「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

日本の政治が衰退した理由・2023年2月18日

2023-04-01 13:39:34 | 日本の政治経済

あるいは、日本の社会が衰退した理由でもあるのかもしれません。

2009年、政権交代が実現して旧民主党政権が誕生しました。日本国民の多くが、「これで日本は変わる」と期待したと思います。しかし、政権運営能力のなさと内部抗争により瓦解しました。

民主党政権が失敗に終わった本当の理由~悪いのは「マニフェスト」ではない
政権運営のためのOSをつくれず、社会変革への国民の期待に応えられなかった罪は重い
福島伸享 衆議院議員
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022071100006.html

大きな理由は、旧社会党の内部抗争体質を排除することが出来ませんでした。もう一つは、政権運営の経験が全くなかったことです。

小沢一郎が党首で、まだ民主党が野党第一党で自民党が末期状態のときに、ある人物の仲介で自民党と民主党の大連立政権が作られる予定でした。
ところが、民主党内の反対が強く話が流れてしましました。

歴史にイフが、あるとすればこの時です。
小沢一郎は、元自民党の大幹部ですから政権運営を知っています。小沢一郎が大連立政権を考えたのは、理由は一つしか考えられません。
連立内閣に大臣や副大臣、政務官を送り込み、政権運営を民主党の幹部に経験させ学ばせようとしたのだと思います。

小沢一郎の構想は、実現せず民主党は何の経験もないまま政権与党になりました。自分たちで政権運営能力がありませんから、結果として官僚機構に実務を「丸投げ」することになりました。

そして、政権与党になった後も内部抗争を続け、小沢一郎を排除しようとしました。これは、小沢一郎は怒るでしょう。小沢一郎が政権交代を実現した、大功労者です。それを追放しようとしました。

そんな中で、東日本大震災が起こり、福島第一原発事故が発生しました。どんな政党が政権の座にあろうと、非常に困難であったと思います。

しかし、それでも民主党の内部抗争は続きました。
国難ともいえる非常事態の中でです。
結果、プッツン!した元野田総理は、解散総選挙に打って出ました。結果、旧民主党は完全に二つに分裂しました。

その後は、旧民主党系の政党は国政選挙のたびに議席数を減らし続け、更に分裂を重ね、今では見る影もありません。

旧民主党は、分裂せず党内団結の道を探るべきでした。
解散総選挙は、してはならず何を言われようと任期満了まで、政権の座にとどまるべきでした。最低限、分裂しなければ、その後の流れは大きく違っていたと思います。せっかく二大政党制の基礎を作りながら、自らそれを破壊してしまいました。

だから、日本の政治改革は旧社会党や旧民主党以外の政治勢力が育ち大きくなる以外には、方法はないと思います。
国民の信頼を完全に失った政治勢力に未来はありません。

だから、国民自らが新しい政治グループを育てていかなければなりません。草の根民主主義ですね。言うのは簡単ですが、実行するのは困難です。しかし、やらなければ旧態依然とした日本の政治が変化することはなく、日本の社会も衰退していくと思います。

今の国会議員を見ていて思うのは、あまりにも社会の現実を知らなすぎると思います。だから何が問題なのか、どう政治を導いていくかが理解できないのであろうと思います。小泉・安部と続いた政権は、むしろ貧富の差を拡大し社会矛盾を拡大再生産しただけのように見えます。

岸田総理は、その矛盾に気が付いていると思います。
しかし、これまで長く続いてきた政治の流れを変えるのは、困難なことです。



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