葉山の海と森

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鎌倉懐古 8

2012-07-15 15:36:46 | Weblog
夏が来たので鎌倉懐古を再開いたします。今回は鎌倉の歌を紹介したいと思います。

鎌倉の夏と言えば、鎌倉カーニバルを第1に思い出します。子供の頃は何のお祭りか分からずに八幡様のお祭りと対照的な洋風な夏のお祭りとしか認識がありませんでしたが、歌は親しみやすい子供でもすぐに覚えられる歌詞とメロディーでしたので、鎌倉市歌にしても良い様な気がしています。以下思い出すままに、

鎌倉カーニバルの歌
  ♪こんなに東京に近いのに フランスめいた夏の国 何時の間にやらカーニバル 年中行事と相成った、
   相成った カマカマカマカマークラ、カマカマカマークラ、カマカマークラ、カマクラ。 
   作詞 菊岡久利、作曲 団伊伊玖磨

文部省唱歌  鎌倉
  ♪七里ガ浜の 磯伝い、稲村ガ崎名将の 剣投ぜし 古戦場

七里ガ浜の哀歌
  ♪真白き富士の嶺 緑の江ノ島 仰ぎ見るも 今は涙 帰らぬ十二の雄雄しき御霊に捧げまつらん胸と心
   作詞 三角錫子 作曲 ガードン(アメリカ歌曲)

この他に鎌倉市歌や鎌倉音頭、盆踊りや鉄道唱歌にも歌われるものも有りますが、余り一般的でない応援ソングと言うものを記憶に辿って書いてみたいと思っています。

付属中学の野球部の選手だった兄から聞いた付属の野球部の応援ソングは以下のものでした。

曲は『花咲爺さん』(裏の畑でぽちが鳴く)の替え歌で以下の歌詞でした。
  ♪八幡様の裏山で成る成る天狗の申すには、今日の試合は勝ち、勝ちかっち勝ち
余り意味は無いのですが、子供の頃は意味もなく歌っていました。

高校の頃は親しい友達が鎌高だったので鎌高の応援ソングを教えて貰ってたので口ずさんでいました。
  ♪ハアー日坂(にっさか)の丘に立ちゃ、沖の潮風サッと吹き上げるヨイヨイ
   天下の鎌高風光明媚
2番以降もあるらしいのですが覚えているのがこれだけですが、此処に出てくる日坂(にっさか)は江ノ電の今の鎌倉高校前の駅名でした。つまり海岸から鎌高に上がる坂が日坂でした。
何時から鎌倉高校前に変ったか恐らく60年代後半から70年代ではなかったかと思います。
ちなみに今の湘南海岸公園駅は西方(にしかた)という駅名でした。

古くは源実朝が鎌倉や相模の海を詠ってから800年も経ち、その間の天王唄やら盆踊り唄、現代の歌謡曲まで数々の歌の舞台になった鎌倉ですが、小学校でこれらの古いものを教えているのだろうか、歴史を知らずに世界遺産登録だけを追っかける中身のない教育がなされているのだろうかと心配にも成るこの頃である。

東日本大震災においても復興の支えになったのは歌(音楽)であると誰もが認めている今、情操教育というだけでなく伝統の歌や踊りもそして伝承も含めこの国に必要なものではないだろうか?

因みにハリス幼稚園に通っていた頃の子供賛美歌を今でも歌えるのは人間の脳の記憶部分は凄いメモリーが搭載されていてWindows 8より優れているかもしれない。日々歌が歌える生活がしたいものです。 








 
 
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