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明るい母のその後の生活(4)

2010/04/15(木) 週末金沢へ行くことに。「寒いから冬の格好で」とTELあり。

2010/04/17(土) Tさんと金沢駅まで迎えにきてくれた。

2010/04/18(日) 卯辰山のお店で食事。少しずつたくさん食べた母。

この頃、入院先の病院でソーシャルワーカーの方から身体障害者手帳を作ることや、要支援1,2要介護1あたりのサービスを使うことを勧められた。先生からは「小さいガンはあるが、進行はとまっているであろう」「入院のままでも退院でもよい」「ご家族がどうしたいか」と。

2010/04/23(金) 「テンション低い」と母。GW、「1日から行く」と言ったら「そんな先のことはわからない」とも。

ある日の会話。私「春はどこいっちゃったんだろう。」 母「キキと一緒や。」

時々携帯のメールを、お見舞いに来てくださっている友達(特にTさん、同僚のNさんは毎日のように入れ代わり立ち代わり来てくださっていた)にうってもらっていた。

2010/05/01(土) 夜、金沢着。メールで何度も「今、どこや」ときかれた。

2010/05/03(月) 母の足がすごくむくんで太くなっていた。それでも………「(母が)楽しみにしとってんよ。」とTさん。母と私を七尾美術館へ連れて行って下さった。Tさんお手製レアチーズケーキも頂いた。これがとっても美味しい。母もお気に入り。車椅子で七尾美術美術館をまわったあと私だけ近くにあったこども図書館のような所へ。Tさんと母は喫茶店で待っていた。帰り道、病院へ寄って外出届けを外泊届けに変更。夕方、ラ・フォルジュルネ<毎年金沢で開催される数日間の複数クラシックコンサート。今年は母の大好きなショパン。4月12日に再入院する直前、ショパンのCDを聴き始めた母。「少し落ち着いた」と言っていた。>へ。

2010/05/04(火) Tさんの運転で、倶梨伽羅不動尊へ。母が車に積んでいた前年の破魔矢などを燃しに。お参り。杖をついて猫背で歩いている母に「おばあちゃん、元気でまた会おうな」と声をかけてくれたおじいちゃん。「今日はおばあちゃんデーや。」と母。母の希望でクラシックコンサートへ行くのをやめて『ぶどうの木』で食事。パスタを半分くらい食べた母。 

2010/05/05(水) 私だけバスで病院へ行き、薬をもらって戻った。その帰り道で、あったかイトオテルミーの施術をしてもらう為、金沢駅でやまむら療養所の方と待ち合わせた。母に「今から二人で行く」と連絡したら座って待っていた。

2010/05/06(木) 少し早めの誕生日プレゼントをあげた。母は病院へ、私は横浜へ戻った。弟とTさんに母の傍にいてもらった。

2010/05/08(土) 母から日野原先生の病院の資料を送ってほしいと、しっかりした文章のメール。これが最後のメールになった。

2010/05/09(日) 弟が母の日の花束を持って病院へ。私はショパンのCDとラジカセを持って行ってあげて欲しいと頼んだ。夜、容態がよくなく酸素吸入器からマスクにきりかえた、との連絡。胸のレントゲンを撮ったら右肺が真っ黒だと。肺炎もしくは癌性リンパ管症(肺のリンパ管に癌細胞が広がる)との説明。

病状説明書より

癌性リンパ管症であれば肺の状態としては末期状態。急速に呼吸状態が悪化する可能性もあります。数日~1週間以内に急変する可能性があります。急変時には末期状態でもあり、蘇生術は行いません。また、呼吸状態が悪化した場合には眠っている状態の方が御本人が楽な場合もあります。この場合は麻薬の増量や睡眠薬を使用する鎮静を行います。

弟とTさんが気をきかせて母には「肺炎」だと言った。母は「肺炎かぁ。」と笑っていたらしい。

2010/05/10(月) 私も病院へ。意識朦朧としながらも日野原先生の資料の話をきいてくれた。前に頼まれて買ってあった「ペシャワールにて」という本も読んで欲しいと弟に言っていたらしく、私も続きを読んであげた。でも、めざましテレビの時間には、テレビをつけてほしいと(!)。

弟が先生からいわれた注意事項

・酸素マスクは必ずつけておく・体を動かす時は必ずナースコール・左へ横になると呼吸が苦しくなる(左肺は生きているから)・ジュースや水は少しならOK、むせないように見る(⇒結局、霧吹きのようなのに水をいれて口をあけてもらってシュッシュッとやっていた)・食べ物は酸素を外さなければならず、苦しいかも…みていれば少しOK?(夜中に焼きたてのやわらかいパンが食べたいと言ってたらしく弟が買ってきたが食べてもらうことはできず)・マッサージは問題ない(弟の彼女さんがアロマで足をマッサージしてくれた)

時々酸素マスクを外そうとする。苦しそうなので麻薬の量を増やす。眠っているような状態が続く。看護婦さんから今晩そばにいてあげた方がよいとの助言。Tさん、Nさんも付き添って下さった。弟と4人でいろいろな話をした。母も時々会話に加わっているようだった。

10日は、20年前に亡くなった父(50才 H2-9-8 命日・戒名:皎月一寧信士)の誕生日でもあり。

2010年5月11日、午前中に母が他界しました。目をしっかり開けてこちらをみていました。最後の力をふりしぼっていたのだと思います。5月13日の61歳の誕生日を目前にしてのことでした。辛かったです。エリザベス・キューブラー・ロス女史の本などを読みあさりました。『永遠の別れ』という本は特に励みになりました。生きている間の終わりの方は、時間や空間(場所)の感覚がなくなってくるのかな、と感じています。そういうことを知っていたらもっと傍にいたのかもしれないな、とも思います。半年経って、やっと書けました。ブログの更新がこんなに遅くなってごめんなさい。

お世話になったKさん、Tさん、Nさん、植松先生、横川先生、O先生、F先生、ローラ浅田さん、母と交流のあったみなさま、励まして下さったみなさま、温かい言葉を下さったみなさま、本当にありがとうございました。

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あったかイトオテルミー

荻窪のみなみ施術所で『イトオテルミー』の施術をうけてきました。母に試したいと思い…。

イトオテルミーとは…(みなみ施術所Webサイトより)-----------------------------

イトオテルミー療法は伊藤金逸博士が、1929年(昭和4年)に発明した80年の歴史をもつ民間療法です。名前の由来は、博士の姓「イトオ」とギリシャ語の温熱を利用した療法を意味する「テルミー」からきています。

