まず“私たち”とは何かから始めよう。
“私たち”とは“連合”のことである。
“連合”の起こりを振り返りたい。(連合運動史 第1巻より抜粋)
1950年の総評結成は戦後最初の大きな結集であったが、ほどなく亀裂が入り、64年以降、総評、同盟、中立労連、新産別のいわゆる労働4団体時代に入る。
80年代に入ってなんとしても労働界の統一を果たそうとする機運が高まってきた。
まずは民間先行で話し合いが進み、82年12月「全民労協」の結成総会が開かれた。
その後、87年11月に「全民労協」は「全日本民間労働組合連合会(連合)」として生まれ変わる。
次なるステップ「労働界全体の統一」をめざして首脳陣が精力的に会合を重ねていった。
首脳会談で論議の焦点となったのは、統一の方式と基本文書(綱領的文書)、及び参加資格である。
とくに総評・官公労については、統一労組懇との関係など、いわゆる〈三重要課題〉(①政党との関係、②選別問題、③国際自由労連問題)があった。
最後まで尾を引いたのがイデオロギーと政党支持問題である。
結局、旧社会党を支持していた総評と、旧民主党を指示していた同盟に反発して、共産党を支持していたグループ(統一労組懇)は別の道(全労連)を歩むこととなる。
こうして新しい「連合」(日本労働組合総連合会)は、1989年11月21日、民間の連合と官公労労組との統一大会で発足した。
新しい「連合」が出来上がるまでの“胸突き八丁”の議論は、連合が苦労して乗り越えたイデオロギー論争でもあるから決して忘れてはならない。
(続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます