郎
 午後、散歩がてらブラブラと本屋をハシゴしてきました。
 塩野七生さんの「ローマ人の物語 第14巻」は未だ出てないだろうなとおもいながらのぞいたのですが、やっぱり未だのようでした。

 左の写真は去年の12月に刊行された13巻目です。12月にこの作品を読むのが恒例行事になってもう13年になるわけです。

 かわりに司馬遼太郎さんの「韓(から)のくに紀行」を買いました。下の写真はワイド版の本ですが、私の買ったのは500円の文庫本です。


 興味深いところとかを、今後又紹介していきたいと思います。お楽しみに。
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司馬遼太郎 李朝と明治維新・日韓断想私抄

2005年07月16日 22時47分22秒 | 本・司馬遼太郎
 きょうから三日間たっぷり時間があるので、文章を綴る楽しみを味わいながら、碁を打ったり、本を読んだりの合間に色々書いてみたいと思います。

 囲碁】
 今は午前八時前、さっきまでパンだネットで碁を打っていたが、最悪の相手だった。中盤戦で勝負がついて、50目~70目の差があるのに、延々と私の確定地(?)に無い手を打ち続けられ、結局ヨセも終わり近くまで相手をさせられた。
 この人とは二度と打ちたくないので、「対局申し込みを受け付けないブラックリスト」に登録した。これで三人目です。

 棋力のほうは一向に上達の気配が無い。むしろ低落傾向が今も続いてる。「7級★」に落ちて一ヶ月以上経つ。7級★に落ちた頃は、あと二つか三つ勝ち越せば6級に上がるというところで、勝ったり負けたりしていたのが、気がつけば、いつしか逆にあと二つか三つ負け越せば「7級」に下がるという位置まで落ちてきている。

 今日からの三連休の間に、7級に落ちるという予感がしてならない。「どうせ落ちるなら早く落ちろ」、その方が気分的に楽になると云う気持もある。
 

【私と韓国のかかわり】

 私が未だ若い頃、司馬遼太郎さんのエッセイで、京都の広隆寺にある国宝の弥勒菩薩(半跏思惟像)とそっくりの像が、韓国にあるという話を読んだのが、朝鮮に興味をもつようになったきっかけです。
 もっと正確に書くと、掲載されていた韓国の弥勒菩薩像のイラストに先ずひきつけられ、知的好奇心を大いに刺激された。

 それ以外に私と朝鮮を結ぶものは何もありません。神戸で生まれ育ったので、在日朝鮮人や中国人は周りに大勢いたはずですが、朝鮮人の友人や知人を得る機会は無いまま現在に至りました。
 
 司馬さんのそのエッセイは当時、週刊朝日に連載されていた「街道をゆく」だったと思います。念のため確認しようと、昨日、朝日文庫の「街道をゆく」シリーズの二巻目「韓のくに紀行」を求めて本屋を数件回ったのですが、残念ながらどこにも置いてませんでした。

 「街道をゆく」シリーズは、週刊誌連載中にその一部を読んだことがあるだけで、単行本や文庫本で読んだことはありません。ちなみに朝日文庫からは全四十三巻が出版されています。

【李朝と明治維新・日韓断想 私抄】

 タイトルの「李朝と明治維新・日韓断想私抄」は、堀田善衛さんの「定家明月記私抄」を盗用したものです。私はこの初版本を持っているが、果たして値は出ているのだろうか?

 文春文庫「以下、無用のことながら」に収められている"日韓断想"の一つ前に"概念!この激烈な"という一篇が載っています。その最初の数行を書き写します。

『私には、物事を悲観的に見たがる傾向はない。
 しかし、朝鮮・韓国人と日本人の、集団対集団の間柄については、楽観的気分をもちかねている。隣人として、互いの文化と歴史を、尊敬しあえるときがくるのは、百年以内ではとてもという気持がある。』
(「季刊三千里」第四十号、一九八四年十一月一日刊)

 今から20年ほど前に書かれた文章ですから、司馬さんの"百年以内ではとても(無理)という気持"が正しければ、少なくともあと80年以上は、"悲惨で滑稽で、それ以上に危険な関係"が続くことになる。