テルミーの温熱刺激は、自律神経系、循環系、内分泌系、免疫系の働きを調整して免疫増強による自然治癒力をたかめ、さらには体質の改善効果等を目的としています。また、血液やリンパの流れを促進させ、疲労回復、筋肉のこり等をほぐし消火器系の働きを活性化させる効果もあります。-----------------------------

とっても、気持ちよかったです。「熱が入った」とかの感覚はわからないのですが、帰りの電車で背中や腰がほっかほか。そして帰宅してから眠気がすごくて超ぐっすり。最近、右腕が痛かったのが、そういえば治ってます★

出して下さった手作りお菓子&ルイボスティーも、とても美味しく頂きました。施術して下さったみなみなつよさんは、アートな活動もされているので、そのあたりのお話もできて嬉しかったです。お部屋に飾ってあった作品、素敵でした~~。左のサイドバーにリンクを貼らせて頂いております(natsuyo minami)。

この日は、到着時間が早かったので近くの公園に行ったら、ガンジーの銅像にであいました。中学1年生の時、学校から映画を観に行って衝撃を受けた方です。七つの大罪というのが書いてあり

・自己犠牲なき信心

というのにドキッとしました。

後日、金沢でやまむら療養所という所を知り、外泊中の母にも施術して頂きました。あとから「刺激的なあつさだった」と言っていましたが、気持ち良さそうでした。今後も続けていきたいです。

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明るい母のその後の生活(3)

退院後

2009/12/24(木) かきを食べて下痢?翌日何回もトイレへ行った。

2009/12/26(土) 脱水症状で点滴。

2009/12/27(日) 私が金沢へ。母は駅まで迎えにきてくれた。昼食におそば。Tさんが15時頃、家に来て下さった。17時頃、弟も来て夕食を食べに外へ(しゃぶしゃぶ)。

2009/12/28(月) 11:30頃、病院。14時頃、スーパー。15時頃、MOAへ。

2009/12/29(火) 母は午前中、寝ていた。

2009/12/30(水) 追加で注文した年賀状100枚をとりに行く。お昼は友達がいる喫茶店“トリゴ”へ。隣の方が鮎の甘露煮をくださった。夕方、体調不良。

2009/12/31(木) 弟も揃い、3人で食事。母は元気。私は1ヶ月に1回以上、帰省することにした。

2010/1/23(土)~25(月) 私が金沢へ。洗濯物を干すのがつらいようで、乾燥機を使ってストーブの前で乾かすようになった。

2010/2/20(土)~22(月) 私が金沢へ。たくさんある植物への水やりは、ペットボトルに水を入れて少しずつ。

2010/3/6(土)~8(月) 私が金沢へ。少し前に、夜中に息苦しいと弟に連絡があり、病院へ行ったということがあった。その時は異常なしということで帰った。

2010/3/22(月) 「友達の絵を観に六本木(新国立美術館)に行くから飛行機を予約してほしい」と言っていたが、翌日、背中が痛くなる。病院に検査入院。

*背中は異常なし

*胸に水はたまっていない

*時々息苦しくなるのは、肺が小さく、うまく機能しないことがあるからであろう

2010/4/2(金)~4(日) 私が金沢へ。Tさん、送って下さってありがとうございました!母は外泊させてもらい、家へ。

2010/4/6(火) 弟と先生の話をきいて退院。ソーシャルワーカーの方を紹介してもらった。

2010/4/10(土) もともと予約していたチケットで私が金沢へ。羽田へ行く前に、新国立美術館で母のお友達の絵を観ました。『運河』というタイトルで、水の様子が美しく、とっても素敵でした。中村哲さんが書かれた“ペシャワールにて”ともう1冊を持っていき、母へ。体調不良で、翌日のお茶会欠席連絡。

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2010/4/11(日) 早めのお昼を食べて、お昼寝。しっかり寝て起きたら、好調で16時頃、Tさん宅へ。はるかちゃん達がいて、にぎやかに過ごした。はるかちゃんは、メモ用紙で舞台を作り、お話を作ってきかせてくれた。妹のさなちゃんは、お姉ちゃんの真似をしたくてしょうがない。はるかちゃんと、しかけ絵本『ティムのすきなきらきら』を作る約束をしてキットを置いてきた。

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2010/4/12(月) 書類提出ときれた薬をもらう為、病院へ。先生が呼んで下さって、息苦しくなる事が不安ならば酸素吸入の機械を自宅に設置して、携帯のものも使ったらどうか、と提案され早速その日に設置したが、やっぱり1人になった時は不安だということで、再入院。「呼吸に自信がついたら退院しましょう。」と先生が言って下さった。翌日の夜、私は横浜へ戻った。

2010/4/14(水) 京大の温熱療法を調べていたら、「呼吸リハビリ」というのが載っていたので、伝えた。複式呼吸をすると良いらしい。

①寝て、足の膝を曲げたてる。

②手を胸とお腹にのせ、鼻から息を吸いながらお腹をふくらませる。

③口をすぼめて息をゆっくりはく(吸う時の2倍の時間)。

 

いつもご心配下さる皆様、力になって下さる皆様、本当にありがとうございます。今後も、どうぞ、よろしくお願い致しますm(_ _)m

 

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明るい母のその後の生活(2)

2009/07/06(月) 体調不良により点滴。

2009/07/22(水) 入院。

2009/07/23(木) ゾメタ(ビスホスホネートと呼ばれる種類の薬で、骨を壊す破骨細胞という細胞の働きを止めることで骨からのカルシウムの放出を防いだり、骨のがんによる骨の変化を抑えたりするのだとか)点滴。様子をみて体調が大丈夫なら、今後、定期的に。

2009/07/27(月) 体調OK。14時、退院。

2009/08/03(月) 少し前から時々行っていたMOA金沢で「継続」治療。もみ返しのような痛み。悪いものが出きるまで痛いらしいので、旅行に合わせて一時中断してもらった。

2009/08/14(金) ハローワーク、お墓参りへ。 

2009/08/15(土) 長野県安曇野市穂高有明にある、穂高養生園へ。

金沢⇒糸魚川。0201_2 大糸線で糸魚川⇒南小谷。南小谷⇒有明駅へ向かう。南小谷で乗り換えた時、隣に座った少年がスケッチブックを持っていて「上手だね~」と母が話しかけると「個展もやったことあるんです」と!そちらは立体作品だったそうですが。。。大阪に住んでる元気な小学生でした。

