今日は二本目のネタですが、両方ともサッカーネタでなく、サッカーファンの方には失礼いたしますが、いつかネタにしようと溜めていたものを出そうと思い、現西武の西口文也投手のネタにします。
西口は、1994年に西武にドラフト3位で入団しています。ただ、当時は逆指名ドラフトが始まった頃で、資金力のある巨人やダイエー(現ソフトバンク)がいい選手を囲い込む、今振り返るとあまりいい制度ではありませんでした。ただ、当時のドラフト制度は、まだ細かい部分のフォローができていない、未熟な制度でした。
それは、逆指名したい選手が事前に希望球団を郵送する期限が、「アマチュアチーム(大学もしくは社会人)の公式戦最終戦を過ぎた後」と決まっていたことです。西口はこの制度の犠牲になってしまいました。何故かといえば、西口は東都大学野球の強豪ではない立正大の出身でしたから、立正大が2部との入れ替え戦を戦うことになってしまいました。
この入れ替え戦は、秋のリーグ戦が全部終わった後に行われますから、必然的にドラフト直前の時期になります。そのため、西口が希望球団を記入できたのは、何とドラフトの二日前でした。そのため、手続き的に間に合わないと覚悟して西口は「12球団OK」と書かざるを得ませんでした。
逆指名で希望球団に入れる、絶好のチャンスを不運で逃してしまう格好になりましたが、西口は西武に入団して正解だったと思います。入団1年目はほとんど使われませんでしたが、当時の東尾監督が、西口を将来のエースに期待してくれたからです。
体全体を使って投げる西口のフォームは、どうしても投げた後一塁側に体が傾いてしまうのですが、それを気にせず使ってくれた東尾監督のおかげもあって、西口は「毎年二桁勝てる投手」となり、多くのプロ選手の目標になりました。体だけ見ると、細身の西口はそんな偉大な投手には見えないのですが、今やプロ通算160勝の大エースです。
今は当時ほど思うようには勝てなくなりましたが、それでも西武にいるから西口も後輩に尊敬され、先発のマウンドに立てると思います。今年で37歳の西口に残された時間は長くないとしても、体の続く限り、できるだけ、頑張って欲しいものです。
西口は、1994年に西武にドラフト3位で入団しています。ただ、当時は逆指名ドラフトが始まった頃で、資金力のある巨人やダイエー(現ソフトバンク)がいい選手を囲い込む、今振り返るとあまりいい制度ではありませんでした。ただ、当時のドラフト制度は、まだ細かい部分のフォローができていない、未熟な制度でした。
それは、逆指名したい選手が事前に希望球団を郵送する期限が、「アマチュアチーム(大学もしくは社会人)の公式戦最終戦を過ぎた後」と決まっていたことです。西口はこの制度の犠牲になってしまいました。何故かといえば、西口は東都大学野球の強豪ではない立正大の出身でしたから、立正大が2部との入れ替え戦を戦うことになってしまいました。
この入れ替え戦は、秋のリーグ戦が全部終わった後に行われますから、必然的にドラフト直前の時期になります。そのため、西口が希望球団を記入できたのは、何とドラフトの二日前でした。そのため、手続き的に間に合わないと覚悟して西口は「12球団OK」と書かざるを得ませんでした。
逆指名で希望球団に入れる、絶好のチャンスを不運で逃してしまう格好になりましたが、西口は西武に入団して正解だったと思います。入団1年目はほとんど使われませんでしたが、当時の東尾監督が、西口を将来のエースに期待してくれたからです。
体全体を使って投げる西口のフォームは、どうしても投げた後一塁側に体が傾いてしまうのですが、それを気にせず使ってくれた東尾監督のおかげもあって、西口は「毎年二桁勝てる投手」となり、多くのプロ選手の目標になりました。体だけ見ると、細身の西口はそんな偉大な投手には見えないのですが、今やプロ通算160勝の大エースです。
今は当時ほど思うようには勝てなくなりましたが、それでも西武にいるから西口も後輩に尊敬され、先発のマウンドに立てると思います。今年で37歳の西口に残された時間は長くないとしても、体の続く限り、できるだけ、頑張って欲しいものです。
在籍期間かぶっていません。