 宇宙人から見れば"滑稽"でしかないだろう。その滑稽さの度合いは、日本人よりも朝鮮人の方においてかなり大きい、と感じている私なんかも、宇宙人からみれば滑稽でしかないのだろう。

 日本人から見れば、いや、正確をきすると、私から見れば、盧武鉉(ノムヒョン)大統領をはじめとする韓国側の言動はユニークそのもので、結構、"滑稽"に思う面がある。
 そんな韓国側の言動に憐れさと哀しさを感じる時もある。一方では不愉快に思うときもある。

 司馬さんが20年前に感じた"韓国の将来の輝き"は今後も続くのだろうか?
 最近の韓国を見ていると、「個人の尊厳」よりも「民族の尊厳」をより重視する方向に傾いているように思える。もしそうだとすれば、それは「歴史の逆行」でしかないだろう。
 
 司馬さんは、朝鮮人の友人には遠慮して言わなかった「文明は、その運動律として交流がある。交流なくして文明などは成立しないし、その国の進歩もない。日本が憎いという感情はわかるが、本来共用されるべき文明まで拒否することはない」、「そんな弱いことを言っていては、国の体質はつよくならない」というメッセージを中央日報の読者である朝鮮人たちに発信している。

 その点、戦後日本の民主教育、人権教育は大筋では間違っていない。方向は正しいと自信を持っていえる。「Cool Japan」の輝きは今後も増していくことは間違いないと思う。
 
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資生堂 松下電器 日韓断想⑦(付記)

2005年07月15日 22時15分51秒 | 本・司馬遼太郎
【7月15日の市場概況】日経平均終値:11,758(-5円
 日経平均株価は小反落。取引時間中で4月11日以来、約3カ月ぶりに1万1800円台を回復する場面もあった。もっとも3連休を控えた週末とあって、朝高後は戻り待ちの売りに上値を抑えられた。
 シャープやキヤノン、ファナックなどが年初来高値を更新した。液化天然ガス(LNG)プロジェクトの負担増を嫌気して三菱商、三井物、千代建、東洋エンジが売られた。

【株式投資の記録:7月15日】
 ①資生堂(03/08購入@1,420*3,000株)
  @1,433-で全部売却しました。3万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
 ②松下電器産業(07/14買建@1,760*3,000株)
  @1,768-で全部返済しました。2万円程の儲けです。(神様に感謝!) 
 ③資生堂
  @1,434-で3,000株売建(空売り)しました。 


【司馬遼太郎:日韓断想⑦(文春文庫「以下、無用のことながら」より)】
 昨日の続きです。
 三ページ弱の"付記"が書かれていますが、前半部分だけを書き写します。
  『』が原文です。

  『付記――この稿は、ソウルに本社をもつ「中央日報」の一九八五年元旦用の紙面のために書いたものである。
 私は生来の怠け者でだから、日常の原則として、連載を義務付けられている仕事以外のことはしない。そこへ同紙の東京駐在の記者・申成淳(シンソンスン)氏がやってきて、なにか書け、という。私は右の原則を話したが、申氏はひたすら聴き入る姿のままでいる。仕立てのいい薄茶の背広をきたこの人は四十歳前後で、温容清雅というのはこういう人のことをいうのだろうとこちらが感じ入ってしまった。』

  『申氏は日本語の読解力はよほどのものと思われたが、会話はたどたどしい。それがまた人柄の風韻を増す感じで、このひとのために何かしたいという思いが募った。時間が経ち、私がタバコを五本以上も吸ったころ、申氏は思い余ったような表情で、
「タバコを吸っていいでしょうか」
 ときいた。朝鮮特有の礼教がなお生きていることを思い知らされたばかりか、自分の思いやりのなさにあわて、どうぞ、と大声で叫んでしまった。私の負けであった。同時に、自分の年齢を思い知らされもした。』

  『韓国の知識層の四十代が層も厚く、すぐれているということを聞いていたが、話すうち申氏においてその実例を見る思いであったし、また韓国の将来の輝きまで感ずる思いもした。このことを感じておこる愉悦を、ソウルのひとびとがどの程度理解してくれるだろうか。』

 "韓国の知識層の四十代が層も厚く、すぐれている"というのは初めて知りました。この小論は20年前にかかれたものですから、今では60代になっているわけです。その間、韓国は目覚しい経済発展を遂げました。司馬さんが感じた"韓国の将来の輝き"は間違っていなかったわけです。さらに、現在では経済的輝きだけでなく、韓流ブームとして文化的にも輝きつつあります。
 司馬さんの心に湧いた"愉悦"は、モンゴルの首都"ウランバートルに入ったときは、気分の昂りをおさえかねた。近代的な官庁や大学を見て、兄弟!と叫びたいほどうれしかった"と同種のものではないかと想像します。

  『はじめて会った者同士は、たがいに共通の友人がいないかと思って、その名を挙げあうものだが、私もその慣習にならい、申氏の同国人の名をいくつか挙げるうちに、姜在彦(カンジェオン)氏の名を言った。そのとたん、申氏の表情が大きくひらけて、
「姜在彦先生は、私の新聞社の客員コラムニストです」
 といった。このことは意外だった。』

  『やがて元旦が過ぎ、掲載紙を送ってきた。そのころ姜在彦氏からハガキがきて、感想が書かれていた。原文を知らないが、訳文はあなたの文体をみごとに朝鮮語に移しています、という意味の事が書かれていて、安堵した。おそらく社内にすぐれた言語能力をもつひとがいるのであろう。』(「季刊三千里」第四十二号、一九八五年五月一日刊)

 付記は未だ一ページほど続きますが省略します。
 ちなみに申維翰の「海游録」は姜在彦さんの訳注で平凡社・東洋文庫から出版されているそうです。司馬さんは一読をすすめていますが、どうも食欲がわきません。

 今月の四日から今日まで司馬さんの「李朝と明治維新」と「日韓断想」を文章の訓練を兼ねて書き写しましたが、明日はその読書感想文を書いてみたいと思います。
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ヤクルト 松下電器 日韓断想⑥

2005年07月14日 21時02分11秒 | 本・司馬遼太郎
【7月14日の市場概況】日経平均終値:11,764(+104円)
 日経平均株価が大幅に反発。終値で1万1700円台を回復し、4月8日以来の高値となった。
 前日13日に4~6月期の好決算を発表したアップルコンピュータとアドバンスト・マイクロ・デバイス(AMD)が時間外取引で堅調に推移し、東京市場でも値がさハイテク株に買いが集まった。代表的な半導体関連株であるアドテストや東エレクの上げ幅が200円を上回る場面があった。
 TDK、京セラなど電子部品関連が高く、松下やファナック、コマツ、武田が年初来高値更新。NTTは4月に付けた年初来高値を更新した。半面、イオン、旭硝子、中外薬が安い。

【株式投資の記録:7月14日】
 ①ヤクルト(06/24買建@2,025*2,000株))
  @2,550で全部返済しました。5万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
 ②松下電器産業
  @1,760-で3,000株買建しました。 

【司馬遼太郎:日韓断想⑥⑤(文春文庫「以下、無用のことながら」より)】
 昨日の続きです。
 『』が原文です。

 『話は、この文章の最初のくだりにもどる。
 私どもウラル・アルタイ語族というのは、まことにさびしい語族なのである。とくにアルタイ語族で近代国家を成立させているのは、韓国と日本のほかいくつかの国があるだけである。モンゴル人民共和国はソ連の系列にあってなんとなく影が薄い。それでも。一九七三年だったが、シベリアからモンゴル高原にのぼり、首都ウランバートルに入ったときは、気分の昂りをおさえかねた。近代的な官庁や大学をみて見て、兄弟!と叫びたいほどうれしかった。』

 『私どものウラル・アルタイ語族という、助詞が膠(にかわ)のようになって単語と単語をくっつける言語は、シベリアで発生したらしい。
 はるかな古代、シベリアが暖かかった時期がある。
 ここで、紀元前一五〇〇年から前二〇〇年ごろ、農業と牧畜で暮らしているひとびとがいて、高い青銅冶金の文化をもっていた。中国とは別個と考えていい文化である。シベリアの風土が、モンゴロイドとよばれる私どもの顔つきをつくった。紀元前数百年に西方から遊牧という便利なくらし方が入ってきて、それに参加するひとびとは、遊牧の適地であるモンゴル高原などにのぼって、中国古代史でいうところの匈奴になり、農業と袂別(べいべつ)した。』