有明駅からはタクシーで穂高養生園へ。03

05 受付で、ゲルマニウム温浴を予約。ヨガや朝の散歩は参加自由。食事については、こんな風に書いてあります。“食事はマクロビオティックをベースとした玄米菜食。新鮮な食材、安全な調味料を使い、キッチンスタッフがていねいに心を込めて作ったお料理。食事の回数も1日2回(10時半と17時半)。お腹がすいた!という感覚を味わってください”と。裏には畑があり、採りたての食材で丁寧に作られていて、とっても美味しかったです。フレッシュハーブや3年番茶も置いてあり、自由に飲めるようになっていました。

0406

0708 部屋に入ってしばらく寝た母。起きて、周辺を散歩。自然を満喫。ツユクサやミズヒキが無茶苦茶綺麗でした。

いつもお世話になっているK&Tさん、穂高に行くなら…と「わさび園」のことを教えて下さいました。09  とても広くて、きれいでした。黒澤明監督が「夢」という映画を撮るときに造った水車もありました。ボートをみて母も「乗る」と。涼しい気分を味わいました。

穂高養生園への帰り道、「森のおうち」美術館へ。その時の話はコチラ

ゲルマニウム温浴で汗をかき、部屋に戻って、貸し出し自由の本を読んだり、お茶を飲んだり。ゆったりした時間を過ごしました。

2009/09/23(水) 私が金沢へ行き、二人で秋元順子さんのコンサートへ。

2009/09/24(木) 母と羽田へ 母は、横浜の同級生の家へ泊まらせてもらった。

2009/09/26(金) 横浜パシフィックでの日野原重明先生の講演&対談へ。翌日、帰った

2009/10/15(木) 「ペシャワール」について調べて欲しいとのこと。

2009/10/31(土)~11/3(火) 私が金沢へ。

2009/11/13(金) 右足親指爪の巻き爪が治らないので手術。もと同僚のNさんが送迎して下さった。ありがとうございます。

2009/11/19(木) 病院の駐車場で迷子になり、雨の中歩きまわった。

2009/11/22(日),23(月) 左足のつけ根が痛む。

2009/11/26(木) 入院。痛み緩和&リハビリ中心で2~4週間の入院といわれる。大変お世話になったKさんが脳梗塞でなくなられた。心よりご冥福をお祈りいたしております。

2009/11/27(金) 皮膚科で帯状疱疹の薬をもらった。身体が弱っていると出やすいとのこと。

2009/11/28(土) Kさん告別式。母と弟の気持ちも抱えて私が出席。Nさん、送迎ありがとうございました!

~続きは後日書きます~  

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明るい母のその後の生活(1)

2009/03/31(火) 検査。肺の水の量の様子をみていくことに。次は2週間後。

2009/04/14(火) 検査。水の量はかわっていないので、また様子をみることに。

2009/04/28(火) 検査。水の量が増えていた。2週間後の様子をみて水を抜くかもしれないことに。

2009/05/05(火) 風邪気味。翌日、仕事の合間に病院で薬をもらった。

2009/05/06(水) 報道ステーションでローラ浅田さんのこと、放送された。

2009/05/10(日) アメリカの絵本作家、ターシャ・テューダの展覧会へ。

2009/05/12(火) 検査。水の量が増えている。 

2009/05/13(水) 還暦。定年退職おめでとう!!

2009/05/17(日) K&Tさん、弟&Mちゃん、私とで、小松のお旅祭り【おもてなし池田】にて還暦祝パーティ。鯛の塩釜焼きをマスターからプレゼントされました!Kさんがマスターに「どれくらい時間かかるんや?」と聞いたら「3分」と冗談で返してくれましたが、料理人の弟によると、塩加減、焼き加減ともに難しいらしいです。どちらも最高でした!

   Img_0425 Img_0457 お店の窓からみえる風景。時々、カモシカがいるそうです。先日は猿の軍団が通ったとか!最初に2匹くらいで様子をみにきて、その後、集団で来たのだと。おもしろい~~~。

2009/05/26(火) 胸膜癒着術を行うことに。CT・レントゲン検査。

2009/06/01(月) 入院予定の病院へ。4人部屋。

2009/06/02(火) 夕方、胸の水を抜くためにわきから管をつないだ。

2009/06/05(金) 骨シンチ検査。

2009/06/06(土) 管とりかえ。検査の結果、悪いものはナシ。「運動しなさい」と言われ、売店や1階のタリーズコーヒーへ。

2009/06/08(月) 胸膜を癒着させるための薬を入れた。

2009/06/10(水) わきの管がとれた。午後、38度くらいの発熱(癒着させるための症状)。

2009/06/13(土) 外泊許可をもらい、自宅へ。

2009/06/14(日) お茶の式へ出席。21時前、K&Tさんが車で病院へ送って下さった。

2009/06/15(月) 検査の結果で、退院の日決定とのこと。

2009/06/18(木) 退院。元同僚のNさんが送って下さった。

入院中にみたDVD『名犬ラッシー』『子鹿物語』(10歳くらいのエリザベス・ティラーが出ていてとても綺麗だったとか)良かったらしいです。退院後もいろいろやらなければいけない事があるらしく、充実した毎日を過ごしているようです。ご心配下さった皆様、ありがとうございます。これからも、どうぞ、よろしくお願い致します。m(_ _)m     

 

 

 

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母の明るいがん治療⑭

お祈りして下さった皆様、ありがとうございました!!!m(_ _)m

おかげさまでイレッサはとても良く効いて、左肺にあったがんが小さくなっていました。

2009/03/03(火) 昼食後、注射をしてイレッサ開始。咳止めの漢方薬は中止。

2009/03/04(水) 下半身いたむ。

2009/03/06(金) 下痢気味。

2009/03/09(月) レントゲン検査結果、左肺にあったがんが小さくなっていた。

2009/03/12(木) 放射線をあてる治療修了。

2009/03/14(土) 退院。月曜に町田の先生に会う予定。

2009/03/16(月) 町田で先生に会い話した結果、しばらくは地元で診てもらうことに。 

2009/03/17(火) 地元の病院へ。イレッサの効果をみていくことに。次回は31日の診察。 

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母の明るいがん治療⑬

<母の肺がんピンポイント照射治療後~1年7ヶ月後の現在>

2009/01/21(水) ローラ浅田さんなくなられる。ご冥福をお祈りいたします。

2009/01/26(月) 弟が付き添って、電車と飛行機で鹿児島へ移動。夕食を【とみよし】で。

2009/01/27(火) 検診。UASオンコロジーセンター 植松先生にみて頂き、肺と下半身に数箇所みつかった。無気肺。肺には水も。すぐにピンポイント放射線治療開始(日曜以外で1ヶ月半位)。退院後、東京の町田で少量の抗がん剤で治療されている先生の所で診てもらったらどうかとすすめられる。お昼を、母が紹介して治療を始めたYさんと一緒に。楽な治療に大変喜んでいらっしゃったそうです。

2009/02/07(土) 食堂での御飯のあと、仙巌園へ。梅が綺麗。

2009/02/11(水) 一時退院。17時すぎに金沢着。K&Tさんと天一という天ぷらの店へ。美味しかった。咳を薬でおさえている(カフデコN錠を平均4時間ごとくらいに飲んでいる)。

2009/02/12(木) 車での外まわり後、K&Tさんの家で、(白山名物)でかなめこ、ふきのとう・たらのめのてんぷらなどなど覚えきれないくらいのものをご馳走になる。

2009/02/13(金) 車での外まわり後、K&Tさんの家で、鯖の塩焼き、干しくるまだい、油あげ・わさび・すった山芋・のりのサンドなどなど、たくさんの美味しいものをご馳走になる。母は、夜中も、咳がでていた。

2009/02/14(土) お茶のお稽古、車での外まわり。夕食は、和風中華【招龍亭】で。石川県金沢市大野町が舞台の映画【しあわせのかおり】(主演:中谷美紀さん、藤達也さん。4月にDVD発売予定)の三原光尋監督を迎えての食談。

2009/02/15(日) 再び、鹿児島へ。

2009/02/16(月) UASオンコロジーセンター にて ピンポイント放射線治療 開始。

2009/02/18(水) 平均して4時間ごとに飲んでいた咳止めが、3時間ごとのペースに。

2009/02/19(木) 診察。肺の水が多くなっており、呼吸器科のある別病院での胸膜癒着術をすすめられる(1週間位の入院が必要)。

2009/02/22(日) 雨の中、空港送迎バスのバス停まで迎えに来てくれた母と一緒に外食。長く歩くと足が痛くなるので、近くの喫茶でサンドイッチとコーヒー。

2009/02/23(月) タクシーで病院へ。診察を受けると「後のフォローを考えて地元での処置」をすすめられる。この日は、500ccの水をぬいてもらった。1週間後に細胞検査の結果をききにくるよう言われる。夕食はパスタ。

2009/02/24(火) UASオンコロジーセンター 植松先生に経緯を説明。様子をみて、地元へ戻ってからの処置を考えることに。昼ワッフル、サラダ、コーヒー。14時からピンポイント放射線治療。夕食は月見とろろそば。タクシーで銭湯の霧島温泉へ。熱いお湯で元気が出たと母。

2009/02/25(水) 朝一でピンポイント放射線治療Photo_2 昼は【とみよし】のランチ完食。タクシーでPhoto鹿児島中央駅へ行き、映画『マンマミーア!』を観て、バスでドルフィンポートへ。夕食は回転寿司。美味しい~とパクパクッ。あさりの味噌汁も。タクシーで銭湯の霧島温泉へ。一瞬、貸切状態に。

2009/02/26(木)  UASオンコロジーセンター 植松先生の診察で町田へ行く日を早めてもらうことに。退院のタイミングで行かれるようにして下さるとの事。

夕飯はカレーとナン。美味しくて完食。

タクシーで湯の山温泉という家族風呂へ。ぬるめのぬるぬる湯。

2009/02/27(金)  UASオンコロジーセンター 植松先生から呼ばれ、イレッサという抗がん剤の事をきく。来週の火曜から開始することに。

動脈の血液検査。体内の酸素濃度が重要らしい。咳止めをカフデコN錠(白)から漢方薬(チクジョウタントウ食前3回)にきりかえる方向に。今、他に飲んでいるのはロキソニン錠、セルベックスカプセル50mg。

昼、天文館地下の喫茶店ルパでカレーとサラダ、コーヒー、完食。バスで鹿児島中央駅へ行き、映画「チェンジリング」を観た。夕食はアサリパスタとポットパイ。

2009/02/28(土) ピンポイント放射線治療後、昼を【とみよし】で完食。夕食は、天文館の喫茶店でサンドイッチとコーヒー。病院へ戻り、タクシーで銭湯の霧島温泉へ。前回と同じ運転手さんで、帰りの料金をおまけして下さった。

2009/03/01(日) 外出せず。

2009/03/02(月) ピンポイント放射線治療後、細胞検査の結果をききに。250ccの水をぬくことに。14時半頃戻った。

いよいよ、明日からイレッサ開始。入院先の先生が持って来て下さった。レントゲンも撮った。 別の病院では、イレッサを飲んで肺にたまった水がなくなった方もいらっしゃるとか。

どうか、母の身体に効きますように!このブログを読んで下さっている方、一瞬でも母の為に祈ってくださると、ありがたいです。どうぞ、よろしくお願い致します。m(_ _)m

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母の明るいがん治療⑫

<母の肺がんピンポイント照射治療後~1年6ヶ月後の現在>

2008/10/17(木) 股関節に人工関節をとりつける手術の為、入院。 

2008/10/21() 1330 麻酔 1400 手術開始 1710 手術室から集中治療室へ。無事に終了。

2008/10/22() 朝、小松空港まで迎えに来て下さったK&Tさんと病室へ。身体が横になってはいるものの、看護士さんと話していて、顔は元気な様子。ただ、自由に動けない事が辛そう。

その日のうちに集中治療室から隣の個室へ、ベッドごと移動。夕方、K&Tさんがいらして下さり、毛布を取りに行き、病室に一晩泊まった。母は夜中に睡眠剤をもらっていた。

【私の夕飯を心配して下さったK&Tさん、美味しいカレー屋があると『Siesta』というカフェに連れて行って下さいました。季節限定の焼き野菜カレー(以前、Tさんが作ったものを出して下さったことも)と少し頂いたポークカレー、美味しかったです。お店の雰囲気がかわいらしく、気になるギャラリーのチラシも置いてありました。チャンスがあったら行ってみたいと思っています。】

2008/10/23() 母、朝食は食欲がわかず、食べなかった。みかん等は大丈夫。

立ち上がってみる。数歩、すぐに歩けて皆に驚かれる(関節痛に悩むお年寄りの方が受けることが多い手術だからだと思われます)。

2008/10/29() 大部屋へ移動。

2008/11/01() 午後、小松へ。またまた迎えに来て下さったK&Tさんと病院へ。病室へ行くと、母見当たらず。食堂でお見舞いに来て下さった方と話しこんでいた。杖を使ってゆっくり歩ける様子。最もいけないのは、横座り・内股。手術時に脱臼させているので、骨が外の方向にいきやすいらしい。「がに股で歩く」くらいの意識がちょうど良いと理学療法士の方が教えて下さった。

食欲の出ない母の為にTさんが焼いたさんまや、いちじく、柿などを持って来て下さっていた。毎日いらしてくれている。本当に、感謝、感謝ですm(_ _)m

更に、退院後の生活の為のベット(布団のあげおろしは大変なので)を、Kさんが知り合いの家具屋さんに交渉して下さって、とても安く購入。ありがとうございました!

また、Tさんのアドバイスにより寝室となる部屋の窓へカーテンレール&カーテンを弟が取り付けた。

21 2008/11/8,9(土,日) 外泊してベッドで寝てみる。金沢21世紀美術館に飾られていたローラ浅田さんの絵を観に行く。ローラさん、K&Tさんと一緒に。 描かれた方は、ローラさんのご両親とお知り合いで、この時初めて御本人と会われた。絵は後日、ローラさんに贈られた。

ロサンゼルスの風景をバックにピアノを弾いてるローラ浅田さんとご両親の絵。左が描かれた方、右がローラさん。

2008/11/15(土) 無事に退院。

2008/12/06(金) 金沢へ。金沢駅まで車で迎えに来てくれた母と「8番ラーメン」へ。

2008/12/07() K&Tさん、母と、おいし~っい手作り料理&店構えも手造りの『おもてなし池田』へ。1日2組限定の素敵なお店。ランチ後、七尾美術館へ。Tさん、吹雪の中の長時間の運転、本当にどうもありがとうございましたm(_ _)m。その時の話はコチラ

11月末に厄払いの為、くりから不動尊へ行った時、母の傘に落雷!? ビリリっときて、思わず傘を手離したという話を聞いた。結局、この日は厄払い出来ず(来月来て下さいとの事)。

美術館には入らなかったが、母は、ゆっくりしっかりと歩いていた。

2008/12/08(日) 入院中のローラ浅田さんのお見舞いへ行く。

2008/12/28(日) 金沢へ。小松空港行きのバス乗り場が東口から西口に変わっていた。母は、ひょこひょこと普通に歩いている。有休が無い為、30日まで仕事!

2008/12/29(月) 19年、一緒にいた猫のエディが出て行ったきり、帰って来ず。

2008/12/30(火) 14時からおぼうさんがいらして、早めてもらった(本当は1日)ばあちゃんの月命日のお参り。弟と二階部屋の整理。

2008/12/31(水) 弟もまじえ、母が予約していたおせちを取りに行き、K&Tさん家へおすそわけ。でもそれ以上にご馳走になる。

2009/01/01(月) くりから不動尊へ初詣&厄払い。今年は還暦。

2009/01/05(月) 仕事始め。鹿児島での検査(3ヶ月毎の)予定は1月27日。

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母の明るいがん治療⑩

<母の肺がんピンポイント照射治療後~11ヶ月後の現在>

2008/05/13(火)  59歳の誕生日。UASオンコロジーセンター、植松先生に電話で相談したところ、すぐいらっしゃいとのこと。

2008/05/14() 15時に弟に送ってもらい、小松空港へ。松葉杖を預け、車椅子での移動。JALの優先搭乗がありがたかった。21時過ぎに鹿児島空港着。市内に着いてからやっと夕食をとり痛み止めを飲む。セントインホテル到着。お風呂にも入り、薬も効いて少し楽になった様子。

2008/05/15() 朝から診察と入院の手続き。16時からUASオンコロジーセンター植松先生の診察予定。15時半すぎに「いつでも診察にいらして下さい」との電話をいただく。松葉杖をつきつつゆっくり向かう。話をきき、早速治療も。

*足の付け根の一部にあるだけだから、そこの病巣と周辺を様子をみながら放射線をあてましょう。

*最初の12週間は痛みを取り除く為に全体にあてて、その後ピンポイントでもやりましょう…4週間位で終わるでしょう。

*内臓にあてるのではないから、前より楽でしょう。

とのこと。先生の説明をうかがうと、すぐに消えてしまうようで一気に気持ちが楽に!そして、もう一度、写真をお願いすると快く了解して下さった。P5150005

P5150006その後、昨年の531日にも行った、フランス料理の店「とみよし」P5150003 でランチ。松葉杖を見て、お店の方が入口近くの席を案内して下さった。メインはホタテと金目鯛。前菜はレンズ豆と白いんげんのスープ。フランスパンとデザートの蜂蜜のアイスクリーム、ココナッツのブラマンジェ、食後の濃いコーヒー、どれも美味しかった。夕食は別々に。母は食堂で再会した人が居て話が弾んだそう。

2008/05/16() 11時から、治療。携帯ラジオやマグカップを揃え、私は羽田へ。通り道にマザーテレサの言葉が書いてある。「大切なのはどれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」日本の宗教よりわかりやすい、と母。

2008/05/17() 本来は土日に治療はないが、痛みのあるヒトは治療してもらえる。母は10時から。気にかけていた祖母の四十九日…無事終了。

2008/05/18() 治療なし。 

2008/05/19() 11時から治療。痛みについて尋ねたら「まだ痛いね」。

2008/05/20() 11時から治療。この日も痛みについて尋ねたら「痛みはまだある」という答えにかわっていた。

2008/05/21() 11時から治療。ずい分痛みがひいたようで、松葉杖なしで治療へ向かったと!治療後、遠出をしてコンビニへ行き、ちょっと痛みが戻ってしまった。

2008/05/22() 11時から診察&治療。今日も松葉杖なしで。植松先生に「痛みは最初が10だとしたら今はいくつくらいですか」と聞かれ「4くらいです」と答えた。

2008/5/2324(金・土) 11時から治療。

2008/05/25() 治療なし。昼食で退院される方の送別会で回転寿司へ。金沢より美味しかったと!?

