「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

ワグネル事件>何故?プリゴジンはあれほど巨大化したのか?<2023年7月

2023-07-14 18:49:24 | ロシアと周辺国

エフゲニー・プリゴジン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B2%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%B3
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に詳しい記述があります。

普通の新興財閥とは全然違う政商と言うべき財閥のオーナーです。事業の始まりが1990年「ホットドッグを販売するネットワーク」ですから、それから33年後、今のような巨大な財力と権力を持つ姿など想像できません。

その後、レストランを経営します。これが大当たりで名レストランの評判を得て、プーチン氏がこのレストランを利用するようになります。これが縁でプーチン氏とのコネクションが出来ました。その後は、そのコネクションを生かして様々なビジネスを展開します。

そして、やがてロシア連邦保安庁(FSB)やロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)との関係が出来て、両方の機関の様々な活動を請け負うようになります。それを請け負うのがワグネルです。ロシア周辺やシリア・中南米・アフリカに活動の場を広げていきました。ほぼロシアの政府機関の仕事を代行していると言っていい状態になりました。

その後、ウクライナ紛争にワグネルが参加する過程で更にワグネルが巨大化していきました。その財力とコネクション、ワグネルの実力を背景に国防相と参謀総長との対立を激化させ、過激に権力闘争を行いました。

その権力闘争に敗れ、プリゴジンとワグネルはロシア国外追放になりました。

一個人が、どうしてこれ程までに巨大化したかを考えてみると、理由はロシア特有の腐敗と汚職。
それとプーチン氏の作り上げた独裁政治にあります。
独裁の方式は、対抗勢力を作り上げ競わせることで大きな勢力を作らない点に特徴があります。
ロシア軍とFSBの対抗勢力として利用しました。
それは、ロシアの外国での非合法活動を代行させることにも、繋がりました。そして、ワグネルが傭兵集団として強化される事にも繋がりました。

その仕上げが、ウクライナ紛争です。
ウクライナ紛争に参加することによりロシア国内で公然とワグネルの活動が始まり、募兵により戦闘員の数は一気に膨れ上がりました。囚人兵の募集がその主な数です。それにより最盛期には、推定最大6万人前後の兵力を擁するまでに膨れ上がりました。

その使い捨ての囚人兵を利用してバフムトで大きな戦果を挙げバフムト市街の占領でその仕事が完結しました。

これが、プリゴジンがロシア国内で巨大化した流れです。ウクライナ紛争がなければ、これほどまでに巨大化することは、なかったと思います。

巨大化しすぎたために、ロシア国防相と参謀総長との決定的な対立を招いてしまいプーチン氏も戦争を遂行しているロシア国防相と参謀総長に味方するしかありませんでした。

そのためロシア軍は、ワグネル解体に動きました。ワグネルを解体されれば、プリゴジンは自分の勢力の背景を失います。そのため武装蜂起と言う非常手段に出ました。

ロシア政府とロシア軍の方にも弱みがあったようでワグネルを鎮圧することは出来なかったようです。

そこで法律も何も無視した野合的合意が成立し、プリゴジンはベラルーシに追放されワグネルの部隊は、ベラルーシへの移動が認められました。移動するのは、元からのワグネルの傭兵だと思います。囚人兵など連れて行っても役に立ちません。

腐れ切ったロシアの社会とプーチン氏の独裁(プリゴジンの重用)が、今のプリゴジンを生み出しました。そしてその矛盾が、プリゴジンをロシアから追放することになりました。

始から終わりまで腐れ切った話で、結局腐敗して汚職にまみれ、しかも独裁政治を行う国は、必然的にこのような事件が起きるのであろうと思います。

「狡兎死して走狗烹らる」
とは、ならず走狗はベラルーシに逃走しました。
走狗は無力化されるのか?
まだ、ひと揉めあるのかもしれません・・
(何といっても、しぶといです。大変なのをプーチンは育ててしまいました。利用し尽くして潰す心算が潰せませんでした。極悪プーチンに妖怪プリゴジン?ロシアらしくは、あります・・)



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