群山の渓谷
大道
今度は藤木君に登山家の見た大峰の話を一つ願ひます。
藤木
私は余り大峰自体をよく知らない。国立公園として今後登山家を迎へる施設が何か、坂田さんあたり御計画がありますか。
露木
今は管理だけしてしてゐましたね、事業の行は予算の関係で何もやつてないんです。それで協会とか大軌とか、さういふ処の開発を待つより仕方ないので、今後何年かで徹底するか見当がつかぬ。
藤木
先刻大峰大台は山林の山であり岩の山であると申されましたが、そういふ意味からいへば日本屈指の処だと思ひますし、特徴をもつた処ですが、私も一つそれに加へて渓谷美も日本一だと思ふ。また海岸の紀州方面のお話もあつたが、いはゆる秩父古成層を流れる渓谷といふものは一寸他ではこれだけの処は少ない。従つて水も綺麗だしいはゆるはことが廊下とかゞあつて、それの大きくなつたのが瀞(どろ)で、あらゆる水の形、姿の美しいこと、いろいろのものをもつてゐる。特に渓谷美では北山川、吉野川の上流方面は立派なものをもつてゐる。最前お話の北山川下りなど他にもさういふものがないでもないが、非常に変化に富んでをつていゝ。
上平
大体この国立公園の吉野群山といはれてゐる処ですが、昭和十年辺りから、阪神の代表的登山団体は例年渓谷ルートの征服といひますか、さういふことをやつてゐるんですけれども、それに参加される方には概してお年寄が多いんですがね。さういふ方は矢張り山よりも渓谷と仰言やる。大体渓谷と申しましても本当のエキスパートの狭谷と、半分遊覧といふ峡谷とありますが、北山川は後者に属します。探検に属する方では先づ大峰山を中心として、弥山川、川迫川、前鬼川なんか有名です。処が大台を中心にしたものは、峡谷としましては大杉谷と東ノ川とがありますが、どちらかといふと大台を中心にした方が規模が大きい。東ノ川といふのは南に流れてゐるので非常に豪壮な内にも明るい。大杉谷は非常に珍しい形の瀧が多いのです。さういふ特徴をもつてゐる。殊に一般に大台ケ原として知られている大蛇(だいじやぐら)から西瀧中瀧、千石邊(せんごくぐらほと)りの谷を底から眺めた豪壮さといふものは他には一寸ない丁度蝋燭を立てた様な岩や、茶壺岩といふやうな岩が立つてゐる。大台の東側に面した岸壁の内に一つ千石といふのがあります。昭和十一年に私共そこを通りました時には、恐らく大阪ビルを二十位も合せたやうな大きさだろうといつてましたが去年大台教会から簡単に行けるやうにコースを作つたのですが、その上に私は道標を立てに行つた時、試みにどれ位の高さがあるか石を投げて見ました。岩の上から木につかまつて石の行方を見てゐますと、下に落ちた音は勿論聞こへませぬが、下の栂(とが)に当つてその木の葉の動くまでの時間を計つて見ますと、早いので九秒、遅いのは十一秒位かゝります。以て如何に大台が大きいかといふことが判りますが、先ほど大峰は岩の山、大台は樹木の山といふお話もありましたが、山の上はさうですが下から眺めると決してさうでない。大台の方が新しい岩登りの道場は幾らでもありますが去年は下市から洞川に行くまでに川合といふ処がありますが、川合から入つた八丁磧(はちてうかわら)にキャンプをしましたが、こんな気持ちのいゝキャンプは初めてゞした。仏法僧の声を聞きながら寝て、早朝そこを立つて弥山の小屋に泊まる予定で、食糧なんかそこから川合に返してしまつて、それから弥山川の谷を登ります。ザイルを上からずつと前日に下げて置いて、それを使つて登つて初めて成功したのでありますが、十八人のパーテイでしたが、五十尋位(ひろぐらい)の綱を使はなければならぬ処もあり、それを越えるに一人に五分も七分もかゝつたりして予定通り弥山に着けなかつた。弥山から川合の方に下る道に打つつからなければならぬのに、幾ら行つても判らない、日は暮れるし途中で泊まりましたが翌朝山の方に二三丁登つて見るとその道があつた。それを登ると支流との合流点があつた。支流に入つて行つたので本流の方は覆流(ふくりう)になつてゐて草などが茂つて谷があるといふことが判らなかつた。それでさういふ失敗をした訳ですが、弥山川なんかも新しい意味の非常に面白い処と思います。北山川の方はこれと比べると大変のんびりしてをります。
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