2008/5/2631(月~土) 午前中の治療。木曜の診察では「痛みは2くらい」と答えた。金曜は映画へ。

2008/6/1(日) 病院で知り合った福岡に住んでいらっしゃる元気な8?歳の女性とホテルでサンドイッチ・パッションフルーツを食べた。

2008/6/27(月~土) 午前中の治療。痛みを取り除く照射から、患部への照射へ。水曜、以前、病院で知り合った大阪の女性と1時間電話でおしゃべり。「大阪ガン患者の会」に来ないかと誘われる。ローラさんの藤沢ライブ(15日)も行きたい。

木曜の診察で「照射したところはもろくなっているので、3ヶ月位は気をつける」ように言われたので、大阪行きと藤沢ライブはやめておくことにした。13日(金)の退院は決定。金曜、13:20からPET検査。結果は来週の木曜。

2008/06/08() 治療なし。

2008/6/912(月~木) 午前中の治療。木曜の診察にてPET検査は異常なし!

2008/06/13() 退院。飛行機で鹿児島→福岡→小松へ。松葉杖で移動。車椅子には乗らなかった。同僚のNさんが小松空港へ迎えに来て下さった…サプライズでローラ浅田さんも一緒!! ★藤沢ライブの様子はコチラ★

2008/06/14() 自家用車で、富山県射水市の『大島絵本館』へ。K&Tさんに、またまたご馳走に。P6140017サラダソーメン、鯛とぶりのお刺身、ニシンの昆布巻き、山形の"元気だし"がのった冷奴…そして、昨年一緒に食べられなかったからと、牡蠣も用意して下さった。本当に美味しかった\(^o^)/仕事開始は23日(月)から。

P6140018_2

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明るい母のがん治療⑨

<母の肺がんピンポイント照射治療後~10ヶ月後の現在>

2008/03/22(土) 夕方、祖母が嘔吐。施設にある点滴や酸素吸入の使用頻度が高くなり食事をうけつけなくなっていた。

2008/03/24(月) 母は年末くらいから耳が聞こえにくく、度々耳鼻科へ行っていた。耳垢がたまりやすくなっているらしい。 

2008/03/25(火) MRI検査。結果は4月15日にきく。 

2008/03/31(月) 施設から祖母の容態が悪いと伝えられ、泊まりこむことに。

2008/04/01(火) 早朝、祖母が亡くなった(87歳)。施設で化粧をしてもらい、自宅へ。祖母の夫の育ての親の息子さん夫婦や、祖母の夫の会社の後輩、祖母の本家の方達への連絡、通夜・告別式の準備で慌ただしくなる。Kさん&Tさんも来て下さり、Tさんがおにぎりや味噌汁を作って下さった。 

2008/04/02(水) Kさんがコーヒーをたてて下さった。19時から通夜。友達や会社関係のたくさんの方が来て下さった。受付を昨年町会長だったお隣の方とTさんにお願いした。

2008/04/03(木) 14時から告別式、中陰。母は、食事が始まる前の挨拶で祖母のことをしっかり皆様にお伝えした。夕方、花や菓子を持ってご近所へのお礼の挨拶へ。遠方の方は後日、車で伺うか、電話でお礼。仕事と違う疲れが。 

2008/04/08(火) 万象くりあわせてSTOPしていた仕事 を再開。 

2008/04/09(水) CT検査。咳がたびたび出る。

2008/04/15(火) 検査結果で左足の大腿骨に異常がみられたので、翌日MRI検査を受けることに。かなりの衝撃。 

2008/04/16(水) MRI検査。翌週の火曜に結果をきくことに。UASオンコロジーセンターに電話。18時前に植松先生の方から電話をかけなおして下さった。「GWは休みだが、検査結果の写真を送ってもらえればGW前に、こちらで治療できるか返事をする」「痛くないなら、そんなに心配することはない」とおっしゃっていたそうで、すこし気が楽になったと母。 

2008/04/22(火) 検査結果で左足の大腿骨にがんがあると思われる。病院で'鹿児島で治療を受けますか'といわれた。すぐに写真と手紙を鹿児島の方へ送ってもらった。

2008/04/25(金) 植松先生が返事を下さる。鹿児島で入院して、UASオンコロジーセンターでの治療決定。5月21日から、5~6週間。(検査結果の写真が別の場所に届いてしまったらしい・・・もう少しで迷子になるところだったとか。ちゃんと手元に届いて良かった~。) 

2008/04/29(火) Kさん&Tさん、母と自分とで「招龍亭」で中華のコースランチを一緒に食べた。 

2008/04/30(水)  仕事からの帰宅後、ローラ浅田さん(30歳で渡米し、ロサンゼルスで弾き語りシンガーとして活躍。乳がんを再発し多発性進行がん第4期と診断された。これを機に、支えてくれた人への感謝の気持ちと自らの生き様を伝えたいと金沢市を中心にライブ活動を始めた~音楽工房ビブラソンHPより~ 昨年12月13日にNHKにデジタル衛星ハイビジョンで「私のいのち歌にこめて・金沢ジャズシンガー30年目の帰郷」という番組が放送された)宅にて、ミートソーススパゲティ&サラダをごちそうになる。同僚の方のご近所さんという事で知り合った。お茶のお稽古場の近くでもある。

                                                       2008/5/03(土) 仕事が休みに入る。友達の運転で能登の穴水まで山菜採りに。なんと、高速道路で突然車に振動が!ゆっくり隅に寄せる。パンクはしていない様子だが、タイヤのカワ?がめくれていた!JAFを待つ。20分後に来てくださり、スペアのタイヤと交換してもらう。場所が海沿いだったので海をみながら待つ。貝をとっている人がチラホラ。「待っとる間に貝でもとりにいく?」と冗談も。その後、山のようにわらび・ふきを採って帰った。Kさん&Tさんへもおすそわけ。夕食とコーヒーもご馳走になった。Photo

せっかく買ったアジの切り身があるからと、収穫した山菜のあくとり作業が終わったあとの23時頃から『押し寿司』を作り始めた。

← 祖父母の特注の『押し寿司』用木枠。

Photo_2Photo_3ふたを開け、薄板を敷き酢飯を平らに入れ、アジ(塩してあったのを酢につけたもの。サバの時もあり。)・千切りしたしょうがを並べ、また酢飯をひき、紺のり・干しエビをのせ、薄板・アジ・しょうが・酢飯、塩した大根・しょうが・干しエビ・紺のり、薄板、アジ・しょうが酢飯、大根・干しエビ・紺のり・薄板・・・と交互に入れていく。

ふたをして重いものをのせ、一晩おく。翌朝(BESTは夜)、ふたをとってきりわけていただいた。色も綺麗で美味しい!!!