 『「モンゴロイドの南下運動」という、古代世界の一現象を表現する言葉があるが、シベリアのひとびとの一派は、現在の中国東北地方に南下し、現在の遼寧省の地下に独自の青銅器文化を遺した。
 そのころの日本列島には、南方的な母音の多いことばを話すひとびとが住んでいたが、やがてウラル・アルタイ語族をもつ人達が南下して倭人を形成した。稲作は、揚子江下流からも、人間とともにやってきた。半島南部と北九州にそれらが混在するうちに日本語が形成される。紀元前五〇〇年から前三〇〇年ぐらいのことだったろうか。』

 『私が、民国の韓国や共和国の朝鮮、または日本を思うとき、はるかな背後に、遠景として、当時まだ沃野だったシベリアの野や湖がひろがるのである。
 私どもが、中景としての文明や文化を持ったときから、互いの小異にこだわるようになった。とくに現代の人類を不幸にしていることは、イデオロギーによって異を立てあっていることである。』

 『「同じ顔の兄弟」と思うとき、シベリアの古代風景を脳裏に展(ひろ)げるべきである。わずか数千年の時間の前には、ソウルも平壌も東京も、じつに小さな存在にすぎない。むろん、遠景ばかりを思うのは、私がそうであるように一種の馬鹿である。近景はいよいよ精密に研究され、描きつづけられねばならない。しかし近景だけしか見えないのもこまる。』

 『近景だけしか見えない大脳群が、何千万個、何億個も、それぞれの国境の内側に山盛りになってひしめきあっているのは、悲惨で滑稽で、それ以上に危険なことではあるまいか。』


 本文はここまでで、あとは文庫本で三ページ弱の"付記"があります。明日"付記"を書き写して終わりです。
 
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ソニー 日韓断想⑤

2005年07月13日 19時35分48秒 | 本・司馬遼太郎
【7月13日の市場概況】日経平均終値:11,659円(-32円)
 日経平均株価は3日ぶり反落。前日に続き1万1700円に近づく水準では戻り売り圧力が強かった。
 マツダは続伸し連日の年初来高値を更新。

【株式投資の記録:7月13日】
 ①ソニー(06/16買建@3,920-*1,000株))
  @3,950で全部返済しました。2万円ほどの儲けです。(神様に感謝!)


【司馬遼太郎:日韓断想⑤(文春文庫「以下、無用のことながら」より)】
 昨日の続きです。
  『』が原文です。

  『ここで気分転換のために近景をのべる。私の友人に在日朝鮮人がいて、ときどき散歩を共にする。疲れると、そのあたりの喫茶店に入ってコーヒーを飲む。この友人は「光復(1945年)のとき二十八、九歳だったから、大いに政治に熱中し、中年になって熱が冷めた。あるとき、話題がかれの母国の国語のことになった。
「キタ(平壌)は、日本語を一掃しましたよ。いっさい使っていない」
「日本語って、どんな日本語です」
「日本製の漢語」
 というので、私は首をかしげた。朝鮮民主主義人民共和国という国号そのものが「朝鮮」をのぞいてぜんぶ日本人が明治維新後につくった西洋語の対訳語なのである。民主主義も人民も共和国もそうである。』

  『韓国にもそういう傾向があるらしい。republicの対訳を辛亥革命のとき中国は「民国」と訳したが、韓国は日本訳の共和国よりもそのほうを採った。私がもし日本人でなく宇宙人なら、
「どちらでもいいことじゃないか」
 といったろう。が、侵略の前科をもつ日本人だから、いくら友人に対してでもそうは言えなかった。が、べつなことをいった。』

  『「中国は、清末以来、日本が明治維新後、訳した西洋語の漢語を無制限に導入したよ。特に新中国樹立後はその傾向は圧倒的になった。私が一九四一、二年に習った中国語ではschoolは学堂だったが、新中国は日本式に学校とあらためた。私はphilosophyのことを理学と習ったが、いまは日本式に哲学になっている。しかも未来にむかって刻刻導入してゆくいきおいだ。高分子化学、免疫化学・・・・・。科学用語はぜんぶそうだといっていい」』

  『漢字は文明なのだ、と私はいった。
「逆説的にいえば、漢字は中国だけの"文化"だったが、三国時代の古い朝鮮で使用され、さらに日本でも使われることによって"文明"になったといえる。"文明"は他の文化圏で使われなければ文明でないのだ。新中国の中国人も本能的にそういう道理を知っているのではないか」』2

