天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2012年03月03日 19時29分12秒 | 大峰奥駈

   大峰奥駈七十五靡の名称と道程     宮城信雅 

   一  證誠殿(しようせいでん)

 

  本宮(ほんぐう)、熊野座神社(くまのざじんじや)の事なり。

  この三つを熊野三山(くまのさんざん)と云(い)ふ。古来中ゝ(こらいなかゝ)に熊野詣(くまのまう)での盛(さかん)なりし所(ところ)である。

  もと聖護院三山検校宮(しやうごゐんさんざんけんぎやうみや)の御支配(ごしはい)であつたのである。

  現今(げんこん)の入峯修行(にふぶしぎやう)では、吹越(ふきごゑ)で護摩(ごま)をたき、川を渡りて本宮(ほんぐう)に致(いた)りて参拝

  (さんぱい)し、それより湯峯(ゆのみね)に至(いた)りて宿泊(しゆくはく)し、薬師堂前(やくしどうまえ)にて採燈護摩(さいとうごま)を修(しう)し、

  翌日(よくじつ)、川舟(かわふね)にて新宮(しんぐう)に下り速玉神社(はやたまじんじや)に参拝(さんぱい)し、新宮(しんぐう)に宿泊(しゆくはく)し、

  その翌日(よくじつ)、那智山(なちさん)、飛龍権現(ひりうごんげん)、那智観音(なちくわんのん)、夫順美神社(ふすみじんじや)に参拝(さんぱい)

  して勝浦(かつうら)に出(い)で、汽船(きせん)にて帰(かえ)事になつてゐる。

 


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