生産現場やものづくりに携わって40年、そこで必要なものはまず設計図、ものづくりに必要な機械、それを動かす人、そして出来たものを検証する品質検査、そして世に出し社会の人に認められるか、そこで判断されるわけです。
ものづくりで必要なのは『トレーサビリティ』という考え方です。これは単純に云うと校正とか基準とかと考えればいいのですが、これが一寸づつ右に行ったり、左に行ったりすると公差の重なりでとんでもないものになります。
昔は1/10の公差で良かった物が、今は1/1000位になっておます。つまりミリの世界からミクロンの世界になっているのです。ですから少しの狂いも許されなくなって来ています。パリにあるメートル原器が日によって違ったりすれば、世の中の尺度が全く違ったものになるように、人間にも『トレーサビリティ』が求められると思います。
今、この町に求められるのは公職にある人たちが自分の『トレーサビリティ』をもって、機械的基準と哲学的基準をきちんと発信する事です。
数年前の自民党代議士の選挙違反事件ではきちんとした説明もなく、起訴猶予で終わってしまった経緯がありましたが、あれは検察の温情ではなく選挙区全てやると議会が麻痺し地方自治の崩壊と判断したからなのです。まして貰ったほうは食事と数万円の報酬では名誉とステータスを落とし割に合わなかったのではと思います。罪と罰はセットではありますが、罪は人間誰しも背負って生きているものですが、罰を受けなければ自分は正しい等と言うのは公職者としては失格です。よく言う選挙で禊を受けたといいますが、その罪を選んだ住民に移し変えたようなものです。(選挙民も悪い)
これからは自分の誇りある『トレーサビリティ』を確立して、この町をどう再生するか一人一人が考えなくてはいけません。行政当局も議会も住民が育てなくてはいけません。彼らも自分達が住民の上に立っているなどと、不遜な考えを起こしてもいけません。気候風土が良いと良い人が育ち、良い行政が生まれると日本中で羨ましがられる街づくりを始めましょう。
ものづくりで必要なのは『トレーサビリティ』という考え方です。これは単純に云うと校正とか基準とかと考えればいいのですが、これが一寸づつ右に行ったり、左に行ったりすると公差の重なりでとんでもないものになります。
昔は1/10の公差で良かった物が、今は1/1000位になっておます。つまりミリの世界からミクロンの世界になっているのです。ですから少しの狂いも許されなくなって来ています。パリにあるメートル原器が日によって違ったりすれば、世の中の尺度が全く違ったものになるように、人間にも『トレーサビリティ』が求められると思います。
今、この町に求められるのは公職にある人たちが自分の『トレーサビリティ』をもって、機械的基準と哲学的基準をきちんと発信する事です。
数年前の自民党代議士の選挙違反事件ではきちんとした説明もなく、起訴猶予で終わってしまった経緯がありましたが、あれは検察の温情ではなく選挙区全てやると議会が麻痺し地方自治の崩壊と判断したからなのです。まして貰ったほうは食事と数万円の報酬では名誉とステータスを落とし割に合わなかったのではと思います。罪と罰はセットではありますが、罪は人間誰しも背負って生きているものですが、罰を受けなければ自分は正しい等と言うのは公職者としては失格です。よく言う選挙で禊を受けたといいますが、その罪を選んだ住民に移し変えたようなものです。(選挙民も悪い)
これからは自分の誇りある『トレーサビリティ』を確立して、この町をどう再生するか一人一人が考えなくてはいけません。行政当局も議会も住民が育てなくてはいけません。彼らも自分達が住民の上に立っているなどと、不遜な考えを起こしてもいけません。気候風土が良いと良い人が育ち、良い行政が生まれると日本中で羨ましがられる街づくりを始めましょう。