  『朝鮮・中国・日本は、漢字をつかいつづけてきたということで世界でも特異な文明圏なのである。アメリカなどは、この三国が漢字民族だということで、意識の底ではおなじグループだと思っているのではないか、ともいった。
「文明は、その運動律として交流がある。交流なくして文明などは成立しないし、その国の進歩もない。日本が憎いという感情はわかるが、本来共用されるべき文明まで拒否することはない」
 そこまでいって、
「そんな弱いことを言っていては、国の体質はつよくならない」
 とまで言おうと思ったが、遠慮をした。』
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ワコム 日韓断想④

2005年07月12日 19時31分09秒 | 本・司馬遼太郎
【7月12日の市場概況】日経平均終値:11,692円(+17円
 日経平均株価は小幅に続伸。もっとも、日経平均の当面の上値メドとみられる4月8日の戻り高値(1万1874円75銭)が近づくにつれ、市場では指し値売り注文が増えたといい、相場全体の重しとなった。
 コマツ、日立建機などの機械株や、TDK、京セラといった電子部品株が上昇。松下、信越化は年初来高値を更新した。

【株式投資の記録:7月12日】
 ①ワコム
  @700,000-で1株購入しました。
  約定したとたんに下がり始め、アッという間に▲1万円安の@690,000-になってしまいました。


【司馬遼太郎:日韓断想④(文春文庫「以下、無用のことながら」より)】
 昨日の続きです。
  『』が原文です。

  『申維翰は卓越した観察者であったが、価値観は華夷意識しかなく、それがかれの聡明な眼を曇らせ、十八世紀の日本社会の本質を見おとした。私がもし維翰先生の従者であったなら、こう助言するだろう。』 

  『倭奴(ウエノム)の社会体制は儒教ではありません。しかし、国民の識字率は70パーセントを越えています。国民の10パーセントは士族で、これは識字階級です。問題は、農、商、工の人達が文字を知っていることです。維翰先生がご覧になった商工都市の大阪がその好例です。この都市の私塾が使っている初等教科書だけで、一万種類ほども刊行されているのです。かれらはあるいは聖賢の道を知ることが少ないかも知れませんが、文字とソロバンを知らなくては、商店につとめても番頭(幹部)になれず、商船に乗っても、船頭(船長)に出世することができないのです。だから、文字を学びます。」』

 司馬遼太郎さん(だったと思うが違うかもしれない。ドナルド・キーンさんかも?未確認)が別の書で、江戸時代に識字率が70%を越えていたというのは、これは同時代の世界では比類がない、と書いているのを読んだ覚えがあります。

 外務省のホームページを見ると、「非識字率の高い国」というランキングが載っていて、これによると、1位エチオピア 58.5%、2位バングラデシュ 57.4%、3位ネパール 55.9%、4位パキスタン 55.1%、5位イエメン 51.1%、6位モロッコ 49.2%、7位リベリア 43.6%、8位エジプト 43.1%とありました。
(出典:総務省統計局「世界の統計2003」)
(15歳以上人口に対する、日常生活の簡単な内容についての読み書きができない人口の割合を示す。)

  『また、こうも助言しなければならない。
「日本は、武士が支配する封建社会である反面、同時代のヨーロッパよりも精密で旺盛な商品経済が発達しています。それは、前期資本主義とでもいうべきものです。資本主義が人類に教えたものは個人の確立と自由ですが、むろんヨーロッパほどはないにせよ、この十八世紀初頭の日本にもかすかにその萌芽が見られます。」』

  『更に私は大観察者である申維翰先生にこうも助言したいのである。
「日本には270ほどの藩があって、たがいに産業と学問を競いあっております。藩には儒官がいます。かれらは朝鮮の朱子学者のようにイデオロギッシュではありません。かれらのあいだに、徂徠学という一種の人文科学的思考法がはびこっています。物をみるのに、宋学的な観念論で見ず、もっと裸眼で見ようという考え方です。これは、商品経済の照り映えというべきものかもしれません。なぜなら、商業は人間に意外な智恵をつけました。物をみるについて質と量と流通で見ようという習性です。この習性がまわりまわって学者や思想家を刺激したのでしょう」』

