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葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

ウクライナ 侵攻2

2022-03-08 11:28:36 | Weblog
ウクライナ侵攻から早くも10日も経ったが、ウクライナ軍は健闘しているようだ。ひとつは地理を熟知している事、敵方より正義がある事、
何よりも国民が味方についている事、これが一番の理由だ。現代社会において絶対やってはいけない事は他人の家に土足で入り、蹂躙し爆弾まで落とす
という理不尽なことを行うという、こんな常識すら持ち合わせないソビエトのやり方を止める方法が無いというのが不思議でたまらない。
物事の考え方には色々あって良いと思うのだが、自分の権力欲や自我がそれをSAVE出来ない権力者が、いまだこの世の中にいること自体が不思議でならない。

ソヴィエト国民には申し訳ないが、この責任の一端はあなた方にあると言わざると得ない。歴代の政治家や権力者といわれる人々も同罪である。
現代の政治経済は第2次世界大戦より大きく変わり、冷戦も終わり世界平和を標榜しすべての国民が平等、自由、博愛の精神をもって地球家族となる
事こそが目標でなかったのか。自由経済で貧富の差が出てきてはいるが、すべての人には努力すれば豊かで幸せな人生が訪れるはずではなかったのか。
所謂、イデオロギーというつまらない、ひねくれた考えが世界中にはびこるようになったのは何故なのか?それは偏に人間の持つ欲でしかないのだ。

ユダヤからヨーロッパに広がったキリスト教はロシア正教として花開いたのである。当然、ウクライナを通り、東欧諸国をその宗教圏に巻き込みながら
その信仰を広めていったのである。宗教は具体的には何もできないかもしれない、しかし「それはおかしい」と声を上げることは大切なことだと思うのだ。
ロシアの宗教者たちも声を上げて欲しい、無論われわれ日本人も声をあげようと思う。地球全体で見れば二国間の争いに見えるかもしれないが、そうではなく
我々が今、侵略されて居ると思わなければいけないのだ。距離的には遠い国の話ではあるが、今そこにある侵略の話として我々日本人も真剣に考えたい。
ウクライナの人々に心からお見舞いと健闘を祈り、出来る事のお手伝いをして行きたい。寒い日々を耐えてひまわりの咲く日を心から待ちたいと思います。

ウクライナ侵攻

2022-03-03 11:31:38 | Weblog
心配されていたロシアによるウクライナ侵攻が始まった。ずっと思っていたことだが、長年トップにいた人間が勘違いをするのは
どうも人間だけの専売特許のようである。ご多分に漏れずロシアのプーチンが図らずも予定通りに「殿、ご乱心」と相成った。
余りにも長くトップにいることが感覚の麻痺を招き、自滅する前兆であることの証左でもあることをまたも知らしめてくれた。
会社経営もしかり、例えば何百年も続いている商家や名家もそれなりに続ける工夫をしたり、家訓により後代の人に生き様を伝えてきているのである。

プーチンが20年以上も大国ロシアのトップにいること自体異常ではあるが、その体制を許している国民もある種同罪である。ロシアはナポレオンの
時代から外国から侵略されているのだが、兄弟国であるウクライナを力でねじ伏せようとしている強権はやはり共産革命を思い起させる。
どんな得があるというのか、世界を敵に回して国民が反旗を翻さないと思っているのだろうか?日本人は判官びいきの所があるのでどうしても
ウクライナに思い入れをしてしまうが、贔屓目に見てもウクライナ頑張れと言わなければならない。

多くの人の悲しみを思い起こし、それが自分の家族の上にかかっていると思えば残虐行為はできないはずだ。プーチンの家族はどう思って
いるのだろう。昔のヒットラーのユダヤ人に対する民族浄化とは違う、いわば身内を窮地に追いやるこの行為は世界の良識ある国々が
一団となって阻止しなければならない。傍観者ではいけないのだ、日本も戦争を始めて敗戦を味わい、しかも原爆を落とされたことにより
唯一の被爆国になった事を思い起こさせてロシアの暴挙を止めなければならない。核を使わないことを心から願う。

