今日もすごく暑い一日でした。午後から一瞬雷雨があり、ちょっと涼しくなりましたが、すぐに晴れて、また暑くなりました。暑いのは嫌いではありませんが、それにしても暑いですね。今日も一日、家で仕事しました。図書館で借りて、ネルケ無方の「なぜ日本人はご先祖様に祈るのか」を読みました。サブタイトルに「ドイツ人禅僧が見たフシギな死生観」と書かれている通り、作者はドイツ出身で日本のお寺の住職をしているという変わった経歴の持ち主です。確か新聞で紹介されていて興味がわいて借りたのですが、新書でサイズが小さいので新幹線で読みました。
日本は多神教で面白いなあと思っていたので、外国人から見て、日本の死生観がどのように見えるのか、興味深く読みました。例えば、「千の風になって」という歌が大ヒットして、「私のお墓の前で泣かないでください」という歌詞に多くの日本人が感動しましたが、西洋人からするとごく自然な感覚なので、不思議だったそうです。西洋人にとって、お墓は遺体や遺灰を埋める場所で、わざわざ墓に行かなくても故人のことは心の中で思い浮かべればいいと思っているし、そこで泣く必要がないのは当たり前とのこと。日本人はお墓や仏壇の前で泣く、そこが形を大切にする日本人にとって気持ちを切り替える場所なのだろうということです。
カトリックでは何か告白したいことがあったら教会に行って神父に懺悔をします。プロテスタントが多いアメリカでは、懺悔の変わりに心理カウンセリングなどが必要となり、カウンセリングや心理療法が普及しました。作者は、日本で、欧米ほど心理カウンセリングが普及しない理由の一つに仏壇が関係しているのではないかと言います。日本人は仏壇に向かって、いろいろなことをご先祖様に手を合わせて報告してきた。心の拠りどころを求めた時、欧米人は心理カウンセラーがいて、日本人には仏壇がある。このあたりの比較はとても面白かったです。日本人にとって当たり前のことも、考えてみれば不思議なことかもしれません。
また、日本人の死生観は、考えれば考えるほど本当に不思議なことだらけだ、とも話しています。「永眠をした」と言ってみたり、「極楽浄土に往生した」と言ってみたり、仏教国でありながら「天国で安らかに」というキリスト教的な表現をする。日本人は、亡くなった人はどこへ行くのか表現するときに、「星だ」「極楽浄土だ」「天国だ」「眠っている」「死後はない」「魂はない」「生まれ変わる」などという。このように宗教、思想、概念、文学的な表現などたくさんあって、日本人は死についてどう表現するか特にこだわっていないように思えるのだ、という話も面白かったですね。
前半は、こうした日本人特有の考え方の話ですが、後半はお坊さんらしく、死を受け入れるにはどうすればいいかといった話が続きます。最近は、元気で長生きするのが美徳という風潮があるが、元気で長生きというのには、そもそも無理がある。命がある以上、いつまでも上り坂ではいられない。年を取れば下り坂、いつまでも元気ではいられない。腰が曲がったっていい、病気したっていい、やがて死んだっていい。死ぬことも悪いことではないのだ。どうぞ安心して年老いて、安心して病気をして、安心して死んでください。無理なく生きられるところまでは一緒に手をつないでいく気持ちで寄り添い、見送りたいものだ、と話してくれています。ちょっと救われる気がする話です。
そのうえで、生きている人にとって、今日この日は一回しかない。一回しかないこの日を生かすも殺すも自分次第だ。今日が最後だと思って、一日一日を大切に生きることだ。二度とない今日この日を、大切に生きたいと思う、と話しています。よく聞く言葉も、ここまでの流れの続きで読むと、そうだなあと素直に思いました。
この本は、まえがきでは、次のように書かれています。
就活、婚活、妊活、そして終活と、何事にもがんばる日本人は、死を迎えるときまでがんばりすぎだと思う。そんな日本人に「心配しなくても、死ぬ時がきたら死ぬから大丈夫だよ」と言ってあげたい。死があるからこそ、安心して生きられることに気づいてほしい。
そして、本の最後は次のように締めくくられています。
「終活」もそうだが死んでいくときまでがんばりすぎだ。年をとって、病気をして、安心して死ぬ。それで十分じゃないかと思っている。
なんかいいですよね、この力の抜けた感じ。こういうの、好きです。お坊さんにこんなこと言ってもらったら、安心しますよね。日本人の死生観も面白かったし、死を受け入れる話も面白かったです。他にもお墓やお経や戒名や法事の話も面白かったし、あっという間に読み終わりました。読んで良かったです。