  『また、こうも言いたい。
「倭奴どもは儒教の家族絶対主義を薄くしか持っておりませんので、町人の場合、番頭になれば店のために自分の家族をも犠牲にして忠義を励みます。それは、各藩の藩士が、自分の家族をかえりみずに藩のために働いているのと同じです。倭は"華"ではありませんが、それなりの価値体系をもつ社会と言うことができます。幸いにも、倭は鎖国をしております。将来、万一、かれらが鎖国をすてたとき、鎖国下で蓄積されつづけていた右のようなエネルギー(energy)がおそらく大きく爆発するでしょう。そのときわが国に害をもたらすかもしれません。わが国としては倭の社会の本質をよく見、よく対応せねば、大変なことになります。わが国が"華"であることに安住していてよいのでしょうか。儒教もまた時代とともに変わるべきものです。儒教の短所は、人間の知的好奇心を抑圧するところであります。朱子学的瑣末主義におちいっている朝鮮教養人たちに、すこし野蛮ながら、風穴をあける必要があるのではないでしょうか」』
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みずほ ブリジストン 日韓断想③

2005年07月11日 19時35分32秒 | 本・司馬遼太郎
【7月11日の市場概況】日経平均終値:11,674円(+108円
 日経平均株価は5営業日ぶりに反発。前週末の米株式市場でダウ工業株30種平均が146ドル高と大幅上昇した流れを引き継ぎ、東京株式市場も幅広い銘柄に買いが入った。

【株式投資の記録:7月11日】
 ①みずほFG
  ・@498,000-で10株買建しました。
  ・@493,000-で10株買建しました。
 ②ブリジストン
  @2,125-で2,000株買建しました。
 

【司馬遼太郎:日韓断想③(文春文庫「以下、無用のことながら」より)】
 昨日の続きです。
  『』が原文です。

  『日朝両民族は、漢字という「文明」を共有した。これは私の両民族風景における中景にあたるだろう。漢字は、いうまでもなく中国の発明である。
 ――便利だから、他民族も利用する。
 というのが文明である以上、東アジアで漢字ほど重宝がられた文明はなかった。』

  『古代、中国は広大な農業の適地であったために、巨大な文明を興すことができた。漢民族は本来のものとしては存在せず、いわば醸成された。周辺にいて多様な文化(特殊なもの)をもつ諸民族が、食と生活の安定をもとめて流入してきた。考古学的に最古の王朝とされる殷も夷(野蛮人)であり、それを倒した周もまた別の夷であったという説がある。私は正しいと思っている。夷とは、この文書の定義でいえば、自分なりの「文化」を持つひとびとである。中国にはいまでも五十余種類の少数民族がいるが、それらの先祖が中国大陸という巨大なるつぼにそれぞれの文化を持ちこんで熔かしあった。その結果の産物が漢民族であり、中国文明である。』

  『――文明は、たれもが参加できるもの。
 と、さきに触れたが、中国という広大な土地と多様なひとびとは「文明」でなければ統治されがたいのである。一例をあげると、中国は多様な言語群をもっている。音の多様さを無視して、意味をもつ形(漢字という表意文字)でもって互いに理解しあうという文明を採用した。もし漢字という文明の利器が無かったら、中国は統一された国家としては決して存在しなかったろう。また漢字は、文章を構成する。漢文は中国各地に通用する共通の言語となり、文章で意思を通じあった。これによって高度に文章が発達したが、副作用として高い表現力をもつ口語がながく未発達の段階にとどまり、中国史における文明の停頓の一原因にもなった。しかしべつの言い方をすれば、名誉或る停頓であったともいえる。なぜならばわれわれに漢文という巨大な言語遺産をのこしてくれたからである。』

  『漢字にふれたついでに文明としての儒教にもふれておかねばならない。
 中国の戦国のころ、儒教はあるいは二流の勢力の一教団にすぎなかったかもしれない。漢の武帝(紀元前156~前87)が董仲舒の意見を採用し、国内の思想統一のために儒教を国教とした。儒教は、文明になった。異民族でも儒教に参加すれば華(文明)になる。』