ソフィアローレンの映画「ひまわり」の印象のあるきれいで牧歌的なウクライナを思い起こすと一日も早く、ロシアは撤退して
交渉によって解決をしてもらいたい。遅ればせながら日本も避難民を受け入れるという決断をしたようだ。
是非、日本に来てもいらいたいものだ。これから桜の季節になるのでひまわりと桜の自慢をお互いしたいものだ。
一日も早い終息を願っている。


トノヤマ 残照 Ⅱ

2022-02-14 13:00:37 | Weblog
12月に書いたトノヤマ 残照の続きです。これほどインターネットの力があるとは思いもよらず、このひと月で解決しました。
トノヤマで働いていたMちゃんがネットで拡散してくれたおかげで、トノヤマの親戚が中部地方から現れ、カウンターの一部を
引き取ってくれることになりました。60年前の歴史あるトノヤマカウンターが中部地方の親戚のうちに引き取られることになり
関係者一同ホットしています。カウンターが大きいので一部ですが、所縁のある人の元に行くことになり安堵している所です。

残りの一部はMちゃんのお店に一時保管されて、何れ彼女の店でお客さんを迎えることになるだろうと思えますが、生まれ故郷の
鎌倉の二の鳥居前の再開発に時代の流れと近代化という名の破壊が増々増えるだろうと鎌倉の将来を危惧している。
私の鎌倉逍遥も終わりに近づいてきたようにも思えるトノヤマ残照である。こうして歴史が隠されていき、人の人生も語られなくなり
時代の進化が歴史のかなたに過ぎ去るものと実感したこのひと月の感慨である。



仕事人生の終わり

2022-01-28 12:07:51 | Weblog
昨年12月31日で自分で決めた定年を迎えた。約55年の仕事人生であった。学校を卒業して父の会社に入り、
その後26歳で独立合計55年の仕事人生であった。バブルの始まる前の1970年創業で何とか起業したのも家族や親しい友達や
何よりも仕事をくれたM電機やH製作所など今では考えられない大企業であった。
客先と飲み歩いた日々、地方に工場を新設した絶頂の頃、ドルショックをはじめ急降下で業績が落ち込んだ日々、そして下請けでなく独自の
製品を作らなくては生き残れないと決断したこと等、その後規模を縮小して独自技術で細々ながら生き残ってきて何とか会社を
息子に譲れたことは良かったと自分なりに満足した仕事人生であった。

退職金は出ないけれども何とかこれから夫婦二人でのんびりできるように過ごしていきたいものだと思っている。このコロナの状況の中で
中小企業は大変だと思うが、したたかに生き延びて欲しいと思う、そして日本の底力は中小企業の技術力や創意工夫力であると信じている。
私もこれから健康でいるうちは、今までの技術を生かした物づくりは続けていきたいと思っている。
今、世界の状況を見るに余りにも格差が激しく、世界の富を一握りの人たちが持っているような状況を正さねばならないと思っている。
若い時の野心は必要ではあるけれども一定の資産を持ったならば、それで良しとする気持ちの余裕をこれからは持たねばならないと思っている。

予測できないものの唯一のものは寿命であると思っている。必ず死は誰にでもやってくる。そして何も持っていけない。
残った人には思い出だけが残り、本人は土へと帰っていく。だから資産=金は必要最小限のものがあれば良しとする気持ちを持つことが
一番ではないかと思うのだがどうだろうか。もし形で残すものがあれば私は何か世の中で役立つ製品を残していきたい。
仕事の後片付けをしながら、何を形に残すか考えている日々である。

トノヤマ残照

2021-12-21 11:11:05 | Weblog
随分前に鎌倉のバー「トノヤマ」の事を書いたが、その後お店を引き継いだ「Y」というお店が今月で再開発のために移転する。
再度書く気になったのはこの場所が鎌倉駅から近く八幡宮の二の鳥居のそばという立地で新しいビルに生まれ変わるそうだ。

思い出の「トノヤマ」が完全になくなるというのは仕方のない事だが、そこのカウンターは何とか残せないかと考え始めた。
たかがカウンターとはいえ、約60年前の厚いラワンの曲げ加工で縁取りし、寄木の趣のあるカウンターで庶民の文化財と云えるものであった。
経営者一族はほとんど鬼籍に入り、客たちも同様であるが残ったもので何とか残したいと思い立ったのであります。

