けろろの「浜あるき・野良あるき」

漁あるところ、農あるところへ、風土のにおいに誘われて、いそいそ出かけています

「焼ぎだめ」

2012-03-21 22:05:21 | 浜あるき
ごぶさたしました。
先週からまた、三陸に行ってきました。
南三陸町の船大工さんが造っている木造船。最大難関の作業を見せてもらいました。
シキ(船底)を火であぶって、反らせる作業です。

津波前は、海辺の造船所でやっていたのですが、高台の仮造船所では田んぼのあぜ道での作業。
火を扱うため、風のない穏やかな日の「朝凪」、まだ薄暗い5時半から行いました。
焚き物は、稲藁です。写真に写っている大工さんの実家の田んぼ産。「地産地焼」だ!

シキは、厚さ2寸5分の杉材。2時間半かけて、じわじわと「ため」ていきました。
読み通りの穏やかな日和で「うまくいった」と、大工さんはほっと会心の笑顔。

    

鞆ノ浦の船釘鍛冶屋さんから、立派な船釘が届いていました。
「船釘が足りない」と大工さんから相談を受けていたので、ご紹介。
広島弁とケセン語の間を、東京のわたしが中継してつなぐやりとりです。

焼きだめ作業の日の夕方、シキ(船底)を造船所内に戻し、作業台に固定。
その後、シキの船首に穴を開けました。「ぎょうのめ」という水アカを出す穴だそうです。
漢字や由来の意味は不明…。めは目かな?

ワカメ水揚げ最盛期

2012-03-21 22:04:40 | 浜あるき
三陸沿岸では今、どこの浜もワカメの水揚げでにぎわっています。
「去年の今頃は、1年後にこうして水揚げができるなんて、想像もできなかった」と、
誰もが感慨を込めて話します。

今年の養殖は、資材や船の不足で、例年の半作だとか。
ただし、品質がこれまでにないほど高いのと品薄とで、価格は倍近く。
さらに、今までメカブだけ流通に乗っていたのが、今年は葉の部分まで全て売れるのだそうです。
水揚げ金額は例年並みになりそうだと、聞きました。

「津波が海底をきれいにさらってくれたんだね。自然ってのはすごいよ」と、漁師さん。
また従来、少しでも多くとろうと、自然の許容量より多く「密植」していたのが、今年は半分に。
これまで出ていた「穴あき病」がなく、栄養がよく回って見事な育ちあがりだそうです。

     

問題は、加工施設。
付加価値をつけようと、多くの漁師さんが自前の加工所で塩蔵加工をしていました。
それが津波でほとんど流失。
生出荷するか、もしくは浜に露天の釜だけしつらえて、加工している漁家もあります。
海水を引くポンプは自前で、釜と冷却の桶は、支援団体からの寄付だそうです。

漁業の復旧が進むにつれ、それを受ける加工や港の整備の遅れが、ますます深刻になっていきます。

大船渡湾

2012-03-21 22:03:58 | 浜あるき
同じ場所から撮影した、大船渡湾の養殖風景です。
これは、2010年8月8日。震災の前年の夏です。色とりどりのブイが浮いています。

     

続いて、これは2011年7月21日。震災から約4か月後。
ワカメの種糸用でしょうか、湾奥に数本のブイが見えるだけ。

     

そして、3月19日。震災前に劣らないほどの養殖施設が浮かんでいます。
ひとの力って、本当にものすごいものです。

     

唐桑・復興カキ祭り

2012-03-21 22:03:16 | 浜あるき
3月18日、気仙沼市・唐桑半島の先端で、唐桑の養殖漁師さんたちの主催で、
ボランティアのひとたちを招いた感謝祭のような、イベントがありました。
家屋の泥出し、漁港の片づけ、養殖作業のお手伝いなどで、継続的にボランティア活動をしてきた、
RQ、神奈川県社協、シャンティなどの方々が、招かれていました。

     
 
「お世話になりっぱなし」をよしとせず、「気持ちに気持ちで応えたい」という心意気です。
見事に育ったカキ、ホタテの浜焼き、ワカメしゃぶしゃぶ、カキの炊き込みご飯、カキ汁の大盤振る舞い。
自然の恵みが豊かなところは、ひととなりもたっぷり豊かです。

     

でも、さらに踏み込むと、漁師さんたちの気持ちの中には「このご縁を末永く」という思いがあります。
唐桑のカキ・ホタテ・ワカメはとびきり上質なのに「知名度が低かった」という無念さと、
「こんなに多くのひとが唐桑の水産物に目を向けてくれたのは初めて」という、驚きと喜び。
そして、これからの復興に向けて「ぜひ唐桑の水産物を買ってほしい」という、切なる願いがあるのです。
つまり、ボランティアが縁の「生産者と消費者の顔の見える関係」を末永くつなぎたい、という願いです。

昨年夏ごろには、一口オーナー制度が多くの浜で生まれました。
しかし、寄付の性格が強く「1回きり・一方通行」のオーナー制度よりも、
ボランティアを通じて生まれた唐桑のような人間関係は、より強いつながりです。
漁村と都市住民、生産者と消費者の、対等で双方向の「本物の交流」の可能性を感じます。

大漁唄込(だいりょううたいこみ)

2012-03-21 22:01:05 | 浜あるき
唐桑の復興祭りで、鮪立(しびたち)と浜の2つの集落の大漁唄込保存会による唄の披露がありました。
唄声はもちろん、そろいの衣装と小道具も見事です!!

大漁唄込は、カツオ一本釣り漁から生まれた漁撈文化のひとつ。
ちょっとずつ歌詞と節が違うものが、三陸沿岸の各浜で唄われてきました。
江戸時代から大正初期まで、櫓漕ぎと帆が動力だったカツオ一本釣り船の、櫓漕ぎ唄でもあったそうです。
大正時代以降、カツオ漁船の動力化と大型化とで、大漁唄込は消えつつあったのを、
三陸沿岸のいくつかの浜では、保存会が作られ伝え残されています。

  

唐桑島先端にあるビジターセンターで、櫓漕ぎ時代のカツオ漁船の模型を発見!!
こんな船で出たんですね~。
三陸沿岸に数ある漁業の中でもカツオ一本釣りは、東北の山の頂が水平線に沈む、もっとも沖まで出た漁業です。
だからこそ、技術だけではなく、唄や縁起かつぎなどの漁撈文化も豊かなのだといわれています。

あー、カツオが食べたくなってきた…。