  『本来の儒教は、後世の儒者(とくに李氏朝鮮の儒者たち)が精密にし、厳格にしたほどには、むずかしいものではなかった。孝を中心とする家族倫理で、そこから派生して礼がうまれる。いわば、それだけである。そのように、枝葉の神学論争を必要としない簡単なものでなければ「文明」とはいえないのである。漢民族のたれもがこれに参加し、"華人"になった。後世、本家以上に儒教の優等生になった李氏朝鮮は、小華と自称したり、中国から東方礼儀の国とよばれたりしたが、要するに朝鮮も儒教イデオロギーの上での華である。』

  『この点、大海をへだてた島国である日本は"華"であったことは一度もない。
 本来、おなじウラル・アルタイ語族である朝鮮と日本の社会体質が決定的にちがってくるのは、両国における儒教の密疎による。朝鮮においては濃密であり、日本においては粗放でしかない。』

  『一例をあげる。日本は李氏朝鮮勃興期の十四世紀末から十五世紀にかけて大いに対明貿易をおこなった。日本から持ち出すのは金・銀であり、明から買う品目の筆頭は、官貿易、私貿易を問わず、つねに書籍であった。それほど日本において書籍の需要が大きかった。そのくせイデオロギーとしては儒教を受容していない。日本の体制は、強いて中国思想史の用語をあてはめれば法家というべきものに近い。』

  『「倭」という言葉は、古代は日本の地理的呼称だったが、その後は中国語でも朝鮮語でも蔑視語である。私は、儒教のたてまえからいえばそういう蔑視語があってもいいとおもっている。儒教は華夷の美を立てている。"華"の内部に居る場合のみ、人間は人である。儒教では"華"のそとにいる人間は「ある種の人間」もしくは「ケモノに近い人間」とされる。倭も人間そのものではなく、どうよんでもいいが、やはり倭とよぶしか原理上しかたあるまい。』

  『「海游録」という本がある。十八世紀初頭、徳川日本が招待した形式の外交官(通信使)として来日した申維翰(しんいかん)の日本紀行文である。ここでは群集ということばでさえ「群倭」と書かれている。衆は多数の人間という意味だが、日本人はpeopleでさえない。これが、儒教の華夷における文明意識である。』
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司馬遼太郎:日韓断想②

2005年07月10日 18時42分48秒 | 本・司馬遼太郎
【司馬遼太郎:日韓断想②】
 昨日の続きです。
  『』が原文です。

  『金素雲先生は天才だから、実例として適当でないかもしれないが、私の場合は、モゴル語を学んで大きなメリット(merit)を得たと思っている。ほんの一例として、ウラル・アルタイ語は情緒を述べるのに、(不必要なほど)適しすぎている。私どもは自分の情緒という水分過剰な言語に足をすくわれてはならない、という反省もモンゴル語を学ぶことによって得た。その反省として、自分の日本語文章を、なんとか乾いた言語にし、しかも日本語の情緒的特質をうしなうことなく、論理的な明晰さ(フランス人が大切にするところのクラルテ)に近づけたいと思いつづけてきた。』


  『言語は文明の核心である。
 おなじインド・ヨーロッパ語族である欧州人が、たがいの方言(各国語)を学びあうことによって、自国語を豊富にしてきた。たとえば、英語の70パーセントは、フランス語からの輸入語だと私はきいている。或るときそのことを、英国の或る愛国的な知識人にいうと、
「いいえ、75パーセントです」
 と、訂正した。言語の借用という文明現象は、愛国心とは何のかかわりもない別の系列の問題なのである。ヨーロッパは、アーリア人種が方言と地理的環境(ときに政治的理由)によって国々に分かれてきて、しかも相互模倣(体裁よくいえば文化交流)によって大文明をつくりあげた。西洋史を読むと、法制、芸術、学問の諸分野において、旺盛な相互模倣の歴史であるといわざるをえない。
 この点、アジアはそういう条件をわずかしかもっていない。』


  『私が属する国の言語史でいうと、古代の言語資料である「古事記」や「万葉集」は、ほぼ土語で書かれた。英語でいうとフランス語を差し引いた25パーセントで書かれたために、抽象的な概念はまず出て来ない。たとえば具体的な恋愛感情や物語は展開されていても「愛」という抽象語は出て来ない。親孝行の寓話が出てきても「孝」ということばは存在しない。言語としての仁はなく、義もなく、礼も智も信も存在しなかった。そのような抽象語を持たない以上、古代日本人は、物事を抽象化して考える手段をもたなかった。そこで、"文化交流"が必要だった。』