殆どの方は知らないと思うのだが、怪優と言われた殿山泰司氏の義妹がママをやっていて、ご主人だった松竹の映画美術監督だった戸田重昌氏が
設計し、松竹の大道具が宮大工仕様で作ったという今でも頑丈なカウンターが残っているのでこれを何とか残したいと思っている。
当時の流行だったラワン材の厚い縁取りと寄木のカウンターはたばこの焼け焦げや酒を吸い込んであめ色に変わってはいるが、まだまだ使用可能な
しっかりしたものである。

開店当時は作家や松竹関係者はもとより鎌倉の知識人が談論風発、時代とともに会社帰りのサラリーマンが一寸立ち寄りバス待ちやタクシー待ちで
深夜まで賑わっていたものだった。鎌倉の「トノヤマ」と云えば銀座のホステスが鎌倉に住んでいる客の社長を送りながら来たという話も残っている。
物書き、詩人、映画製作、新聞記者、旦那衆が常連で我々若造も社会勉強をさせて頂いたものであった。

老人の郷愁かもしれないが、今の鎌倉の商店街を見て淋しく感じている年寄りとしては、せめて青春のよすがを何とか残したいと思っている。
鎌倉でバーをやりたい人いないか探しています。カウンターは持ち主さんの了解を得てもらうことになっていますので、運賃だけでいいのです。
又、保存ができるようにだけでもと考えています。「トノヤマ」ゆかりというだけで客が呼べるのではないかと思っています。

鎌倉は変わりました。世の中も変わりました。人の心も変わてしまったかもしれません。でも60年、人の喜び、悩み、愚痴、楽しみを見てきた
カウンターを何とか救いたいと思っています。何とか頑張って生かす方法を考える今日この頃です。(良い知恵を頂ければ幸いです)







桐一葉落ちて天下の秋を知る

2021-10-16 14:31:15 | Weblog
衆議院の解散が大島議長によって宣言され万歳三唱で議員が地方に散って行った。
自民党がどれだけ議席を減らすか、はたまた反自民の得票がどれだけ増えるのか、コロナ禍の国民にとってはどうでも良いような気がするが、
それでは困るので本格的な国に奉仕できる議員が出て欲しいものである。

我々ロートルはこの先消えていく存在ではあるが、子や孫の時代を思いやると今のこの国の体制はなっていないと思うのである。
格差が激しく若い人たちの労働意欲がどうも感じられないのである。それは労働環境がこの20年くらい損なわれているのが原因のような気がする。
93年から景気後退が進み2000年越えても一向に上向きにならない景気がこのままの日本の現状である。

生活の向上が進んでいることは否定しないが、下請け業者に至ってはコストダウンの嵐は限界を超え、最低賃金を時間給1000円超えるか
越えないかの境目でどう見ても生活できないのである。ましてコロナの思わぬ攻撃で世界中が混乱しているのだが、我々以上に苦痛を
味わっている人たちの事を考えると心が痛む。だからせめて政治家は心してほしい。自民党も野党も給料はきちんともらえる議員たちに
言いたい。今こそこの国を如何にかじ取りを進めるかを選挙において語って欲しい。 そして我々は良い選択したい。

今年、11月に55年間働いた仕事を息子に譲るのだが、この先この国の在り様が気になって仕方がない。
ソロバンで始まりワープロやパソコンで仕事をしてきたこの身において、徐々に感情が薄れていく世の中になってきたように思える。
若い世代の方たちはパソコンがツールとして定着していると思うが、たまにはソロバンや紙計算で数字をたたくのも良いのではないだろうか?
あとひと月で自分で決めた定年になるのだが、政治も経営も気がかりな秋を迎え、冒頭の句のように秀吉もこんな心境だったのかなと深まる秋を考えている。






社会構造の変革期

2021-08-30 14:48:00 | Weblog
このところ考えることが沢山ありすぎて頭の中が混乱している。世界の終末期なのかコロナによる全世界の窮屈感、国内では政治の貧困、
地下鉄の階段での個人的テロ、この国でなくても世界中異常気象やら、異常と名の付く問題が数えきれない。

私も人生の終末期においてどう今後の生き方をすればいいのか、考えてしまう毎日だ。自分の事で恐縮だが約55年の仕事人生を今年中に
終えるつもりで、これからどれだけ生きられるかわからないが少なくともより良い社会を見据えて残りの人生を送っていきたいと思うこの頃だ。
日本という素晴らしいロケーションに生まれ、戦中生まれとはいえ戦後の親世代の苦しみを知らず55年も仕事をしながら、人生を楽しみながら
ここまで来れたのは感謝しかない。

今この時間にもアフガニスタンにおいても緊張が続き、国内では尖閣列島あたりでは中国とにらみ合い、コロナ最前線では医療関係者が寝ずに
治療に邁進している。気候変動問題でも北極点を船が通り、最短でヨーロッパに行くという考えられない状況が日々進行している。
予防注射に無関心のような若い人たちが渋谷では大行列をなし、もしかして平安末期の厭世観が広がってくるのだろうか?

年末までのこれからの国内は混とんとした日々が続くだろうと思うが、確実なことはこの国を守ろうというヒーローは絶対出てこないと思う、
この事が確実であることが残念で悔しい。子供や孫の世代にどうこれから引き継いで行くかが我々年寄りの務めと思い、残りの人生を送る
しかないのである。何しろ考えましょう。相手を思いやりましょう。自分を大切にするように人を大切にしましょう。

次代の政治を司る人たちが国民を守る事と世界の苦難の中の人々を助けることを念頭に置き、レベルの高い政治姿勢を見せて欲しいものだ。
夏の終わりに年寄りのたわごとを聞いて欲しいと願っている。




シャワー位使っても、、、

2021-07-23 17:30:53 | Weblog
コロナとオリンピックの夏が来た。今年は複雑な日々が続いているがとにかく神様は日本に夏を与えてくれた。しかもかじ取りの難しい夏を。

一寸涼しくなったので葉山公園まで散歩に出た。いつものコースを散歩して公園の馬場の跡を2~3周して帰るのだが、トイレの隣のシャワーが使えず、水飲み場の押し栓を片手で押して
水を出しバケツに汲んだり、そのまま洗ったりして、難儀をしているのだ。当然子供も多いし、親もそのあたりにいる。三密になるなとお上が言い出したことが何故こんな事になるのか、
要は昨年同様人がたまらないようにということだと思うが、確かに去年はこの感染症の正体がわからなかったから仕方がなかったが、今の状況は違っているのではないのだろうか?

駐車場代をとっているのに水くらいは使わせても罰は当たらないような気がする。近くの人たちは水着のまま帰って家でシャワーすれば済むのだが、車で来た遠くから人たちは身体を
洗ってかえりたいだろう。密集するといいながら明らかに今年は人出は少ない。折角葉山に来てくれた人たちにせめてもの帰りのシャワー位きちんと管理すればおもてなしが
できるのではないだろうか。公園にいる人たちは殆どマスクをしていない。(私もだが)

ここは公県の公園協会が管理しているのだと思うが風も吹いて、空が抜けて、景色も良い公園でせめてシャワー位おもてなしをしてあげたいと思う毎日だ。
確かに感染予防というルールはわかるが、TPOを考えて融通を聞かせてもいいのではないだろうか。結局、押して水を出す蛇口を押しっぱなしで水を出しっぱなしで使っているのでは
節約にもならないし、順番待ちで歩道をふさいで密集になって何にもコロナ対策にもなっていないのである。おまけに管理する人もいない状態だ。

今からでも遅くはないので公園のシャワーを解禁し、海遊びの仕上げを気持ちよくさせてあげてほしいものだ。一度決めたら動かないお役所仕事をよい機会に変えてみたらどうかという夏風景。

吉と出るか凶と出るか

2021-07-19 13:31:04 | Weblog
今週末からいよいよオリンピックが始まるらしい。この未曽有のコロナ禍に開催に突っ走る日本の政治家や利権屋が秋以降のこの国の
将来を決めるという前代未聞のイベントが始まる。物事には程度というものがあり、50%を超えるならGOだし以下ならばNOなのだ。
選挙を考えれば良いと思うのだが、投票率の少なくとも50%超えならば成立し、以下ならば不成立にして50%を超えるまで再選挙を
行えばいいと思うのだが、オリンピックは何が何でも突っ走るようだ。