 

2008/05/04(日) Kさん&Tさんと白山市へ。前回の鹿児島での入院前に行った'おぼけ杉'近くの行列の出来る大判焼き屋さんや「白山郷の市(いわなの塩焼きが美味しい)」「せせらぎ(いちごのソフト&ミニトマトがGOOD)」へ。美味しいお蕎麦屋さんへ寄って帰宅。

2008/05/08(木) 足がふんばった時や歩き始める時に痛み出した。

                                                  2008/05/09(金) あんまり痛むので手術して頂いた先生に電話して、紹介してもらった病院へ。松葉杖をつくことに。鞄を持たなければいけないので仕事中は片方の杖で歩く。慣れないので今度は手が痛くなる。                                        

                                                   2008/05/10(土) 痛みがやわらいだので、予定通りお茶のお稽古へ。20日にお茶会がある。植松先生に「3日間でも早く放射線治療を始めた方が良いのか」きくつもりなので、出られるかどうかわからない。翌日はローラ浅田さんのコンサート。

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明るい母のがん治療⑧

<母の肺がんピンポイント照射治療後~8ヶ月後の現在>

背中の痛みが辛いので、鹿児島での検診を見合わせたことを植松先生に電話で連絡。かけた時はお忙しそうで、後からかけ直して下さった。「PET検査では、がん以外のものも反応してしまうから、背中が治ってから検査した方が良い。」との事。

2008/02/09(土) 髪の毛が3~5cm位、伸びた。春先にはかつらでなくなるかも。背骨の痛み止めを3回飲んでいたが、この日は1回で大丈夫なくらいに回復。就寝時が一番痛い。

ばあちゃんの施設へ車でジュースを届けに行った。「2月いっぱいはノロウィルス等の感染の恐れがあり、面会は出来ない」けれど、1階までの呼び出しは可能だった。ただ、この時は食事時でもあったので断念。

2008/02/10(日) いつもお世話になっているKさん&Tさんが、携帯の買い替えに付き合って下さった。更に、ご馳走を作って下さった<どんどん料理が出てくるので、食べることに夢中になってしまい、写真は最初の料理だけ>。Fried_noodls Curryいつも美味しいものをありがとうございます。 Tofu

2008/02/12(月) 前回、背骨が痛くて寝ていられず出来なかった検査をこの日に。結果は異常なし。

2008/03/01(土) ばあちゃんが施設でお世話になっているYさんが、フロアが違うにも関わらす様子をみて下さった。「食事もしていて元気そうだった」との事。ホッと安心。Yさん、本当にいつもありがとうございます!

2008/03/04(火) Kさん&Tさんから電話あり。「(母の)背骨の痛みはずい分良くなっているみたいだね」と。 

2008/03/12(水) ばあちゃんのいる施設から連絡が入り、病院へ連れて行くことに。治療を受け、顔色もよくなりまた施設へ。母も元気。

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明るい母のがん治療⑦

<母の肺がんピンポイント照射治療後~6ヶ月後の検査まで>

2007/10/27(土) ばあちゃんがいる特別養護老人施設の感謝祭へ。1階で屋台が出ていたが菌の侵入を防ぐため、ばあちゃんたちは3階のみでの参加。焼きそば・ベビーカステラ・ポップコーンの無料券をいただいた。豚汁が美味しく、ばあちゃんも残さず食べていた。

2007/10/28(日) 朝食は、柿・林檎などのフルーツ盛り。中村記念館で、お茶とお花の会。お茶を習っているので、お茶をたてる手伝いへ。お昼はそこで頂いたお弁当。終了後、お茶会にも来て下さったKさん宅へ。

2007/11/03(土) 翌日の徳川茶会へ参加する為、名古屋へ。到着後、皆で御飯を食べ、1泊。

2007/11/04(日) 徳川茶会に新しい着物で参加。夕方19時頃、帰宅。

2007/11/07(水) この頃、携帯で雲の写真を撮り始める。

また、目が赤くなる症状が。ビタミンE・Cの錠剤を飲むと治る。忙しくて疲れてくると、そうなるらしい。これは昔から。

液体ゼオライトについて調べ始める。

2007/11/18(日) 携帯の中で、飼っている猫の写真を利用して看板作り。

2007/11/26(月) 柿が美味しくて、食欲のない時は食べていたが、体温が下がってきたのでストップ。もともと平熱は低い方だが、36度台だったのが、35度台になってしまった。

北国新聞の「がん最前線」というコーナーに病院でリンパ球を増やす自由診療が始まったという記事を見つけ、行くことを考える。

*リンパ球が多いと免疫力がついて → がんに強くなるらしい

*カリュウ球が多いと活性酸素が出やすい → がん細胞が活発になる

2007/12/22(土) ばあちゃんが急性胃腸炎で入院との連絡。食事が出来ず、点滴。管をとろうとしてしまう為、ミトンの手袋のようなものをはめられている。

背中に痛みを覚える。朝、起きる時や、前屈状態の時に痛い。そんな中でも、毎日ばあちゃんのお見舞いへ。行けなかったのは1日だけ。

2008/01/03(木) まだまだ短いが、頭髪が徐々に伸びてきている。一緒にばあちゃんのお見舞いへ。鼻から管を通されて壁や天井をみまわしている姿が痛々しい。「食事が出来るようになれば施設に戻れる」ことを伝えた。

2008/01/04(金) 仕事はじめ。決起会にも参加。

2008/01/05(土) お茶のおけいこへ。翌日の日航ホテルでのお茶会のため。着物で参加予定。夕方、Kさん宅へ。Tさんの美味しい手料理、オーブンで焼いたカレーや昆布じめ、ふくらぎのお刺身、じゃが芋がまるごと入った汁ものなどをいただいた。

