「北の山・じろう」日記

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ジョージアは比較的上手くいき、ウクライナが上手くいかない理由<ウクライナ紛争2024.2.26

2024-02-28 01:42:18 | 中立の視点で見るウクライナ紛争

どちらも旧ソ連から独立した国です。置かれた政治的国際情勢的環境もよく似ています。
何がどう違うのか❓


バラ革命
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E9%9D%A9%E5%91%BD
2003年11月2日、グルジアでは議会選挙が行われたが、この選挙結果に対して国内外の選挙監視団体からはシェワルナゼ寄りの著しい不正操作があったとして非難された。

これに対してミヘイル・サアカシュヴィリに率いられた人々が抗議活動を展開し議会で議事を妨害します。
その後シェワルナゼは国家非常事態宣言を発し、治安部隊や警察をトビリシの大統領公邸に動員した。ところが軍部高官は政権支持を拒否し、結局シュワルナゼは大統領を辞任しました。
2004年1月4日、大統領選挙が実施されサアカシュヴィリが圧勝し、その後総選挙がやり直されサアカシュヴィリを支持する国民同盟・民主党が大勝しました。

こうして流れを見るとウクライナの2014年クーデターとは中身が全然違います。
その分、民主主義と言うべきなのかその度合いはジョージアの方が、はるかに上であったと言えます。
元々シャワルナゼ自身が、どちらかと言うと親欧米的な人間であり旧ソ連の改革派の政治家あったことが理由であろうと思います。
エドゥアルド・シェワルナゼ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%BC

そして独立後のジョージアでは、現在のウクライナと似たような政治環境がありました。

『ソ連崩壊後、グルジアのズヴィアド・ガムサフルディア大統領は民族主義と強権政治を強め、これにより民族紛争と大量難民を生み出した。1992年1月の反ガムサフルディア派によるクーデターでガムサフルディアはロシアのチェチェン共和国へ亡命した。混乱を極めるグルジアの国内情勢を立て直すために、かつてソ連外相としてペレストロイカを推進し、国際的に抜群の知名度を誇るシェワルナゼが擁立された。』

現在のウクライナが、ウクライナ過激民族主義者に乗っ取られ強権的な政治が行われているのと、全く同じ政治環境が独立後のジョージアにもありました。
その後起きたクーデター勢力の代表として、シェワルナゼが招かれ大統領としてその後のジョージアの改革と近代化を進めます。

やはり汚職のような矛盾は残ってしまい、それに反対して起きたのが「バラ革命」と言えます。

ジョージアでは、1992年に起きたクーデターがウクライナでは2014年に起きています。しかもジョージアとは正反対に過激民族主義者が政権を握ってしまいました。そして強権政治が始まりました。

そして「バラ革命」後生まれたサアカシュヴィリ政権は汚職の摘発など改革を進めます。
同時に強権的(独裁的)・個人腐敗的な性質も復活してしまいました。しかし、サアカシュヴィリ政権では腐敗・汚職の構造は随分改革されました。
しかし、ロシアとの対決姿勢を鮮明にしたことが、ロシアの軍事介入を招きました。

ジョージアには、ロシアとの戦争を終わらせ関係を修復する政治家がいました。
そして、サアカシュヴィリ政権の強固な反露・親欧米政策は終止符を打ちました。
ジョージアの場合は、ウクライナとは逆にロシアの軍事介入を招いたサアカシュヴィリが批判され支持を失いました。その理由・・
「大統領の権力集中への批判」
「ロシアとの軍事衝突を回避できなかった責任の追及」
(ゼレンスキーが絶対的な支持を持つウクライナとは正反対です。)

新興財閥のオーナーでビジナ・イヴァニシヴィリがいます。
2012年4月政党「グルジアの夢=民主グルジア」を結党し、同年10月1日の総選挙で第一党の地位を獲得。親サアカシュヴィリ派政権を内閣総辞職に追い込み、イヴァニシヴィリは首相が誕生します。
その後❓
2013年の大統領選後、長年の盟友であったイラクリ・ガリバシヴィリを後継者として政府と党における役職を自発的に辞職した。

政権交代と大統領選でサアカシュヴィリ派との勝利を確認した後、政治的役職からは身を引きました。

※つまり❓
ジョージアは、独立後の期間にこれだけの様々な政治的社会的改革がありました。
そこに多くの政治家や実業家が関与しています。しかし国を食い物にするような政治家はいませんでした。政変があるごとに、より良い方向に進んでいると言えます。

ウクライナは❓
ジョージアが1992年にやったことを2014年にやっています。正反対に過激民族主義者が政権を乗っ取ってしまいました。逆にダメになっているのです。
1992年クーデターでジョージアの人々は、過激民族主義者を追放しました。
それと逆のことを2014年にやっているようでは、時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ません。
これは、アメリカが関与して起きたことです。
だから❓
尊厳の革命
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E5%8E%B3%E3%81%AE%E9%9D%A9%E5%91%BD

綺麗な言葉でごまかします。
結論、これが現在のウクライナ紛争の原因です。

同じようにロシアの軍事介入を招いてしまったジョージアは、(2008年8月7日 - 8月16日)即座に停戦に動き取り敢えずロシアと妥協しました。
南オセチア紛争 (2008年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%83%81%E3%82%A2%E7%B4%9B%E4%BA%89_(2008%E5%B9%B4)

その後は、ロシアとの不和を招かないような外交を基本としつつ国内では比較的民主的な政治を実現しています。ジョージアは、ロシアとの平和的な関係を重視しながら国内では民主的な政治を実現しています。
そこにジョージアの政治家の知恵があります。

知恵がなく軍国主義と軍事力しかないウクライナとの大きな違いが、そこにあります。

さっさとロシアとの戦争を止めたジョージアは、特需に沸いてムフフ💛の経済成長をしています。

2年も戦争をやって、国内がボロボロのウクライナ。
ウクライナにいるのは軍国主義者でジョージアにいるのは政治家です。
その違いが現在の違いになって現れています。


※関連記事目次
「中立の視点で見るウクライナ紛争」の目次②
https://blog.goo.ne.jp/kitanoyamajirou/e/e2c67e9b59ec09731a1b86a632f91b27



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