  『いわば言語的に未開状態にある日本列島のひとびとに対し、漢字文明圏の抽象的な思想と言語を、滝のような勢いで送り込んでくれたひとびとは、おなじウラル・アルタイ語族に属する古代朝鮮人だった。』

  『七世紀には、この現象の最終列車というべき一大渡来があった。六六三年、百済が新羅に敗北したあと、ほとんど一国が引っ越しするような規模の大きさで百済人たちが日本に移住したのである。そのなかには、漢字文明を豊かに身につけた知識人も多かった。渡来早々、文部大臣に似た職についた人もあり、また官吏になる人も多かった。当時の「日本国政府」は百済の先進性を尊敬していたこともあって、身分の上下にかかわらず、彼らに首都の所在地であるいまの奈良県や、首都に近い滋賀県などの肥沃な田地をあたえた。「万葉集」における代表的詩人のひとりである山上憶良(660~733?)も、幼時、父の憶仁とともにその渡来の大波のなかにまじっていたという説がある(中西進氏の説)。』

  『そういう背景を考えつつ憶良の詩を読むと、他の「万葉集」の詩人たちときわだってちがった特徴をもっていることに気づかされる。形而上的な文明を知った者しか持つことがない知的な哀愁というべきものである。憶良の詩がいまなお私どもの心を打つのは、その点であるといえる。』


  『ここに、欄外の落書きのつもりで、「文明」と「文化」についての私の定義を申しのべておく。文明とは多分に技術的でどの民族でもそれを採用でき、使用できるものを指す。その意味ではローマ字も漢字も文明に属する。別の例でいえば航空機も自動車も一定の操縦法を心得れは万人が動かしうる。また民間航空に乗ると、乗客は乗務員の指示に従ってベルトを締め、禁煙の表示をみると、タバコをのむことをしない。この点、大韓航空でもエール・フランスでも同じルールが支配している。この現象を文明とよびたい。普遍性といいかえてもよい。』

  『これに対し、文化は特殊なものである。その家の家風、あるいは他民族にはない特異な迷信や風習、慣習をさす。
「たれでも参加できます」
 というのが文明である以上、文明は高度に合理的である。しかし人間は文明だけでは暮らせない。一方において、
「おまえたち他民族には理解できまい」
 という文化をどの民族でも一枚の紙の表裏のようにして持っている。したがって文化は不合理なものといえる。という以上に不合理なものであればあるほど、その文化はその民族の内部では刺激的であるといっていい。』

  『たとえば、韓国社会も日本社会も、はるかな古代、シベリアで発生したシャーマニズムの精神的慣習を形を変えてなおもっている。仏教は本来、普遍的で文明であるはずだが、日本仏教の一部ではいまなお仏教は紙の表で、内実は現世利益や鎮魂のための祈祷をやるという呪術性が裏打ちされている。キリスト教も、仏教以上に普遍性の高い宗教文明だが、韓国のキリスト教の場合、信者の側にシャーマニズムの要素が絶無であるとは言いがたい。(ヨーロッパのキリスト教もそうだろう。イエスの普遍思想がヨーロッパに根付くのは、土俗信仰という「文化」との集合があったればこそであった)。』

  『以上は、私の用語での文明と文化の関係を理解してもらうために例としてのべている。ついでながら私の叙述方は、われながら変だと思うことがある。長いロープ(この場合は実例)を塔のように巻きあげていって、なかに中空ができる。その中空が、私が言おうとする主題なのだが、その主題も言葉で直接説明することをしない。読む人に察してもらうしかない。この物言いの仕方は、多分に日本的である。「どうも西洋人にはわかりにくいですね」といわれたことがあるが、おそらく朝鮮人にもわかりにくいはずである。朝鮮人は日本人同様、情緒的でありながら、日本人よりはるかに論理的である。その論理には、しばしば刃物のような味がする。それにくらべ、私の叙述法は、絵画のようである。一枚の絵には、遠景、中景、近景があるが、いま遠景と中景をのべている。しばらくつきあって頂きたい。』
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