夜、ばあちゃんのお見舞いへ。顔をみて「どこ行っとったんや。」と。管が外れ、明るい顔になっていた。別れ際にも一言「こまごましたもん、なーんもないげん」。

2008/01/06(日) まこ(たらこを醤油などで甘辛く煮たもの)を自分の朝食に出してくれた。美味しかったヽ(^o^)丿

2008/01/07(月) 1月30日の鹿児島での検診予定の為のチケット購入を保留。背中の痛みを調べてもらう為。

2008/01/09(水) 午後、ばあちゃん退院。迎えに行って車椅子を車のトランクに入れる時、ぐきっとなった。

2008/01/12(土) CT検査。がんなのか、放射線治療による後遺症で腫れているのかわからないので、火曜に違う検査を予定。鎮痛剤使用。1日3回飲むので効いている時はいいが、朝起きる時などはとても辛い。

2008/01/15(火) 午後3時から検査。がんによるものではなかった!!!翌日、整形外科へ。骨が細くなってしまったらしい。思い返してみると、動物性たんぱく質が身体によくないと思い、牛乳等をあまりとっていなかった。水曜にぐきっとなってから、とても痛い。骨粗しょう症の薬をもらう。週1回のペースでのむ。これにより改善。

2008/01/22(火) 飛行機・電車での移動に耐えられるか自信がないので1月30日の検診予定を見合わせることに。

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母の明るいがん治療⑥

<母の肺がんピンポイント照射治療後~3ヶ月後の検査まで>

睡眠時間を確保しつつ、仕事に復帰。

2007/08/09(木) 10:20羽田着。14:00~神楽坂にて日野原重明先生の「いのちの授業」に参加。六本木ヒルズに行くが見歩く時間なく、引き返し最終便で帰宅。

2007/08/14(火) 金沢城ライブへ。Every Little Thing、夏川りみ、和幸、平原綾香、藤井フミヤらの歌を聴く。

2007/08/15(水) 上高地日帰りバスツアーへ参加。

2007/09/23(日) 気持ち悪い。時々、セキが出る。

2007/10/03(水) 翌日の仕事と日野原重明先生の誕生パーティに参加する為、21時半過ぎ、羽田着。前日まで気持ち悪かったが、この日はお腹がすいて6個入りの笹寿司を全部食べた!

2007/10/14(木) 朝は笹寿司2個を食べた。昼はコーヒー。午後1時から仕事。早めに有楽町線で月島へ。鹿児島で一緒だった方と再会。日比谷公園で話す。夕方18時半から公会堂にて誕生パーティ。夜はBACKSでホットサンドパン。

2007/10/05(金) 羽田10時発の便で小松へ。

2007/10/16(火) 鹿児島に19時前着。ホテルに電話して夕飯は外で。

2007/10/17(水) 検診の為、8時以降は食べてはだめ。13時までに行き、14時検査。結果は良好♪すぐに教えてもらえる。次回の検診は1月。翌日、帰宅。

 

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母の明るいがん治療⑤

<母の肺がんピンポイント照射治療 鹿児島での入院-後半1ヶ月>

2007/06/16・17(土・日) 治療なし。合間をぬって、突然地元へ!周囲の人達を驚かせる。とんぼ帰り。がんを患っている知り合いに、植松先生の治療を勧めたかったらしい。

2007/06/16・17(土・日) 治療なし。

2007/06/25(月) 全脳照射の治療も開始。脳&胸にあてる。顔にマスクをされるのが辛かった。翌日、「マスクで息ができない気がする」と訴えたら、鼻のところに穴をあけて下さった。

2007/06/27(水) 嘔吐。みかんは食べられた。病院の食事を全てキャンセル。

2007/06/30・07/01(土・日) 治療なし。映画「シュレック」をみに行った。

2007/07/04(水) 映画「パイレーツオブカリビアン」をみに行った。プールで平泳ぎ25m?&歩行。たこ焼きが食べたくて、お店を探した。

2007/07/05(木) ずっと、眠かった。

2007/07/07・08(土・日) 治療なし。日曜にフェリーで屋久島へ。レンタカーを借りて植物園、千尋(せんひろ)の滝、フルーツ園をまわって、最後に杉を見に行ったら最終便のフェリーに間に合わず、宿泊する事にした。翌日の治療時間を遅らせて頂いた。夜、脱毛。

2007/07/09(月) 15:00から治療。今日から脳照射のみ。

2007/07/14・15(土・日) 治療なし。

2007/07/19(木) 最後の治療、問診。次回は3ヶ月後の10月17日。

2007/07/20(金) 退院。地元へ帰る。

*まゆげから上が赤い

*耳がひたかゆい

*気持ち悪い(味覚・臭覚がおかしい)

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母の明るいがん治療④

<母の肺がんピンポイント照射治療 鹿児島での入院-前半1ヶ月>

2007/05/16(水) 休職して、飛行機で鹿児島へ。

2007/05/17(木) 胸に放射線をあてる治療開始。ベットで横になった放射線を当てる位置を合わせる。あてる時間は5~10分程度。あっという間で、痛みもなく終わる。治療は技師さん、毎週木曜に植松先生の問診。早速、食堂で一緒になった人と外出。

2007/05/18(金) 胸に放射線をあてる治療。この頃、縦隔のリンパへピンポイント放射の治療も。

2007/05/19・20(土・日) 土・日曜は治療なし。日曜、気持ち悪さで昼食(入院先の食事)を1/3残す。胃の痛みで夕飯食べれず。22時頃、治った。

2007/05/21(月) 一日中嘔吐、治療お休み。

2007/05/22(火) 今日も治療お休み。胆のう炎?夕方、やっと味噌汁を食べる。植松先生がお見舞いに来て下さったそうです。

2007/05/23(水) 頑張って、治療再開。

2007/05/26・27(土・日) 土・日曜で治療なし。

2007/05/31(木) 脳照射治療を始めるにあたっての説明を私も一緒に聞きました。植松先生と母の写真です。この時に撮らせて頂きました。快くブログに載せて良いと言って下さいました。

07_uas_20070531_14 *全脳照射で広く、うすくあてる。

*万一、脳にがんが出たら1個1個、ガンマナイフ治療となる。

*万一、身体に出たら放射線治療。

*治療が全て終わったら、3ヶ月に1度の検診をする。34_20070531

44_20070601 説明を聞き、納得して鹿児島水族館・フェリーで桜島へ。夕方、一緒にカジュアルフランス料理を食べに行き、母は入院先へ、私はホテルへ戻りました。そうしたら、母はバッタリ植松先生に会ったそうです。先生の方から声をかけて下さったとの事でした。

2007/06/01(金) 治療後、島津邸で郷土料理を頂く。電車で指宿の砂蒸し温泉へ。

2007/06/02・03(土・日) 治療なし。

2007/06/09・10(土・日) 治療なし。

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