天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號(昭和十年一月一日発行) ― 修験道座談会 ―

2012年06月07日 20時14分35秒 | 修験道座談会

十二月五日聖護院門跡に於いて

在家仏教の先駆

藤井

大峰に対立する葛城には仏教渡来以前から道家の人が立籠つてゐたらしい。

中村

さうらしいね。雄略天皇が葛城山で鷹狩をせられた時長人を御覧になつたといひ、その長人は蓬仙に似てゐたといふやうなことも伝へられてゐるがこれなどは道教のことなんだね。

藤井

多武峰にも道教の観があつたといひますね。

中村

観は天宮のことで天を拝するところに名づけたものらしい。久米仙人がゐた久米寺も道教に関係があると思はれる。

藤井

醍醐の純浄観なども建物の名称としては他に例がない道教から来た名前ではないでせうか。

岩井

しかし観といふことは仏教ではやかましくいふのではないか。

藤井

勿論仏教の行法では観をやかましくいひますが建物を観と呼ぶのはおかしい。話が逆戻りしてまた道教が問題になつたが、私はどうも修験道といふよりも役行者の信仰には道教が混つてゐたと思はれてはならぬ。

宮城

密教は日本へ来る前に支那で道教と結びついてゐたやうですね。役行者は道教と結びついた密教を信じられたのではないでせうか。

岩井

要するに修験道は、天台、真言の教理が難解なところから平易を求めて一向宗が生まれたやうに、仏教渡来当時のむづかしい学問仏教を避けて平易簡易を求めて成立したのではないですか。

宮城

岩井さんの御説は御尤もで、修験道では役行者は聖徳太子の御精神を平民の立場で継承されたものとしてゐるのです。

本山執事 草分 氏

出家仏教ではなくて、優婆塞仏教、在家仏教が修験道の本領ですから、その点は真宗などゝ形が似ています。


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