<旧鐙屋>
酒田三十六人衆、廻船問屋にして元禄時代の豪商、鐙屋惣左衛門の屋敷は酒田市役所の目の前。表口から土間がおくまで続いている町家造りは京都でも見られるが、さすがに豪商だけあって幅と言い長さと言い圧巻。
井原西鶴「日本永代蔵」に登場するだけある。この火鉢一つみてもモノが違う。当時の豪商の凄さにしばし言葉なく、往時に思いをはせる。
更にここの屋根は石置杉皮葺屋根で鶴岡の風間家丙申堂と同じ。
<山居倉庫>
時代は下がるが、最上川舟運の拠点として明治時代から現在まで現役の倉庫。おしんでも取り上げられた場所として有名。日本海からの防風林としてのケヤキ並木だがたおやかな木漏れ日を浴びながら一人歩く。
倉庫から舟までは女丁持ちといわれた女性が活躍。60kgの米俵を5つも運ぶ人がいた。明治の女性は強し。
小鵜飼船 この運河を通って運搬された
<本間家>
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」
江戸初期から海運と金融で財をなし、農地改革まで3000町歩という日本一の大地主。酒田のインフラの半分以上は本間様のおかげともいわれていた。武家と商家づくりが一体化した珍しい造りとのこと。三井、住友にも匹敵しながら企業化せず歴史に名を残している。
<土門拳記念館>
時間がかなり押していたが、ここを見ずに行くのも惜しい気持ちに駆られ小1時間ほどたってしまった。私たちが生まれ育った昭和という時代の躍動、歪みそして潮流が写真を通して感じ取れる。感性に響くものにふれると元気もらえるもんだなあ。
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