南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

私を感化した言霊たち(2)

2013-07-27 07:55:54 | ユニオン
恥ずかしながら私の昔話から始めます。

高校を卒業した私は地元の会社に就職します。
実を言えば就職したかった会社はここではありませんでした。
しかしそこに就職すると静岡を離れなければならないので、長男である私は両親の反対を受けて断念をしました。
そのためか少し荒れた時代も過ごしましたが、ほんとうに幼いくらい若かったですね。

そんな私を救ってくれたのが「少林寺拳法」でした。
この出会いの話をすると長くなりますので割愛しますが、創始者の「宗道臣」も生きていた時代ですのでもう夢中になりました。
そして25歳のとき21名の従業員とともに実業団支部を設立し、支部長として活動を開始します。
2年後には会社近隣の父兄からの要望を受けて子どもたちにも教えるようになります。
拳士数も一時は100名近くまで増え、苦労もしましたが、夢は大きく膨らむばかりでした。。
毎年1回は四国にある本部へ指導者研修に出かけることも支部長の義務でしたから、仕事をやりくりして研修会にも欠かさず参加しました。
いい師匠や仲間たちにも恵まれてほんとうに楽しい日々を送りました。

開祖「宗道臣」は私たちを集めると必ずこう言いました。

人・人・人・すべては人の質にある

「ひとりでも良い人間をつくることが皆さんの仕事だ。
この社会はすべて人によって成り立っていることを、どこへ行っても、何をやろうとも忘れてはならない」

社内でそんな活動をしていると目立ち始めます。
ある事件がありそれが縁で私は30歳から労組専従役員、ひょんなことから35歳で委員長になってしまいました。
そうなると私自身が拳士を指導していくことが次第に無理となり、支部長を継いでくれる人間も現れず、結局身を切る思いで38歳のとき廃部を決定しました。
この選択が正しかったのかどうかは今になっても分かりません。

しかし少林寺拳法から離れても、私の心の中には常にこの言霊が生き続けています。


人・人・人・すべては人の質にある

最新の画像もっと見る

コメントを投稿