南町の独り言

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県民投票の違和感

2012-08-31 18:00:57 | 政治
膨大な資料と時間を費やして「連合エネルギー政策PT(静岡版)」で勉強してきました。
会議があるたびに予習・復習で頭がパンパンになります。
学べば学ぶほど「これが正解」という答えが出てこないことに気づきます。

ただ言えることは、原発はとても危険なエネルギー源だということです。
と、同時に原発で産みだされた電気によって、私たちの命が守られているということです。
危険な原発は止めたほうがいいに決まっていますが、原発に代わるエネルギー源が今は見つかっていません。
原発が止まっても停電は起きていない、という人もいますが、それは火力発電に異常なまで頼っているからです。
二酸化炭素は出し放題でもひところのように騒ぎませんが、貿易赤字と同様にどんどんと深刻化しています。

なるべく早く原発は止めたほうが良い、という意見が大半です。
その気持ちはよく分かりますし、できうるならば私もそうしたいと思います。
しかし「今、原発なくても大丈夫」というのはあまりに暴言だとも思います。
大事なことは、原発に代わる新しいエネルギー源が、いつまでに完成するのかではないでしょうか。
それが18年後なら2030年であり、28年後なら2040年で、38年後なら2050年です。
それまでは危険であっても原発に頼らざるを得ません。
原発が動いていても命に関わるし、今原発が無くなっても命に関わります。
どちらのリスクの方がコントロールできるか、し易いかの問題だと思います。

さて「浜岡原発再稼働是非を問う県民投票条例」ですが、私の感じている違和感とは次のようなものです。
まずエネルギー問題は“国家の将来の選択”であるということ。
だとするとそれぞれの原発立地県のみで個別の“それ”を選択できるのでしょうか。
原発に限らず様々な反対運動を見てきました。
焼却場、し尿処理場、挙句の果ては消防署や高等学校に至るまで、社会に必要だけれども私の付近では困ります…の類です。
他所の地域であれば反対しないのであります。
なんと身勝手な考え方だと思いませんか?
それと似たような違和感を覚えてなりません。
“国家の将来の選択”ならば正々堂々「国民投票」で決すべきです。
私は強くそう思います。