太平洋戦争に負けてから外圧に弱いこの国の在り様は変わらずのようだが、世界がコロナ禍にある現在何が無理にやらせるベクトルが
あるのだろうか?明治以来の西洋人に弱い、戦争に負けたから、はたまたスポンサーのため、IOCのため、何だか訳の分からない理屈で
強行突破しようとしているのが段々腹立たしくなってきた。競技をしようと頑張ってきた人たちには残酷な話だがここは我慢してもらって
次世代のために世の中の落ち着くのを待ってもらう必要があるのではないだろうか。この年に参加する予定だった人たちだけの競技会を別な形で
コロナ明け安全な時にのやってあげればいいのではないだろうか?当然年齢も上って万全ではないかもしれないが、本来のオリンピックの形に
なるのではないだろうか?そして4年後通常ペースで行えばいいと思うし、恐らく今後貧しい国では開催されなくなるだろうと思うし、まして
世界のアスリートの競う場所では無くなってアマチュアではなくプロの競技会になるような気がしてならない。

儲かるのは多額の放送権料の入るIOCだしそこを牛耳る会長以下オリンピック貴族であろう。日本の政治家やJOCなどがいい加減ご本尊大事
の姿勢を変えて純粋にスポーツの祭典を考えてほしいものだ。今はコロナの終息に注心し、世界に貢献する医療を提供してこそ、この国を本当の意味の
先進国という自負を持てるのではないだろうか。オリンピックは大賛成。でも今はその時ではない。


免許更新

2021-07-08 11:35:24 | Weblog
年は取りたくないもんだと皆さんも感じているかもしれないが、恥を忍んで私の経験を申し上げます。
先日、免許の更新の予備テストを自動車学校で受けてきた。以前受けた時は何とも感じなかった記憶に関して、今回は覚えが悪く何一つとっても満足では
無かったので私の経験を披露いたします。
まず老齢者が約12,3人集められた自動車学校の教室で名前やら日時やらを答案用紙に書くのだが、そこでまず一つ目の間違いを起こした。
日時を書くのであるが西暦でも元号でも良いのだが、頭から西暦と思っていたので2000年までは理解していたのだが21年が出てこず、なんと13年と
つまり2013年と書いてしまったのだ。事前に令和3年と書いてとも思ったが仕事上の慣れで令和3年が頭に在り3という数字が化けてしまった。

その後のキムスゲーム(kim's Game)という16点の品物を4点ずつ表示され、通常4枚なのだが今回は3枚12種の品物を覚えて書くのだが
すっかり覚えられず5~6種類しか書けなかった。緊張感もあったのか多分そのグループでは最低の点数であったと思えるほどだった。
つまり免許を持つには失格者という事ではないかと思えたのだ。しかしながら先日次のステップに案内が来た。49点であった。

負け惜しみでいうのだが、年寄りの記憶力のテストで免許というのは疑問が残る。実は私はこのキムスゲームを子供の頃から
知っていたし、前にも書いたボーイスカウト(BS)の進級試験にもこれがあったのだ。BSの初級試験(初級から2級、1級ある)に
このKim'Gameというのがあったのだ。本来は班で数人でやるゲームで記憶力を養うための遊びからBSが取り入れたものだ。
BSの創始者であるBP(ベーデン、パウウェル卿)がボーア戦争の時、伝令に敵情視察の報告に用いたものだ。この戦争からBPが帰国後
少年たちを集めてBoy Scoutを創設したのだ。(ちなみにkimという少年を斥候に使ったのでこの名がついたといわれる)

年寄りの免許更新にこのゲームを取り入れたのは恐らくどこかの大学の先生かBS関係者かもしれないが、年寄りには記憶力より標識認識や判断力
の瞬発性をテストした方が良いのではないかと思えるのだ。低得点であったがための悔し紛れには違いないが、多様化している現代に
1800年代のボーア戦争の名残を使うのは如何なものかと思うのだ。次回は3時間の講義と実技が待っている。