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6月の豆本フェスタのこと

6月の豆本フェスタ、私は行かれなかったのですが・・・ヒューマンアカデミー絵本講座【柳沢晴子講師】修了生で結成した絵本サークル『haluluの虹色たまご』の仲間であるコタカエミさん、はしもとまやさん(2010年10月名古屋で開催された、生物多様性条約第10回締約国会議、通称COP10で行われたイベントの一つ『いまじんウォーク』のマスコットキャラクター、かっぱの【したらん】と天狗の【こっぷてんぐ】などを描かれたそうです!!!やすでのやすこもいますよ~)、さわぐちしのみさん、にしはらいくこさんらが私の分もしっかりと展示・販売してくれました。遅ればせながらその時の写真です。
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豆本はとぶように売れ(!)、周りの皆さんの凝ったディスプレイにも学ぶことがあり、とても良い体験になったと仲間達は言ってくれました。
出展されてる方の中には、いつもお世話になっているRiREさん、いちむらみほこさん、先日初めてお会いしたさかうえだいすけさんもいらっしゃいました。次回また機会がありましたら、是非その会場でもお会いしたいです
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明るい母のその後の生活(4)

2010/04/15(木) 週末金沢へ行くことに。「寒いから冬の格好で」とTELあり。

2010/04/17(土) Tさんと金沢駅まで迎えにきてくれた。

2010/04/18(日) 卯辰山のお店で食事。少しずつたくさん食べた母。

この頃、入院先の病院でソーシャルワーカーの方から身体障害者手帳を作ることや、要支援1,2要介護1あたりのサービスを使うことを勧められた。先生からは「小さいガンはあるが、進行はとまっているであろう」「入院のままでも退院でもよい」「ご家族がどうしたいか」と。

2010/04/23(金) 「テンション低い」と母。GW、「1日から行く」と言ったら「そんな先のことはわからない」とも。

ある日の会話。私「春はどこいっちゃったんだろう。」 母「キキと一緒や。」

時々携帯のメールを、お見舞いに来てくださっている友達(特にTさん、同僚のNさんは毎日のように入れ代わり立ち代わり来てくださっていた)にうってもらっていた。

2010/05/01(土) 夜、金沢着。メールで何度も「今、どこや」ときかれた。

2010/05/03(月) 母の足がすごくむくんで太くなっていた。それでも………「(母が)楽しみにしとってんよ。」とTさん。母と私を七尾美術館へ連れて行って下さった。Tさんお手製レアチーズケーキも頂いた。これがとっても美味しい。母もお気に入り。車椅子で七尾美術美術館をまわったあと私だけ近くにあったこども図書館のような所へ。Tさんと母は喫茶店で待っていた。帰り道、病院へ寄って外出届けを外泊届けに変更。夕方、ラ・フォルジュルネ<毎年金沢で開催される数日間の複数クラシックコンサート。今年は母の大好きなショパン。4月12日に再入院する直前、ショパンのCDを聴き始めた母。「少し落ち着いた」と言っていた。>へ。

2010/05/04(火) Tさんの運転で、倶梨伽羅不動尊へ。母が車に積んでいた前年の破魔矢などを燃しに。お参り。杖をついて猫背で歩いている母に「おばあちゃん、元気でまた会おうな」と声をかけてくれたおじいちゃん。「今日はおばあちゃんデーや。」と母。母の希望でクラシックコンサートへ行くのをやめて『ぶどうの木』で食事。パスタを半分くらい食べた母。 

2010/05/05(水) 私だけバスで病院へ行き、薬をもらって戻った。その帰り道で、あったかイトオテルミーの施術をしてもらう為、金沢駅でやまむら療養所の方と待ち合わせた。母に「今から二人で行く」と連絡したら座って待っていた。

2010/05/06(木) 少し早めの誕生日プレゼントをあげた。母は病院へ、私は横浜へ戻った。弟とTさんに母の傍にいてもらった。

2010/05/08(土) 母から日野原先生の病院の資料を送ってほしいと、しっかりした文章のメール。これが最後のメールになった。

2010/05/09(日) 弟が母の日の花束を持って病院へ。私はショパンのCDとラジカセを持って行ってあげて欲しいと頼んだ。夜、容態がよくなく酸素吸入器からマスクにきりかえた、との連絡。胸のレントゲンを撮ったら右肺が真っ黒だと。肺炎もしくは癌性リンパ管症(肺のリンパ管に癌細胞が広がる)との説明。

病状説明書より

癌性リンパ管症であれば肺の状態としては末期状態。急速に呼吸状態が悪化する可能性もあります。数日~1週間以内に急変する可能性があります。急変時には末期状態でもあり、蘇生術は行いません。また、呼吸状態が悪化した場合には眠っている状態の方が御本人が楽な場合もあります。この場合は麻薬の増量や睡眠薬を使用する鎮静を行います。

弟とTさんが気をきかせて母には「肺炎」だと言った。母は「肺炎かぁ。」と笑っていたらしい。

2010/05/10(月) 私も病院へ。意識朦朧としながらも日野原先生の資料の話をきいてくれた。前に頼まれて買ってあった「ペシャワールにて」という本も読んで欲しいと弟に言っていたらしく、私も続きを読んであげた。でも、めざましテレビの時間には、テレビをつけてほしいと(!)。

弟が先生からいわれた注意事項

・酸素マスクは必ずつけておく・体を動かす時は必ずナースコール・左へ横になると呼吸が苦しくなる(左肺は生きているから)・ジュースや水は少しならOK、むせないように見る(⇒結局、霧吹きのようなのに水をいれて口をあけてもらってシュッシュッとやっていた)・食べ物は酸素を外さなければならず、苦しいかも…みていれば少しOK?(夜中に焼きたてのやわらかいパンが食べたいと言ってたらしく弟が買ってきたが食べてもらうことはできず)・マッサージは問題ない(弟の彼女さんがアロマで足をマッサージしてくれた)

時々酸素マスクを外そうとする。苦しそうなので麻薬の量を増やす。眠っているような状態が続く。看護婦さんから今晩そばにいてあげた方がよいとの助言。Tさん、Nさんも付き添って下さった。弟と4人でいろいろな話をした。母も時々会話に加わっているようだった。

10日は、20年前に亡くなった父(50才 H2-9-8 命日・戒名:皎月一寧信士)の誕生日でもあり。

2010年5月11日、午前中に母が他界しました。目をしっかり開けてこちらをみていました。最後の力をふりしぼっていたのだと思います。5月13日の61歳の誕生日を目前にしてのことでした。辛かったです。エリザベス・キューブラー・ロス女史の本などを読みあさりました。『永遠の別れ』という本は特に励みになりました。生きている間の終わりの方は、時間や空間(場所)の感覚がなくなってくるのかな、と感じています。そういうことを知っていたらもっと傍にいたのかもしれないな、とも思います。半年経って、やっと書けました。ブログの更新がこんなに遅くなってごめんなさい。

お世話になったKさん、Tさん、Nさん、植松先生、横川先生、O先生、F先生、ローラ浅田さん、母と交流のあったみなさま、励まして下さったみなさま、温かい言葉を下さったみなさま、本当にありがとうございました。

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